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那覇新都心にある国指定史跡…伊是名殿内の墓・『銘刈墓地群』

2014-03-20 | 文化

 那覇市銘苅2丁目「那覇市消防本部」向かいの丘に、「伊是名殿内の墓」があり、『銘刈墓地群』の一つとして、国指定史跡になっています。「那覇市銘苅」は、「天久」「おもろまち」「上之屋」などとともに、「那覇新都心」と呼ばれ、国・県・市の各種機関や大型商業施設などがあり、安謝川の流域、浦添市との境界で、近くには、「新都心公園」「銘苅小学校」「安岡中学校」などがあります。そのような場所に、国指定史跡、伊是名殿内の墓・『銘刈墓地群』がありました。3月20日は、那覇市内小学校の、「卒業式」の日です。

参照(那覇市立 銘苅小学校 http://www.nahaken-okn.ed.jp/mekar-es/

参照(安岡中学校 http://www.nahaken-okn.ed.jp/yasuo-jh/

参照(銘苅墓跡群 文化遺産オンライン http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=163218

01-0319 史跡周辺の道路

02-0319 史跡周辺の道路

03-0319 伊是名殿内の墓

04-0319 伊是名殿内の墓

05-0319 伊是名殿内の墓

06-0319 伊是名殿内の墓

07-0319 伊是名殿内の墓

08-0319 伊是名殿内の墓

09-0319 伊是名殿内の墓

「伊是名殿内の墓 国指定史跡『銘刈墓地群』 指定年月日:平成19年7月26日 那覇市銘刈2丁目…伊是名殿内(いぜなどぅんち)の墓は、伊是名・伊平屋(いへや)両島の総地頭(そうじとう)家(上流士族)、伊是名家の墓です。銘刈墓地群の中にあって他の墓とは、その規模・造形などが大いに異なる亀甲墓(かめこうばか)です。 この墓は小高い山を三面に切り取り、その切り取った土で敷地を造成してつくられた、面積約660m2の県内最大級の亀甲墓です。その規模・造形技術は沖縄県内の墓の中でも傑出(けっしゅつ)したもので、道教(風水)の思想を基につくられています。 裏庭を囲む石垣には『相方(あいかた)積み』を用い、隅には突出した石『隅頭(すみがしら)』があり、上級士族の屋敷囲いの石積みを彷彿とさせます。入口には、本門と中門の2つの門があり、入口をクランク状につくることにより、ヤナカジ(悪い風)が直接墓本体に当たらない工夫が施されています。 中門を抜け墓庭に入ると、左手には葬儀に用いた用具等を処分するための、石を積んでつくられた穴があります。また、墓本体の正面右手には土地の神であるヒジャイ(后土神、こうどしん)を祀(まつ)る祠(ほこら)が見られます。 墓室内は天井をアーチ状に組み、奥の壁に向かって3段、両側の壁に1段の棚が設けられています。さらに墓室入口付近にあるシルヒラドゥクル(洗骨まで遺体を安置する場所)には、床面の石を外すと棺を置くための場所が現れる細工が施されています。 このように墓内外の施設の精巧なつくりは、沖縄県内において他では見ることのできないものです。 この墓は、その外観より18世紀代の様式のものであることがうかがえます。亀甲墓は17世紀に中国南部から伝わり士族階級に広がり、18世紀代に沖縄において独自の発達をして完成された墓で、この墓はその特徴をよく表している代表的な墓といえます。 設置 2009年3月 那覇市教育委員会」

10-0319 伊是名殿内の墓

11-0319 伊是名殿内の墓

12-0319 伊是名殿内の墓

13-0319 伊是名殿内の墓

14-0319 伊是名殿内の墓

15-0319 伊是名殿内の墓

16-0319 伊是名殿内の墓

17-0319 銘刈墓地群?

18-0319 銘苅小学校

19-0319 銘苅小学校


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