徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

防府と細川幽斎公

2016-12-20 17:27:13 | 歴史
 今から40年前、2年半暮らした山口県防府市。社宅があった石ヶ口地区から目と鼻の先に鞠生(まりふ)という地区があった。昨年の大河ドラマ「花燃ゆ」に登場した楫取素彦・美和子夫妻ゆかりの鞠生幼稚園なんていうのもあったが、この鞠生が実は昔の海岸線。干拓による新田開発が進められて今では海岸線はずっと南の方に移動したが、その名残りとして、鞠生には松林が多く残っている。
 天正15年(1587)7月、この鞠生を、肥後細川家の祖・細川幽斎公が訪れている。九州平定のために出陣した関白秀吉を福岡・筥崎宮で陣中見舞いした後、瀬戸内を船で帰る途中、山口見物をし、萩往還を通って周防国府(現在の防府)に入っている。この旅の様子は「九州道の記」に次のように記されている。

―― 十日、山口を出で、国府天神へ著きて、まりふの浦近き田しま迄、船のまはるを待ちて休み居たるに、當社の供僧圓楽坊、発句所望ありて、一面なりとも連ぬべしとて興業あり。入相の時分より初まりて、夜半過ぐるほどに百韻満じける。其時船著きたる由注進あり。天神の御計らひとて、衆徒喜ばれける。
 色わけよまつこそ風の手向け草
田しまの港にて、まりふの浦を見るに、網の多く掛け干してあれば、
 真砂地にあみ張り渡しもて遊ぶまりふの浦の風もたえつゝ ――

 乗船する船が田島の港に着くまで鞠生の浦で休んでいたが、防府天満宮の供僧の申し出で連歌の会を催し、夕方から夜半過ぎまで百句を連ねた頃、船がやって来たようだ。幽斎公はやはり相当名高い歌人だったと見え、旅の各地で歌を所望されている。


2年半暮らした防府市石ヶ口の社宅


海岸線の名残り、鞠生の松林



細川幽斎公(水前寺成趣園)
『山口県』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 西原村の“絹おとめ” | トップ | 阿波徳島のはなし。 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

歴史」カテゴリの最新記事