現存する熊本最古の映画館、電気館の100年の歴史展を、熊本市現代美術館に見に行った。来年創設100年を迎えるということは、僕の親父と同じ年に生まれたわけだ。100年の歴史を偲ばせる写真やチラシ、ポスター、看板などが展示されており、昭和10年(1935)に製作されたという大河内伝次郎主演の「水戸黄門 信州密書篇」活弁付きも上映されていた。また、そんな展示の中でひと際興味深かったのが、「電氣館と林芙美子」というパネル(内容下記)。若い頃、日本各地を転々としていた林芙美子が一時期、熊本にもいたことは聞いていたが、小説の中にそれを裏付けるくだりがあることは知らなかった。
■電氣館と林芙美子
熊本の映画の歴史を語るとき、藤川治水著の「熊本シネマ巷談」なしには語れない。その「シネマ巷談」の中に、「中央作家による文学作品のなかで、熊本の映画館がそっくり実名ででてくるのが、林芙美子のある作品だけではないかと考え込んでいたからであろう。彼女の作品「舞姫」のなかに、熊本の電気館が登場する」とある。林芙美子の小説に「舞姫の記」というのはあるが、これが果たしてここで挙げられている「舞姫」に該当するのか。調査したところ、「舞姫の記」に以下のような記述があった。
「その夜、末吉は退屈だったので、独りで新市街に行き、電気館にニュースを観に行った。白い海月のようなドイツの落下傘部隊が、銀幕に映っている。(以下省略)」
林芙美子が熊本に住んでいたのは小学校の6年間。しかしその間数十回移転しているのでその間の一時期ということにはなるが、活動写真常設館の電気館の印象が深く残っていたと思われる。
※「舞姫の記」林芙美子著 昭和22年9月14日発行
創設間もない頃の電気館
超満員の観衆で埋め尽くされた館内(大正時代?)
■電氣館と林芙美子
熊本の映画の歴史を語るとき、藤川治水著の「熊本シネマ巷談」なしには語れない。その「シネマ巷談」の中に、「中央作家による文学作品のなかで、熊本の映画館がそっくり実名ででてくるのが、林芙美子のある作品だけではないかと考え込んでいたからであろう。彼女の作品「舞姫」のなかに、熊本の電気館が登場する」とある。林芙美子の小説に「舞姫の記」というのはあるが、これが果たしてここで挙げられている「舞姫」に該当するのか。調査したところ、「舞姫の記」に以下のような記述があった。
「その夜、末吉は退屈だったので、独りで新市街に行き、電気館にニュースを観に行った。白い海月のようなドイツの落下傘部隊が、銀幕に映っている。(以下省略)」
林芙美子が熊本に住んでいたのは小学校の6年間。しかしその間数十回移転しているのでその間の一時期ということにはなるが、活動写真常設館の電気館の印象が深く残っていたと思われる。
※「舞姫の記」林芙美子著 昭和22年9月14日発行
創設間もない頃の電気館
超満員の観衆で埋め尽くされた館内(大正時代?)
私、BSJAPAN「NIKKEIプラス1をみてみよう」という番組を担当しております、岩橋と申します。
今回、当番組内で昔の映画館の超満員の写真を使用したいと考えております。
それに従いまして、本ブログにアップされているお写真を提供して頂けないでしょうか。
お返事お待ちしております。
この写真はたしか、5年前、熊本市現代美術館で行われた「電気館の100年の歴史展」のパンフレットに掲載された写真だったと思いますので問題ないと思います。どうぞお使いください。