徒然なか話

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ナチスのオリンピック

2017-08-23 22:48:48 | 歴史
 毎日新聞の電子版に「よみがえったベルリン五輪」という見出しを見つけた。昨年、毎日新聞大阪本社で、昭和11年(1936)のベルリン五輪の特派員が撮影した約1000カットの写真ネガフィルムが見つかり、このほどデジタル化を終えたという。このベルリン五輪には、49ヶ国と地域から約4000人が参加して開かれた。この大会は「ヒトラーのオリンピック」とも言われ、第二次世界大戦に向かう不穏な時代の中、行なわれた大会の様子を写した写真は鮮明で、80年という時代の流れを感じさせない。
 競技場にへんぽんと翻るハーケンクロイツ(鉤十字)のドイツ国旗。ナチス式の敬礼をする群衆。得意満面のヒトラー等々。今日見れば極めて異様にしか見えないが、当時の選手たちや観衆はどんな気持ちだったのだろうか。なお、この大会で日本は金メダル6個を含む計18個のメダルを獲得した。
 この大会には、僕らの大先輩が出場した。五輪初参加の日本水球チームのゴールキーパーとして出場したのが古荘次平さん(熊本商業→早稲田大学)。名もない平泳ぎの選手から水球のゴールーキーパーに転じ、猛練習を重ねてオリンピックの日本代表に登りつめた立志伝中の人だ。彼が水球のゴールキーパーとして成功した要因の一つは、熊本伝統の小堀流踏水術の心得があったからだとも言われている。僕の高校時代、よくわがチームの練習を見に来られたが、「負けて新聞の見出しになるようなチームになれ!」という激励は今でも忘れられない。(写真はベルリン五輪時の古荘さん)