一小節の独り言 ~Naoto Nozaki's official blog~

シンガーソングライター・のざきなおと伯爵の
自由気ままな日常ブログ

歌詞は大事だと思うの。

2017年07月23日 | 音楽

夏になると各テレビ曲がこぞって放送する「○○歌謡祭」みたいな番組も、一通り終わったみたいで。 
ま、さすがに10時間とか付き合うほどヒマじゃないですが、仕事柄なるべく観るようにはしてます。

 で、観て思うんだけど。

よく、ベテランの歌手と若手の歌手が一緒に歌ってますね。 あれをみてると、最近の若い歌い手さんって・・・本当に「歌」が歌えてないなあ、と・・・・・。
先日もミュージックフェアで、藤井フミヤとAAAの西島君が「ORION」を歌っているのを拝聴して。
 西島君、決して下手っぴな歌い手とは思ってなかったというか、むしろあの年代ではよくがんばってるとさえ思ってたんですけども、それでもフミヤと一緒に歌うと、なんだろう、あまりにも歴然と力の差が・・・・・・  

 いや、勿論経験の差とか、そりゃあ長い事歌ってるフミヤに勝てるわけはないんですけど、そういう事を差っ引いても根本的に何かが違う。

西島君、がんばってるんだけど、きれいなだけなんです。 綺麗に旋律を歌ってるって感じ。
フミヤが歌い始めると、言葉に込めてくる力っていうのかな、歌詞がドーン!と立ちあがってくる説得力があって、両者のトルクの違いがすごく出ちゃってました。

 まあでも西島君はまだ良い方で、他の若手だともっと悲惨な人がたくさんいますね。

なんかね、歌が軽いんですよね。 明らかに質感が違うんです、若手の歌は。


 これね、わたしが思いますのに。
 音楽そのものの聴き方の変化でこうなっちゃったんではないか、と。

 昔は「レコード」を「ステレオ」で聴いてました。 そうすると、でっかいステレオの前に座って、じっくり鑑賞するというのが主流でしたね。
つまり、歌と向かい合って聴いてたわけ。 そういう聴き方をされるのがわかってるから、作り手も歌い手も、そうやって聴かれてもちゃんと耐え得るように作っていたんじゃないのかな。

 それが、やがてカセットになり、ウォークマンの出現によって居間でじっくり聞くというよりも音楽が外へ持ち出されるようになり。

昨今ではネットでダウンロードという形になり、もはや「アルバム」というコンセプトさえ崩壊して、聴きたい音楽だけを何かをしながら聴くようになった。

 そう、音楽は向かい合ってじっくり鑑賞するものから、BGMで軽~く聞き流すものにシフトチェンジしたわけです。

 となると。 もはや歌詞の味わいというのは二の次になり、リズムが心地よいとかメロディがきれいとか、そこばかり重視されるようになって。
 きちんと歌詞を語るという感覚は次第になくなって、そういう事を教えられる人もおそらくいなくなって、それで今日に至っているのかな、と。

 もちろん、若手が全員そうだとは言いませんよ。 中にはしっかりと歌詞の意味を考えて、伝えようと歌ってる人もいらっしゃいます。

 でも、70年代~80年代を活躍したベテランの皆さんが持つ歌唱力と比べると、やはりこの・・・根本的な質感が違うように感じます。

 なんだろね。
 「もう今は時代が違う」と言われれば返す言葉はないですが。 時流に合わせて芸術は形を変えていくべきものではあるんですが。
でも若鯱屋のカレーうどんがどんどん辛くなくなっていくような、そんな一抹の寂しさを感じますねえ。


 ちなみに、のざきなおとさんはこの「時流」ってやつに逆らって、たとえなんと言われようが「詞を語れる」歌い手になりたいと願ってまして。
これからも古いやり方でがんばっていかなくちゃ!と、襟を正す気持ちでございます。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 車検終了 | トップ | ボンド25作目 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

音楽」カテゴリの最新記事