社民党 京都府連合 野崎靖仁 副主席語録
社会民主党 中央規律委員 野崎靖仁、54歳。
日々の思いを綴ります。
 



最近、教育勅語を暗誦させる幼稚園が話題になっていますが、
教育勅語は衆議院で排除、参議院で失効の確認が決議されています。

<教育勅語等排除に関する決議>
(1948年6月19日衆議院決議)

民主平和国家として世界史的建設途上にあるわが国の現実は、
その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。
これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、
教育の改新と振興とをはかることにある。
しかるに既に過去の文書となっている教育勅語
並びに陸海軍軍人に賜わりたる勅諭その他の教育に関する諸詔勅、
今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、
従来の行政上の措置が不十分であったがためである。

思うに、これらの詔勅の根本的理念が
主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、
且つ国際信義に対して疑点を残すものとなる。
よって憲法第98条の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、
これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。
政府は直ちにこれらの謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。

右決議する。


<教育勅語等の失効確認に関する決議>
(1948年6月19日参議院決議)

われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、
わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、
真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。
その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、
青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、
既に廃止せられその効力を失つている。

しかし教育勅語等が、
あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、
われらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にするとともに、
政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる。

われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、
全国民が一致して教育基本法の明示する
新教育理念の普及徹底に努力をいたすべきことを期する。

右決議する。

(参議院公式サイト)
http://www.sangiin.go.jp/japanese/san60/s60_shiryou/ketsugi/002-51.html

ここで丸山真男「超国家主義の論理と心理」から引用します。
(未来社『増補版 現代政治の思想と行動』より)

ヨーロッパ近代国家はカール・シュミットがいうように、
中性国家(Ein neutraler Staat)たることに一つの大きな特色がある。
換言すれば、中性国家は真理とか道徳とかの内容的価値に関して中立的立場をとり、
そうした価値の選択と判断はもっぱら他の社会的集団(たとえば教会)
乃至は個人の良心に委ね、国家主権の基礎をば、かかる価値内容から捨象された
純粋に形式的な法機構の上に置いているのである。

近代国家は周知の如く宗教改革につづく
十六、十七世紀に亘る長い間の宗教戦争の真只中から成長した。
信仰と神学をめぐっての果しない闘争は
やがて各宗派をして自らの信条の政治的貫徹を断念せしめ、
他方王権神授説をふりかざして自己の支配の内容的正統性を独占しようとした
絶対君主も熾烈な抵抗に面して漸次その支配根拠を公的秩序の保持という
外面的なものに移行せしむるの止むなきに至った。

かくして形式と内容、外部と内部、
公的なものと私的なものを区別する形で治者と被治者間に妥協が行われ、
思想信仰道徳の問題は「私事」としてその主観的内面性が保障され、
公権力は技術的性格を持った法体系の中に吸収されたのである。

ところが日本は明治以後の近代国家の形成過程に於て
曾てこのような国家主権の技術的、中立的性格を表明しようとしなかった。
その結果、日本の国家主義は内容的価値の実体たることに
どこまでも自己の支配根拠を置こうとした。
(中略)
そうして是に対して内面的世界の支配を主張する教会的勢力は存在しなかった。
(中略)
そうして第一回帝国議会の召集を目前に控えて教育勅語が発布されたことは、
日本国家が倫理的実体として価値内容の独占的決定者であることの
公然たる宣言であったといっていい。
果たして間もなく、あの明治思想界を貫流する基督教と国家教育との衝突問題が
まさにこの教育勅語をめぐって囂囂の論争を惹起したのである。
(中略)
今年初頭の詔勅で天皇の神性が否定されるその日まで、
日本には信仰の自由はそもそも存立の地盤がなかったのである。
信仰のみの問題ではない。
国家が「国体」に於て真善美の内容的価値を占有するところには、
学問も芸術もそうした価値的実体への依存よりほかに存立しえないことは当然である。
(13~15頁)

戦前の日本はヨーロッパ近代国家のように真理や道徳などの
内容的価値にについて中立的な「中性国家」ではなく、
真善美の内容的価値を占有することで
信仰や学問・芸術の自由の存立の基盤を失わせていました。

その典型が教育勅語ということです。

戦後日本はヨーロッパ近代国家のような「中性国家」たるべく
(旧)教育基本法を制定し、教育勅語を排除、失効させたのです。

教育勅語を復活させるということは、
次のような「愛国無罪」のメンタリティを復活させることになります。

それ自体「真善美の極致」たる日本帝国は、
本質的に悪を為し能わざるが故に、いかなる暴虐なる振舞も、
いかなる配信的行動も許容されるのである!

(18頁)

そうして支配層の日常的モラルを規定しているものが
抽象的法意識でも内面的な罪の意識でも、民衆の公僕概念でもなく、
このような具体的感覚的な天皇への親近感である結果は、
そこに自己の利益を天皇のそれと同一化し、
自己の反対者を直ちに天皇に対しる侵害者と看做す傾向が
自から胚胎するのは当然である。
藩閥政府の民権運動に対する憎悪乃至恐怖感には
たしかにかかる意識が潜んでいた。
そうしてそれはなお今日まで、
一切の特権層のなかに脈々と流れているのである。

(21頁)

教育勅語の排除、失効はポツダム宣言に書かれた

日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル
民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ
言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ

という降伏の条件を実行することでした。

ちょっと引用が長くなりましたが、
教育勅語に関する知識を整理してみました。

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