社民党 京都府連合 野崎靖仁 副主席語録
社民党 京都府連合 政審会長・幹事長(近畿ブロック協議会副議長) 野崎靖仁、48歳。
日々の思いを綴ります。
 



四条通りから寺町通りを下がると、
火除天満宮社があります。



天満宮なので、御祭神は菅原道真公。

1579年、九州での兵乱を逃れるため、
一人の老神官が大宰府より菅原道真の像を背負って京都に入り、
六角通周辺に祀ったのが始まりとされます。



1587年、烏丸二条の龍池に織田信長・信忠の菩提を弔うために創建された
「大雲院」の鎮守社として迎えられ、豊臣秀吉のいわゆる「町割り」政策によって、
1597年、大雲院とともにこの地へ遷座されました。



1864年の蛤御門の変では、
一条通りから七条の東本願寺のあたりまでが焼失したそうですが、
この一帯だけは類焼を免れました。

そこで、学問と火除の神として信仰を集めています。



境内には牛の像があるのですが、牛の像といえばバアル神を連想してしまいます。

「牛頭天王=スサノオ」を祀る祇園神社の総本山、
八坂神社が京都にはあるので、京都はバアル神の都、
と言ってもいいのかもしれません。

しかしヤラベアムはその心のうちに言った、「国は今ダビデの家にもどるであろう。
もしこの民がエルサレムにある主の宮に犠牲をささげるために上るならば、
この民の心はユダの王である彼らの主君レハベアムに帰り、
わたしを殺して、ユダの王レハベアムに帰るであろう」。

そこで王は相談して、二つの金の子牛を造り、民に言った、
「あなたがたはもはやエルサレムに上るには、およばない。
イスラエルよ、あなたがたをエジプトの国から導き上ったあなたがたの神を見よ」。

そして彼は一つをベテルにすえ、一つをダンに置いた。
この事は罪となった。民がベテルへ行って一つを礼拝し、
ダンへ行って一つを礼拝したからである。

彼はまた高き所に家を造り、レビの子孫でない一般の民を祭司に任命した。
またヤラベアムはユダで行う祭と同じ祭を八月の十五日に定め、そして祭壇に上った。
彼はベテルでそのように行い、彼が造った子牛に犠牲をささげた。
また自分の造った高き所の祭司をベテルに立てた。

こうして彼はベテルに造った祭壇に八月の十五日に上った。
これは彼が自分で勝手に考えついた月であった。
そして彼はイスラエルの人々のために祭を定め、祭壇に上って香をたいた。

(旧約聖書「列王記」上 12章26節~33節)

話がオカルトっぽくなりそうなので、この辺でやめておきましょう。



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