野坂屋旅館

自然の豊かな小さな町で、不知火海で獲れた天然の美味しいお魚をメインに、四季折々のお料理をお客様にお出しします。

大関山

2017-10-19 00:17:49 | Weblog

野坂屋旅館のホームページ

 

 

芦北町で一番高い山が大関山(オオゼキサン)です。

標高900m、大関山の向こう側は鹿児島県伊佐市になります。

西南の役では最後の戦があった場所でもあります。

雨が上がると曇っていても、雲が燃えるような表情を見せてくれていました。

 

 

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6 コメント

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地図で確認すると・・ (鈴木五郎)
2017-10-19 08:53:31
 わざわざコメント欄に書くことではありませんが。m(__)m

 案外意外や意外・・・。
 ゴットン岩がある大関山南斜面は、水俣市なのですね。大関山には県境は通っていないようです。
ご指摘ありがとうございます。 (野坂屋主人)
2017-10-19 16:15:39
鈴木五郎さま

ご指摘ありがとうございます。
県境ではなく、大関山の隣りの国見山を通って薩摩へ抜けたと言われております。
大関山、国見山と厳密には書くべきでしょうが、
芦北からは見えなくて、尾根づたいで通った事を考えれば、まんざら間違いではないのではないでしょうか。

実際に西南の役では、大関山で敗走しながらの攻防がありましたし。
山深いですよね・・・ (鈴木五郎)
2017-10-20 00:23:57
 失礼しました。

 薩摩街道の脇道である「大口筋」が、三十挺坂を通って、薩摩國大口に抜けるのでしたっけ・・・。

 西南の役の時は、人吉死守!のため防衛線を築いた薩軍に対して、官軍は計石から上陸して攻撃したのでしたっけ?・・・・。
西南の役 (野坂屋主人)
2017-10-20 04:42:10
鈴木五郎さま

西南の役は人吉城死守だけが最後の目的ではなかったと思います。
なぜならば、野坂屋旅館の初代も薩摩軍に加担して参戦したみたいだし、最後はいろんなルートで敗走したとは考えられないでしょうか。
大関山山頂にも、西南の役の戦のあとなどがあるそうです。
また、我が家の菩提寺、天長山実照寺の仁王さんには弓矢の跡があります。

人吉だけが薩摩のルートだとは限定できないと思いますが。
参戦の経緯は? (鈴木五郎)
2017-10-20 13:23:55
 何度も失礼します。

 参戦する初代ご主人の心境は、どんなだったのでしょう。当時の日記は残っていないでしょうか・・。
 いつかじっくりお話を伺いたい限りです。

 あれ?、
 仁王様のお腹の傷は、梅北の乱の際ではなかったでしたっけ・・・・。
もう一度 (野坂屋主人)
2017-10-23 10:54:32
鈴木五郎さま

コメントありがとうございました。
私も今一度学芸員の方にお尋ねして、勉強し直してみますね。

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