九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

洲崎神社(千葉県館山市)

2010-05-06 14:14:21 | 神社参拝ー関東
 最近、全国一の宮巡拝再開に備え体力増強のため、バードウオッチング、サイクリング等、屋外活動が多く久しぶりの更新です。

 洲崎神社(千葉県館山市)を掲載しました。

 洲崎神社(すのさきじんじゃ)
【鎮座地】〒294-0316 千葉県館山市洲崎1697 旧安房国 安房郡
【御祭神】天比理刀命 (合祀)天太玉命 天富命
【例祭】 8月21日 例大祭
【旧社格等】県社
      安房國一の宮
   式内社 安房國安房郡 后神天比理乃命神社 大、元名洲神
【御由緒】
 式内大社 洲崎神社
祭神 天比理乃命
当社は延喜式神名帳に「后神天比理乃命神社大 元名洲神」と記され、天太玉命の后神を祀る式内大社で、元の名を洲神と称した。
由緒
当社は宝暦三年(一七五三)の「洲崎大明神由緒旧記」によると、神武天皇の御宇、天富命が御祖母神天比理乃命の奉持された御神鏡を神霊として、洲辺の美多良洲山に祀られたことに始まる。
 鎌倉時代の治承四年(一一八〇)安房に逃がれた源頼朝が、戦勝と源氏再興を祈念して神田を寄進、後、妻政子の安産を祈願している。室町時代には江戸城を築いた太田道灌が、江戸の鎮守として明神の分霊を勧請したと伝えている。房総里見氏も当社を尊崇して、七代義弘が神領五石を寄進し、江戸幕府もこれに倣って朱印状を下した。幕末の文化九年(一八一二)房総沿岸警備を巡視した老中松平定信は「安房国一宮 洲崎大明神」の扁額を奉納している。
 神位は平安時代に正一位、鎌倉時代に元寇戦勝祈願の功により勲二等に叙せられ、明治六年(一八七三)県社に列せられた。
 往時、別当寺は養老寺など五ヶ寺を数えた。洲崎明神は古来伝承されている数々のあらたかな霊験から、安産・航海安全・豊漁・五穀豊穣や厄除開運の守護神として信仰が厚く、現在に及んでいる。
祭事
祭礼は二月の初午と八月二十日・二十一日の例大祭があり、共に文化庁選択記録保存・県指定無形民俗文化財の洲崎踊り(鹿島踊りと弥勒踊り)が奉納される。八月の例大祭には勇壮な神輿の渡御や浜祈祷も行われる。
文化財その他
社宝である養老元年(七一七)万治二年(一六五九)宝暦三年の各縁起や御神体髪などのほか、江戸時代延宝年間の改築とされる神社本殿は、共に市指定有形文化財であり、神社の鎮座する御手洗山は洲崎神社自然林として県指定天然記念物となっている。また随身門は宝永年間の造営、矢大神・左大神像は明治三年の作とされている。
 平成元年八月
  館山市文化財審議会委員 君塚文雄 誌
 (境内由緒石碑より)

 房総半島の西南端に位置する千葉県館山市にあります。洲埼灯台から太平洋岸を白浜の野島埼灯台まで続く「日本の道100選」房総フラワーライン沿い、洲崎の御手洗山中腹に鎮座しています。

  境内入口の鳥居
 道路沿い左「安房之国一宮 洲崎神社」、右「一宮洲崎大明神」とある新旧の社号標、しばらく進むと一段高い位置に鳥居です。

  鳥居から参道
 鳥居をくぐると左に瓦葺の手水舎、さらに左に社務所(現在無人、連絡先の掲示あり)、右に細長い青い屋根の保管庫?、正面に随身門から参道です。

 随身門宝永年間(1704~11)の建造、
中に明治三年(1870)の作とされている矢大臣・左大臣像があるようです。神社では通常「随神門」と表記されていますが、当社案内には「随身門」とあります。

 随身門から参道随身門を入ると急な階段の参道です。
「厄祓坂」とも呼ばれるようで、およそ150段あります。

 拝殿 
長い階段を上ると思ったより広い境内、左右に境内社、正面に拝殿から本殿です。
 当社裏の御手洗山の西側斜面は、神域として伐採されたことがなく自然林として保たれ、昭和47年千葉県天然記念物「洲崎神社自然林」と指定されました。

 拝殿の扁額「安房國一宮洲崎大明神」とあります。
幕末の文化9年(1812)老中「松平定信」は「安房国一宮洲崎大明神」の扁額を奉納したと由緒にありますのでこの時の物でしょうか。

  本殿 
 創建は神武天皇の御宇。安房国の開拓者、天富命が御祖母神天比理乃命の奉持された御神鏡を神霊として、洲辺の美多良洲山に祀られたことに始まると伝えられています。
 御祭神は安房神社の御祭神・天太玉命の后神天比理刀命。天太玉命、天富命が合祀されています。

  本殿の彫刻
 延宝年間(1673~80)の改築とされ、三間社流造、唐様の三手先組、木鼻や欄間などに彫刻が施され、外部は丹塗仕上げで市指定有形文化財です。
 
  社殿全景
 現在の社殿は昭和61年の台風で土砂が流出し、倒壊したため 修復が行われています。

 境内社・稲荷神社境内左にあります。
御祭神は字迦之御魂命(倉稲魂命)、直ぐ右に小祠がありますが、社名・御祭神等不明です。

 境内社・長宮境内右にあります。
右から大物主命、建速須佐之男命、大山津見命、豊玉彦命が祀られています。

 境内社・金比羅神社境内右奥にあります。
御祭神は海上・航海安全の守護神、金毘羅大神です。境内にはこの他小さな石祠もありました。

 拝殿前からの景観眼下に太平洋の雄大な景色が広がります。

 随身門から鳥居
随身門から鳥居まではわりと広くゆったりとしています。鳥居から道路までの両側に駐車できるスペースもあります。
 社域の広さ、境内のレイアウト、社殿の造りなど県社と思われない風格があります。

 浜の鳥居社前の道路を横断し海岸に出るとあります。
天気が良ければ鳥居の中央に富士山が拝めるようですが、沖合いを行き交う船舶も霞む視界不良で残念でした。

 御神石浜の鳥居をくぐると海岸側にあります。

 洲崎神社の御神石
御神石はその昔、役行者が飛来し、海上安全のために、一つを洲崎の地に一つを現在の横須賀市吉井の地に置いていったと言う伝説と竜宮より一対の大きな石が洲崎明神に献上されたが、ある時、その一つが天太玉命(安房神社の御祭神)御霊代として東国鎮護のために吉井の地に飛んでいったという伝説が残されています。
 吉井の地に飛んでいった御神石は同所鎮座の安房口神社の御神体として、おまつりされ両御神石は互いにむかいあっていて置かれていて「阿(安房口神社)吽(洲崎神社)の石」と呼ばれています。
 この洲崎の地は文字通り洲の先であって、外洋と内海を分ける位置にあり、岬の沖会は「汐のみち」と呼ばれ、昔から海の難所でした。また吉井の地は房総への重要な交通路であり、古道の要所であったため、この様な伝説が残されたと思われます。
 何れにしても両御神石は、昔より海上安全の守神として人々より篤く信仰されてきました。
  洲崎神社
 (現地石碑、碑文より)
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