九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

駒形神社(岩手県奥州市)

2012-08-28 14:10:41 | 神社参拝ー北海道・東北

 ここしばらく、当ブログ本家の神社の掲載が滞っていましたが、久しぶりに掲載します。
全国一の宮を北から順次掲載したいと思っていますが、どこまで続きますか。

 駒形神社(岩手県奥州市)を掲載しました。

 駒形神社(こまがたじんじゃ)
駒形さん(こまがたさん)
【鎮座地】〒023-0857 岩手県奥州市水沢区中上野町1-83 旧陸奥(陸中)国 胆沢郡
【御祭神】駒形大神
【例祭】 5月3日 奉遷記念例大祭 5月4日 春季崇敬講社例大祭 5月4日 春季交通安全祈願大祭
     9月18日 例大祭 9月19日 例大祭 9月20日 秋季崇敬講社例大祭 9月20日 秋季交通安全祈願大祭
【旧社格等】国幣小社 (現別表神社)
      陸中國新一宮      
      式内社 陸奥国胆沢郡 駒形神社
【御由緒】
 陸中一宮 駒形神社
御由緒
 上古の代、関東に毛野一族が台頭し、赤城山を霊山と崇敬し、赤城の神を祀って上野平野を支配し、後に上毛野国と下毛野国に分れた。上毛野・下毛野氏は、関東に留まらず、勢力を北にのばし、行く先々に祖国に習い、休火山で外輪山を持つ形のいい山を捜し出し、連山の中で二番目の高峰を駒ケ岳又は駒形山と名付け、駒形大神を奉祀された。奥州の当地方にも及び、胆沢平野から雄姿を目にし、山頂に駒形大神を勧請し、駒ケ岳と命名した。上毛野胆沢公という毛野氏の一族によるものであり、時は雄略天皇の御代(四五六年)であった。
 当社は貞観四年(八六二年)従四位下に神階を進められたのは、陸奥国胆沢城を創建し征夷大将軍として蝦夷地を平定した坂上田村麻呂による崇敬の念の篤かったことから始まり、この鎮守府の度々の上奏によるものであった。
 駒形という名称は、古く赤城神社をカラ社と呼んだ歌が残っている。コマをカラと歌った。当時の朝鮮は高句麗に都があり、高麗朝時代であり、文化伝来のあこがれの国でもあったので、コマということばを用い世間に誇示した。箱根山縁起に箱根神社が駒形神社を奉祀するのは、朝鮮から高麗大神を勧請したと記載しているのと同様である。このように赤城の神は駒形の神とも言える。
 坂上田村麻呂や源頼義・頼家父子も駒形大神を厚く崇敬し、武運祈願成就した事実を知り、この奥州に栄華を築いた藤原氏四代も駒形神社に崇敬の念を捧げた。平泉より北上川を隔て、東に望む秀峰束稲山は駒形山とも言う。このことは峻険な駒ケ岳を度々登拝することは困難を来たすこともあり、この山に駒形大神を奉祀したと考えられる。かくして駒形神社の崇敬は華々しく、分社は東北各県より関東に亘り、その数、百余社に及んでいる。

御祭神
      天照大御神(あまてらすおおみかみ)
      天常立尊(あめのとこたちのみこと)
 駒形大神 国狭立尊(くにのさたちのみこと)
      吾勝尊(あかつのみこと)
      置瀬尊(おきせのみこと)
      彦火尊(ひこほのみこと)

御利益
 産業開発、交通安全、必勝祈願、方位除け、家内安全

別宮 鹽竃神社
 後冷泉天皇の御代(一〇五二年)源頼義・義家父子が安倍貞任を征伐しようとし、宮城県塩釜市の鹽竃神社に祈願し成就したので凱旋の後、水沢の地(現在の石田・大明神)に鹽竃大神を勧請した。以来、当地方は塩釜村といわれ、また水沢市制(昭和二八年)の施行まで大字名に塩釜が残された。
 寛永六年(一六二九年)初代水沢城主留守宗利氏が当社を大修繕した。明和二年(一七六三年)第七代城主留守村義氏は石田・大明神の地より現在地に遷座して境内を整備し、領内の守護神と崇め、別当及び社家をおき祭祀にあたらせ当地方の一大名社とし、信仰をあつめた。
 安政六年(一八五九年)の大火により、全町ことごとく焦土と化し、社殿も類焼したため、文久三年(一八六三年)第十一代城主留守邦命氏が再興した。ことに本殿は戸阿内村の大工熊谷萬吉氏が上衣川村にあった直径七.八メートルの欅の巨木一本で仕上げた。今も駒形神社本殿として現存している。
 明治三六年、鹽竃大神は別宮春日神社に合祀し、鹽竃神社とし、駒ヶ岳山頂より御神霊を鹽竃神社に奉遷し駒形神社とした。

御祭神
      鹽土老翁神(しおつちのおじのかみ)
 鹽竃大神 武甕槌神(たけみかつちのかみ)
      経津主神(ふつぬしのかみ) 

      天児屋根神(あめのこやねのかみ)
 相殿   比賣神(ひめのかみ)
      藤原鎌足朝臣(ふじわらかまたりのあそん)

ご利益
 武芸上達、成績向上、受験合格
  (神社パンフレットより抜粋)

 岩手県の内陸南部に位置する奥州市の中心部水沢区にあります。北上川西岸、JR東北本線水沢駅の西1kmほどの水沢公園北西に隣接して鎮座しています。

 鳥居の扁額
扁額にはシンプルに「駒形神社」とあります。鳥居の前には一対の灯篭、風格のある狛犬と、右端に「国幣小社駒形神社」の社号標があります。

 手水舎
鳥居をくぐり左に進むと、神門前に銅板葺きの手水舎、手水鉢はわりと大きな自然石のようです。

 神門社殿のある境内の入り口には神門があります。

 神門から拝殿
神門を入ると、直ぐ左に授与所、右は回廊のようになっていて、多くの扁額、絵馬などが奉納されています。正面石畳の参道の突き当りに拝殿から幣殿、本殿と続きます。

 拝殿
創始年代は不詳、社伝に、雄略天皇の御代(西暦456年)上毛野胆沢公、駒ヶ岳山頂に駒形大神を勧請とあります。また一説には景行天皇40年日本武尊の東征時とも、延暦21年(西暦802)坂上田村麻呂の征討時の創建とも云われています。

 拝殿の扁額
扁額には「駒形神社 正三位勲一等男爵後藤新平」とあります。氏は当地、陸奥国胆沢郡塩釜村(現在の奥州市水沢区)出身の明治~昭和初期の政治家、男爵とありますので明治~大将初期のものと思われます。

 社殿全景
現在の社殿は、明治36年現在地に奉遷されてから平成15年奉遷百周年を迎え、記念事業として御造営され平成13年12月に竣工しました。

 本殿 
御祭神の駒形大神については、古くから木股神、天照大神、馬頭観音など諸説ありましたが、明治期に内務省によって、「駒ケ岳にいます山の神」との見地から駒形大神とされました。
当社では天照大御神、天之常立尊、国之狭槌尊、吾勝尊、置瀬尊、彦火火出見尊の6神を駒形大神としています。東北から関東にかけて多くある駒形神社の源とされています。

 境内末社・山神社本殿右にあります。

  山神社(やまのかみしゃ)
御祭神
 木花開耶姫神(このはなさくやひめのかみ) 
 大山衹神(おおやまずみのかみ)

木花開耶姫神は安産の神様です。お宮の両側にある小さい枕のうち男の子を望む方は白、女の子を望む方は赤をお持ち帰りになり御家庭の神棚にお祀りして安産をお祈りします。
 お子様が無事誕生された時、紅白の枕二つにしてお返しする慣わしになっております。
大山衹神は山の神様です。山林業、木材及びその加工業、建設業の守護神としてひろく信仰されております。
  祭日 四月十二日
     十月十二日
 (社前案内板より)

 別宮・鹽竈神社 山神社の右にあります。
後冷泉天皇の御代(1052年)源頼義・義家父子により鹽竃大神を勧請し創建。明治36年鹽竃大神は別宮春日神社に合祀し、鹽竃神社とし、駒ヶ岳山頂より御神霊を鹽竃神社に奉遷し駒形神社とされました。
 御祭神は,鹽竃大神(鹽土老翁神、武甕槌神、経津主神)相殿(天児屋根神、比賣神、藤原鎌足朝臣)。鹽竃大神は文武両道の神様で8/10の例祭では文墨祭(習字と絵画の奉納)と武道奉納(弓道、剣道、柔道、相撲)が行われます。

 塩炊き釜水沢招魂社の左前にあります。
気仙郡稲子沢の長者より奉納された四つの塩炊き釜です。

 水沢招魂社境内右奥にあります。
明治維新(戊辰戦争)、日清・日露から大東亜戦争までの郷土出身の英霊1099柱が祀られています。

  水沢招魂社
この御社は明治維新(戊辰戦争)以来この方大東亜戦争まで幾多の国難に際し年若くして尊き命を護国の華として捧げた郷土出身の英霊が奉斎されています。
別名郷土の靖国神社ともいいます。
 祭日 六月二日
  (社前案内板より)

 奥宮遥拝所の石碑境内の一角にひっそりとありましたが、奥宮のある駒ケ岳は見られませんでした。

 神楽殿境内左(南側)にあります。
8/10の別宮・鹽竈神社祭(夏祭り)で鶯沢神楽山ノ神舞がほうのうされるようです。

 拝殿から神門
境内はわりと広くシンプルでゆったりとしています。神門から手水舎まで参道が一直線に続いています。

 境内
境内の一角に多くの兜などが広げられていました。5/3春の駒形祭りで行われる、子供騎馬武者行列の準備のようです。丁度、新郎・新婦の撮影が行われていました。

 水沢公園
参拝当日は、桜が見頃を迎え「水沢公園桜祭り」が開催中で多くの家族連れなど見物客で賑わっていました。

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