九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

田耕神社(山口県下関市)

2007-09-17 11:17:27 | 神社参拝ー中国
 田耕神社(山口県下関市)を掲載しました。

田耕神社(たすきじんじゃ)
【鎮座地】〒759-5512 山口県下関市豊北町大字田耕2707 旧長門国 豊浦郡
【御祭神】菅原大神 (合祀)市杵嶋姫大神 譽田別大神 息長足姫大神 比賣大神
【例祭】 11月1日 秋祭
【旧社格等】村社
【御由緒】
 当社は、明治四十一年(1908)の神社統合で、天満宮(江戸時代の明和二年=1765の再興の棟札あり)と八幡宮(室町時代の長禄三年=1459の棟札あり)が合併して成立した。
 昭和三十年(1955)、町村合併により、浜出祭の特殊神事を伝える厳嶋神社を合併し、一村一社として現在にいたっている。
 伝承では、天満宮は平安時代の長治元年(1104)、法住寺僧空了が太宰府から勧請したという。当初、滝の庄の総社として奉祭したが、その後当地内を転々として、室町時代の応永三十一年(1424)に松崎天神として、現地点に祭られた。
 また八幡宮は、宇佐八幡宮から勧請され、「地頭豊田田耕忠種建立の棟札」がある。田耕の地名をとり、豊田氏の一族が田耕氏を名乗るようになったと考えられる。
 さらに厳嶋神社は、古社としての伝承があり、浜出祭の由来も、元冠の役に敵国降伏の祈願がなされ、その戦勝により鎌倉時代の弘安六年(1283)から、浜出祭が始まったと云われている(旧村社)。
 (山口県神社誌)

 当社では同町神玉地区神功皇后神社との二社で行われる浜出祭があり、山口県無形民俗文化財に指定されている。七年に一回行われる神事で豊北町の東端の山側から14キロメートル離れた西端の海岸まで御神幸を行う。御神幸は田耕神社から200人余武具に身を固め装いも美しい人馬の行列である。途中、神功皇后社の出迎えを受け、400人近い行列となって土井ケ浜に向かう。
 伝説では蒙古来襲の兵の霊を鎮めるとも言われているが山と海、男神、女神の再会の祭りであり、陰陽和合の祭りとも言われる。
 (平成祭データ)

 下関市の西北部、豊北町東端の山間部、田耕地区に鎮座。国道435線から粟野川に架かる松崎橋を渡り数百mの田園地帯にあります。

   二の鳥居
一の鳥居から車1台がやっと通れる急勾配の狭い参道を上りきった地点にあります。

   社叢全景
二の鳥居をくぐると田んぼの中の一直線に伸びる平坦な参道の突き当りに華麗な社殿が見えてきます。

社殿全景荘厳な楼門の奥に拝殿、さらに奥に本殿と並んでいます。

 三の鳥居から楼門鳥居は天文五年(1740年)九月吉日の奉納です。

          楼門平成五年、再建築されました。

 拝殿 

 本殿 
明治41年(1908)、天満宮と八幡宮を合併して成立し、さらに昭和30年厳島神社を合併しました。

 社殿全景 

      拝殿から楼門
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