九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

高倉八幡神社(北九州市小倉南区)、他に参拝

2006-06-11 06:23:04 | 神社参拝
6/03(土)、総合農事センターのバラの撮影の後、周辺の参拝をしました。

最初は総合農事センターから数百mの小倉南区横代南町に鎮座の高倉八幡神社です。

【祭神】品陀和氣命 息長帶比賣命 多紀理比賣命 市寸嶋比賣命 多岐都比賣命
    (合祀)沖津彦神 沖津媛神 罔象女神 大山祇神 猿田毘古神
 と八幡さまを中心に多数の神々が祀られています。

【御由緒】は平成祭データに
1.鎌倉時代の第八十四代順徳天皇の健保二年甲戌宇佐八幡大神宮三座を勧請した
  ことが草創。
2.建武年中、足利尊氏氏候両国下向のみぎり、当地に屯し(今の宮地)此の村を
  食料の地として貢倉を営み、氏の尊神である京都三条坊門高倉と、万里小路の
  間に鎮座の高倉八幡宮を此の地に勧請し、横代村の産土大神とする。
3.昭和四十七年、昭和の大造営がなされ現在に至っている。

  とあり、およそ800年の歴史があります。


つぎに小倉南区津田の国道10号線バイパス沿いに鎮座の津田八幡神社に向かいました。
津田八幡神社
【祭神】品陀和氣命 息長帶比賣命 多岐理比賣命 市寸嶋比賣命 多岐都比賣命
【御由緒】
1.津田八幡神社の草建は、清和天皇の御宇貞観元年(1519年)宇佐八幡宮の
  御分霊を山城国男山に奉遷する道中、津田の生岩山に神輿を停められ、其処に
  祠を建立し幸魂を斎き奉り給う。
2.円融天皇天元二年(1638年)此の生岩山に宮殿を建立し御遷宮し、津田
  村・田原村の産土神として崇敬される。
3.後柏原天皇永正六年(2164年)に津田村鬼門の岡(現在地)に新たに神殿
  を造り建て、生岩山より御遷座あそばされ是に初めて津田八幡神社を稱える。
4.明治六年七月九日、村社に被列され神饌幣帛料共進指定される。
   (注:( )内は皇紀、1519=859、1638=978、2164=1504)

ちょうど社殿の改修が行われていて棟上の餅つきをされていました。
 

次は国道10号「貫交差点」を右折して貫地区に向かいます。

 およそ3kmほどで目指す芝津神社に到着する予定でしたが山道をどんどん進んでも見つかりません。
かまわず進むと道路脇に鳥居があり芝津権現参道入り口の案内板がありました。
車を降りてしばらく登ってみましたがとても行けそうにないので引き返すことにしました。
 半ばあきらめて下りていくと道路わきに芝津神社の社号標(岩)があり見逃して通りすぎていたのに気づきました。(鳥居ばかり気にしていました。)
 どうもいつもの癖で突っ走る傾向は年を取っても変わりません。
  
芝津神社<通称>権現様(ごんげんさま)
【祭神】伊邪那岐命 伊邪那美命
とありましたのでどうしても参拝せねばと出発前から考えていました。


つぎに同じ貫地区の荘八幡神社です、こちらは道路沿いに案内板があり間違うことはありません。

荘八幡(しょうはちまん)神社 <通称>貫の大宮さま(ぬきのおおみや)
【祭神】品陀和氣尊 息長帶比賣命 (配祀)多紀理毘賣命 市杵嶋比賣命 多紀都比賣命
【御由緒】
1.平安時代初期、第五十六代清和天皇の御宇、貞観元年(859)豊前国の宇佐
  八幡宮の御分霊を京都山城国の男山に御勧請の時(後の石清水八幡宮のり)、
  貫の此処鈴石と呼ばれる大石の上に御神輿ご一夜中輿せられた。
2.その後、第五十七代陽成天皇の御宇、元慶七年(883)二月、貫の領主石川
  左近将監直木が社殿を造営し自ら神主となり天下泰平・五穀豊穣の祈念を奉仕
  された。これにより貫の鎮守の神と崇められ、住民の産土神・氏神として尊崇
  を受けることとなった。
3.創祀の頃は、御神輿中輿の鈴石にちなんで鈴石八幡神社と称せられたがやがて
  正八幡神社と改名せられ、更に荘八幡神社と改称され現在に至る。
4.南北朝時代に将軍足利尊氏より寄進田を受ける。
5.江戸時代の元和五年(1619)豊前・豊後両国の大主細川忠興候が宇佐八幡
  宮に参内し、天下泰平の祈念の為、神輿を造り放生会を御執行、当神社に於て
  も神輿を造り武運長久・五穀豊穣を祈念して「大祓い」の大祭を斎行された。
6.後の小笠原侯に至っても、大祭には御代参を立てて代々当神社を崇敬した。
7.明治7年(1874)六月九日郷社に昇格。
8.明治四十年(1907)三月二十日神饌幣帛料供進神社に指定。

 
このように創建より近郷の人々から貫の大宮様と尊称され、広く崇敬を受けて今日に至る。


つづいて当社のすぐ近くの松尾神社

松尾神社 <通称>酒の宮様(きのみやさま)
【祭神】木花咲屋姫命 大名牟遲命 大山咋神

御由緒、<通称>酒の宮様(きのみやさま)のいわれ等調査したいと思います。
 
拝殿に恐そうな茶髪の若者が2人いて拝殿の撮影は近くからはできませんでした。
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