九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

鳥飼八幡宮(福岡市中央区)

2007-01-15 06:35:04 | 神社参拝ー福岡
 鳥飼八幡宮(とりかいはちまんぐう)
【鎮座地】〒810-0054 福岡県福岡市中央区今川2丁目1-17 旧筑前国 早良郡
【御祭神】應神天皇 神功皇后 玉依姫尊 (配祀)大物主大神 崇徳天皇
【例祭】10月19日 例大祭
【御由緒】
  鳥飼八幡宮由緒記
 神功皇后が新羅より凱旋し給い、姪ノ浜(めいのはま)に上陸され夜にいりて鳥飼村平山というところにお着きになられた。この時その村長はじめ鳥飼氏一同が夕の御膳を差し上げたところ、皇后たいへんお喜びになり胎内の皇子(後の応神天皇)の将来を御祝いして近臣等に御手づから盃を給わり酒をすゝめ給い、此の地にお泊りになられた。後に村長になりし人の子孫がゆかりの地に御社を建てゝ「若八幡」と名づけ祝い奉りたるがおこりと伝えられている神社は、代々鳥飼氏が奉祀していたが中世以降、戦乱の時代になると香椎宮大宮司の武内氏の支族を招いて社職を司られた。南北朝後醍醐天皇の年中(十四世紀)菊地武光の軍が北條英時を攻め其の際此の鳥飼の地が戦場となり、兵火の為に社殿が炎上した。神職平山式部少輔宗重御神体を奉持し避難するが旧記、古文書宝物類は、ことごとく焼け失せた。その後再建され祭も怠りなく執り行われていたが天正年間(十六世紀)御笠郡四王寺山岩屋城主の高橋紹運の軍に夜襲をうけ、この不意打に鳥飼宮内少輔氏父子応戦したがついに討死する。此の時社殿が兵火により再び焼失し年中行事の祭典も中絶するに至った。その後慶長五年(一六〇〇年)関ヶ原の軍功により黒田長政公筑前の国主となり福岡城を築き、慶長十三年(一六〇八年)に鳥飼八幡宮御社地に長政公別邸を建てることとなり、鳥飼浜松林の中(現在の鎮座地)に仮宮を建て平山式部丞重道八幡宮を遷し奉る寛永二年(一六二五年)鳥飼氏氏子により新たに神殿を建立して正遷宮をなし奉る。同拝殿は重道が自力で造営する。これより古宮付近の地を茶屋の内又は茶屋の山と称す。鳥飼村の氏子、祭典の絶ゆる事を歎き、寛永十八年より再び饗膳の形ばかりを行うようになり、今も絶える事なく続けられている。(宮座献饌祭という)鳥飼八幡宮に御供を奉るため古式により藁苞に入れ精進潔斎をして供進するその通路にあたる鳥飼より八幡宮に至る間の道を御供道と称した。(現在の鳥飼三丁目埴安神社横より西町公園に至る小路)明治三十五年旧社地に福岡女子師範学校が建設される事となりその構内に入り、大正十二年五月有志相謀り若八幡移転跡地に神功皇后御駐輦の跡と記せる石造の記念碑を建て永久保存される。(現在の南当仁(とうじん)小学校裏門前県営住宅の中にある)
以上
(平成祭データ)

 神門から拝殿

 本殿

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