九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

宮砥八幡社(大分県竹田市)

2008-07-06 11:10:03 | 神社参拝ー九州
 宮砥八幡社(大分県竹田市)を掲載しました。

 宮砥八幡社(はちまんしゃ)
<通称>宮砥荒神様(みやどこうじんさま)
【鎮座地】〒878-0571 大分県竹田市大字次倉2525番地 旧豊後国 直入郡
【御祭神】應神天皇 (配祀)須佐之男命
【例祭】
【旧社格等】郷社
【御由緒】
宮砥八幡社(通称宮砥荒神様)
創建 持統天皇八年八月十五日(六九四)
祭神 八幡大神(應神天皇神霊)相殿奉祀 建速須佐之男命
祭日 元旦祭 一月三日  神幸祭 旧八月十五日
   祈年祭 三月十五日 新嘗祭 十二月十一日
   病除大袚祭 旧六月二十八日
御神徳 疫病退除、家内安全、交通安全
    往時流行病発生せば、直入郡、大野郡、岡城内に悪疫鎮護の為御巡幸を行っていた。
由緒
 此の地を鬼原と謂ひ、樹木繁茂に昼尚暗く、鬼様のもの棲み、屢々村里に出て里人を害す。大伴金麻呂この状を朝廷に奏上す。持統天皇、宇佐八幡に祈願し鬼様のもの退除鎮護のため宇佐八幡を勧請を勅す。これにより里人の危害全く熄み、住民安堵す。よってこの宮を勅願の宮と謂う。
社地は小黒山雄亀の丘、社号は、当初は鬼原神社、中古宮砥宮、後宮砥神社、健速須佐之男命は創建時より配祭せられたと古老は伝う。

祠職
 創建と同時に宇佐家より宇佐宿祢祠職に就き代々之を継ぐ。宇佐公熈に至り豊後国守大友氏と相容れず断絶す。文明三年(一四七二)相馬盛貞之大夫に任じ従五位下に叙され宇佐氏の一跡を継ぎ直入郡七十二社の総管となり今日に至る。
 (社頭案内板より)

 竹田市街地から南西に10数kmの山間部次倉にあります。県道8号線から緒方川に架かる朱の欄干の宮瀬橋をわたり山道を1Km弱です。

 一の鳥居道路が拡幅されて移動されたのか面白い?位置に建っています。

 境内入口の鳥居
境内は2段になっていて、鬱蒼とした社叢は県指定の天然記念物となっています。

 社殿全景
石段を上り鳥居をくぐると右から宮砥神楽(県指定無形民俗文化財)の碑、御神水、手水舎とあります。

 参道から拝殿

 拝殿 
右の大きな木は御神木のヒノキです。随所にみごとな彫刻が見られます。

 本殿 
創建は持統天皇(686~696)の時、この地に棲んでいた鬼様のもの退除鎮護のため宇佐八幡を勧請したのが始まりです。

 本殿の彫刻 

 境内社境内左右に多くの石祠の境内社が並んでいます。

 御神木のヒノキ社殿右にあります。根元に巨大な瘤があります。
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