九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

蓑島神社(福岡県行橋市)

2012-02-11 21:30:00 | 神社参拝ー福岡

 2/11(土)建国記念の日です。神武天皇の即位日を紀元と定め、かつては紀元節と称していました。今年は神武天皇が即位されて紀元2672年となります。
 例年、この日には神武天皇ゆかりの社に参拝しています。今年はあまりの天気の良さに午前中は市街地のカワセミのポイントに出掛け、午後自宅近くの妙見神社(足立山妙見宮)に参拝しました。当社にも神武天皇が合祀されています。

 神武天皇を御祭神とする蓑島神社(福岡県行橋市)を掲載しました。

 蓑島神社(みのしまじんじゃ)
三皇様(さんのうさま)
【鎮座地】824-0011 福岡県行橋市大字蓑島字村中200ノ1 旧豊前国 仲津郡 
【御祭神】天照大神 神武天皇 神功皇后
【例祭】 5月21日 百手祭 11月15日 七五三 
【旧社格等】村社
【御由緒】
 蓑島神社由緒
本神社の起因は遠く上古神武天皇の御代にありと伝えられている。天皇が日向国より蓑島にお着きなされた時、天照大神を祭られた。後に島民はその行在所に一祠を建てて天皇を奉祀した。神功皇后が三韓御征伐の後、長門国から宇佐に渡御の時御船を蓑島に寄せられると島民は平地に紅の幕を張りて厚く歓迎し、後に皇后を奉祀し遂に天照大神、神武天皇、神功皇后の三柱の神を一社に合祀した。本神社を三皇大神宮と稱したのである。略して三皇さまと言う。
 天武天皇の時代(約一三〇〇年前)に本宮、中宮、東宮の三大宮殿を建立する。爾後歴世、或は修繕し、或は改築したが、正親町天皇の天正九年(約四五〇年前)火災に罹ったが翌年建立する。後、天正十九年一大宮殿を建てて本宮となし両宮を一社とした。
東山天皇の元禄十二年(約三〇〇年前)石華表を建立。現今存在している。(道路にある鳥居)
後桜町天皇の明和五年(約二三〇年前)神殿を新築する。現在のものである。銅板の屋根で石段の上にある。
 本神社は豊前小倉藩主小笠原家の深く信仰する神社で代々の藩主は常に御参詣し、国家の隆盛、五穀の豊作、祈雨の祈願をしていたものである。
 (平成祭データ)

 概略
1.神武天皇、東征の途次当地に天照大神を祭る。
2、その後、島民、この行在所に一祠を建て神武天皇を奉祀。
3.神功皇后三韓征伐の後、長門豊浦の宮より筑紫宇佐に渡御の時、寄港。島民平地に紅の幕を張り大歓迎し、後に皇后を奉祀。
  これで天照大神、神武天皇、神功皇后の三柱の神を一社に合祀されるに至り、俗に三皇大神宮と称される由縁となる。
4.人皇40代天武天皇白鳳8年(西暦679年)本宮、中宮、東宮の三大宮殿を建立。
5.人皇106代正親町天皇天正9年(西暦1581年)火災に罹ったが翌年小社殿を建立。
6.天正19年(西暦1591年)一大社殿を立て本宮とし、両社を一社とした。
7.人皇113代東山天皇元禄12年8月(西暦1699年)石華表を建立。道路の鳥居として現存。
8.人皇117代後櫻町天皇明和5年6月(西暦1768年)社殿を新築。現在の社殿。
 (福岡縣神社誌より抜粋)

 福岡県の東部に位置し周防灘に面した行橋市にあります。JR日豊本線行橋駅の北東およそ5km、今川河口の箕島漁港のそばに鎮座しています。蓑島はかつてはその名のとおりかつては島でしたが、干拓により現在は陸続きとなっています。また、今川河口は渡り鳥も多く飛来し、クロツラヘラサギなど珍しい野鳥も見られます。

 境内前の道路に鳥居があります。由緒に「人皇113代東山天皇元禄12年8月(西暦1699年)石華表を建立。道路の鳥居」とあります。これがそのまま移設されずに残されています。

 境内入口の鳥居
社殿のある境内は道路より一段高くなっています。社殿の直ぐ前に鳥居です。

 鳥居の扁額扁額にはシンプルに「蓑島神社」とあります。

 拝殿 
鳥居をくぐると右に小さな手水、2対の狛犬に続いて拝殿です。拝殿は舞殿形式のわりと大きな建物です。奥に幣殿が接続されています。

 拝殿の扁額
「蓑島神社 従二位千家尊福敬書」とありますので、明治時代のものと思われます。

 本殿への参道
本殿へはかなり急な石段を上ります。このような本殿が高い位置に離れてある形式は多くはありませんがそう珍しくありません。

 参道途中から本殿参道は樹木に覆われ鬱蒼としています。

 本殿 
現在の本殿は人皇117代後櫻町天皇明和5年6月(西暦1768年)社殿を新築されたものです。
当社は神武天皇が東征の途次当地に立ち寄られ天照大神を祭られたことを起源とされています。
 その後、島民がこの行在所に一祠を建て神武天皇を奉祀。さらに神功皇后三韓征伐の後、当地に寄港されたことから神功皇后を奉祀されました。
 御祭神は天照大神、神武天皇、神功皇后の三柱、このことから俗に三皇大神宮と称されるようになりました。

 本殿の彫刻 

 
本殿には見事な彫刻が随所に施され、江戸時代の匠の技が見られます。

 本殿の木組み
当社は豊前小倉藩主小笠原家の深く信仰する神社で歴代藩主は常に御参詣し、国家の隆盛、五穀の豊作 、祈雨の祈願をしていたものです。

 参道途中の大楠本殿への参道途中にある大楠です。

 境内社本殿への石段下にあります。社名、御祭神等不明です。

 権太夫袂石本殿への石段下にあります。
割と新しい標柱が建てられていますが、いわれ等不明です。

 境内拝殿左はわりと広くゆったりとした空間です。

 猿田彦大神境内左(北側)にあります。大きな自然石でできています。

 境内北側の鳥居
境内の北側にわりと新しい鳥居です。拝殿内に昭和41年5月玉垣建立とありますのでこの時のものかと思われます。




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