自凝神社(兵庫県南あわじ市)を掲載しました。
自凝神社(おのころじんじゃ)
【鎮座地】〒656-0961 兵庫県南あわじ市沼島73 旧淡路国 三原郡
【御祭神】伊弉諾神、伊弉冉神、天照皇大神
【例祭】 記載なし
【旧社格等】
【御由緒】
日本神話によると「天地の初発のときイザナギ・イザナミの二神が天の浮橋に立ちて天瓊矛をもって滄海をこおろこおろと探りて引き上げ給う時、矛の先より滴り落ちる潮、自ら凝りて成りし島、これをおのころ島という」これが国生みの島おのころ島である。
おのころ山は御神体山であり、寛政年間(一七八九~一八〇一)に小祠を建て、毎年旧九月十五日に祭礼が行われてきた。以来、現在は婦人会により祭礼が続けられている。
大正元年(一九一二)岩田なつ氏の発願奔走により、大正十二年(一九二三)に神殿が完成。その後、島内外の人々の信仰を厚くし、昭和十二年(一九三七)に拝殿を建立される。
昭和五十二年(一九七七)神殿の大修理するも、拝殿の老朽化が進んでいた。
平成十四年(二〇〇二)四月、島民・おのころ会員、全国信者の浄財によって、拝殿と石段の修復がなされ、同十二月にイザナギ・イザナミの二神石像が建立された。
(社前石碑 碑文より)
兵庫県南あわじ市にあります。古事記の冒頭「国生み」で伊邪那岐命・伊邪那美命が天降った淤能碁呂島の伝承地とされる、淡路島の南端に浮かぶ沼島の「おのころ山」に鎮座しています。
『古事記』の冒頭
伊邪那岐命、伊邪那美命
1.国土の修理固成
ここに天つ神、諸の命もちて、伊邪那岐命、伊邪那美命 二柱の神に、「この漂へる國を修め理り固め成せ。」と詔りて、天の沼矛を賜ひて、言依さしたまひき。 故、二柱の神、天の浮橋に立たして、その沼矛を指し下ろして画きたまへば、塩こをろこをろに画き鳴して引き上げたまふ時、その矛の末より垂り落つる塩、累なり積もりて島と成りき。これ淤能碁呂島なり。
沼島への渡船
沼島へは土生港から沼島汽船の「しまかぜ」で渡りました。所要時間10分、料金往復880、一日10便運行しています。
沼島ターミナルセンター
沼島の玄関、沼島ターミナルセンターです。観光マップ、案内板など整備されています。目的の自凝神社へは1170m、上立神岩へは、1640mとありました。
沼島漁港
沼島のメインストリートの前はのどかな漁港です、道路脇には多くの漁具、たこつぼ等が置かれています。正面の山、左手が
おのころ山です。
おのころ神社 登リ口の案内板
沼島漁港沿いに市街地を西に進み、沼島八幡宮を過ぎると参道入口の案内板があります。
参道
狭い山道を上ると、真直ぐに延びる綺麗に整備された見事な階段が現れます。平成14年4月整備されました。
階段の下に御影石の社号標「自凝神社」とあります。
瑞玉姫命階段の途中に「瑞玉姫命」とある石碑があります。
由緒等全く不明です。
参道の鳥居階段を上りきると素朴な神明鳥居から拝殿です。
拝殿前には年代を感じさせる一対の狛犬があります。
拝殿
現在の拝殿は昭和12年(1937)建立され、平成14年4月、島民・おのころ会員、全国信者の浄財によって修復されています。
拝殿内にイザナギ・イザナミの額が掲げられています。天の浮橋に立ち、天沼矛を持ってこおろこおろと潮をかき混ぜようとするイザナギ・イザナミ夫婦神、二神の最初の共同作業「淤能碁呂島」誕生の場面です。
拝殿から本殿
当社の鎮座する「おのころ山は御神体山で寛政年間(1789~1801)に小祠を建て、毎年旧9月15日に祭礼が行われています。
社殿全景本殿は皇紀2600年記念として造営された玉垣の中にあります。
本殿銅板葺き屋根が二重になった覆屋です。
社前案内には、大正12年(1923)神殿完成、昭和52年(1977)神殿の大修理とあります。
イザナギ・イザナミ、二神石像社殿右にあります。
平成14年12月に建立されました。手に持っているヌボコをは参道の手すりと同じステンレス製のようです。
忠魂碑社殿奥にあります。
日清・日露から大東亜戦争までの沼島地区戦没者の忠魂碑です
境内から参道樹木の隙間から沼島港が見られます
上立神岩
沼島港の反対側、太平洋に面した紀伊水道の荒波に削られた断崖の続く東海岸にあります。「矛先」のような形をした沼島のシンボルの岩です
高さ30m、イザナギ・イザナミ二神がこの岩を回って契りを交わした「天の御柱」とも言われています。
自凝神社(おのころじんじゃ)
【鎮座地】〒656-0961 兵庫県南あわじ市沼島73 旧淡路国 三原郡
【御祭神】伊弉諾神、伊弉冉神、天照皇大神
【例祭】 記載なし
【旧社格等】
【御由緒】
日本神話によると「天地の初発のときイザナギ・イザナミの二神が天の浮橋に立ちて天瓊矛をもって滄海をこおろこおろと探りて引き上げ給う時、矛の先より滴り落ちる潮、自ら凝りて成りし島、これをおのころ島という」これが国生みの島おのころ島である。
おのころ山は御神体山であり、寛政年間(一七八九~一八〇一)に小祠を建て、毎年旧九月十五日に祭礼が行われてきた。以来、現在は婦人会により祭礼が続けられている。
大正元年(一九一二)岩田なつ氏の発願奔走により、大正十二年(一九二三)に神殿が完成。その後、島内外の人々の信仰を厚くし、昭和十二年(一九三七)に拝殿を建立される。
昭和五十二年(一九七七)神殿の大修理するも、拝殿の老朽化が進んでいた。
平成十四年(二〇〇二)四月、島民・おのころ会員、全国信者の浄財によって、拝殿と石段の修復がなされ、同十二月にイザナギ・イザナミの二神石像が建立された。
(社前石碑 碑文より)
兵庫県南あわじ市にあります。古事記の冒頭「国生み」で伊邪那岐命・伊邪那美命が天降った淤能碁呂島の伝承地とされる、淡路島の南端に浮かぶ沼島の「おのころ山」に鎮座しています。
『古事記』の冒頭
伊邪那岐命、伊邪那美命
1.国土の修理固成
ここに天つ神、諸の命もちて、伊邪那岐命、伊邪那美命 二柱の神に、「この漂へる國を修め理り固め成せ。」と詔りて、天の沼矛を賜ひて、言依さしたまひき。 故、二柱の神、天の浮橋に立たして、その沼矛を指し下ろして画きたまへば、塩こをろこをろに画き鳴して引き上げたまふ時、その矛の末より垂り落つる塩、累なり積もりて島と成りき。これ淤能碁呂島なり。
沼島への渡船
沼島へは土生港から沼島汽船の「しまかぜ」で渡りました。所要時間10分、料金往復880、一日10便運行しています。
沼島ターミナルセンター
沼島の玄関、沼島ターミナルセンターです。観光マップ、案内板など整備されています。目的の自凝神社へは1170m、上立神岩へは、1640mとありました。
沼島漁港
沼島のメインストリートの前はのどかな漁港です、道路脇には多くの漁具、たこつぼ等が置かれています。正面の山、左手が
おのころ山です。
おのころ神社 登リ口の案内板
沼島漁港沿いに市街地を西に進み、沼島八幡宮を過ぎると参道入口の案内板があります。
参道
狭い山道を上ると、真直ぐに延びる綺麗に整備された見事な階段が現れます。平成14年4月整備されました。
階段の下に御影石の社号標「自凝神社」とあります。
瑞玉姫命階段の途中に「瑞玉姫命」とある石碑があります。
由緒等全く不明です。
参道の鳥居階段を上りきると素朴な神明鳥居から拝殿です。
拝殿前には年代を感じさせる一対の狛犬があります。
拝殿
現在の拝殿は昭和12年(1937)建立され、平成14年4月、島民・おのころ会員、全国信者の浄財によって修復されています。
拝殿内にイザナギ・イザナミの額が掲げられています。天の浮橋に立ち、天沼矛を持ってこおろこおろと潮をかき混ぜようとするイザナギ・イザナミ夫婦神、二神の最初の共同作業「淤能碁呂島」誕生の場面です。
拝殿から本殿
当社の鎮座する「おのころ山は御神体山で寛政年間(1789~1801)に小祠を建て、毎年旧9月15日に祭礼が行われています。
社殿全景本殿は皇紀2600年記念として造営された玉垣の中にあります。
本殿銅板葺き屋根が二重になった覆屋です。
社前案内には、大正12年(1923)神殿完成、昭和52年(1977)神殿の大修理とあります。
イザナギ・イザナミ、二神石像社殿右にあります。
平成14年12月に建立されました。手に持っているヌボコをは参道の手すりと同じステンレス製のようです。
忠魂碑社殿奥にあります。
日清・日露から大東亜戦争までの沼島地区戦没者の忠魂碑です
境内から参道樹木の隙間から沼島港が見られます
上立神岩
沼島港の反対側、太平洋に面した紀伊水道の荒波に削られた断崖の続く東海岸にあります。「矛先」のような形をした沼島のシンボルの岩です
高さ30m、イザナギ・イザナミ二神がこの岩を回って契りを交わした「天の御柱」とも言われています。