九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

玉生八幡大神社(愛媛県松前町)

2007-03-25 15:29:42 | 神社参拝ー四国
 玉生八幡大神社(愛媛県松前町)を掲載しました。

 玉生八幡大神社(たもうはちまんだいじんじゃ)
【鎮座地】〒791-3134 愛媛県伊予郡松前町大字西古泉536 旧伊予国 伊予郡
【御祭神】誉田別命(ほんだわけのみこと)第15代応神天皇
 (配祀)三女神(市杵嶋姫命、田心姫命、瑞津姫命)
    足仲彦命(第14代仲哀天皇)
    気長足姫命(神功皇后)
    玉生石神
【旧社格等】郷社
【御由緒】
 仲哀天皇の9年(200)ころ、神功皇后が三韓におもむかれる時、当地を逍遥して、湧き出る清泉に戦勝を占い、布が濃紺に染まる吉兆にちなんでこの地を「濃染の里(こいぞめのさと)」と命名した。帰途、また船をとどめられ、天神の神託によって久欺美玉(くしみたま)を玉生林にまつったが、後世、郡司がここに社殿を造営して久欺美玉宮(くしみたまぐう)と称して崇拝した。
 文武天皇の慶雲4年(707)6月17日、伊予の豪族小千玉興(おちのたまおき)・玉純(たまずみ)が厳島神社より三女神を勧請して久欺美玉宮に合祀し、日女宮(ひめみや)と称した。古事記・日本書紀によると、三女神は、天照大神が素戔鳴と八坂瓊の勾玉に誓ってうまれた神で、海の神となっている。海上交通が盛んで航海安全の祈願が行われたのであろう。
 清和天皇の貞観元年(859)の宇佐八幡宮の神霊を勧請し
   うれしくも 松の梢に 立寄りて 久しくここに 民を守らん
との御神詠により日女宮に合祀して、玉生八幡大神宮と改め、後、玉生八幡大神社と改称した。
 境内神社の玉生古宮(たもうふるみや)は、誉田別命をまつるが、12世紀から16世紀にかけて約400年間、昌農内玉生にあった石清水八幡東宝塔院領荘園「玉生荘(たもうのしょう)」に勧請していた古社である。
 玉生八幡は、加藤嘉明の崇敬篤く、嘉明の松前城より松山城への移転は、玉生八幡の御宣託の夢占いによるものともいわれている。
 もとは、南面していたが、このころ西向きに改修されたという。
 以来、産土大神として地域の尊崇がきわめて篤い。
    松前町教育委員会

 松山市より国道56号線を8km南下、一級河川重信川をこえた松前町西古泉にあります。
 境内入口の注連縄から拝殿

 拝殿 
 みごとな竜の彫刻などが施されています。

 拝殿内の神輿?
小さな木製の素朴な神輿?が置かれていました。

 本殿
主祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)第15代応神天皇、三女神(市杵嶋姫命、田心姫命、瑞津姫命)が配祀されています。

  絵馬 
 絵馬堂には安政七年など多数の絵馬が奉納されています。

境内社
 若宮社、稲荷社などがあります。

 坪内壽夫顕彰碑
 
 「男の劇場」の歌碑と並んであります。

 日本の造船工業を語るとき誰もが 坪内壽夫翁の存在に思いを致すであろう
名門「佐世保重工業の再建に 坪内翁は身命を賭し、心血を注いだ さらに中小船主を倒産から救うために 全資材を拠ったのである
 造船業に限らず坪内翁が再建した 企業は数知れない。それは使命感と 無私、奉仕の精神にもとづいている
 人々に生きることの尊さと勇気を与え 続けた坪内翁は、郷土が誇る偉人であり 偉大な事業家である。坪内壽夫翁の名は 歴史に刻まれ、永遠に語り継がれるで あろう。       高杉 良

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