九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

白崎八幡宮(山口県岩国市)

2007-01-07 10:40:30 | 神社参拝ー中国
 白崎八幡宮(山口県岩国市)フォトギャラリー(山口、本州)に掲載しました。

白崎八幡宮(しらさきはちまんぐう)
【鎮座地】〒740-0017 山口県岩国市今津町6丁目12-23  旧周防国 玖珂郡
【御祭神】應神天皇 仲哀天皇 神功皇后
  (配祀)武内宿禰命 埴安姫命 事代主命 五男神 大山祇命 金山彦命 少童神 素盞嗚尊 菅原道眞
【由緒・沿革】
◎建長二年(1250)鎌倉時代
 時の領主清縄左衛門尉良兼(今地氏遠祖)が、遠石八幡宮の神が白鷺と化して室木(むろのき)に垂跡し給うことと知っ た。そこで、氏族の繁栄と領内安民守護の神として、今津琵琶首(びわのくび)八幡宮を創建奉斎した。
◎貞和四年(1348)南北朝時代
 弘中堂内源兼胤(清縄を弘中と改姓)を願主として、現在地の白崎山に壮麗な社殿を造営し、さらに社領をも寄進した。 こうして、岩国十七ケ圧の産土神として、領主領民から深く尊崇されることとなった。
◎明応五年(1496)戦国時代、兵火に躍り本殿が炎焼した。
◎明応七年(1498)、宝殿を修築。
◎文亀三年(1503)、舞殿・籠所などを弘中右衛門尉弘信が再建。
◎永正八年(1511)、楼門を建立。以後弘中三河守隆兼に至る迄、弘中氏が大宮司を奉仕し、
◎弘治元年(1555)、三河守失却後、孫今地良房(弘中を今地と改姓)が宮司職を継承し、今地家が代々奉仕する。
◎慶長五年(1600)江戸時代に入ると、岩国初代藩主吉川広家が、に岩国に移封し、
◎慶長十六年(1611)社殿を再建する。
 さらに社領を献上して、武運長久・国郡豊鏡を祈願する。歴代の藩主もまた八幡宮を尊崇し、元和(1615~)・万治(1658~)・天和(1681~)・宝永(1704~)及び寛政(1789~)と五回に亘り、改修築を行う。
◎明治十七年(1884)本殿を、
◎大正十年(1921)に拝殿を、それぞれ桧皮葺で再建する。
◎明治四年(1871)郷社に列せられる。
◎昭和十六年(1941)、皇紀二六〇〇年記念事業として、結婚式披露宴場を兼ねた斎館・社務所を建築する。
(山口縣神社誌より抜粋)

錦帯橋より東に数Km、JR岩徳線西岩国駅と岩国市役所のほぼ中間点、県道15号線沿いの今津川(錦川)の八幡堰そばにあります。

 社殿全景
平成12年創始750年の式年記念事業として境内の拡張、社殿移築、神楽殿・社務所の改築、駐車場整備等が行われました。

 拝殿と扁額 
   神紋は丸に三つ引き。

 流造の本殿 
建長2年(1250)領主清縄左衛門尉良兼により創祀、貞和4年(1348)社殿が造営されました。
 明治17年桧皮葺に改築され、昭和59年8月銅版葺きに改修されています。 

 境内社
社殿左に劒神社、住吉神社、稲荷神社、粟島神社など多く並んでいます。

 白蛇社
御祭神 白蛇大神(宇賀御魂神)
 宇賀御魂神は弁財天などと同じ沸説に因れる神名で古来より稲魂を掌られる福徳の神様です。
「宇賀耶」という語が梵語で「白蛇」を意味するためこの神様の使いが白蛇様であると云われ財宝守護神として白崎山に奉斎申しあげました。
 [御神徳]財力 金運 福徳 開運隆昌
 (社前案内板) 

 干支石像
本殿後方に全国からの寄進により子年から順番に奉納されています。

 千里将願
当社ユニークのお札、拝受された著名人の色紙、羽生善治、北島三郎、水木しげる、高倉健、松坂慶子、深作欣二、山田太一、徳光和夫などがありました。
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