九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

田村神社(香川県高松市)

2008-10-12 18:18:35 | 神社参拝ー四国
 田村神社(香川県高松市)を掲載しました。

 田村神社(たむらじんじゃ)
<通称>一宮さん(いちのみやさん)
【鎮座地】〒761-8084 香川県高松市一宮町286 旧讃岐国 香川郡
【御祭神】倭迹迹日百襲姫命 五十狹芹彦命
    (配祀)猿田彦大神 天隱山命 天五田根命
【例祭】5月5日 初夏大祭 5月7日 初夏大祭 5月8日 初夏大祭
【旧社格等】國幣中社(現別表神社)
      讃岐國一宮
      式内社 讃岐國香川郡 田村神社 名神大
【御由緒】
 祭神
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと),猿田彦大神(さるたひこのおほかみ),天隠山命(あめのかぐやまのみこと),五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)(吉備津彦命(きびつひこのみこと)),天五田根命(あめのいたねのみこと)
 以上五柱の神を田村大神と申す
倭迹迹日百襲姫命は人皇第七代孝靈天皇の御皇女にましまし祟神天皇の御代国内疫病に苦しめるを救治し給ひ又武埴安彦(たけはにやすひこ)の謀反を予知して建言し給ひ謀反を未然に防ぐ等数々の勲功あり仍て百襲(襲は勲功の約)の名を負ひ給ふ後吉備津彦命(きびつひこのみこと)と西海鎮定の命を奉じ讃岐路に下り給ひよく鎮撫の偉功を立て当国農業殖産の開祖神となられた 御陵(はか)は大和国城上郡大市村にありこの御陵を作るのに昼は人が作り夜は神が是を作られたと云はれ広大な御陵で箸(はし)の陵(みささぎ)と言はれてゐる
 五十狭芹彦命は姫命の御弟に当らせられ又の名を吉備津彦命とも申す 四道将軍の御一方にして西海を鎮定し給ひ吉備国の祖神となられた
 猿田彦大神は皇孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)御降臨の時天(あめ)の八衢(やちまた)に出迎へて御嚮導をなし道途の安全を守護し給ひし神にして此の神の向ふ所は如何なる禍神も恐れて避け奉ったと云はれ方除の神として神威まことに偉大である
 天隠山命は高倉下命(たかくらじのみこと)とも申し神武天皇御東征の砌霊剣を奉って偉功を立て給ひ後御子天五田根命(又の名を天村雲命(あめのむらくものみこと))と共に紀伊国より当国に渡らせられ山河を以て国郡の境界を分つなど開拓水利の基を定められた

皇室武門武将の崇敬
 当神社の起源は極めて古く社記によれば元明天皇の和銅二年社殿を創建すとあり往古より田村大社定水(さだみづ)大明神又は一宮大明神とも称し夙に朝野の崇敬浅からず 仁明天皇の嘉祥二年二月従五位下に叙せられ清和天皇の貞観三年二月官社に預り延喜の制名神大社に列し讃岐国の一宮たり以後屡々神階を授けられ建仁元年二月正一位の極位に敍せらる
 降って明治四年五月十四日に国幣中社に列せられたり 爾来皇室国家事ある毎に勅使を御差遣あらせらる 古くは弘安七年七月後宇多天皇弘安の役の奉賽として「正一位田村大明神」の勅額を寄せられ明治四年十一月、大正四年十一月、昭和三年十一月の大嘗祭には何れも勅使御差遣あり大正十一年十一月摂政宮殿下大演習御統監の為行啓には亀井侍従を御使として御差遣あり大正十四年十二月十日には北白河宮大妃殿下御参拝昭和九年四月五日閑院宮戴仁親王殿下御参拝同年五月二十二日梨本宮守正王殿下御参拝
昭和二十五年三月四国行幸、同二十八年十月第八回国民体育大会行幸には夫々幣帛料御下賜等皇室の御崇敬洵に厚い 
 武門の尊崇も亦厚く貞和二年三月管領細川頼之領主たりし時には社域を拡築して一切経を奉納し長禄四年十二月細川勝元社頭に壁書を掲げしめて神事を厳重に掟てなし降って天正年間仙石生駒二氏相次いで此の地を領するに及び夫々社領を寄進したりついで明暦元年三月松平頼重公国守に任ぜらるゝや社殿を修造して更に社領を寄進なし延宝七年に両部習合を廃し五十石の社領中五石五斗を割いて社僧大宝院に寄せ神仏を分離し江戸時代の初期に於て早くも唯一神道の道を開かれた爾来松平家の祈願所として累代社領を寄進し或は家宝を献ずる等その尊崇明治維新に至るまで変ることなかりき
 当神社奥殿の床下に深淵あり厚板を以て之を蔽ひ此の殿内には盛夏といへども凄冷の気が満ちてゐて古くより神秘を伝へ今に窺ひ見る者なしこれ定水大明神の称ある所以にして領内に水旱あれは領主奉行は必ず先ず以て当社に祈願したりと云う
 (平成祭データ)

 一の鳥居
 四国の表玄関、香川県高松市にあります。讃岐平野のほぼ中央に位置する一の宮町、琴電琴平線一宮駅の北500mに鎮座。この鳥居の南数10mにお旅所の広場があり、お年寄りがゲートボールを楽しまれていました。
 琴電琴平線を利用する場合は一宮駅で下車しこの鳥居をくぐって表参道を北に向かいます。車の場合は北側の大鳥居の横の駐車場または境内の社殿前まで入れます。

 表参道入口
右には文久二年七月建立の社号標、延喜式名神大一宮正一位田村神社とあります。左には國幣中社の碑が建っています。

  参道から随神門
 綺麗に整備された参道の両脇には寄進の鳥居がならび突き当たりに瓦葺の随神門があります。
 
 拝殿前の大鳥居随神門をくぐると正面に新しい大鳥居の奥に社殿が見えます。
平成19年建立されました。鳥居をくぐると左に授与所があります。

 拝殿入母屋作り、明治10年に再建されました。

 本殿と奥殿
創建は和銅二年(709)と伝えられています。奥殿には神秘に包まれた竜神伝説が語り継がれています。
 春日造り、宝永七年(1710)松平氏の造営、御神座は奥殿にあります。御神座の床下に深渕がある異例の設計です。

 境内末社、宇都伎社
拝殿右にあります。御祭神は大地主神、倉稻魂神、併せてさぬき七福神布袋尊が祀られています。正面に真新しい大鳥居が聳えています。
 右に大黒様、左に布袋尊が置かれて、「金箔を貼っておかげを頂いてください」とあります。

 境内末社、素婆倶羅社
宇都伎社の右にあります。少名毘古那神、大年神、塞神、大水上神、菅原神を祀る、平成14年に再建されました。

 境内末社、宮島社天満宮の前の池にあります、御祭神は市杵嶋姫命です。

 境内社、姫之宮
宇都伎社の前にあります。周りにはこのほか龍神社、七福神など多数の小祠が所狭しと並んでいます。

 お迎え布袋尊大鳥居をくぐって直ぐ、大楠のたもとに鎮座、にこやかな笑顔で迎えてくれます。
 北側の裏参道の入口です、大鳥居は昭和55年建立、鉄筋コンクリート造りの明神鳥居、高さ17mあります。現在はこちらが表参道のようになっています。

 海軍少年飛行兵の碑
素婆倶羅社の裏に、忠魂碑、満豪開拓の碑に挟まれてあります。プロペラは零式艦上戦闘機21型のモニュメントです。

 拝殿から表参道

 相撲場
拝殿右手前にあります。前に弘安七年七月後宇多天皇の勅額寄進など皇族方の寄進の石碑が並んでいます。

 社殿全景
向かって左から、本社、宇都伎社、素婆倶羅社に続いて天満宮など境内社が多数配置されています。
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