小説3話目です。
微妙に作品の空気が漂い始めるところです。
何か感じることがあれば、コメントでどうぞ。
十畳以上の広さがあるだろうか。少々大きめに感じられる畳敷きの居間がそこには存在した。部屋の角には古びた茶ダンスがあるが、それ以外に目ぼしい家具は一つとしてない。生活感があまりない部屋だ。
期待はずれだ。まさに、期待はずれにうってつけの部屋だ。異界などではなく、現実そのものの世界がそこにはあった。
当たり前の光景なのだが、今までの噂があっただけに肩透かしをくらい憮然とする世栖。また、後頭部の疼きが再発し、苛立ちを抑えるかのように掻き毟る。
「遠慮しないで入りなさい。君、さっき鑑定した時にいた子でしょ?」
部屋の奥からの青年の声が聞こえる。ただ、目の前の部屋からではない。よくよく見ると更に奥にもう一つ部屋があるみたいだ。どうやら、居間を出るとそこには台所があるみたいだ。店舗側からは、はっきりと見えないとはいえ、辛うじて流し台のようなものは見えた。
ためらいながらも、流されるように世栖は青年の家に上がりこむ。
他人の家独特の異質な臭いが鼻につく。薬品のような臭いだが、世栖にはそんな正体が想像もできなくてただ嫌な臭いだという認識しか持てなかった。
臭いに気にしている暇もなく、青年が奥の部屋から戻ってくる。手にはタオル。それを、少年へ乱雑に放り投げた。
「ずぶ濡れでしょ」
そう言って、今度はタオルを少年の頭に押し付けそのままこすりつける。思わぬ展開に、世栖は最初は少し嫌がるそぶりも見せたのだが、こすりつける部分がむずがゆい個所に移り気持ち良くなって大人しくしてしまった。青年の拭く手つきも、世栖の後頭部に差し掛かるにつれ一段と丁寧でやさしくなでるようになっていく。あまりの心地よさに、世栖は目をつぶってなすがままになっていた。
「……んっ!」
世栖の体が不意にびくりと震えた。おぞましい感触が後頭部から伝わってきた。それまでの快楽とは一変して、まさに、不快な感覚が舐めるように後頭部を這いまわったのだ。慌てて振り向くと、恍惚な笑みを浮かべた青年の顔がすぐそこにあった。口が半開きになり、舌が少し覗いている。艶めかしいほどに紅い舌が唇の先を這っている。
何をされたのかすぐに理解できずにじっと青年の顔を見つめる世栖。青年の方は、それが妙に可笑しいのか、満足そうな笑みを浮かべる。ますます、世栖には青年の考えがわからなくなった。
「もういいかな」
そう言って、青年はタオルを世栖の肩にかけてもう一度奥の部屋へと姿を消した。
だが、今度はすぐに顔を現わし、世栖に向かって手招きをする・
「きてみなよ。いいものを見せてあげるから」
青年は、世栖を奥の部屋へと軽く手招いて誘う。そこに浮かぶ、薄らとした笑みが、世栖にはなんだか気味の悪いものに感じられた。こんな表情、店番をしている時には決して見せなかった。もしかしたら、あの奥にこそ生と死を分かつ何かが潜んでいるのかもしれない。糸を張り獲物を待つ蜘蛛の如く、青年は世栖の来訪を待ちかねているのではないか。途端にそんな不安が世栖の心に浮かび上がり恐怖に陥れるのだが、それとともに無知が故の好奇心という危険な麻薬が脳内に分泌され足を動かす動力と化してしまう。恐怖と好奇心という矛盾が満ちながらも、世栖は奥の部屋へとゆっくり向かっていく。気味の悪い笑顔が待つ方へと。
そこには、まさに死が待ち構えていた。
永遠という途方もない時間を勝ち得た者が待っていた。
「ミイラ……」
項垂れるように椅子へもたれかけているその姿は、つい先ほど嫌というほど見せつけられたミイラそのものだった。未来永劫という気の遠くなりそうな時間を与えられ、それが故に疲れ果てたかのような表情を顔に浮かべ、世栖を待ちかまえている。
乾燥したがためにその体躯は生前のそれよりも幾ばくか縮んでいるが、それでもかなり小柄に見えるところからすると、おそらくは女性のミイラなのだろう。もはや、生前の容姿など面影もないが、世栖には理由もわからないがそのミイラが美しくも感じられる。
ゆっくりとミイラに向かって歩みよるのだが、直前でそれが拒まれる。ミイラは、巨大なガラスケースに入れられていた。すぐ目の前にミイラはいるのだが、触れることは叶わない。やはり、ミイラという存在は世栖にとっては手に入れられそうで遠い存在なのだろうか。焦れる気持ちが復活してきてガラスケースに強く手をこすりつけた。
「これは、王族のミイラなんだよ」
背後から青年がそっと説明を始める。
「第十八王朝の王族だと思うんだ。出土された遺構の形状や、発掘品から推測したんだけど。まあ、君たちみたいな出土品の価値にしか興味ない子にはそんなバックボーンなんか関係ないか」
「名前はわかるんですか?」
「棺の脇に、杏というカルトゥーシュが刻まれてあった」
「女性ですか?」
「そうだね」
先ほどクラスメイト宅で見たミイラは男性のそれであった。世栖は、数年前にもミイラを一度見たことがあるが、その時も男性のミイラであった。女性のミイラと対面するのは初めてである。その影響もあってなのか、世栖の興奮度合いが増してくる。
「これ、誰が掘り当てたものなんですか?」
「僕だよ。これはね、僕のおじいちゃんが持っていた土地を掘り返したら出てきた
んだ。そこは、元々はただの丘でしかない土地だったんだけど、不思議と頂上部分が穏やかにならしてあるようにも見えたんでね。不思議に思えて、おじいちゃんが死んだとともに思い切って掘り返してみれば、遺構が出てきたわけだ」
「ふ~ん……」
世栖にとっては出土状況や青年の環境などには興味が持てない。ただ興味が沸くのは、目の前に鎮座するミイラそのものだけ。
「触れませんか?」
「それは無理だね」
「壊しません。そっと触るだけだから」
「無理だよ」
淡々としたやり取りが続いた。青年は、微妙な笑顔を向けているがどことなく迷惑そうにしているようにも見える。しかし、世栖はそんな事には気がつかず、諦めきれずにじっとガラスケースの中を凝視続けるのだ。
「そんなにミイラに興味あるんなら、自分で掘り当てればいいんだよ」
「無理だ。俺、土地持ってるわけじゃないし」
ミイラを掘り当てたクラスメイトは、自分の家の広い庭を掘り起こしての結果だった。目の前のミイラも、私有地を掘り起こしての結果だ。発掘ブームが町全体に広がったからといって、当然ながら人の土地に侵入して無断で掘り返すのは違法な行為だ。公有地は、比較的公に見られているが、ミイラなどの価値ある発掘品に関しては、国が没収している。土地なき者にとっては不利な環境になる。
そして、世栖には遺跡発掘のために掘り起こせる土地は持っていなかった。こういった土地を持つ持たないから起きる発掘格差なるものは、町の至る所に起きていた。それが故に、大人たちは発掘ブームから手を引いていったのだ。だが、子供たちにとっては、当初は小さな発掘品でも競い合うように見つけては駄菓子屋に持ち込んでその価値を判断してもらい、勝敗を争っていたのだ。最初は、ほんの小さな土器のかけらでも満足していたのだ。それが、次第に土地持つ者が遺構事態を丸ごと掘り当てるようになり、やがてはミイラが出てきてしまった。それをきっかけとして、今度は子供たちに過剰な発掘ブームが訪れたのである。世栖も、多分に漏れずに公園の片隅や学校の裏山を掘り返しては、小さな発掘品に胸ときめかせていたのだが、周囲で価値ある発掘品が出るたびに次第にジレンマを抱くようになっていたのだ。
「ひとつ、面白い場所があるんだよね」
少し考えるそぶりを見せた後、青年はおもむろに話し出す。
「町のはずれに、空き家になっている家があるのを知らないかな。広い土地なんだけど、誰も買い手がつかないし、建物自体がもう随分とボロボロなとこなんだけど」
「ああ、知ってます。平三度山の麓にあるとこでしょ」
「そうそう、あそこだよ。あの土地、僕の感からして何か出てきそうなんだよな」
「本当ですか? でも、人の土地を勝手に掘り返したら……」
「大丈夫だよ。あそこは、もう何年も放置されてる土地だろ。誰も寄り付きもしないし、ほかの家からも大分離れてるじゃないか。掘ってても目立たないだろ」
「う~ん……」
「夜になってから掘れば確実だ。あんな場所に深夜近寄るやつなんていないよ。もし君が掘りたいと言うなら、発掘道具セットを格安で提供するよ」
逡巡する世栖。掘りたい気持ちが強まるが、やはり違法行為であることには変わらない。
違法行為と大きな発掘品への欲求。その二つが心の内で戦っている。
「ミイラを掘り当てたいのなら、少しくらいの危険行為を犯さないと届かないんだよ。それが、この世の摂理なんだ。いいかい、これは君みたいな持たないものだからこその絶対的な行為なんだ」
そう言って、青年は店から持ち出してきた発掘道具セットを世栖に差し伸べた。
「うん……」
答えが出ないままも、世栖はそれを受け取った。
何か、怖い気分でもあったが、震え立つ気持ちも燻り始めるのだった。