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男性はトイレで座る?立ってる?/信州の山

2009-12-30 09:18:15 | 日記
男性客がトイレを使う時初めての方にはトイレの座席が持ち上げておいても戻ってきてしまうから注意してね、と必ずいう。が先日「大丈夫でした」との言葉になぜだろうと重ねて聞くと「座ってする」からとの返事。理由は自宅でトイレ回りを汚すから奥さんに座るようにいわれているとか。びっくり!そういえば新聞などでその様な話しを見た覚えがあるような。ないような。
自分が建てた家なんだから、人類発生時から男は立ったままするような構造になっているのだから立ったままするべきではないかい?との私の意見にその場の男性2人は賛成したがではではと塾生たちに詳しく聞いてみることにした。

会社員、教員、介護施設の職員、社長、自営業ととりどりの10名ほどに聞くと

結構座っている人が多い。理由はそれぞれだが

学校などでは座るように指導している。
家庭着(パジャマ)などはこの頃では前が開くようになっていないので自然と。
若い人には始めからそうだった。
奥さんに云われて。

介護施設でも座るように指導する、という話は納得できるが。

考えたことも無かったので(この座席が戻ってきてしまうのだってつい最近男性の塾生に云われて知ったのだ)世の中は気づかないうちにいろいろなところが変わっているのですね~。ほ~~~ンと驚いた。というか驚くのは私だけで世間の趨勢は座るほうなの?

この男性のトイレ話から以前塾生だった女性がネパールとか中国とかに行き長距離バスで移動するときトイレに行きたくなると運転手さんに声をかけてバスを止めってもらい「自然の中で用をたす」事がどれほどの解放感で気持ちが良いことかと常々話していた事を思い出した。
そしてこの数年の中高年の山行きがブームになっている事に付いて(新宿駅のホームには朝早くから山支度の人がいっぱいいる)それらの人を見ていてトイレはどうするのかなあ?といつも心配している。人間は慣れればいつでもどこでも用をたせるようになるだろう。だが山は多くの排泄物で汚れてしまう。遠くから見える山は美しい。近くで見ても登っても美しい姿であって欲しい。山の神様を泣かせないように。






























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群ようこ「馬琴の嫁」を読んで/能面[小面](こおもて)

2009-12-27 19:10:12 | 能面作品集
私は非常に俗物なのでこの本の作者や題名の馬琴に付いて書こうと思ってもそれだけの知識も見識も無いのでおばさん根性、井戸端談義として感想を書きたいと思う。
まず題名の馬琴の嫁とは馬琴自身の嫁かと思った。息子の嫁であった。どちらにもとれる書き方ではある。主人公「てつ」馬琴に改名させられて「みつ」は親の進めるままの結婚をするが夫(宗伯)は病弱。舅、姑はもちろん同居。お金の管理は馬琴。長男誕生、長女誕生、次女誕生、次女親戚の家を継ぐため養女に出る。夫病死元服後長男病死と次から次へと問題続出。
これらの中で夫婦の不思議は病弱で寝ている事の多い夫、心の通う間のない夫の看病と日々の生活の中でも子供は産まれる。そして夫は其の死に際てつに礼と感謝を述べる。するとてつは自分もいたらない妻であったと思い夫に愛、情愛を覚えるのだ。夫婦とは傍からでは判らないからくりの中に住んでいる。馬琴夫婦は結構いい夫婦。次女を養女に出すにも意見は言えない。舅の決めるまま。家を絶やさないためという理由だ。封建の時代の家,家名の存続という大義名分の前でどれほどの女性が涙を流したか。昔は(3年子無きは去れ)と言われて離婚された女たちが沢山いた。事実私の母などの話しでは親戚の(あのうちは子供が出来ないから、とか こちらの家では親に逆らって意見を云った、から嫁を出した。)との話を幾度も訊いた。たかだか6,70年前の話である。医療の悪い時代生まれた子供の1,2人を亡くす人も多くいた。すべてが女性にとってつらい時代であった。
やっと戦後日本の女性は自由を与えられ今その恩恵を受けているが其の現代にあっても先日書いたように名字に拘り養子をと望んだり、娘の結婚は家と家との結婚だ。という人もまだいる。もちろん結婚すれば自動的に親や兄弟との複雑な関係が生じるが家とか名前に拘ってわざわざ複雑に持っていくことは無いと私は思う。
本の中、夫が死ぬとすぐに別の結婚をしたり(当主がいないと困るから)別れてもすぐに次の結婚をさせる、というところはいったって人間関係があっさりしているのも結構気に入った。最近よく言われる(前に進まなければ)に通じている?
だが昔の女性は強い。嫁に行って鍛えられ強くなっていく。私も親戚の子供のころからを知っている人には(同じ人とは思えない)と言われている。強くなっていくのは昔も今も同じではあるが昔ほどの理不尽に泣かされることが少ないのは幸いである。てつはその後だんだんと家政の実権を握り幸せな老後を迎える。

女の一生ものとしてとっても面白く馬琴の書かれ方もなんだか共鳴できる。

何はともあれ女が幸せで無い世界は男にとっても生きにくい社会であると思う。


「女は弱しされど母は強し」は時代を超えて真実である。とは言えない事件も多くある今だがやはり真実である。と思うが。

[小面]は16,7歳の娘を表す面だがその年ごろから女としての苦労がはじまる。



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能面アーティスト 柏木裕美(かしわぎゆみ)

2009-12-25 00:52:42 | 柏木裕美プロフィール
30代よりほぼ独学で面打に取り組み、1997年、越前池田新作能面公募展入選。以来、横浜の三越や文藝春秋画廊等で数多くの個展を開くとともに、面打師として多方面で活躍。一方で、面打教室を主宰、能面作りの指導にも当たっている。2006年からは安曇野・穂高神社でも安曇野能面塾を開講している。最近は、古面打ちの技術に磨きをかけるとともに、創作面づくりにも着手。過去から現代に至る様々な人々の「顔」を、伝統的な面打の技法で描くという、新たな表現芸術のテーマを見いだしている。

無表情と言われる能面には沢山の感情と表情が含まれています。
其のことを「小面」を例にして、表現してみようと思っています。
女の顔の創作面として写真をお見せしているのが其の一枚一枚です。
ほとんどの作品が「小面」の顔の輪郭と同じで顔の中心線の形も小面にならっています。
「能面」というと特殊な面に思われますがどこにも誰にもあなたにも思い当たる気持ち、喜び悲しみ嫉妬を表現した仮面です。 

芸術も文化も大衆の支持なしには存在できません。分かる人に判ればいい、というのも一つの考えですが私は私の好きな能面をみんなに知ってもらい愛され能面を芸術の一つの分野として独立した存在になって欲しいと思っています。

其のための理解への道の一つとなればと「小面」のバリエーションをつくっています。
と言っても無理にではなく次から次へと表情が浮かんで制作に手が追いつきません。
なんといっても自分がたのしいのです。

皆さんにもこのバリエーションを見て笑ったり、あるある、わかるわと思っていただけたら幸いです。























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太極拳のお仲間と忘年会をしました/創作能面[酔ったかしら]

2009-12-24 22:08:44 | 創作面作品集
運痴の私がなぜだか誘われるままに太極拳を始めて丸3年が経ち今年は我が家で忘年会をすることになった。
運動は苦手で何度やめようかと思い知人に泣きごとを並べたりしていたが今になると本当に続けて良かったと思います。
静かな動きには信じられないほどの体力が必要です。出かけるときには仕事で疲れ腕は肩から上に上がらないのに太極拳が終わるころには肩も首もすっきり、手は上がり心もすっきりします。毎回時間のある人は一緒にランチをしていきます。
この方達を我が家においでいただくのは初めてで口を酸っぱくして

家は古くて汚いです。
部屋の中も木くずがいっぱい落ちてます。
以前塾生が(初めて来始めた頃に「俺が来るのを知っているのに何でこんなに汚いのだ」と言って掃除機を持ち出したのがいるけど汚いといわないように。

と何度も念をおしました。
お店に行くのとは違って時間に関係なく遊べるのが個人宅のよいところです。
一人はのどが痛い、一人は二日酔いということで残りの2人が台所係。
男の人は自分の家ではしなくてもこういう時には良い働き手になり私も座って鍋の支度ができるのを待ちました。


お酒はいつものように長野県北安曇郡の大雪渓酒造のあれこれです。
今日の一番人気は「8年ものの古酒」


酔っぱらったあの人は真っ赤になって座ったまま眠っている。
「座布団枕に横になったら」
「大丈夫、寝っむってないから」と言いながらコロン。
グオン、ガオン、グオウグオウすっごい!いびき。
まるで拷問でも受けていて眠っていても苦しいのではないかと心配するが他の人は平気、平気、と。

男のいびきを聞くのは~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ぶり

女性一人の柏木さんは両手に花どころか(ワタシッテtomadouonna)
(マチガイマシタ、madonna)

ということでいい気分でしたので新年会も当家でいたします。



私も飲めないたちなのに少々の古酒に[酔ったかしら]




































 
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正面玄関に掲げられた「病院設立の理念」/創作能面[傷ついて]

2009-12-21 12:25:13 | 創作面作品集
夕食にトンカツ、おいしかった~
最近は誰かと食事するにしてもトンカツというのは少ない、というかこの前にはいつ誰と食べたかが覚えているほどトンカツに縁がなかった。
食事をとれるということのありがたみを考えることもないほどの幸せな社会に生きている。最近はいろいろと取りざたされているが大方の人には普通の幸せな生活がある。
このところ生きるということは口から食物を取り入れることだと強く思う事があってトンカツの脂身に健康に生きている自分を再認識した。
(ヒレ肉もいいけどやっぱりロースの脂があった方が「食べた」との満足感をかんじる。)
現代はすべてを本人に知らせ選択させるのが良いとされる。
もし私が病気で「首筋に入れた点滴で栄養を取り口から食物を取り入れることを諦めて一年後に死に至る。意識は薬でぼんやりさせてあげるこの事を甘受せよ」
と医者に言われて平静ではいられない。
この言葉を私は病人とともに聞いたのだ。今の医学は私の常識と思う事とは程遠く残酷な世界だ。思いやりの欠片もない。自分が其の立場に立ってみろ!
もう一人の医者は私が今後の治療について「痛みを取ることを(殺してくれ、というほどにイタガッテるのだ)重点にして欲しい」と言ったら「痛みを取るなんて二の次だ、手術ができるか検査が先だ。それにあんたは奥さんではないからあんたとは話をしない」。兄妹で奥さんに話してくれと頼まれたのだ。
手術と言ってももう取り除くものがない。もう3回も開いているのだから。
といろいろあったが言いたい事は患者は人間であるということだ。もしこれが犬や猫であっても痛がるものに病気に心をひき裂かれているものに対する優しさが欲しい。
常に自分であったら、自分の親や子供であったらとの想像力を持ってほしい。
毎日沢山の同じような患者にであって疲れているのであっても正面玄関に掲げられた病院設立の理念を忘れないでほしいと望むのは患者と家族の我儘であるとは思われない。


今日の面は、顔に沢山の赤い線でキズを表しています。キズ付いた心を人は押し黙りキズが深ければ深いほど表には表しません。
目にはプラチナの涙が落ちそうで落ちません。
生き物は生きているだけで尊くえらいのです。
















































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女優・俳優たちの顔の変遷/創作能面[産まれた時は]

2009-12-18 01:23:16 | 創作面作品集
アリーmy loveのアリー役の女優がブラザーズ&シスターズでロブ・ロウの妻役もしている。アリーの方がかなり若い頃で(と言っても役柄では30歳)妻役の方が後だが其の姿や顔立ちの変化を面白く見ている。セックス&ザ・シティーのキャリーの夫役はヒーローズの主役の母親と恋人役でCSI?に出ていたしアリーの中のリー何某はビバリーヒルズにバイトのウエイトレスになっていた。と全く名前を覚えられない説明で申し訳ないです。ロブ・ロウは好きで覚えているのでなく覚えやすい、言いやすい名前なので自然に覚えている。
あちこちにいろいろな役で出演している一人の役者の時間が前後した顔を見比べるのが面白い。
若さとはそぎ落とすことなのかと思うほど無駄なものがない。年を経るに従って多くのものを持ち多くのしがらみにがんじがらめに縛られ其のことが脂肪に変わって顔や腹に付く。
太い人ほど物もちでしがらみの強い人生なのか。ということもないか?年齢を重ねて腹や顔に無駄な脂肪を蓄えたとしても精神や生き方はすっきりとスリムであってと願うがなかなかに難しい。まずは物を持たぬことにしようと引っ越す度に整理を重ね25歳の時から持っているものがただ一つの古い本棚で後は何もなく先日訪ねていらした以前の塾生は「相変わらず生活感のない家ですね」と言われてうれしい。

趣味は能面を作ること。仕事は能面を作ること。

これ以外には何もない。なんとスリムな簡単な暮らしである。

海外の俳優たちの存在感のある肉体には感心する。とりわけお尻がバン!!と張っている。あのお尻からすると体重の中のどのくらいの割合を占めるのか、痩せてる太っているにお尻はどう関係するのか?
こんなくだらないことや顔ばかりを見ていて少しも役者の名前は覚えない。


今日の面[産まれた時は]男も女も関係なくみんな神様の子なので黄金に輝く。其の輝きをいつまで持ち続けられるかが問題です。

能面ではこの世のものではない時銅版に金メッキして金色の目にします。

眉は男の眉と女の眉を併せ持つ。






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僕が柏木さんを好きな理由/創作能面[おばさん]

2009-12-15 21:30:29 | 創作面作品集
照れちゃって、照れちゃってとかいいながら塾の時などに「僕が柏木さんを好きな理由」はなんて言われちゃったよ。と触れまわっている。
この言葉を云ったのが中高年だったら自慢しない!当たり前すぎるから?!
26歳の男の子から言われたンだよ!
私の自慢タラタラを聞いていた塾生の女性に「そんなことみんなが言っている事じゃない(好きな理由ね)これからもっと年取ると若い子が可愛いと思うようになる。」と。ショック!

そうみんなが同じことしか言わない。

「いつも元気で明るくて前しか見ないで小さいのにえらいね」

小さいと得です。小柄だというだけで同じことをしてもほめられます。
前しか見ないのは考えなしのおチョコチョイだから、深く考えると頭の中が真っ白に靄がかかるので途中でやめるからです。
元気なのは元気なんですよ!しばらく前に血を取っていろんな数字を見る検査で医者から「僕よりよほど健康です、理想的な数字ばっかり」と言われましたから。
体に気を付けて食べたいものだけしか食べません。
野菜は嫌いなのでほとんど食べません。その時々に気にいるものができそれだけを集中的に食べてます。例えばホットケーキが気にいると飽きるまで何日間もそれだけを食べる。体が其の食べ物に含まれる何かを欲しがっているから食べたいのではないかしら?
というのが私のへ理屈。
なんで自慢話が横へそれたのか。
照れた私は26歳の彼が理由を云っているのに立ち上がってうろうろして背中で彼の声を聞いていました。
彼の車で自宅に近い駅まで送ってもらい食事して(てんぷら)さようならしました。
考えてみると何も自慢するとこはなかった。



















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珍しい時計で過去に行く/能面[老女]

2009-12-14 00:49:07 | 能面作品集
12月11日の市民タイムス(長野県の地域新聞)に電波時計で秒針だけが左回りをする時計の話が出ている。5年ほど前から使用しているが電池を替えてしばらくしたら秒針だけが左回りを始めた。
市時計博物館によると秒針だけが逆回りすることはありえず、秒針が左に回れば長針や短針が狂うはずでこの時計は「非常に珍しい」と。

先日このブログに近所の商店街の時計の事で「時は前に進んでいると思っていても案外戻っているのかもしれない」と書いたのでこの話が目にとまった。
静かな書斎で時計の進む音がしています。もし戻っているとしていつの頃に戻って欲しいだろうと時々考える。
学校時代はご勘弁を!もう勉強するために机の前に座りたくない!
ではいつ?20歳?いやいや愚かな若者であったのでこの年も恥ずかしくて否。
25歳の頃は結婚して幸せなのか不幸なのかを考えては考えないようにしようとしていた年代。だからこれもペケ。
30歳、離婚したいけどしてはいけない、と思っていた時代。自分自身は不幸だと思っていた。世間的には幸せに見えていた頃。
ではいつなら戻っても良くて戻ってうれしいのか?

凄~~く難しい!
うん、33歳にしよう。
離婚して経済的にも(元夫が困らないようにしてくれたので)安定して能面の勉強を始めた時、この頃からはじめて生き方を変えて見たらどうだろう?
その頃に今の知恵と知識があればもう少しまともな人生を送れていたはず。「後の後悔先にたず」。昔の人はいいこと言うねえ!と思うけどみんな後悔後悔でいたから出てきた言葉だと思う。後悔していなかったらそんなこと言わないはず。
後5年、10年たっても少しも進歩せず後5年若かったら、あと10年早かったらと言い続けている愚かな私があの逆回りをする秒針を見ているのが見える。


今日の面、小野小町100歳の面、
小野小町は代表的な美人。

幸せだったかどうか?
美人と幸せは必ず=とは限らない。最後は乞食をしていたという話もある。

能楽では「~小町」と名前の付く能は格がたかいといわれます。























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産まれたら男でも女でも可愛い/狂言面[乙](おと)

2009-12-10 11:17:17 | 能面作品集
ご近所の奥さんが町内会の用事で寄られた。うれしそうに「妊婦」なんです、と何も聞いてないのににこやかに教えてくれる。
「よかったですね~男の子女の子もう判っている?」
「長男の嫁だから男の子でないと」とそれこそびっくり仰天のお言葉!
「絶対女の子がいいよ、今は女の子が喜ばれる時代」
「そうなんですか~?顔立ちからしてやさしくなって女の子と言われてがかりして
たんですが」
との会話が続き今時長男の嫁だからとの言葉にショックだ。それこそ専門職も持っているのになんでだあ~?
先日他所で「娘には婿養子をとって自分の名字を名乗って欲しい」との発言に驚いてきたばかり!

名字とか名前とかは親を選んで生まれることができないのと同じで自らに選択する余地がないものに振り回されたくない。子供は授かりもので生まれた子供を男女に関係なく大切に育て社会の中で普通の幸せを築ける人間にすることが何かの力によって親にしてもらえた人の役目だと思う。(まあ選んで良いと言われたら私は女の子が欲しいけど)
名前に込められた歴史を云々するつもりはない。それぞれの中で大切にしていくのは当たり前で其の努力はしていきたい。が自分の目の前にあり自分の中を流れる血は当面繋がったとしても其の次はどうするのか。永遠に続くものは無い。
いつか途切れるものなら自分の代で途切れるのを見るのも一興ではないか。名前や性別に拘り嘆くのも人だけである。動物は生まれた命に乳をやり人間の勝手でわが子を取り上げ売られて行くことに何も言わない。
自分の人生や運命を黙って受け入れていく。知を持ってしまったために人知を超えたものまでが自由にできると自由にして良いとは思えない。

今日の面[乙]は狂言面、狂言ではのブスの女性は愛される。心はブスでないからね。能面の鼻は男女ともみな大きい。乙は小さい鼻がかわいらしさを強調している。鼻一つでこれほど心を表現できる古の面打の力に感嘆する。

























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ダイエットは成功だが/能面[泥大飛出](でいおおとびで)

2009-12-07 21:23:07 | 能面作品集
先日あちこちで「太ったね」と言われるので元の体重に戻す、つもりと書いた。
体重は戻ったけど代わりに疲れが残った。太っている方が体力が続き無理がきく。
このところ身内の事で気持ちが落ち込んだり(ある言葉が頭に残り眠れなかったりその言葉が頭に焼きついて眠っていても言葉がぐるぐるまわる、医者の言葉だが私の事ではない。念のため)体に無理してしまった。
事務仕事はのばしのばしにしているし年賀状は今年はパスしたい気持ちがある。
でもどうだろう?気が小さいので押し詰まってくると気が気では無くなりそれがまた心に負担になってやっぱり出そうと焦りまくるのか。自分の気の小ささに嫌になる。今日は疲れていては仕事もできないし体にも良くないからと理屈を付けってあれもこれもと食べている。せっかくの痩せる努力は水の泡。
と言っても私のダイエットはお米を食べること。それもお米をお腹いっぱい食べる。今の季節はお米が美味しいのでダイエット向きの季節だ。
リンゴも1個か2個食べる。都合の良いことにお米は安曇野から送っていただいたのがあるしリンゴも送ってくださっている。お米とリンゴでお腹を満たしているといつの間にかダイエットになっている。
なので努力が無駄になった。と嘆くこともないほど努力はしていない。これはお勧めダイエットです。
今も干しブドウを食べています。サンが欲しがるけど犬に干しブドウはどんなものでしょう?ちょびっとあげてしまった。

今日の面[大飛出]は天神、雷神の怒りを表しこれ以上開けないほど剥いた眼や口は周囲を威嚇する。飛出の意味は「飛び出した目」ということであろうか。
泥とは金の粉を塗ってあることです。
目は銅版で作り金箔を張りました。


[大飛出]さんに苦労の元を威嚇して追い払ってもらいたい。







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現代を表現してみました/創作能面[現代の小面]

2009-12-05 20:57:35 | 創作面作品集
美しいものが好き。美しい人が好き。美しい事だけを見ていたい。
今日の面[現代の小面]美しいでしょう?。実物はほんとに美しいです。
今の若い人はみな美しい。
街中でブス、という顔立ち、姿形、の人はめったに見かけない。
600年前に生み出された「小面」はふっくらしている。その時代の人にはふっくらしている事が美しく見えたからだ。美の基準は時代とともに変わる。
第二次世界大戦以前の日本は貧しかった。600年前ならなおさらふっくらしているということは沢山食べられる=富の象徴で太っていることは人々の憧れであったでしょう。
演劇の一つである猿楽も(其のテーマも其処で主役である役を表す能面にも)其の時代の人々が求めるものが(その時代の人々が当然というか自然と参考にされ)取り入れられているはずです。其の当時新たに現れ河原などに小屋掛けされた舞台で演じられた猿楽(能楽)も現代のアイドルと同じです。
その様に考えて現代の物も食べ物もあふれかえって、太ることは自己管理ができない人と言われ、モデルの体型に憧れ細いことは美しいと言われ思われている現代を表現してみようと小面にも現代人になってもらい時代の価値観を表してみました。






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写真は真実を写すか/能面[痩せ男]

2009-12-04 01:02:16 | 能面作品集
確かに芸術新潮に出ていたはずとあちこちひっくり返していると思わぬところから探し物はでぬのに元大名家の能面の展覧会の冊子が出てきて久しぶりに手に取る。
其処に映っている[痩せ男]の面がかくも美しく品格のある面であったかと驚いて見入ってしまった。

私の作品で始めて売れたのは[痩せ男]
ギャラリーでの販売で後から代金を受け取っただけなのが悔やまれる。オーナーから買い手は男性で舞台に使うという話を聞いた。

[痩せ男]の本などによる解説は恋に落ちて苦しんだとか(能楽は仏教思想が色濃く現れている)殺生をする職業で地獄に落ちたとの説明が付くが職業で殺生することがいけないのなら手を汚さずに食べるだけの人間はどうなのだと考えると納得がいかない説明であると思う。
魚や野菜、肉を必要とする私たちはもしそれらを用意し店頭に並べてくれる職業がなければいちいち毎日食料の調達に大変な思いをしなければならない。それは600年前の能楽の創立時代も現代も変わらない筈である。それこそ其の職業の人達に感謝こそすれ、である。

この痩せ男とならもろともに地獄に落ちようぞ、と思えるほど品があってきれいである。地獄に落ちて後の美しさは誰とも比較できない、だが時として写真は実物以上の力を出すこともある。「写真は真実を写す、と書く」と或カメラマンは云ったがカメラのレンズを通してカメラマンの心情を写しているのではないだろうか。
こうしてみるとこの面のカメラマンはこの面に惚れている。

そしてわが作品の[痩せ男]であるがこれはこの話の[痩せ男]の形態についての説明に恥ずかしながらと載せた次第。面よ御免。

さぁ^^^^新たな[痩せ男]打つぞ~。











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今日は僕からの手紙です/創作能面[ギョエッー]

2009-12-01 20:05:20 | 創作面作品集
僕はサンです。6歳です。お母さんが今日は僕の楽しいことをお手紙にしてネ、というので僕の散歩の事を書きます。
僕は産まれてすぐに足の手術をしています。お医者さんは歩けなくなるかもしれないと言っておかあさんを驚かせましたが大丈夫でした。僕は毎日1時間かもっと歩きます。寒くなったのでダウンのベストを着ていきます。
だから寒くありません。だからいっぱい外に居たいです。この頃お母さんは散歩の途中でたい焼きを買います。僕と二人でたい焼き屋さんの横のどっかのマンションのとこで熱いたい焼きを食べます。おかあさんはアンコのとこを自分で沢山食べて僕には皮のあんまり甘くないとこしかくれません。おかあさんはずるいです。
2人でしゃがんで食べてるといつも前を通るおばさんがわらいます。
おじさんは見ないふりをします。
この間はどっかのおばさんが話しかけてきておばさんもたい焼きを買ってきて隣で食べました。
暑いときはアイスクリームが買いたいです。買ってくれるといいなぁ~
僕は道の草や木に挨拶します。ずっ~と塀ばっかりの時は誰かのおっしこのにおいをかぐのが好きですがおかあさんはばっち、ばっちと言って引っ張ります。いじわるです。
時々どっかの犬がお店の中で何か食べています。僕は何だろうと覗くのですがひっぱられてしまいます。僕も入りたいのにお母さんは「あそこはきれいにお化粧してないと入れないの」と言いました。おかあさんは散歩のとききれいでないからお店の人に「入っちゃダメ」といわれるのかな?お店の名前はドッグカフェと言います。
お母さんは僕の事を「素敵だね、いい子だね、賢いね、ハンサムさん、食べちゃおうか」と言ってネコっかわいがりします。
僕がコロンと寝ころぶと毛布をかけてくれます。やさしいおかあさんです。

僕もお母さんがだいすきです。


僕が犬ではなくおかあさんの子だと言ったら[ギョエッー]と驚きますか?


































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