農文館2

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二条式と一条式の除草機

2014-06-24 10:14:06 | 日記
 先週、二条式の手押し除草機で田んぼの除草を終えた後、この農機具の原型とも言うべきものをテレビの番組で見ました。空から見た日本の風景? とか言う番組で、案内役は“雲爺”と“雲嬢ちゃん”。場所は新潟県の燕・三条・長岡の米どころ。
 
 内容は必ずしも、と言うよりお米ではなく主に伝統の職人たちに焦点を当てたもので、興味そそられましたが、その案内の過程で、わらぶき屋根の農家の天井に収められていたこの農機具が写し出されたのです。雲爺が「これは何じゃ?」と言うように、雲爺さんですらも見るのは初めてだったのです。その家の主曰く、先代の頃のもので今は使っていないとのことでしたが、実はわが家の二条式手押し除草機は新潟製で、三条であったか長岡であったか記憶も定かでではないのですが、製造元の新潟に直接電話して取り寄せたものでした。恐らく米どころであるがゆえに、農機具の開発もどこよりも進んでいたのでしょう。又それゆえ除草剤の普及とともに、他の地域以上に早くこの道具が使われなくなっていったのかもしれません。10年近く前、この道具で田んぼの除草をしていたところ、70歳前後の村人が、小生がペンより重たいものを持ったことがないと思っているのか、疲れて「倒れないように」と忠告されたことがありました。わが村でも遠の昔に使われなくなっていたと言うことだったのでしょう。

 その二条式でわが田んぼを除草してから1週間、昨23日、予定通り今度は一条式で除草をしました。一条式は二条式ではできない稲と稲との間の雑草を取り除くのですが、当然作業時間は倍かかることになります。午前8時から午後6時まで、昼の休憩時間を除くとおよそ8時間の作業でした。寄る年波、正に「倒れないように」と言う忠告が実感できるようにもなりました。高齢化、米離れ、米価下落、米作りを昔ながらに手間隙、体を酷使してやる農家がなくなっているのは当然なこととして(経済原理に沿う限り)、除草していて気が付いたことがありました。それは米の反当りの収量が全国的に急速に向上したことです。わが田んぼ、どう見ても世間並みには行きません。もとより技術の習熟度にもよりますが、それでもわが田んぼと同じように、昔の平均的収量が今日に及ばなかったことは確かです。つまり“楽の出来る安易な技術による”大量生産ー所得の向上という当然の成り行きが、今日の上述した逆転状況の中で出口を見失ってしまったと言うことです。低成長下、社会福祉、年金などが行き詰まっているのと同じです。問題は、米作りの放棄が国土保全・環境問題にも関わっていると同時に、日本の文化総体にも関わっていることです。糖衣飽食、一粒の米を大事にした昔を取り戻すことは至難の業と言うべきか。

 アベノミクスへの幻想、集団的自衛権による平和幻想、せめてもワールドカップ優勝幻想、そして東京オリンピック幻想、などなど現実からの逃避行を促す幻想は当分事欠きません。ちなみに康花美術館、来月から「幻想と現実」(仮)と題した企画展をやる予定です。但し彼女の作品群がいずれも心地良くさせる「幻想」から程遠いことだけはお断りしておきます。それこそ昔ながらの米作りに準じたような作品ばかりです。松本にお越しの折にはお立ち寄り下さいますよう。
 

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