一日よく雨が降りました。が、私の家の玄関前から水が湧きだしていないので、山はまだ水をため込める余裕がありそうです。多分、あと1-2日したら湧き出すと思うけど、何処に水がたまるのか?と言えば山の基礎をなしている岩盤の裂けめにたまるんですね。その上を覆っている土の層なんてせいぜい2-3mで、スポンジのようではあるものの、大した含水量はない。樹木なんて雨が直接地面に当たらないようにする流れ止め程度の役目でしかない。
一度に大量の雨が降っても浸水できる量を超えれば地表を流れてしまう。そういう意味じゃぁ雪解け水はジンワリ地表から岩盤に染み込んでいくので地下水のためには理想的なんですね。
7月に心配された都心の水不足は今月分は問題なくなった。と思うよ。
未曽有の破壊力を持った台風が押し寄せるかもしれないこの時期に、熊本に白エビせんべいもってチャリティープロレスイベントに行っているとある仲間たち。無事帰ってこられるのだろうか?
昨日は夕方まで山にいたのでアートイン湯宿の作品を見ることができなかったので、今日は雨の降りが小雨になった頃あいで出かけてみました。東京芸術大学と地元の変な人たちとの融合芸術祭?
昨日は隣町の中之条の真澄さんが知人引き連れて作品を見に来てくれました。昨年、長いこと週刊新潮の表紙絵を描いていた谷内六郎さんの絵画展を催した仲間で、胡弓奏者の楊興新さんを発掘して世に広めたり、盲目のピアニスト梯剛之君をデビューさせたり、何気なくすごいことをやらかしている人物で、私も末席に加わって小間使いのような手伝いをしているのですが、目が越えているので評価が恐かったものの大変良い評価をいただきました。
アーティストと地元の人が一緒に楽しんでいるのが衝撃だったそうで、作者が地元民に同化して融合しているのが強烈に印象的だったそうです。展示している作品の前で地元の年輩の方と孫娘が談笑しているのかと思ったら、その娘さんが作家だったり、個々の作品の力量のほかに、全体を通すと、地元の住民が学生達の作品の動く素材として上手に用いられているようで地域全体が一つの舞台になっているように見合たそうです。
個性の強い奇人変人の多い村ですが、放っておけば何やらかすかわからないこの困った人たちが舞台の小道具として生かされていたんですね。
中之条ではビエンナーレと言うアート展を街全体で行っており、クルマで周っても2-3日かかる広範囲でのイベントになっています。
多摩美中心のビエンナーレと東京芸大の違いだと思うのですが、ビエンナーレはとんがりすぎていて「あ~???」と、動けなくなるような「ア~ト」が多くて、ついて行けない私が馬鹿なのね!と疎外感を感じながら帰ってくるのが毎年のことなので、アートとはそういうもんか?と思っていたのですが、こちらは「あー!」と気が付くことが多いアートでした。
「つくる」に該当する言葉を英語でいうと「create(創造する)」、「produce(産出する)」、「make(製造する)」、なんでしょうが、漢字なら「創る」「造る」「作る」。それぞれ重みが違いますね。「invent(朴る)」は論外です。
createは簡単にはあり得ないレベルで、それまでに得た知識や体験を組み合わせて何事かを築いていくのでしょうが、受け手にその意図が伝わらないと醜悪な自己満足になってしまう。しかしながら、今までにない概念を見つけたい。この際どい線上を綱渡りの繰り返し。リスクが大きいクリエーター。
でも、元々の力量がある人って肩ひじ張らなくて受け止める余裕があるから、さらに力量をもがけるんでしょうね。「私は○○なんだ!」と自分にレッテル張ることで、実は自分の限界を規定してしまっている。なんか、最近こうしたことに気が付くようになったんですが、「自分がなんだかわかんない」と模索しているうちはまだ伸びるんですね。
じっくり見てしみじみ心に響く作品もあれば、振り返った一瞬、視界の奥で隅で鮮明に色彩や形が印象に残る作品など、作品それぞれに命の形が違うのも面白いです。
3Dの映像ではないけれど、視線を動かした一瞬だけ立体的に形が浮かび上がり、飛び出してくる。どの角度でこうなるのか?いろいろまさぐってみるのですがわからない。「やられたなぁ~」とちらりちらり振り返りながら立ち去るしかない作品。快感です。
懐かしい卓球台がありました。浴衣を着てスリッパをはいてペンホルダー型のラケットで卓球をする日本伝統型の卓球台。
家の外に飾られたモニュメント。雨でのんびり眺められなかった。
先週までGYOで「北斗の拳」を見ていたので印象深い北斗七星。
今月、富山に行ったときに町村合併で「南砺市」と言う行政区ができ、南斗正拳の里はそこなんだろうか?と考えていたわけですよ。ところがフランスにも北部にナントって町があるんですね。なんとまあいろいろあること。
真澄さんがお気に入りと言った椅子とブーツの絵画。真澄さんは中ロ国境、今でいうならブラゴベシチェンスクの対岸から引き揚げて来た帰国子女ですが、子供の頃に見た光景を思い出したそうです。当時なら椅子と軍靴だったんだろうか?71年前の今頃、過酷な状況を生き延びて子供たち引き連れて日本に戻ってきた真澄さんの母上は昨年100歳で亡くなりました。
生活改善センターの体育館には歴代卒業生の作品が展示されていました。130号サイズの大きな作品ばかりです。
温泉の共同浴場にはフランス人留学生の作品が展示されています。ニューギニアに近い太平洋上のポリネシア方面の土器の「ラピタ」をモチーフにした作品で日本の土器と相通じる気配があります。
紀元前15世紀ごろ人類史上初めて太平洋に乗り出した民族がいたらしく、地理的に比較的近いインドネシアやマレーの人たちとも違う民族で、日本の南や太平洋あたりから移り住んだ人たちではなかろうか?と想像されています。土器があると言うことは農耕が行われていたんですね。
縄文の火焔式土器に似通った土器なども発見されている謎のラピタ人。その末裔はラグビーが強い。ポリネシアの人たちと日本人は太りやすい体質を持っているんだそうです。案外こんなところからなぞが解明されたりして。
夜は地域の人たちが持ち寄った「昔」の写真を元に学生達と座談会。屋外で民家の壁をスクリーンにして映像で交流。
下の写真はラピタを展示していた共同浴場の昔の姿。お湯を入れたバケツを担いでいるのは敬ちゃんのお母さんですから、昭和38-39年頃だろうか。
この時代、私は夕方になると叔母と一緒にこの道を通って西山酒店におつかいに行きました。ヒョウタンの酒ビンをぶら下げて酒屋さんに行って、祖父の晩酌の酒を買ってくるんです。杉の樽から柄杓でヒョウタンに酒を入れてもらって帰ってくるんです。殺伐としているように感じだ時期もありましたが、今感じるのはのどかな時代でしたね。
我が家では耕作用の牛を飼っていましたが、馬の方が足が速いので作業効率が高いと言われてました。昨今主流のトラクターと違いガソリンも軽油も必要ないんです。草で動く。
綱取りと言って馬を誘導するコツは、視界に入らないようにすること、人の姿が見えると反対側に逃げちゃんですね。馬の後ろで耕作している和夫さんは10年くらい前に田んぼで倒れて亡くなってしまいました。
村のバレーボール大会でこの地区が優勝した時の写真で、昭和40年代ですね。前列で赤いカーディガン来て座っているのが私の父の妹、ヒョウタンぶら下げてのおつかいに同行してもらっていた叔母ですね。クモ膜下で倒れて何年も寝たきりの生活をしています。
村の盆踊りの手拭い踊りのレクチャー。石投げ踊りやステップを変えて表現する踊りなど盆踊りと言っても多様なんですが、こうした芸能を受け継いでいたのは昭和一ケタ世代までで、地区ごとに歌や踊りが違ったもんです。
盆踊りは旧暦の盆だったので9月のはじめで、夜になると寒かったおぼえがあります。盆踊りと言うとおでん?条件反射的におでんを食べたくなる。
当初この企画が持ち上がった時、写真を提供してくれた年輩の方々は「話すほどのことはない」と座談会に遠慮していたのですが、自分たちにとってはそれほど昔のことじゃないんですね。歴史ではなくリアルタイムに体験していたことですから。
学生たちが上手に記憶を引きだし価値観を与えてくれるので、次第におとりよりたちも乗ってきて、懐かしいエピソードが飛び出してくる。予定時間を軽く超えて座談会は進みました。
昭和13年ごろの小学生の写真。80年近く過ぎてもこの顔は誰だとしっかり記憶しているんですね。
既にバスが走っていた時代だと思いますが、まだ馬車が活躍していたんです。もちろん、草で動く交通手段。
戦後、夫人参政権が認められた選挙法改正を広めるための仮装行列のイベント。
今なら印刷物回すだけですが、こうして行列して宣伝したり説明して回ったようです。日本国民なら当たり前のように参政権が与えられ、ついに18歳参政権になったのに、興味を示してもらえないのはなぜだろう?
今生きている人は一人もいないどころか、その子供たちがじいさんばあさんになっています。でも、誰の親なのか?だいたいわかります。
右下にしゃがんでいるのが私の祖祖父の弟。そのひ孫が先月末のお祭りで太鼓叩いていたアフリカ系ダブルのチビちゃん。50以上年の離れたハトコです。
元々お年寄りが元気で困っている地区ですが、今までにない生き生きとした姿を見ることができました。
後が大変だぞ!
くまもんには出会えませんでしたが、素敵な愉快な優しい方々にお会いしました!夢の様な楽しいひと時でした。
報告は別便にて準備中・・・1週間くらいかかりそうです。
『白エビせんべい』ありがとうございましたっっ!!!!!
白エビせんべい~うまかった~ありがとう~!
にゃん!
プロレスラーとの合コンいかがでしたか?危害を加えずに無事終了したことを願ってやみませぬ。
台風で交通機関に影響が出ないか気がかりでしたが、無事帰られたようで、熊本に平和が戻ったことを喜んでおります。
お元気ですか?!アート•イン湯宿の展示に参加していたいのうえです。
連絡先わからずこちらから失礼いたします。
今年2~3月に、湯宿のみなさまに昨年のアート•イン湯宿に関するアンケートをとらせて頂いたのですが、
ぜひのすたるさんにも回答したいただきたいと思っております!
お願いできますでしょうか?
アンケートは竹の湯のボックスに入れておきましたよ。
モンブランのインクでダイソーの万年筆で書いたので一応マチエールにもこだわってみました。
後半、半分居眠りしながら書いたので小学生並みのアヴァンギャルドな文字になっております。
竹の湯の隣の奥の家、同級生の娘一家が住んでいたのだけど、空き家になりましたよ!
また、今度お話を伺えたらと思っていますので、その際はよろしくお願い致します!
空き家!
こちらは洗濯や調理場があるといいねという話がでておりまして、どうなるかは分かりませんが機会があれば見学してみたいです〜
檻に閉じ込められて閉架に積まれるのだろうか?
空き家、たくさんありますよ。
バルビゾン派のように村の爺さん婆さんをモチーフにできますよ。
プロジェクションマッピングの機械持ち込めば村中アートであふれますよ。あの機械があったらおもろいねんけどなぁ。
ヨーデルの酔っぱらい社長はフィフィの作品の続きを楽しみにしています。お客が来ると金田屋遺跡を見せています。
今年のテーマは養蚕の復興と、蚕糸から反物までを模索予定で、原材料供給のみならず製品までできる何かしら産業ができたらと頭をひねってます。
食っていく稼ぎとのバランスなんですけどね。
年明け早々の坂口教授の展覧会に行きたかったのですが、なかなか出られなくてご無礼してしまいましたよろしくお伝えくださいませ。
新国立美術館でアルフォンス・ミュシャの絵画展やっているみたいですね。
先日お江戸に行って帰る時にポスターで発見。もっと早く分かっていれば朝から駆けつけたのですが、プラハで「スラブ叙事詩」を見た時に”でっかい絵だなぁ!なんぼほど絵の具使こうてんねん?”と感動しました。
まさか日本での展示はプロジェクターマッピングなんてことはないだろうと思いますが、何とか見に行こうと画策中です。