のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

お茶会

2017年07月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 最近、今まで見かけなかった茶色い小鳥をよく見かけますが、ガビチョウ(峨眉鳥)と言う鳥らしいです。

 ニーハオの国あたりから入り込んだと言うのか飼われていたものが逃げて増えたようですが、鳴き声が良い鳥なので、向うでは籠に入れて鳴き声自慢をして広まった鳥みたいです。

 こんなところにまでくるくらいだから生命力も繁殖力も強いのでしょうが、在来の生態を崩さなければいいのだけど。

 昨年も聞きなれない鳴き声だなと気にしてはいたのですが、今年は毎朝うるさいくらいに大きな声の鳴き声が聞こえます。

 ドイツ文学の教授宅のお茶会に呼ばれました。

 ガビチョウや特定外来雑草の話になりました。

 農道に面した家で道路わきをきれいに刈りはらっているのに、特定外来雑草のオオキンケイギクだけきれいに残している家の奥さんに、あれは外来雑草でご禁制だから引っこ抜いて償却しなければならないと説明したら、役場が刈払いをしてあの黄色い花だけ残していったんだと知りました。

 今月は役場から特定外来雑草駆除の回覧板が回ってきたのに、肝心の役場の刈払い作業がこれでは話のほか。シルバー人材を使って作業させているようですけど。

 まぁ、こんなもんかな?

 教授宅は奥様お手製の奇妙な飾りものが毎回楽しみなのですが、今日はハンプティー・ダンプティーゆかりの人形が飾られていました。

 私が中学生の頃に「マザーグースのうた」がブームになり、それが何なのかよくわからなかったのですが、英語の絵本が出回っていました。Humpty Dumptyのうたも英語の授業で習ったことがありました。

 サイモンとガーファンクルが唄った「スカボロフェア」もマザーグースに出て来る歌で、あの意味不明な言葉♪パセリ・セージ・ローズマリーアンドタイム♪は日本で言うなら♪さおやぁ~ さお竹ぇ~♪や♪い~しぃ~やぁ~きいもぉ~♪のような行商人の「売」の声だと聞いたことがありました。

 サイモンとガーファンクルのうたがあまりにも有名になってしまったために、元々に原曲については意外にも日本の方が親しまれているようです。

スカボローフェア byナターシャセブン

 もちろん、日本の昔話の作品も作っています。

 なぜかトトロまでいる。

 おばちゃん達の知恵も面白いです。コップや鍋の底をきれいに洗うにはどうすればよいか?

 入れ歯洗浄剤のポリデントが霊験あらたかなんだとか。まさかそんなもので?と思いもしますが、理屈はわからないでもない。ポリデント洗浄はおばちゃん達の間では生活の知恵で広まっているようです。

 「入浴剤って言ってとうちゃんが入っている風呂にポリデントを投入したらどうなるか?」「汚れが落ちるんだから父ちゃんは溶けてなくなるに違いない。」「こういうのも共謀罪か?」さすが、おばちゃんはグロい。そんなことしたって沢口靖子が排水からとうちゃんのかけらを探し出すに違いないのに。

 ザ・ピーナッツ。昔いましたね。ハナ肇に谷啓にえ?それはクレージーキャッツ?植木等は?

 およびじゃない?こりゃまった失礼!

 ババアが作るお手製ババロアをごちそうになりました。

 赤い梅肉のような物。実はこれ、バラの花のジャムです。バラの花を細かくすりつぶして砂糖で煮て作ったそうです。

 また変な知識を身に着けてしまった。

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3 コメント

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進化 (プールの人)
2017-07-23 15:33:39
最初は「キルト」だったかな、、、
すこし前
母親が布草履を作っていた時期
母親の布草履の生産数にも驚いたが
その独自の製作用器具の進化にも驚いた。
いま
母親は
フクロウや猫の小物作りにハマっている。
もちろん
道具の進化も続いている。

ん~~~なるほど
台湾の美術館に
20年かけて作られた
7重構造の象牙細工があるが
あれは
製作用器具と作成ノウハウの完成に
20年かかったのだなぁ~~~と気付く、、、

日々改善、日々進化!
ザ・ナターシャーセブン (萌ゆる大空)
2017-07-23 16:23:33
亡くなった叔父はザ・ナターシャーセブンの高石ともやさんと友人だったそうです。
高石ともやさんの出身地が福井県の名田庄村(現在はおおい町)というところで、ナターシャーセブンはそこから名づけたと聞きました。
祇園祭の宵々山コンサートとか京都のマラソン大会に出場とか、京都とはけっこうご縁がある人でした。

受験生のブルースとか思い出の赤いヤッケとか良く聞いてました。
そうそう、KBS京都の深夜ラジオも毎週聞いてましたっけ。

名田庄村には鯖街道とも呼ばれた周山街道(国道162号線)が通っていて、高校の時に原付でツーリングで通ったことがありますが、まあ普通の田舎でした。
後になって安倍清明の子孫が移り住んだと聞いて、へえと思いました。
なにもかもみな懐かしい…
こちらも一日雨でした (フォークの人)
2017-07-23 18:43:19
 記録的豪雨、新しく記録計が設置されるとそこから記録が始まるから近年記録的豪雨などがやたら出てくる。
 それでも大雨に見舞われた、雄物川流域大丈夫だろうか?顔が見えるとやたら気になる。

 台湾の故宮博物館に行ったときに玉で作った白菜をみたけど、宝石で野菜作っちゃう感性ってすごいと思った。

 ヨーロッパやUSAではおばちゃん達がぼろきれ持って集まってキルトを作っているのを見かけたけど、それぞれ感性が違うから繁華街のような猥雑で面白いものができる。

 子供の頃、ぼろきれ集めて今でいううところのキルトの半纏を作ってもらったことがある。その頃、ゲゲゲの鬼太郎がテレビに出てきて鬼太郎のちゃんちゃんこみたいでお気に入りでした。

 昨年の京都に行ったとき、三次会の後セツさんに連れて行ってもらった木屋町の文壇バーでもうちょっと待っていれば「受験生ブルース」の中川五郎さんに会えたのですが。

 高校生の時にナターシャセブンのレコードに出会い、京都を舞台にした「街」と言う歌が好きでした。
 「想い出の赤いヤッケ」は私の最初の大学のスキー部の歌で、山岳部でもよく歌われていました。
 ナターシャセブンのベーシストで、「神田川」のアレンジをした木田たかすけさんが秩父方面で交通事故で亡くなったのは1980年の連休明けでした。

 坂庭省吾さんにはこちらの温泉の露天風呂であったことがあります。はしだのりひことクライマックスの「花嫁」のギターを弾いた人ですね。 

 名田庄村付近は林業の研修に行ったことがあります。どうやって食っているんだろう?と不思議なくらい林業しな産業がなさそうな土地でしたが、峠を越えて京都北部に入り、スギの山を眺めながら都市部に入り込みました。

 受験生の頃は毎晩11時からABCヤングリクエストと言う番組を聞いていて、キリンヤングスタジオに出演したこともありました。

 懐かしいですねぇ。

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