のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

雨が降ったから考えてみた

2017年05月13日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝から一日雨でした。予定されていた地区の道路清掃は中止、明日の薬師様のお祭りの準備もできず、明日の早朝にお祭りの準備になりました。

 雨が降らなければ忠霊塔の掃除もやったのですが、明日、お祭りの準備とまとめてやることになりそうです。

 とりあえず屋内でできる準備は公民館で用意しました。この5月連休に道後温泉に行ってきたおっさんと「永遠の0」の話をしました。第7章だったかな、この小説の中に神風特攻の第一号として散華した関行男大尉のことが書かれていますが、「関行男って実在した人物だったんだぜ。」と自慢そうに語り始めました。

 道後温泉のお風呂で出会った観光客に関大尉の話を聞いて、この土地の人だと知ったそうです。

 むか~し関大尉の母親をモチーフにしたテレビドラマだったか映画があって、山本陽子だったと思うけど主演したドラマを見たことがあります。一人息子を特攻で失い、軍神の母とたたえられながらも戦争が終わった途端に周囲が手のひらを返したように冷たくなり意思を投げつけられ、ドラマの中ではこの母親は行商をしながら細々と生活し、最後は行商の道の途中で休みながら亡くなってしまうストーリーでした。

 母子家庭でたった一人の息子を特攻で失い、悲しむこともできず「軍神の母」と周囲に持ち上げられることに戸惑い、やがて終戦。今度は「あんたの息子のせいで私の子供が死んだんだ」とか「戦争をあおった犯罪者」とかまた勝手に周辺の人々に叩かれ、住む家も追い出され、知人宅に匿ってもらう生活を強いられたドラマで、無責任な「周囲の人間」に怒りを覚えた記憶があります。

 「周囲の人間」の成れの果てがマスコミで、当事者に憑依したがる悪辣な連中。

 百田尚樹さんも無神経なところがあるので、「永遠の0」の中では関親子はあまり良い書かれ方をしていなかったのが気になっていました。

 城山三郎の「指揮官たちの特攻」に関行男と母親のサカエさんのことが出ており、用務員をしながら亡くなった関サカエさんの終焉の地、石鎚山の麓の村を訪ねたことがあります。そんなわけで、このおっさんよりはるかに詳しく知っていますが、そこは知らないふりをして「そうなんですか。初耳です。」と感動体験をうかがいました。

 「指揮官たちの特攻」では、特攻で散華した方々には墓を作ることも許されなかったというのが終戦直後の社会情勢で、当時の世論は特攻隊を犬死に扱いをしたかったようです。

 関行男大尉の場合唯一の肉親の母親が亡くなって遺族のない状態になり、墓が建てられたのが昭和50年代。旧海軍の生き残りたちが建てたそうです。確かこの時に特攻隊の海の親の源田実が尽力したとかで、四国の神社にかつて軍神と呼ばれた兵士のお墓を建てたことが騒がれた記憶があります。

 靖国問題はなかったけれど、戦死された方々を祀ることにはまだ抵抗があった時代だったような気がします。むしろ現代の方が抵抗がないんじゃなかろうか?記憶が薄れたり当事者たちが鬼籍に入ったこともありますが、敗戦価値観の人たちの歪んだ声が受け入れられなくなったのか化けの皮がはがれたのか、だんだんまともな国になっているような気がします。

 あの時代の世論がおかしな若者を育み、今日も尾を引く「自己愛」の塊をのさばらしたのでしょう。とはいえ、ことさら特攻隊を美化することも好ましいとは思えません。ただ、こうした方々を踏み台にして今の我々があることを感謝せねばならないとは思っています。

 忠霊塔の掃除をしてお参りできるということは幸福なことで、祀る側にはなりたいが祀られる側には「ちょっとご勘弁を」ですね。

 明日はしっかりお参りしておこう。

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