60代の先輩と北朝鮮の話になりました。この先輩の近所に同年代の朝鮮人がおり、一緒に悪さをする仲良しだったそうです。昭和30年代になり北朝鮮への帰還事業が華やかな時代、このワル仲間の一家も北朝鮮へ渡ったそうです。
この先輩よりも良い暮らしをしていた一家だったそうですが、先行きもよく見えない日本を出て海の向こうに行く一家を「うらやましい」と言う思いで見送ったそうです。都会へ出ることもままならず、。「なんで日本人なんかに生まれたんだろう?」と、この土地で一生を終えなければならない自分の境遇が情けなく思えたそうです。
「帰還事業って言ったって、あんなものはだまし討ちもいいところだったんだよな。別に日本人と軋轢がある一家でもなかったし、奴は頭も人柄も良かったから、あのまま日本にいれば立派な人間になっていたと思うよ。今頃どうしているかな?生きちゃいないと思うけど。」
当時の写真を見せてもらいましたが、昭和30年代の子供達の姿たるや、どこの国?この子たち難民?この服つぎはぎ?パッチワーク?と問わずにいられない姿でした。
あの時代は日本にいるよりも北朝鮮に行ったほうが幸せに思えたのでしょうが、北朝鮮に限らず中米、南米にまでチャンスを求めて移り住んだ人がたくさんいた時代でもありました。私の親戚にもブラジルやアルゼンチンに移民した人たちがいます。
今が不景気と言っても日本を見限って国外へ出る人たちが続出するような時代になっているわけでもありません。