のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

智慧(知識)のかたち(8)

2016-03-18 | 5次元宇宙に生きる(心)

(庭に咲いた花スズランのようでかわいいです。・・・名前知りません)

 

ことばは、心の光だということが出来ます。私たちに起こっている思考をはっきりとした形で意識させてくれるのは言葉ですね。

私たちは常に、感覚と感情の中で生きています。しかし言葉がなければ、この波のような感覚を意識することが出来ないのです。

こんなドラマを見たことがあります。

幼馴染で、いつも嫌なことばかりしてくる男の子がきらいでたまらなかった女の子がいました。

いつも学校で会いますが、顔をみれば喧嘩ばかりです。

ある日彼は学校に来ませんでした。その日もその次の日も、そして病気で入院したと分かったのです。

男の子の姿を見なくなったときから、女の子の心に黒い雲のようなものが漂い始めました。通学路にあるベンチを見ると、喧嘩した彼の顔が浮かびます。あんな奴。思い出した姿に悪態をつきます。でもその悪口はいつものように返ってきません。

訳もなく苦しくなったり、いやでも男の子のことが出てきたり、あんな奴と言いながら言葉がなぜか震えているように思えたり。

毎日男の子の姿が頭の中から消えません。その姿が浮かぶと、自分の胸が痛むのを知りました。不安のような、悲しみのような、懺悔のような、願いのような、不確かな気分が女の子の心を一杯にしてしまいます。

そんな感情の波にもまれながら、女の子はふと思い出します。

男の子が野に咲く花を摘んできて、女の子の髪にさしてくれた日のことを。女の子はばかにされたと思いました。頭から花をむしりとると、男の子に向かって投げつけたのです。

「ごめん」ということばが、頭の中に浮かびました。するとその瞬間に「私のために」という言葉が意識されたのです。

すると、「心配」ということばが、女の子のもやもやした気分にはっきり意味を与えてくれました。つかみどころのなかった感情に光があたったのです。

「私は心配している」「なぜ?」

ことばが少しずつ、自分の気持ちに気付かせて行きます。

「好き」

女の子は驚きます。今までそんな言葉を思ったことはありませんでした。でも今、その言葉がやってきたのです。そのことばは、今までのあいまいな感情をすべて残らず、愛という意味に変えてくれたのです。

このように、ことばは、私たちの心に、意味を与えてくれます。それがことばの持っている力といえばいいでしょうか。

しかしこれはいいことばかりではありません。

社会不安を、言葉で他民族迫害に意味づける悲劇はどこにでも見られますし、救済という言葉で人殺しを意味づける事件もありました。

何故こんなことが起こるのでしょうか。

それは「ことば」が、人間が独自で創り上げたものだから、というしかないでしょう。

その意味で、「ことば」は人間が、自然の摂理から離れて独り立ちした証しなのです。そのために、自然の摂理から一切の助言もなく、自らの能力だけで世界を理解し、正義を考えださなければならないのです。

成功もあれば失敗もある。しかしいずれにしても、それが正しいかどうかの答は「ことば」を探ってみても本当の意味では見つからないでしょう。

なぜなら「ことば」は、それ自身が、真実を指し示す道具でしかないからです。恣意的であれ無意識であれ、同じ言葉を、別の真実を指す言葉とし利用することは日常に起こっていることですね。

迷いが出れば、そのまま「ことば」に現われます。価値が乱立して、社会は自ら発明した「ことば」によって混乱をきたす恐れを常にはらんでいるわけですね。

その恐ろしさを私たちは知る必要があります。

図を見てください。人間に起こっている思考の中で、わずか数パーセントの理念思考が、「ことば」で私たちを支配する。これがヒトの心の実体なのです。

私たちは「ことば」を学ばなくてはなりません。

それは言葉の数を増やすという意味ではなく、「ことば」の持っている本当の意味を深く理解するということです。真実を見抜く力が必要なのです。

 

 

 

 

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