のしてんてん ハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

スケールについて(3)

2016-10-01 | 5次元宇宙に生きる(一人旅通信)

(画像はgooお絵かきソフトによるCG画、残念ながら、今はPCのバージョンが変わって使えなくなりました。)

 

 どうやら私だけの怪奇現象(私も見たと言う声が届かないので)かなと思いつつ、自分に納得できる分析が出来るのかと思いながら、書いています。ぶっつけ本番の描き下ろし記事。 不備、不適切のある場合は、平にお許し願います。

 はじめて読まれる方は、2日遡って スケールについて からお読みくださると詳細がわかります。

 

 さて、私の体験した手のひらサイズ生フィギア不思議現象ですが、どんな説明が出来るのか、一晩考えてみました。

 まず、この現象に一番近いのは、何度も沖縄発 ウエディングプランナー) からお借りした写真です。

「遠近法写真」で検索すると、たくさんの面白い作品を観ることが出来ます。横道ですが、これだけでも結構楽しめます。アッという意外性が心地よいのです。

ところでこの写真をよく見てください。見事に男性が女性の手のひらに乗っていますね。

私の体験とよく似ています。これがビデオだったら、向こうの男性が、まさに生フィギアのように見えることでしょう。そうなると、ほぼ完璧に、私の怪奇現象が再現されます。

 ところで、別に細工をしたもう一枚を並べてみました。男性と女性の間の空間をよく見てください。明らかに空間の変化が起こっていますね。

 細工前の写真では、花をささげた男性の空間は手前に引き寄せられて、そのまままっすぐ進むと女性の顔にキスも出来る場所にいますね。

 しかし細工した方はどうでしょう、男性が前に進むと、女性のはるか向こうを通り過ぎていきます。そして、これが実際の二人の位置関係ですね。

 この正しい関係を壊して、男性を女性の手のひらに引き寄せているのは、女性の手の形に他なりません。これは私たちの認識のからくりを教えてくれています。


もう一つ、中学で習った授業を思い出します。

鏡に映った自分を見るときのからくりを覚えていますか。鏡に映った自分の姿は常に自分の半分の大きさなのです。

実際に、自分の背丈の半分の鏡があれば、私たちは自分の全身を写すことが出来る訳ですが、

この時、私たちはけっして、鏡に写った自分を半分の大きさだとは思いませんね。上の作図はその鏡の見せる虚像を表した図なのです。


つまり私たちの認識は、実際に見えている像をそのまま認めているのではなくて、それを己の大きさに修正して認識している訳ですね。

無意識に頭脳が働いて、己との比率が1となる関係に修正して認識しているというのは、これでわかりますね。

この認識は、自分のまわりを認識する際にも働いています。

たとえば、演台で講義している教授の姿を、階段教室の中ほどで見ると、教授は、実際には写真の男性のように小さく見えているはずですね。

しかしそこで、遠近法が働いて、離れている人の姿を観ても、小さいまま認識するのではなく、自分と同じスケールに修正して認識するわけですね。

ややこしい言い回しをしていますが、とにかく見えるものはみな、自分のスケールに修正して認識しているのです。

注意して、眼に入る人の姿を確認したらすぐにわかります。ためしてみて下さい、わずか数メートル離れた人を見ても、自分の手のひらに乗るほどの大きさに見えているでしょう。

大きい人、小さな人という認識も、無意識に自分の大きさを1として比較認識した結果なのです。

 

 ということは、私の怪奇現象は、何らかの原因で、この修正能力がマヒしたまま教授を認識した可能性があります。つまり、実際に見えている大きさを、頭脳が修正出来ずに認識した結果だという訳です。

 上の写真では、女性のかざした手の形が強くて、本来修正すべき頭脳のはたらきに混乱が生まれ、遠近感が消えてしまったわけですが、

 私の怪奇現象は、その逆で、教授の周りの風景が影響したわけではなく、頭脳のはたらきである遠近法そのものがマヒした結果だったのです。

 頭脳のマヒで、実際に見えている大きさが、実物だと認識した結果、生フィギア状態になった教授に奇妙な現実感があったのだと考えられます。

 

 あらためて、当時のことを思い出してみますと、私の意識はその時、完全に教授一人に向けられていました。

 つまり、教授の立っている教壇や背景の黒板などは意識から外れてしまい、認識できていなかったように思います。

 飛び切りの美男美女の前に立つと、眼を奪われて周りが見えなくなるのと同じです。

 確かに、小さくなっていく教授の姿に気付くと、私は教授の姿に釘付けになりました。その時私は教授しか見ていなかった。

 教授の大きさを特定するためのスケールの基準を失ったまま教授を見続けたわけですね。

 スケールの基準というのは、云うまでもなく、授受を取り巻く黒板や演台などです。

 

 結局、あの怪奇現象は、認識の仕組みが引きおこしたと言えます。遠近法を失い、さらに比較法も失った私が見たもの。それが生フィギアのおしゃべりだった訳です。

 

 もっと言えば、教授の周りの風景が意識から消え、比較法が消えたと言いましたが、そんな状況で見た教授の姿を、私は自分との対比で認識したわけです。

 

 遠近法、比較法、対比法。

 これは私が勝手にこの記事で使った言葉です。その説明をする時間がありませんので、次回、スケールについてまとめを書いてみたいと思います。

 

(つづく)

 


 

                  



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2 コメント

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ズッコケまかこ力 (真鹿子(まかこ))
2016-10-02 09:33:42
のしてんてんさま、

おはようございます!


トンチンカンまかこ力は
トンチンカンまかこ力であると同時に
ずてんとずっこける
ズッコケまかこ力でもありそうで^す^が、

トンチンカンまかことしましては、
遠近とか遠近感、このことばの響きが
なんとなくトンチンカンと似ているので
妙に引かれるのですけれど、


例えば、
お月様には月姫が
地球には地球王子が
いましたとさ♪

お月様の月姫と
地球の地球王子は、
いつも見つめ合い
恋愛波動を放ち合いながら
超長遠距離恋愛を育んでいました。

そしていよいよついに、
地球王子は月姫に
求婚波動を放ちました。

けれどもやはり距離の問題で
共に暮らすことができません。


そこでトンチンカンまかこは、
どうすればよいのかと、
トンチンカン思案をしながら
トンチンカン波動を放ちますと
トンチンカン周波数に同調する
遠近感(エンキンカン)が接近


地球の地球王子が、
お月様の月姫を見上げている状態の
二次元画像が想定されます。

この二次元画像では
月姫と地球王子の間には
距離というものがまったくなくり、
月姫と地球王子は向かい合ったまま
一点にたたずんでいる状態
三次元が二次元変換されている状態です。


この状態のこの一点に変換パワーをシフトして
月方向へ再び三次元変換を行うと
地球王子はあたかも瞬間移動したかのように
お月様の月姫と抱き合っていて、
月姫と地球王子はいつまでも
仲むつまじく暮らしましたとさ☆♪


まさしくテレポーテーション的出来事
これらの次元間飛躍変換!
三次元からの二次元変換
二次元からの三次元変換は
一瞬のうちに行われました。


この瞬間は、
トンチンカンまかこ力が
ズッコケまかこ力に変換される
瞬間でもありますが、
いかがでアンすか ^ ^;;


けれどもわたくしは、
この無限次元界
やがて、次元の変換は
行われるようになると
こころ秘かに信じていま^す^;;
まかこさんこんばんわ (のしてんてん)
2016-10-02 20:51:37
月姫と地球王子の長距離恋愛ですね。

織姫と彦星は年に一回、天の川を渡っての逢瀬で、いつまでも純愛を保ち続けているとか。しょっちゅう逢えないのは、それはそれでいいようです。

月姫と地球王子にもせめて年に一度は逢わせてやりたい親心。

まかこさん計画では、次元変換のご提案。

難しいのは、二次元変換から再び三次元変換の際に、方向を定めるところでしょうか。
正しく方向を見極めて、行ってください^ネ^

せっかくですから、のしてんてん計画も提案させて下さい。

私なら、無次元を利用させてもらいます。

そもそも世界はまかこさんもおっしゃる通り、無次元なので、人間がつくり出した便宜上の次元はこの際無視したいと思います。

月姫と地球王子は互いに思いあって、無次元の中に入ってもらいます。

すると無次元世界は、瞬間唯一同恨一神体ですので、ふたりの愛が真実ならば自然にめぐりあい、無次元愛に目覚めるのです。

ただし、ふたりの間に、よこしまな心が混ざっている場合、ふたりは方向を失い無次元宇宙を永遠にさまようことになります。

そんなリスクがありますので、一長一短です。
まかこさん計画で行くか、のしてんてん計画で行くのかは、ふたりで決めてもらうしかありません^ね^


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