のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

「浄土」苦楽

2014-01-18 | 組作品「浄土」

己を穿つ。それがのしてんてん絵画の進む道だと思い定めて、浄光寺の奉讃会に行き着いた。

それが日程のことで、御住職に思わぬ難儀を振り掛けてしまった。

電話の向こうの御住職の声がいつまでも頭に残り続けて、心が曇ったままだ。

心が曇ると、苦悩が生まれる。心のエネルギーが行き場を失い自我の中で淀み苦しくなるのだ。この苦しみはどこから来るのだろうか。

数日私はその根っこを探し続けた。

そのためには苦悩の中にいなくてはならない。

そしてそのためには苦悩を丸ごと受け入れなければならないのだ。

やってくる苦悩を、そのまま空気のように受け入れ、嫌がらず恐れず、愛しい赤子の匂いを嗅ぐように苦悩と一体になる。

するとその先にぼんやりと、苦悩の根っこが見えてくる。

そこに個展という言葉があった。

40年近く個展活動を続けてきた。絵を見てもらいたいという思いの裏に、来場者が誰もいないという恐れがあった。誰にも顧みられない。最低の芸術家だと思われる。そんな恐れは私自身が見たくもない。意識的に隠された自我というしかない。

個展という言葉の裏にそんなものが見えてきた。

苦悩の原因は他の何ものでもない、個展と名づけられた自我そのものなのだ。

そう思い至ったとき、私は驚きよりも喜びが闇を貫く光のように、全身に広がるのを覚えた。

その光こそ本願だったのだ。

本願に行き着いた。そう言っていい。

 

 

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