北ユーラシアの歴史
貂主の国
海と宝のノマド
2007-11-13 / 書籍
アイヌの歴史―海と宝のノマド (講談社選書メチエ 401)瀬川 拓郎講談社このアイテムの詳細を見る |
「アイヌ・エコシステムの考古学」の瀬川氏の新刊。
前著でも地に足の着いた考古学的な成果から説き起こされる
アイヌの歴史には感嘆したものでしたが、今回は新書でありながら
さらに一歩先に進んだ内容になってます。お奨め。一家に一冊。
内容もさることながら、そのスタンスが私なんかにとっては
非常に共感するところで、この貂主の国でもまさに目指したい
(レベルが月とスッポンですが)方向です。
序文からいくつか引用させていただきます。
「北の狩猟採集民アイヌは、縄文文化であゆみを止めてしまった人びと、
つまり縄文人の生きた化石だったわけではない。本州の人びとが
農耕社会に踏み出し、激変の歴史をあゆんできたように、
北の狩猟採集民の社会もまた、あゆみこそ異なるものの変容し、
複雑化し、矛盾は拡大してきた。かれらはその歴史のなかを
したたかに生き抜いてきたのだ。」
「本書では、周縁・辺境を相対化するため、日本という「文明」にむけて、
「自然」の一部として未開視されてきたアイヌを「文明」として
突き返す作業を試みたいとおもう。つまり、エコロジカルなアイヌ像ではなく、
宝を求めて異文化と交流しながら、激動の世界をしたたかに生き抜いてきた
アイヌの歴史を提示したい。」
「このことは、アイヌの歴史に自然との共生を学ぼうとする態度を
否定するものではない。しかし、多くの場合それは裏づけを欠き、
「自然」破壊を進めてきた「文明」の贖罪意識や、アイヌを「自然」の
一部とみなすことで侵略を正当化してきた「文明」の贖罪意識といったものが
一体になった心情論でしかないようにみえる。」
「いずれにせよ北の狩猟採集民の社会は、国家になりそこねたのではなく、
農耕をうけいれる忍耐力と組織力を欠いていたわけでもなかった。
かれらは私たちの後方で立ち止まっていたのではなく、私たちとは
異なる道をあゆんできたのだ。そしてかれらは「自然」の一部だったのではなく、
その歴史は私たちと同じ側にある―本書が示そうとするのは、このことだ。」
アイヌの部分を北ユーラシアの諸民族に入れ替えてもまったく
そのままいけますね。この序文を読んだ時点で即座に購入を決定しました。
熱烈に。
#手前味噌ですが、うちのサイトの序文なんぞを。
貂主の国とは?
目次:
第1章 アイヌ文化のなりたち―北の縄文から近世
第2章 格差社会の誕生―宝と不平等
第3章 「サケの民」の成立―交易品を推理する1
第4章 ワシ羽をもとめる人びと―交易品を推理する2
第5章 侵略する北の狩猟採集民―オホーツク文化との関係
第6章 境界をみる―「日本」文化との関係
第7章 アイヌ・エコシステムの世界―交易と世界観の転換
どんな中身かちょっと見てみたいという方は(安いんだから買いなさい
と言う話はおいといて)、下記のページから瀬川氏の論文を拾い読みすると
よいかもしれません。買いたくなりますよ?
http://www.chikyu.ac.jp/sociosys/seika.html
コメント ( 7 ) | Trackback ( 0 )
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・・・というか、良い勉強させてもらってます。
さっき白主土城のとこまできて、「北東アジア交流史研究」読んでなのを思い出しました。
さて、どうしよう・・・
白主土城、現地に行きたいですねぇ・・・
最初にこれを読んでからアイヌの歴史、東北日本の歴史、さらには北ユーラシアの歴史に踏み込むことを考えるとかなりよいのではないかと思います。
北ユーラシアを扱いながらもこのサイトでアイヌを取り上げることがほとんどなかったのは、どうしても何らかの「色」がつきやすい存在だったから、というのがあります。
表現は妥当でないかもしれませんが、他の北ユーラシア関係の文献と照合するに際して見ている角度にずれがない、という気がします。本の一章とか論文とか、専門書であればいくらでもあるかなと思いますが、新書でかつ最近の考古学的知見(青苗文化とか)も盛り込まれていてこのスタンスとなると、これはお奨めでよいかなと。
明後日の史学会大会の研究発表、聞きに行かれますか?
明日は某湾岸方面に別件があり、残念ながらそちらに行きます。
取り急ぎ。