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【談話】小沢一郎代表

2015年06月12日 | 日記
安保関連法案審議の本質について(談話)

憲法・国連憲章・日米安保条約の三位一体で日本と世界の平和を実現する



2015年6月11日

生活の党と山本太郎となかまたち
代表 小沢一郎



論理的な説明が一切ない安倍首相の答弁

安全保障関連法案は、5月26日に衆議院本会議で趣旨説明・質疑が行われ、翌27日から特別委員会で質疑が始まりました。昨年7月の新たな安全保障法制の整備に関する閣議決定以来、ことあるごとに指摘してきましたが、安倍首相は、なぜ今このような安全保障法制が必要なのか、論理的な説明を全くしていません。法案が国会に提出され、質疑に入った現在も同様です。なぜならば、安倍首相が自分の本音を隠しながら、うわべの言葉でごまかして何とか国会を乗り切ろうとしているからです。

憲法第9条1項の議論を徹底的にすべき

日本の安全保障を考えるに当たっては、日本国憲法を守っていくのかどうかが一番大きな問題です。特に、憲法第9条に規定されている戦争の放棄をどう解釈するかが重要です。第9条1項は、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定しています。この規定は、日本の安全に直接関係のない国際紛争を解決する手段としては、個別的であれ集団的であれ自衛権の行使はしないということです。安全保障関連法案も、まずこの憲法の本質をきちんと踏まえて徹底的に議論すべきです。

ところが、今回の法案は、4月27日に18年ぶりに改訂された日米防衛協力のための指針(ガイドライン)を追随するものであり、周辺事態の概念をなくしたばかりでなく、日本以外の国に対する武力攻撃への対処行動についても取り決めたガイドラインと相まって、日米は世界中どこでも共同軍事行動をとれるようになっています。これではまさに、国際紛争解決のために、日本が武力の行使を伴う活動をしてもよいことになってしまい、明白な憲法違反です。

憲法を完全に無視した安倍政権の安全保障政策

安倍首相の本音は恐らく、解釈変更により事実上の憲法第9条の改正を行い、いろいろな条件はあっても、時の内閣の判断で自衛隊を自由に海外に派遣できるようにしたいのだと思います。しかし、安倍首相が今回の法案でできるようにしようとしていることは、憲法を改正して初めてできるのであり、そうしたいのならば、堂々と「憲法第9条1項はもう時代遅れだから改正すべきだ」と主張し、国民の審判を仰ぐべきです。

安倍首相は憲法改正を正面から主張するのではなく、憲法の解釈をねじ曲げ、それに基づく法案を国会に提出し、言葉遊びのような空虚な答弁を繰り返しているため、国民には意味不明な議論になっているのだと思います。当然のことながら、このような手法で為政者が国民を欺くことは、断じて許されることではありませんし、国の針路を誤らせ国民を危険にさらすものです。

自衛権は自然権としてどの国も持っている

我が党の安全保障についての主張は、憲法、国連憲章、そして日米安全保障条約の3つが何ら矛盾せず、三位一体になっているという考え方が基本となっています。憲法では自衛権についての明確な規定がありません。これは、自衛権は自然権として憲法を超えて、国連憲章第51条にあるとおり、国際法上はっきりと認められている権利であり、あえて明記する必要がないからです。日本も個別的、集団的を問わず自衛権を保持しており、これを行使できます。

日本の安全に直接関係しない場合は自衛権を行使できない

しかし、無制限に自衛権を行使できるかといえば、そんなことはありません。憲法第9条第1項により、日本の安全に直接関係のない国際紛争を解決する手段として、自衛権を行使できず、①急迫不正の侵害、すなわち日本が直接攻撃を受けた場合と②現行周辺事態法にいう、放置すれば日本が攻撃を受ける可能性があるなどの日本の安全が脅かされる場合、この2つに限って日本は自衛権を行使できます。今回の法案のように日本の防衛に直接関係のない紛争のために自衛権を行使することは、憲法の改正なくして行えるものではありません。

国際紛争を解決するための行動は国連指揮下で

それでは日本が直接攻撃を受けたものではない国際紛争について、日本は国際社会とどう協調していくのか。日本は国連の決定に従い国連の行動に参加することで、世界平和を維持していくというのが、憲法の理念です。憲法前文では、国際社会の一員として国際平和に努めることが高らかに謳われており、日本が国連への加盟申請した時も、あらゆる手段をもって国連憲章に掲げられた義務を遵守することを国際的に宣言しています。

したがって、日本が国際紛争を解決するために取り得る手段は、集団的自衛権の行使ではなく、あくまでも日本国憲法の理念と国連憲章に則った国連の活動に対する貢献です。それは、国連の集団安全保障という警察的措置への参加であり、日本の「国権の発動」とはならず、憲法との整合性もとれるのです。

国連憲章と日米安全保障条約は表裏一体の関係

国連中心主義と日米同盟は矛盾するという批判がありますが、日米安保条約第5条には、日米両国による自衛権の行使は国連が必要な措置をとるまでの暫定的な性格のものであることが規定されています。つまり、日本が他国から攻撃された場合、国連が何らかの行動をとるまでの間、タイムラグが生じます。その間は日米安全保障条約に基づき、日米が共同で反撃して日本を守る。しかし、ひとたび国連で何らかの決定が下された場合は、日米ともにその決定に従って行動するというのが日米安保条約第5条です。これは国連憲章第51条と表裏一体の関係といえます。

このように憲法と国連憲章、日米安全保障条約は何ら矛盾するものではなく、三位一体のものといえます。日本は、これにより、自国の安全を守り、国際平和に貢献していくべきです。憲法の国民主権、基本的人権の尊重、そして平和主義と国際協調という四大原則はまさに人類普遍の考え方であり、このような憲法を持つ日本だからこそ、他の国以上に世界の理想達成に向けて努力していかなくてはならないと思います。



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