
たとえ持っていても、それを飲むきっかけというのは難しいと思う。
生まれた年にその年のワインをごっそり買って、節目ごとに楽しむというフランス人(ほんとか?)じゃあるまいし、そもそも自分の生まれ年のワインなんてそうそうお目にかかるものではない。
手に入れたとしてその貴重な1本を開ける「人生の節目」を、どうやって決定するのか!?
大学に合格?
いやいやまだまだ人生浅すぎる、それに未成年じゃあないか。
就職がきまった?
いやいやまだワインなんて味わえる年齢じゃない。
仕事で手柄をたてた?
いやいやまだまだこの先大きな何かがまっているかもしれない。
結婚がきまった?
え・・・・いや、きまってないし・・・・。
子供が生まれた?
それならその年のワインじゃろぉ。
それじゃあ葬式か?
って自分、飲めないじゃん。
そんなことを考えることなく、自分と同じ年のワインに巡り会い、そして味わった貴重な秋の晩。
1971 Gevrey-Chambertin
計算によりすぐその年数が分かるだろう・・・・。
もともと私が飲むものではなく、買ってきた人がとあるワイン会に持ってきたこのワイン。
得意満面でもってきたのはいいが、思いっきりぶらぶらさげて持ってきたので、オリが浮きまくり。
それはあまりにもったいないということで、近々ある買ってきたそのお方の誕生会にあけよう、ということになり、しばらくレストランに保管してもらっていたのだ。
そのお誕生会の前に偶然会った私も、たまたまお誘いを受け、行かせて頂いた。
ところで何が「得意満面」なのかというとこのワイン、フランスで買ってきたもの。
しかも空港とかそこらの酒屋とかで買ったものではない。
フランスのワイナリー、しかもブルゴーニュのボーヌというロマネやシャンベルタンの畑がある街のワイナリーで買ってきたものなのだ。
フランスワイン好きな人なら、きっと行ってみたいであろうその街。
更に!!時間がなかったから、という理由でボーヌに行くために、南仏プロバンスのアヴィニョンという街からタクシーで行ったという暴挙。
「ふ〜〜ん、タクシーで」と軽く思うことなかれ。 ぜひ地図を広げてみるべし。
東京からだと大阪、兵庫くらいまでの距離はあるのじゃなかろうか。
その道中の逸話はたくさんあるらしいのだが、私が行ったわけではないので、割愛。
とにかくありえない距離をタクシーに乗り、
あこがれのワイナリーに行き、
ワイナリーの味のある親父さんが自信を持って薦める、
ご希望の「ここで一番おいしくて古いワイン」を手に入れてきた。
そのご自慢のワインが、まさか私と同じ年とは思わず、一人でいたく感動し、うっかりトシがばれることも考えず叫んでしまった。
シャンパンで乾杯し、そのあと白、赤ワインをそれぞれを飲み、そして食事も終盤にさしかかったところで、ソムリエの手で丁寧にあけられた。
琥珀色が強く混ざったような奥深いガーネット色。
ごくごくわずかに遠くに感じるカビくささとともに、強すぎない秋の森を思わせるような香り。
味は、深いのだけれども決して重くはない、しなやかな味わいだった。
味わいで思い浮かんだのは「風の谷のナウシカ」の一場面、腐海の森の下に落ちたとき、上にある森から光とともに降ってくるきらきらとした砂(?)、あの風景。
開ける前は「飲めても一口味見程度かな」と思っていたが、さすが、本場ワイナリーで大事に保存されていたもの。
よかった、こんなにきれいに熟成されていて。
こんな味の同じ年ワインなんてきっともう2度と飲めないだろう。
実は実家のワインセラーには家族全員の生まれ年のワインが2本ずつあるのだが、私の年のものは1本しか残っていない。
たまたま1人で家で飲んでいた母が、いい気分で何も考えずに、適当に引き抜いたワインを飲んだのだ。それがたまたま私の生まれ年ワインだった。おいおい、一人でそんなの飲まないでよ。
だから私の人生の大きな記念日がやってこないのじゃなかろうか!!
果たして残りの1本があくのは、いつになるのだろう。
この貴重なワインを飲んだ翌日、買ってきたお方に会ったら「お前の生まれた年だと思って選んで買ってきたんだ」といわれたが、果たして???
だって当日は「おお〜〜、そうのかぁ〜〜」ってびっくりしてなじゃないですか。
でももしももしも、もしも本当にそうならば、と思うと、秋の夜長、月をみながらまた感動してしまうのである。
生まれた年にその年のワインをごっそり買って、節目ごとに楽しむというフランス人(ほんとか?)じゃあるまいし、そもそも自分の生まれ年のワインなんてそうそうお目にかかるものではない。
手に入れたとしてその貴重な1本を開ける「人生の節目」を、どうやって決定するのか!?
大学に合格?
いやいやまだまだ人生浅すぎる、それに未成年じゃあないか。
就職がきまった?
いやいやまだワインなんて味わえる年齢じゃない。
仕事で手柄をたてた?
いやいやまだまだこの先大きな何かがまっているかもしれない。
結婚がきまった?
え・・・・いや、きまってないし・・・・。
子供が生まれた?
それならその年のワインじゃろぉ。
それじゃあ葬式か?
って自分、飲めないじゃん。
そんなことを考えることなく、自分と同じ年のワインに巡り会い、そして味わった貴重な秋の晩。
1971 Gevrey-Chambertin
計算によりすぐその年数が分かるだろう・・・・。
もともと私が飲むものではなく、買ってきた人がとあるワイン会に持ってきたこのワイン。
得意満面でもってきたのはいいが、思いっきりぶらぶらさげて持ってきたので、オリが浮きまくり。
それはあまりにもったいないということで、近々ある買ってきたそのお方の誕生会にあけよう、ということになり、しばらくレストランに保管してもらっていたのだ。
そのお誕生会の前に偶然会った私も、たまたまお誘いを受け、行かせて頂いた。
ところで何が「得意満面」なのかというとこのワイン、フランスで買ってきたもの。
しかも空港とかそこらの酒屋とかで買ったものではない。
フランスのワイナリー、しかもブルゴーニュのボーヌというロマネやシャンベルタンの畑がある街のワイナリーで買ってきたものなのだ。
フランスワイン好きな人なら、きっと行ってみたいであろうその街。
更に!!時間がなかったから、という理由でボーヌに行くために、南仏プロバンスのアヴィニョンという街からタクシーで行ったという暴挙。
「ふ〜〜ん、タクシーで」と軽く思うことなかれ。 ぜひ地図を広げてみるべし。
東京からだと大阪、兵庫くらいまでの距離はあるのじゃなかろうか。
その道中の逸話はたくさんあるらしいのだが、私が行ったわけではないので、割愛。
とにかくありえない距離をタクシーに乗り、
あこがれのワイナリーに行き、
ワイナリーの味のある親父さんが自信を持って薦める、
ご希望の「ここで一番おいしくて古いワイン」を手に入れてきた。
そのご自慢のワインが、まさか私と同じ年とは思わず、一人でいたく感動し、うっかりトシがばれることも考えず叫んでしまった。
シャンパンで乾杯し、そのあと白、赤ワインをそれぞれを飲み、そして食事も終盤にさしかかったところで、ソムリエの手で丁寧にあけられた。
琥珀色が強く混ざったような奥深いガーネット色。
ごくごくわずかに遠くに感じるカビくささとともに、強すぎない秋の森を思わせるような香り。
味は、深いのだけれども決して重くはない、しなやかな味わいだった。
味わいで思い浮かんだのは「風の谷のナウシカ」の一場面、腐海の森の下に落ちたとき、上にある森から光とともに降ってくるきらきらとした砂(?)、あの風景。
開ける前は「飲めても一口味見程度かな」と思っていたが、さすが、本場ワイナリーで大事に保存されていたもの。
よかった、こんなにきれいに熟成されていて。
こんな味の同じ年ワインなんてきっともう2度と飲めないだろう。
実は実家のワインセラーには家族全員の生まれ年のワインが2本ずつあるのだが、私の年のものは1本しか残っていない。
たまたま1人で家で飲んでいた母が、いい気分で何も考えずに、適当に引き抜いたワインを飲んだのだ。それがたまたま私の生まれ年ワインだった。おいおい、一人でそんなの飲まないでよ。
だから私の人生の大きな記念日がやってこないのじゃなかろうか!!
果たして残りの1本があくのは、いつになるのだろう。
この貴重なワインを飲んだ翌日、買ってきたお方に会ったら「お前の生まれた年だと思って選んで買ってきたんだ」といわれたが、果たして???
だって当日は「おお〜〜、そうのかぁ〜〜」ってびっくりしてなじゃないですか。
でももしももしも、もしも本当にそうならば、と思うと、秋の夜長、月をみながらまた感動してしまうのである。










