明日劔に

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論語は難しい

2010年12月16日 11時06分43秒 | ありのまま感じたこと
孔子曰、知者楽水。この言葉は、見識ある人は艱難(苦境)陥っても崩れず、むしろそれを楽しむくらいの気持ちの余裕を持っている、という意味です。

この言葉、そのように訳したとしてもいったい何を言っているのか。その真髄は分かりません。これは易経を学んだ孔子ならではの言葉です。

水とは易の卦でいう「坎為水」。坎険、穴に陥ることを意味します。この時に際して憂慮してうろたえると、冷静な判断力がなくなり苦難から脱却できなくなることを教えています。楽しむとは現在の意味で言う「楽しむ」ではなく、天命、天から与えられた苦しみと知って逃げずに受け入れなさいという意味を含んでいると私は解釈します。

易を勉強していると漢字の意味によくつまづきます。そういう時は、漢字の持つ元来の意味成り立ちを調べる必要があります。特に古代の漢字には天つまり神様や呪術との繋がりの意味を含んでいるものが多いことに気づきます。人と神様(天)との繋がりの中で生じたものであれば、そこには神様の意思、天命を素直に受け入れなさいというメッセージがあります。

論語読みの論語知らず、という言葉があります。論語をいかに読んだと言っても実に読み方を誤っていたり、理解不足であったりすることを戒めている言葉です。

つい最近もある有名なジャーナリストがこんな言葉を引用し、政治のことを話していました。

「子日、民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず」。

人民は政治のことがよく分からない。その実情を知らせようとしてもなかなか上手くいくものではない。だからこの人ならついて行こうという仁徳の政治を行うことが理想なのだ、と解釈します。

これをよく誤って引用する方が多い。人民は愚かだから政治の内容を知らせてはいけない、という解釈です。よく考えてみると孔子がこんな言葉を発する事はありえません。少なくとも孔子は易経を編纂したと言われている聖人です。そのことを考えると孔子は相当に人間通であり、また天地自然の法則を理解していた人物です。ですからこのような浅はかなことを言うはずがありません。このように論語を解釈する人は、孔子という人物をよく知らない人でしょう。

論語の文章はよく引用されますが、漢文の中でも一番難しいと私は思っています。非常に短いセンテンスですが、内容が深いだけに解釈が難しい。その上漢字の意味が現在の意味と同じではないものが多く、また読み下しの仕方を誤ると全く異なった意味になってしまうこともあります。

論語は簡単に口語訳できるものではありません。現実に誤って引用している学者や著名人が少なくありません。権威のある岩波文庫でさえも、不十分な解釈と思えるところがあります。論語を読むにはまず漢字一つ一つが当時どのような意味を持って使われていたかを調べる必要があります。

そして避けて通れないのが易経です。易経は孔子のような聖人に限らず、すべての知識人が教科書として熟読しなければならない経典でした。ですから論語を読むには易経を理解しておくことも必要です。

おそらく現在のあらゆる口語訳を孔子本人が読んだとしたら、こう言うかも知れません。私の言ったことが随分今の時代に都合よく解釈されてるなあ、と。

聖人は自ら本を書きません。弟子に直接語って聞かせる手法を取ります。これは師から弟子への教育のあり方を示しているのではないでしょうか。教育は直接その弟子たちに話し語って悟らせる。これなくして本意は伝わらないということでしょう。だから孔子は常にじっくり考えさせるような言葉を弟子たちに語っていたのではないでしょうか。