元ベース弾きの田舎暮らしは

60歳で田舎にUターン、素人の「米と野菜」作り
音楽が縦軸の人生
就職相談・紹介が「天職」

作曲家「保科洋先生」ご夫妻と会いました

2016年11月12日 | 作曲家 保科洋
先週 コンサートで作曲家&指揮者の保科先生ご夫妻とお会いしました。

岡山イオンモールに「おぎゃー献金演奏会」を聴きに行ったのです。
このコンサートを指揮したのが保科先生。歌ったのが奥様です。
この企画を立てたのが、元岡大オケの仲間の産科医。

コンサートが終わって、控室に先生ご夫妻を訪ねました。
気さくに話かけられるのがご夫妻の人柄。お二人とも元気です。
奥様には、いつも私の母親の病状を気にかけてもらいます。
久しぶりにお話ができて良かった秋の日の午後。

演奏はレベルの高いものでしたが、天井の反射板がなく、管楽器も弦と同じフロアの高さ。
音が前に出てこず、こもった感じです。残響もなく乾いた感じ。
指揮者や演奏者にとっては、条件の悪い会場。 
演奏会の専用会場ではなく、多目的のホールのためかもしれません。

奥様が序曲と交響曲の間に、歌われたのが童謡。
合唱団の指導しているためか、曲説明などの喋りと歌の「二刀流」。さすがです。

控室で、「珍しい人」と出会いました。
元N響のバイオリニストの金田さん。東京でお会いしてから10年ぶり。
今はN響団友会の事務局長。今日は演奏会のメンバー。
学生時代、協奏曲のソリストを依頼してから、もう50年。



演奏会のために電車で岡山に出かけました。
その車中で、偶然 学生時代の先輩に出会いました。
同じ高校出身で、先輩はチェロ、私はコントラバス。低弦仲間です。
1時間隣に座って、近況報告。懐かしい「想い」で一杯。

今でも岡山交響楽団でチェロを弾いているとか。
12月4日の定期演奏会に出演とのこと、聴きに行く約束を。
曲目は、私の好きな ショスタコーヴィッチの交響曲5番。

このオケの指揮者が私の後輩。ホルンの名手。工学部出身の変わり種。
保科先生の薫陶を受けた仲間です。
同じ町内出身と知ったのはずいぶん後のことでした。

音楽を通じて交流の仲間は「宝物」。
50年経っても、色褪せずに活き活きと感動を復元。
私の人生の「縦糸」が音楽だったことを再認識しました。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 地震と「丹波の黒さや」&「... | トップ | 悲しい知らせ&コンサート »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

作曲家 保科洋」カテゴリの最新記事