たすくの空中散歩

相沢たすくのライブ情報や、農作業や
日々の一喜一憂を記録していきます。

房総のむら〜わらじづくり体験

2012年02月10日 22時04分20秒 | 一喜一憂

農閑期といえば欠かせないのが「わら仕事」!!
と、いうわけで今度は、わらじづくりを教えてもらいに、ず〜っと行きたかった体験型博物館『房総のむら』に行ってきました。


↑クリックで拡大

房総のむらは、千葉の印旛郡栄町にあって今年で25周年。
現在「千葉」と呼ばれている場所に、何千年、何万年も前から暮らしてきた人類の衣食住を復元して、体験しながら辿っていくという、果てしなく素晴らしい博物館です。
こんな、今の僕のためにあるかのような場所が、家から車で30分ほどのところにあるなんて、つい最近まで知らずにいたのでびっくりでした。

受付を抜けて、しばらく歩くと…


うぉー!!かやぶきー!しかも畑付きー!!


うぎゃー!!風流ー!!


「上総の農家」。千葉は江戸時代まで「上総(かずさ)」「下総(しもうさ)」「安房(あわ)」と呼ばれていて、それぞれの土地の江戸末期の農家が再現されています。



こちらがわらじづくりをした「安房の農家」。うそみたいですが、これらの建物はみんな平成生まれなんです。
建築のことはわかりませんが、この仕事に携わった人たちに深く深く敬意です。


中はこんな感じです。住みたいー!!


正直来るまで「わらじ」と「わらぞうり」の区別もついていませんでした。
わらじはかかとまで囲って足首で結ぶ紐までついた今でいう靴のようなもので、わらぞうりは鼻緒だけのサンダルです。長旅や野良仕事には断然「わらじ」の出番のようです。


なんと、定員は一日2名!先生が2人で、マンツーマンです!
わらじ作りは小学校の時やったのですが、ほとんど覚えていません(^_^;)
ほんとは6mのわら縄を綯(な)う作業からなのですが、それは完成品が用意されていました。
な〜んだ、と思っていたら、後々そのありがたみを骨の髄まで知ることになります…。


一時間のお昼休憩で、日なたでおにぎり食べつつ周囲を散策。
安房の農家を出たところは一面麦畑!!
他にもそこらじゅうに畑や水田や、果樹園まであります。武家屋敷のお庭にまで、かわいらしい畑がありました。
作物を育てるのも、消費するのも体験講座の一部。ここで作ってここで使います。


かやぶき屋根を張り替えて(?)いました!


水車小屋発見!!もちろん実働中!


中身です。普段はこの石臼(写真左)での粉挽きもみれるそうです。
放っておけば粉を挽いてくれたり、もみすりをしてくれたりする水車のありがたみは、実際に自給生活をしてみるまでは知る由もありませんでした。


さて、午後の部開始です。少しわらじらしくなってきました。
そして、問題の藁を綯う作業で大苦戦!先生方はひょいひょいスルスルと、まるで魔法のように縄ができていきます。これは是非マスターしたい!


無事完成でーす!素敵なおみやげできました。
作っている時の写真が少ないですが、教わりながらなのでご容赦を。
今度は自分たちだけでできるようになって、作り方をUPできたらいいなと思っています。


終了後、少し時間があったので周囲を散策していると竪穴式住居を発見!!中にも入れます。
古墳時代と弥生時代のがありましたが、何百年間もほとんど変わりないことに驚きます。


商家の町並み!
房総のむらは映画でも度々ロケ地になります。最近では「坂の上の雲」もやったそうです。

←クリックで少し拡大
房総のむらでは連日様々な体験講座や実演見学を実施中! 
こんな時代だからこそ、消費電力0kwのご先祖さまの暮らしぶりに学ぶべきものがあるはずです。

お近くの方は是非! →体験博物館『房総のむら』http://www.chiba-muse.or.jp/MURA/

*お近くでない方は、とりあえずこちらの文明の利器をどうぞ。→Googleマップ・ストリートビュー
マップを開いたら、左上のオレンジの人を左クリックしながら見たい場所に合わせます。なんと、館内をパソコン上で歩けます。



自宅にて、かなりのホールド感!これなら走れます。そして軽くて気持ちいい!!


今回知った(てか、忘れてた)新事実!裏のボサボサがスパイク状になっていて滑り止め効果なのです。
忘れないうちに作り方を復習せねば!





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乾麺うどんづくり+ミニもちつき

2012年02月03日 07時32分07秒 | 一喜一憂

<乾麺うどんづくり>

今回は、ず〜っとやってみたかった乾麺うどんづくりに挑戦してみました。
夏に備えて農閑期のうちにたくさん乾麺を作り置きしておくのです!!


というわけで、こちらが今年穫れた小麦です。ざっと籾すりした状態
この状態では、まだもみ殻が残ったままのがあります。

穀類をやっていて、とにかくネックなのはこの「籾すり」。
今や籾すりは機械(籾すり機:回転数の違うゴムロールではさんで擦る仕組み。巨大な電気式。)でやるのが当たり前で、手作業でやっているなんていう話しはどこからも聞けず、ネットや本でも、農家の方やおじいちゃんおばあちゃんに聞いてもなかなか情報を得られず思考錯誤なのですが、一番最近編み出した方法が下の写真の布袋作戦です。


中に穀物を入れて、叩く!!もむ!!!

ようは一番原始的な「臼に入れて杵でつく」原理の応用なのですが
とりあえず小麦では革命的に効果ありで、思いついた時は文明開化かと思いました。


これを扇風機で風選別すると綺麗にもみ殻やゴミだけぶっとんでいきます


仕上げにふるいにかけて…


みごとにきれいな玄麦になりましたー!


で、結局は一粒一粒目で見て、最終的な選別をします。
一番効率の悪い方法ではありますが、一番効率の良い方法でもあります。


そうしてできた玄麦を手回し式の粉ひき機に掛けます。


一度では無理なので、ふるいにかけて残った粗い粉をもう一度、挽きます。
横のダイヤルで粗さの調節ができます。


かなりはしょってますが、小麦粉できましたー
1キロ粉にするのに粉挽きだけでも一時間はかかります

挽き上がった粉をよ〜く見てみると上の方に茶色い層ができていると思います。
これが小麦の皮の部分で、全粒粉の証です。
当然風味も栄養もぜんっぜん違います。自家製ならではの贅沢品です。

とはいえ、玄麦のうち、全部が粉になるわけではありません。
下の写真が3回挽いても粉にならなかった小麦の皮の部分。「ふすま」です。
最初にうどんをつくったときには、このふすまも全部入れて作ったら、口の中にトゲトゲ、ザラザラと、かなりヘビーな舌触りとのど越しだったので、この部分は鶏にあげて卵にしてもらうことにしました。鶏便利。


↑ふすま。だいたい総量のうちの10%くらいです。


そうしてできた粉を塩水でこねていきます。小麦粉の量に対して水は半分くらい、塩は標準だと5%くらい。
生地の様子をみて水を少しずつ加えます。


言葉では伝えにくいですが、ぼそぼそしない感じにまとまったらOKです。


こねるのには力がいるので丈夫な袋にいれて踏んづけます。これなら女性でも子供でも楽ちん。のびたら折り込んでまた何度も何度も踏んづけて、麺にコシを出します。
今回は2時間ほど寝かせて、また少しこねて、またすこしねかせてみました。映画観ながらやってたらあっと言う間でした。


そうしてできた生地を打ち粉をひいて伸ばします。今回打ち粉は実家に上新粉があったので使ってみました。


伸ばした生地を折りたたんで切ります。


切ったら麺同士がくっつかないように粉をまぶします。


うどん(生めんタイプ)完成!!
干すのを待ちきれなくて少し味見してみました。
うまい!!ツルツルシコシコです!
うどん打ちも3回目にしてかなり完成度が高くなってきました。


さて、これを天日で干しします!
…と言っても外に干して風で飛んじゃったら悲しいので出窓に干してみました。下が粉だらけ…


というわけで、次の日にはカラッカラにかわいて完成です!!!


全粒粉うどんは、ゆでるとこんな感じになります。見た目はそばみたいです。
美味しい美味しい憧れの乾麺できました!!!


<すり鉢もちつきパーティー>



あと、先日すり鉢とすりこぎを使ったミニもちつき大会をしたのですが、こちらは相方さんがすっかりUPしてくれてたのでリンク先へどうぞ→http://kotorinrin.blog83.fc2.com/blog-entry-120.html
家庭にあるもので、手軽にもちつきできるので是非お試しくださいませ!






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自然の力、生命の力、肯定の力(8)〜元素転換part.3

2012年01月19日 21時36分03秒 | 一喜一憂

これまでの記事
自然の力、生命の力、肯定の力(1)〜動的平衡part.1
自然の力、生命の力、肯定の力(2)〜動的平衡part.2
自然の力、生命の力、肯定の力(3)〜あいまいな量子part.1
自然の力、生命の力、肯定の力(4)〜あいまいな量子part.2
自然の力、生命の力、肯定の力(5)〜あいまいな量子part.3
自然の力、生命の力、肯定の力(6)〜元素転換part.1
自然の力、生命の力、肯定の力(7)〜元素転換part.2

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<科学的証明とは?>

科学的に証明されているか否か、これは現代においてそれが「事実であるかどうか」を示す、最も一般的な方法となっています。
では、実際のところ、近代科学的な証明とは何で、科学にはどこまで自然界を「証明」することができるのでしょうか。

科学的証明に必要な条件には、詳しくはリンク先を見てもらうとして、一般的には次のようなものが求められます。→科学的方法Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E7%9A%84%E6%96%B9%E6%B3%95

1. 定量性:量れるかどうか=数字に置き換えられるかどうか
2. 再現性:同じ条件で同じ実験をして同じ結果が得られるかどうか
3. 正確さ:精密な実験器具による正確な実験と測定

第一に、証明の対象が測定できなければ(数字に変換できなければ)話になりません。近代科学的な意味では、比較することも実証することもできないからです。
逆に言えば、数値に置き換えることの難しい「心」や「生命」など観念的なものや総合的なものは近代科学ではうまく取り扱えないのです。
実際に、東洋医学の「気」やその通り道である「経絡」などの概念も、「科学的根拠がない」という理由から明治の近代化政策によって医学として認められなくなってしまいました。

第二に、「正確な事実」を立証するために、近代科学は自然界に「誰が何度やっても同じ結果が出る」ことを要求しました。
ところが自然界に「こうすれば必ずこうなる」という再現性のないことは、百姓なら誰でも知っています。
例えば、同じミカンから採った同じくらいの大きさの種を同じ場所から採った土で同じ場所で同じように育てたミカンは果たして同じ形に育ち、同じ数の実を実らせるでしょうか?
そんなはずはありません。なぜなら自然界には全く同じ種も全く同じ土も全く同じ環境も存在しないからです。

逆に言えば、その再現性の無さこそが、生命の生命たる所以であり、ぼくらがこの世界を生きた世界として体感できる理由なのです。

第三に、近代科学が古典的な科学に対してもっとも誇りに思うのは自分達の勝ち取った「正確さ」です。精密な実験器具の発達は近代的な正確な実験を実現させました。
ところが「あいまいな量子」の項で述べたように、究極に正確な測定の実現で解ったのは、皮肉なことに、自然界の持つ本質的なあいまいさ、不正確さだったのです。
そして、その不正確さこそがこの宇宙を創り、保ち、動かしていることが明らかになったのです。

そしてそんな究極の話しを別にしたとしても「正確な測定」に必要な、余計なものの一切無い整った環境条件とは、実験室で人工的に造りだす以外は、自然界にはありえないのです。

では、最新の自然科学を自負する近代科学の扱っている自然とは一体何なのでしょうか?

というわけで、今度はミカンの種を可能な限り粉々にしてみましょう。
あるいは、燃やしてしまっても構いません。
そうして元タネは、死んで単なる原子の集まりになると、環境を整えられた試験管の中で科学法則通りのほぼ100%の定量性や再現性を見せるようになります。

つまり、近代科学がその成立の際に扱った対象は、生きた自然(生命)でなく、死んだ自然(物)だったのです。

ところが、近代科学の扱う範囲が自然界全般にわたるにつれて、植物や人体に対する薬の効き目など、再現性の乏しい生命自然現象に広く対応するために

4. 統計的、客観的にみて確かだと言えるもの

という昔ながらのあいまいな証明方法が必要になってきました。
結局のところ科学の近代化も、自然界というお釈迦様の手のひらの内側の出来事だったというわけなのですが、この時点で、当初の近代科学が掲げた「誰にとっても100%の事実」の目標はあって無いようなものになってしまいました。

なぜならこの方法では、ある人から見れば統計的に客観的に確かであると言える出来事でも、別の人から見ればそうでないということがおきてしまうのです。

で、実際「科学的に証明された事実」の歴史を振り返ってみると、誰もが証明していたものが後に間違いだと解ったもの、個人的には証明されていたのに何十年も認めてもらえずにいたものなど、科学的事実は時代と共に絶え間なく更新されていることがわかります。
そして、それぞれの科学的事実は、それぞれの時代の人々にとっては確かに揺るぎない事実だったのです。

そう考えると、今信じられている科学的事実こそ絶対の真実である、という人の考え方はかなり保守的なのかもしれません。
そして、科学的事実とは結局のところ、その時代に多くの人に信じられている事実、「時代の定説」に過ぎないといえるのかもしれません。


<自然科学から物理科学へ〜分析という手法>

このように近代科学が、無限の複雑さを持つ自然界を有限な数式の中に収めるためにとった方法が、自然界をバラバラにして調べる「分析」という方法です。

ところが「生きている」とは、その”つながり”や”関わり合い”そのものであり、バラバラにした時点で、そこに転がっているのは死んだ自然でしかないのです。

そして、部分的な働きをどんなに正確に数式化したところで、それは実験室の外でも部分的にしか役にはたちません。
近代科学は、部分への正確な理解と引き換えに、全体の繋がりやバランスへの理解を失って、目先だけの解決や、問題を先送りにすることしかできなくなってしまったのです。

もし時間がある方は、ためしに肥料や栄養学の考え方のもとになっている元素分析の方法を見てみましょう。
元素分析植物の元素分析

実は科学者たちは、実験によって、自然界が物質元素の組み合わせのみで成ることを「発見」したわけではなく、はじめから自然界が物質元素のみで成ることを前提とした実験手法(=近代科学的手法)によって、そのことを「証明」したに過ぎないのです。

そして元素革命から200年後の2003年、“世界は元素でできている”どころか、物質元素(原子)が宇宙全体に占める割合は4%ほどに過ぎないことが最新の観測で「科学的に証明」されてしまいました。


村山 斉著『宇宙は何でできているのか(2010年、幻冬舎新書)』p.44より
(”測定できない96%”に対する科学者のネーミングセンスが光ります。)
http://www.gakushikai.or.jp/magazine/archives/archives_875.html


このように、近代科学の成り立ちや手法を冷静に振り返ってみることで、それが自然作用のうちの「物理法則」としての一面だけに特化したものであり、自然を自然のまま見ることができないのに自分が”最新の自然科学”だと思っている、自意識過剰気味の新入りであることがわかりました。

近代科学自体は間違いではないのですが、近代科学だけが唯一の正しい自然界の見方であると考えることは間違いなのです。

そして、生命のもつ可能性や永遠や無限といった数字の外側の概念に目を閉じ、宇宙自然界を有限な法則の中に収めようとする旧式の物理科学には、閉塞していく、終わりに向かう未来しか予測することはできません。

そればかりか、自然界が単に物の集まりであるという前提で生まれた近代科学は、その理論の有効性を示すために大地や人体から生命力を奪う、という本来の科学の目的とは逆の事をしているのです。


つまり、自然界から生命力を奪うことで、人類は自然界をコントロールできるようにはなった。
ところが、環境の生命力を奪うことが、その環境の一部である人類の生命力をも奪うという、あたりまえのことには気が付かなかったのです。

そもそも、そのすべてのはじまりは、人と自然とが別個のものである、という考え方に由来しているのです。


<人、自然、神の分極〜人類の近代化>

古代、まだ科学も哲学も宗教も芸術もあらゆる「智」が一つだった頃、自然界とは人知を超えた無限に深遠なものであり、それを人の手でコントロールしようとすることなどバカげていると思われていました。

ところが、時の支配者が自然界の営みを唯一の神の手によるものであると説明するようになり、それを強要するようになると、人々が自然界に対して抱いていた畏敬の念は唯一の神に対するものへとすり替えられ、本来季節の変わり目などの、自然への感謝や祈りの祝日だったものも、経典上の登場人物の記念日などに置き替えられてしまいました。

それらの宗教は、世界を神の支配する人と、人の支配する自然界の上下関係のピラミッド構造であると教えました。
また、世界を絶対的な何かと何かとの対立であると教え、万象を善と悪に、人々を信者と非信者に、あらゆるものの間に境界線を引き、人と自然、人と人とを切り離し、人生のあり方を自立から依存へと変えてしまいました。

宗教は、死後の世界やこの世界(宇宙)の仕組みなど、誰にも確かめることのできないこと、つまり間違いを指摘することのできないことを真実として捏造し、失うことを恐れる人々の無知に付け込み、神(教祖)に従順な人々をつくります。

人が「誰にでも証明できる確かなもの」を求めるようになったのには、そんな宗教による支配や搾取の歴史背景もあるのかもしれません。
政治(法律)と宗教(神の教え)が結びついたとき、大ウソを堂々と民衆に強要させ、生活をコントロールすることなどたわいもないのです。

この話を他人ごとのように聞いている人がいたら、日本が神の国の大日本帝国を自称して戦争をしていたのがほんの60年ほど前の出来事であることを思い起こしていただきたいのです。

そんな独自の唯神教政策を行うようになるより以前、「自然」と「絶対の神」とをすり変える宗教は、歴代の日本の統治者にとっても悩みの種で、結局は鎖国という苦肉の策をとらざるを得ませんでした。

そうしていろいろあって、今や僕ら日本人も1500年前にローマで設定された西暦(AD、主の年に)という時代の中に生きているのです。

    


<木を見て森を見ず>

あらゆる“近代的なもの”の抱える欠点は、“木を見て森を見ず”の一言で言い表すことができます。
目先のおびただしい数の問題に気を取られて、それらが全体として抱える根本的な問題点や解決法を見出せずにいます。

僕らはこの世界が、無数の独立して存在する、個別のものの組み合わせで出来ていると教わってきて、無意識にそういう目で物事を見てしまいます。
ところが実際には、個別のものは全てが繋がっているために、それぞれが別々に存在しているのではないのです。
木の本性は森であり、森の本性は木なのです。
この『個は全であり、全は個である』という全く当たり前の世界観を取り戻すことで、旧くも新しくもない本来の時代へと、いつでもどこでも誰にでも踏み出すことができるのです。

すべてが一つの世界観は、楽観的な思い過ごしでも、現実味の無い夢想でも何でもなく、むしろ「自分」と「自分以外」で成る世界こそが非科学的な思い過ごしなのです。

自分の体、人生の本性が宇宙全体であると気づくことで、すべては無くなり、すべてが現れるのです。

(続く…)




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2012年旧暦カレンダー

2012年01月16日 20時38分28秒 | 一喜一憂
   
今年もヨースケさんこと、朝倉祥一さんが旧暦カレンダーを作ってくれました!
下のリンク先からダウンロードできますので、是非ご活用下さいませ。
旧暦カレンダーダウンロードhttp://www.tasukun.com/koyomi.html

このブログではすっかりお馴染、高月美樹さん制作の旧暦手帳はこちらから。
LUNAWORKSホームページhttp://www.lunaworks.jp/index.html


旧暦手帳今年のカバーはなんと小豆色!!


見返しもそそる!自然の声が聴こえるようになる和文化濃縮ダイアリーなのです。



畑ではイチゴの花が咲き始めました。
今年の旧元旦は1月23日。春はもうすぐです!

*旧暦については昨年の記事をどうぞ。
→たすくの空中散歩「立春・日本の暦」




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謹賀新年2012

2012年01月06日 17時41分30秒 | 一喜一憂

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味噌づくり2011!+小豆収穫!+石臼初体験!

2011年12月26日 20時15分31秒 | 一喜一憂

今年も味噌づくりの季節がやってまいりました!

昨年は我孫子市の団体の主催する講習会に行って作ったのですが、今年は独り立ちして自分たちでつくってみました。



前回は大豆2kg、麹2kgで作ったのですが、今回はひとまわり多く、大豆3kg、麹3kg、塩が1.2kgで挑戦してみました。
まずは前日から水に浸けておいた大豆をひたすら(5時間くらい)煮ます。上の写真は父のつくる実家の分も入っているのですごい量です。
ぐつぐつ煮込むと、なんとも言えない大豆のいい匂いがしてきます。
ほんとは自家製大豆で作りたかったのですが、諸事情により今年は白大豆は大失敗。あとで自家製の黒大豆での味噌づくりにも挑戦してみたいと思っています。



煮込んでいる間に、米麹と塩を合わせます。塩は「にがり」の入った粗塩で!



これが米麹!米+麹菌です。
畑の近くの老舗味噌店「やまつね味噌」で購入。
(今後これを元ダネにして自分たちで麹菌を増やせないものかと画策中。なんと麹菌は冷凍しておいても大丈夫だそうです!)



まぜまぜ



大豆が親指と人差し指で簡単につぶせるくらいになったら、お好みの大きさに潰して荒熱をとってから米麹と混ぜます。
麹菌は、45度以上(?)だと死んでしまうそうです。
昨年は豆を残したいあまり、粗くし過ぎて、豆がほとんどまるのまま残ってたりして、食べる味噌汁(?)になってしまったので、今年はもう少し細かくつぶしてみました。



じゃーん!!
すでに見た目は味噌!?



空気が入らないように、容器に詰めて



カビ防止のために表面に塩を振りかけて、重しをのせて人間の役目は終わりです。あとは麹菌にまかせて夏まで待つだけ。
今回は11kgほどできました。来年1年分もつでしょうか?


さて、お次は小豆の脱穀です!



収穫してから2週間ほど天日で干しておいてパリパリになった小豆の殻を取ります。



↑こんな風に入ってます



と、父とコーヒーを飲んでいた地主さんが「こうやるんだよ!」と教えてくれました。
上から棒でばんばん叩くとたちまち殻が割れて実が出てきます。



でも、まあ結局手作業であることに変わりはなし。殻と実を分けて、扇風機でゴミを飛ばして、虫食いをとりわけます。
虫食いは全体の1割くらい?砕いて鶏にあげます。
ひとつひとつの地道な作業を経て……



とれたーーー!!



今年の収穫は、約3kgでした!
米や麦などに比べれば、豆の収穫はとっても楽です。
あんこにおしるこ豆ご飯…膨らむ妄想…楽しみです!!


さて、お次は石臼の登場です!

実は、以前手回し式の金属製の製粉機を購入していたのですが、ある日テレビで、田舎のおばあちゃんが石臼で粉を挽いているのを見て、その効率の良さにびっくり!
調べてみると、効率の良さだけでなく、天然石の隙間だらけの構造が熱を逃すので、栄養を損なうことなく製粉できるのだそうです。

そんなこんなで石臼への憧れを日々募らせていたところに、父の知人のIさんが家にあった石臼を貸してくれたのです!!



とりあえず、鶏にあげる小豆を挽いてみました。
といってもこの時点ではIさんが籾すり用に支柱を高くしていたので、粉にはなりません。



製粉用の支柱を制作し、はやる気持ちを抑えて自宅に持ち帰り、早速自家製の麦を挽いてみると…



おおおお!粉になった!!
とはいえ小ぶりの石臼のためか、3回ほど挽いて、やっとふるいを通る粉になります。
このサイズ(重さ)でなら効率で言えばさほど変わらず。
それでもごーりごーりと石の当たる音が気持ちいい〜。金属製の製粉機にはない安心感です。
そして石の重さを利用しているので、無理な力が要りません!



開けてみるとこんな感じです。
ますます石臼LOVE!!もう石臼無しの人生なんて考えられない。




今年の麦も元気です!



鶏「今日あたり卵産んでやるかな」





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自然の力、生命の力、肯定の力(7)〜元素転換part.2

2011年12月10日 23時04分33秒 | 一喜一憂

これまでの記事
自然の力、生命の力、肯定の力(1)〜動的平衡part.1
自然の力、生命の力、肯定の力(2)〜動的平衡part.2
自然の力、生命の力、肯定の力(3)〜あいまいな量子part.1
自然の力、生命の力、肯定の力(4)〜あいまいな量子part.2
自然の力、生命の力、肯定の力(5)〜あいまいな量子part.3
自然の力、生命の力、肯定の力(6)〜元素転換part.1

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<自然界で実際に起きていること>

『万物は原子の組み合わせであり、万象とはこの組み換えである。
そして原子とは、それ以上何も変化することのない最小構成単位であり、人や自然にできるのは、それを“移動”させることのみである。』

この約束は、発見から百年ほどの間は、揺るぎない科学的事実であるとされてきました。
そしてその後、放射性元素の存在が確認され、原子の内部構造が明らかになってからも

『放射性元素を除けば、原子核レベルの反応(元素の転換)は、常温常圧(地球自然環境)下では起こりえない』

とされてきました。

ところが、試験管の内側では揺るぎなかったこれらの法則も、自然界においては必ずしもそのとおりでないという報告は、ラヴォアジェの同時代から度々観測されてきていたのでした。
以下はその観測例のうちの一部です。(ルイ・ケルヴラン著『生物学的元素転換(朔明社)』より引用。その他図表なども含め、当ブログへの引用は著作権者の許可をいただいております。)

・1822年、L・ヴォークランが穀物だけを食べていた鶏が、摂取した穀物に含まれている量を超えるカルシウムを排泄していることを明らかにした。
・1822年、ウィリアム・プラウトが、生まれたばかりのヒヨコに、卵の4倍の石灰分(カルシウム化合物)が含まれていること、またその時、殻の石灰分の量には変化が無かったことを報告した。
(*卵に含まれるカルシウムの量ではヒヨコの骨格等を形成する分には満たない。現在それは殻からの移動という根拠のない説明がなされている。)
・1849年、フォーゲルがあらかじめ予防策を講じておいたにも関わらず、クレソンの新芽に種子よりも多くの硫黄分が検出された。
・1856年〜1873年にかけて、J・B・ローズとJ・H・ギルバートが土壌の含有量を上回るマグネシウムを植物が抽出していることを示すいくつかの実験を行った。
・1875年〜1881年にかけて、フォン・ヘルツィーレは、発芽時にある元素が増加し、別の元素が減少していることを示す組織的な試験分析を行った。
・1935年、E・プァイファーが、著作「大地の生産性」において、芝生の成長によってカルシウムが消耗される時期に生えてくるデイジーが、存在するはずの無い量のカルシウムに富んでいることを分析した。
・1925年、P・フロンドラーが、藻類によって海水中のヨウ素は固定されているわけではなく、藻類自体がヨウ素を造り出していることを立証した。これに加えて、フランスの地質学者のA・ド・カイユーが、先カンブリア時代の岩石にヨウ素の存在した痕跡が見いだせないことへの疑問を投げかけている。
・ミミズが土壌のカルシウムを増やすことはウォルニー(1890)、プー(1941)、ルントとヤコブセン(1944)、ホップとクレイター(1948)によって確認されている。
・1990年、V・I・ヴィソツキー、A・A・コルニロバを中心とするキエフの研究グループによって、ある種のバクテリアが、人体に対する致死量の何千倍もの放射能に耐えることができ、また放射性元素を安定元素へと転換させることが確認された。

(同書p.70)


このような科学の定説から見て「異常」とされる様々な現象に、「異常」な仮説を立て、見事に説明してみせたのがフランスの科学者、ルイ・ケルヴランです。

<生体内元素転換〜ルイ・ケルヴランの研究>

1901年、ブルターニュ地方のカンペールに生まれたケルヴランは、様々な自然現象に関心を抱く好奇心旺盛な少年時代を過ごしていました。
ところが、彼の抱く素朴な疑問に、先生も理論書も納得いく答えを用意していないことを不思議に思うのでした。

1939年、労働視察官だったケルヴランは電気による事故防止に関する研究の成果として、電流に対する身体の抵抗が、その電流の強度や電圧のような要因とともに変化すること、人間や動物の身体は決して金属抵抗のようには作用しないこと、人体にオームの法則(電気工学における電流と電圧と抵抗の関係)をそのまま適用させることの危険性を指摘しました。
この研究成果は、現在も労働医学における重要な概念として世界的に認められていています。

さかのぼって1935年、ケルヴランは、溶接工におきる致命的な一酸化炭素中毒事故の調査を依頼されました。ところがケルヴランは空気中に一酸化炭素の痕跡を見出すことも、発生源を特定することもできなかったのです。
そして1955年、ケルヴランは再びこの謎と対峙することになります。パリで酸素バーナーを用いた切断工が続けて3人死亡する事件が発生し、同僚がその調査にあたったのです。
ところがやはり、その作業場の空気中には(それは労働者たちの鼻口近くから採取された空気のサンプルにも)一酸化炭素はどこにも検出されず、にもかかわらず死因は明確な一酸化炭素中毒であり、被災者たちと同じ仕事をしている労働者たちの血液のサンプルは、彼らが慢性の一酸化炭素中毒の症状に苛まれていることを示していたのでした。

そこに明らかにしなくてはならない事実があると感じたケルヴランは、同僚にこの調査の重要性を説き、今度は4年間みっちり取り組みました。
そして、一酸化炭素の発生源が身体の内側からでしかありえないことをはっきりさせ、事故の原因が”高温に熱せられた鉄に触れている空気”であることを明らかにし、エアチューブで労働者の鼻口に新鮮な空気を送ることで一酸化炭素中毒の症状は著しく軽減しました。

問題は、いかにして“身体の内側から”一酸化炭素が生み出されたのか?ということ。
これは幼少の頃、先生に問いかけて答えを得られなかった、ストーブによる一酸化炭素中毒の謎と同様のものでした。
やがてケルヴランは、空気(チッ素+酸素)を吸い込み、一酸化炭素(炭素+酸素)が発生した理由として、大胆にもチッ素から(一酸化)炭素への生体内での元素転換の可能性を考えることになります。

ケルヴランにしてみれば、それは幼少の頃から接してきた様々な科学的に見て不可解な現象が、そう考えることの方が理に適っているのではないか?と感じさせるのに十分だったのです。

生命は、その体内で原子核を結合、あるいは分裂させることによって他の元素から別の元素を造り出している?

そして1959年、油井採掘労働者たちの労働条件の視察をしたサハラでの公務において、ケルヴランは自分の仮説をさらに確証することになります。
そこでは、炎天下に日陰の無い金属製の高台で、激しい労働に従事していた労働者たちの摂取した飲食物と排泄物のすべてが、陸軍の軍医と助手のチームによって6ヶ月間にわたって分析されました。
その結果、暑さのなかで塩分(ナトリウム化合物)の摂取量は増加しているのに、そのナトリウムが全て排泄されているわけではないこと、さらに摂取量に対するカリウムとマグネシウムの排泄量の超過分が見られたのでした。

(同書p.62)

それよりも不可解だったのは、日光と食物から得られるエネルギー(熱量)と、発汗と労働によって消費されていると考えられるエネルギーの大きな収支の差であり、ケルヴランはこれを、ナトリウムからカリウムに転換する際の内熱反応(熱の吸収)によるものであり、これによって生命に備わった温度調節機構のうちの重要な概念が説明されることを示しました。

そしてケルヴランは、この「生体内元素転換」が自然界で普遍的に行われているものであるとし、その反応に潜む法則性を次の4つの回路としてまとめました。

(同書p.74)

≪元素転換仮説の例≫

・チッ素2N(14):=:炭素C(6)+酸素O(8)
・ナトリウムNa(11)+水素H(1):=:マグネシウム(12)
・ナトリウムNa(11)+酸素O(8):=:カリウムK(19)
・カルシウムCa(20)−水素H(1):=:カリウムK(19)
・カルシウムCa(20)−酸素O(8):=:マグネシウム(12)
・ケイ素Si(14)+炭素C(6):=:カルシウムCa(20)
・カリウムK(19)+水素H(1):=:カルシウムCa(20)

*カッコ内の数字はそれぞれの原子が持っている電子(陽子)の数(=原子番号)で、
「:=:」は化学変化との混合をさけるための元素転換を示すケルヴラン独自の記号です。
また、ケルヴランはこれらの法則は「主要な必要条件ではあるが、ある場合にはこうした条件はそれだけでは十分ではない」こと、自然界は万能でもなく、人の決めたルールに従うわけでもない旨を付け加えています。


このようにして、ケルヴランは『生体内で元素は変わりうる』という仮説から、それまで謎とされてきた様々な自然現象の説明がつくだけでなく、近代化学と、それを応用した様々なものが抱える根本的な過ち、即ち生命、自然界を単に物理科学法則で説明しようとすることの間違いに気づいたのです。


<元素転換仮説の公表とその後>

森羅万象、生きとし生けるものに宿る万物創造の力。
それは「唯一の神」による世界観をベースに成り立つ西洋社会において、公表を慎重にすべき内容であることは明らかでした。
かつてコペルニクスが地動説についてそうしたように、ケルヴランもまた、自分の理論を死後に公表することを考えていたのです。
ところがパリで開催された東洋哲学講演会にたまたま足を運び、自分の発見が、東洋においては五千年以上の前から存在する既知の理論(梵我一如、創造主と被創造者の同一性)であることを知り、衝撃を受けました。
そして講演終了後、主催者の桜沢如一氏とお互いの意見を交換し合い、また、論文の公表を強く勧められます。

1960年7月、その時すでに還暦を迎えようとしていたケルヴランは、『異常な代謝収支と生物学的元素転換』というタイトルの論文を発表。元素転換仮説を世に問うたのです!

その後、多くの著名な科学者、生物学者、医学者、農学者、地質学者からの絶賛でもって迎えられたものの、やがて近代農法を推進するフランス国立農学研究所と対立する形となり、それをきっかけとして、その実験精度、再現性の低さ(次の記事で説明)などが学会から批判や嘲笑の対象となり、対するケルヴランも自論を決して引き下げることはせず、両者の主張は全く相容れることはなく、元素転換に関する議論は決裂したままになっています。
つまり業界では、お互いにお互いを相手にしなくなったままなのです。

そして現在においても、化学定理はすでに完成されたものであり、ケルヴランの研究は『根拠のないニセ科学で、新興宗教のようなもの』とされています。

とはいえ、ケルヴランの死後も、その意思を継いだ研究者によって数多くの報告が上がっています。
その中でも、僕らが特に注目すべきはチェルノブイリから南に100Kmほどのキエフの研究グループによって確認された、バクテリアによる放射性元素の安定元素への転換実験です。この「MCT(微生物触媒転換体)」と呼ばれる元素転換技術は、1996年にロシア連邦特許として正式に認められています。

なぜ多くの研究者によって明らかになっている、『自然界で実際に起きていること』が顧みられることがないのか、そこには様々な理由がありますが、今度は「科学的事実」「科学的証明」とはそもそもどういうことなのか、について探っていってみましょう。

続く…



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自然の力、生命の力、肯定の力(6)〜元素転換part.1

2011年11月26日 18時33分43秒 | 一喜一憂

これまでの記事
自然の力、生命の力、肯定の力(1)〜動的平衡part.1
自然の力、生命の力、肯定の力(2)〜動的平衡part.2
自然の力、生命の力、肯定の力(3)〜あいまいな量子part.1
自然の力、生命の力、肯定の力(4)〜あいまいな量子part.2
自然の力、生命の力、肯定の力(5)〜あいまいな量子part.3

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耕さず、肥料もやらず、無農薬で野菜が育つ。
そんな楽をして得をするようなうまい話があるわけない、と思うかもしれません。
ところがこれは、自然界がもともと持っている生産力と、野草と野菜とに区別のないことにさえ気づけば、ごく当たり前のことなのです。
うちの畑も2年目になりましたが、全く問題なく作物は穫れ続けています。
以下、うちの畑の収穫物。み〜んな不耕起、無肥料、無農薬! *クリックで拡大

     
     
                           


一般的な農業の入門書等では、耕す、石灰を撒く、肥料をやる、雑草を取り除く。これらのこと、いわゆる「土づくり」は作物がより良く育つための+αとしてではなく、ほとんど必須条件ということになっています。
特に、肥料をやらずに作物が育つなどということは理屈的に言って「ありえない」ことになっています。

そして面白い事に、近代農法の手引きにそって畑をやれば、近代農法の言うとおりのことが起きるのです。
作物を育てる度に土地は痩せ、肥料を施さなくては作物がまともに育たなくなり、石灰(カルシウム化合物でアルカリ性)を撒いて矯正しなければならないほど土が酸性化し、耕さなくてはならないほど土は硬質化し、農薬をつかわなければ病気にかかったり、虫に壊滅的にやられてしまったりします。
だからほとんどの人は、近代農法が間違っているなどとは思わないのです。
そこに悪気はなくとも、言うとおりにすればするほど、言いなりになってしまうようにできているのです。

さて、この話は他の近代的なもの、例えば近代医学でも全く同じことが言えます。
なぜなら、生命を支えるはずのそれらは、『生命力』を無視した同じ近代物理科学定理を元にしているのです。


<元素革命〜近代化学の誕生>

時は17世紀、ヨーロッパでは蒸気機関などの発明によって、仕事を機械にやらせようという動きがさかんになりました。
そして、生活の中心が、人力や自然の力(=生命の力)から機械の力へと移行しはじめると共に、世界を構成する根本要素=『元素』の考え方も、それまでの「生命が何でできているのか?」という観念的な4化元素(森羅万象は土、水、火、風の4元素から成り、それらは互いに移り変わる)よりも、「物質が何でできているのか?」という、物としての実用性のある元素の解明が求められるようになりました。

「全ての物はこれを細かく切り刻んでいくと、もはやそれ以上は小さくすることのできない数種類の運動する粒子になってしまう」

哲学上の仮説でしかなかったこの古代の原子論に感銘を受けたロバート・ボイルは、元素の考え方を「誰がやっても常に同じ結果が得られ、誰にでも確かめることのできる実験的な事実を基にした正確なもの」に改めるべきであると主張し、自身の実験によって明らかにした気体の圧力と体積の関係(ボイルの法則)が原子論によってうまく説明できる事を示しました。
そしてこの頃「正確な実験によって実証された事実のみを尊重する」という近代的な科学の方法論が確立されます。

18世紀終わりには、その近代的な方法論によって蓄積された様々な発見を、統一した理論にまとめる必要に迫られていました。
そこに登場したのがフランスの科学者、アントワーヌ・ラヴォアジェでした。
それまでの百年近く、科学者の間で「燃える」という現象は、物に含まれる「火の元素=燃える素(フロギストン)」が放出されることであると考えられていたのですが、ラヴォアジェはそれを物質が別の気体と結びつく現象であること証明し、「空気(風)」が別々の2つの気体から成ることを発表します。
また、「水」が二つの気体の化合物であることが発見されると、この二つの気体に、『水素(Hydrogene)』、『酸素(Oxygene)』と名付けました。
*Hydro_gene…水(Hudor)+生成する(Genero)、Oxy_gene…刺激性(Oxys)の酸+生成する

やがてラヴォアジェはさまざまな実験を通じて、いかなる化学変化でもその前後で質量が変化しない、という「質量保存の法則」を確信します。
そして1789年、世界を構成するそれ以上分割不可能な根本要素として33の「元素」を挙げ、物質の命名法に基づいた化学理論を体系的にまとめ上げた『化学原論』を出版し、近代化学知識の統一を実現しました。

さらに、その後の科学者たちの発見(「定数比例の法則」「倍数比例の法則」など)によって、正しい元素とは、それ以上分割できない粒子「原子」のことである、という近代的な意味の「元素=原子論」の基礎が築かれ、人類の自然界への理解と接し方に革命を起こします。

「万物は原子の組み合わせであり、万象とはこの組み換えである。
そしていかなる化学反応においても、原子と原子の組み合わせが変化するだけで、原子の総量も、種類も変わることはない。」

人類は「原子」というしくみを明らかにしたことで、自然界を自由に創り変え、支配する術を手に入れたのです!

古典的な自然科学者たちからの多くの反対意見はあったものの、それ以来『元素(原子)は絶対不変』というルールは近代化学の近代化学たる最重要原則となり、疑う者の声を撥ね退けました。
そして、実際その原則を応用した近代文明は自然を押しのけて巨大に膨れ上がり、農業、工業、医学、栄養学、地質学と、あらゆる分野で人々の生活を包み込みました。
また、それら自然界を制御する技術は、人類の進歩、発展であり、その有効性こそが理論の正しさを示すものであると謳われ、原則への疑問の声は、勢いの中にただ飲み込まれていくだけでした。

とはいえ、この『絶対不変の元素』の考え方で言うと、地球に現存する物質は、”はじめから地球にあった”ものがそのまま残っているだけ、ということになります。
つまり、この宇宙、地球自然界のはじまりに対する答えは、依然”神による創造”から脱してはいなかったのです。

やがて19世紀も終わりごろ、百年近く信じられてきた『絶対不変の元素』は一つの例外を認めることになります。自然界で元素がより安定した軽い元素に転換する「放射性元素」の存在です。
「それ以上分割できない」と思われていた原子に内部構造が存在し、原子は中性子と陽子からなる「核」と、その周りを飛び交う「電子」から成ることがわかったのです。

そして、超が何個もつくような大きなエネルギーを与えると、原子核同士がくっついてより重い原子へと転換される「核融合」や、とても重い元素に、中性子を勢いよくぶつけたりすることで、原子核が分裂してより軽い2つ以上の原子に転換する、「核分裂」の存在が明らかになったのです。
(この核分裂の際に放出されるエネルギーを利用したものが、原子力発電と、原子爆弾です。)

これによって、ビッグバンや、太陽の何倍もあるような巨大な恒星(自分から光を発する星)の内部などの超高温・高圧力状態で元素が核融合を起こし、新たな元素が生まれ、それが爆発によって散らばり、お互いの重力によってまた集まって…を繰り返す中でできたものが地球であり、様々な惑星であるという説明ができるようになりました。

ただ、この考え方で地球に現存する様々な元素、金や白金などの鉄よりも重い元素の生成を説明するのにはまだまだかなり無理があり、憶測の域を出てはいないそうです。
ようするに、最新の科学でも、地球に存在する多くの物質がもともとどうやって出来たのか、ほんとのところはよくわかっていないのです。

参考リンク「元素誕生物語」http://astrodate.bufsiz.jp/genso.htm


<世界は元素で出来ている>

ところで、原子とか元素とか大変紛らわしいですが、「原子」とは粒ひとつぶひとつぶのことで、「元素」はその粒を化学的性質ごとに分類したグループにつけられた名前の事です。(なので同じ“水素元素”というグループの中にも、中性子の数の違いによって、軽水素、重水素、三重水素などの様々な“水素原子”があります。)
そして、この「元素=原子の化学的性質」は、原子の持っている“電子の数”によってほぼ決まるのです。
「原子」は、その“陽子、電子、中性子”の組み合わせによって3000〜6000種類はあると考えられていますが、「元素」は今まで確認されているもので113種類程しかありません。

この新しい「元素」の考え方によって、この全宇宙の森羅万象を、わずか100種類程の物質の組み合わせの違いで読み解けるようになったのです。

そして、その元素を重さ(=持っている電子の数)の順番に、特徴の周期ごとに並べたものが、水兵リーベー…で有名な元素の周期表です。
ここで面白いのは、ものの“質の違い”が、原子レベルでは“量の違い”に変わってしまうということです。

元素の周期表 *クリックで拡大


←文部科学省制作「一家に一枚シリーズ」*クリックで拡大
科学技術広報財団ホームページhttp://www.pcost.or.jp/index7.html(PDFの無償ダウンロードも可能です)


酪農の肥料も飼料も、人間の栄養学も医学も、様々な“近代的なもの”はこの新しい「元素」の考え方を基にして成り立っています。
つまり、物質の集まりである人間や作物を分析してみたところ、構成する物質が何%づつであることがわかったから、その物質を与えてやれば生命は保てる、という算段です。

「この筆法でゆくと、鶏はすなわち鶏体ないしは卵と同じ養分のものを摂取しさえすれば、それで鶏体の維持も卵の生産もとどこおりなく行われるということになる。そうだとすれば、鶏は「鶏と卵を食う」のがいちばん自分自身に合った食事ということになりはしないか。牛は牛を食い、豚は豚を食うのが「完全食」ということではないのか。」中島正著『自然卵養鶏法(農文協)』p.89より

野菜に必要な栄養素=野菜を構成する元素 *クリックで拡大


上に同じく、人体を構成する元素




かくして『元素』は、生命を構成する”流転的、神秘的、創造的”な存在から、物質を構成する”固定的、機械的、被創造的”なものへと移り変わってゆきました。
それは同時に、人々の自然界を見る目も、同じように移り変わっていったことを意味します。

そして21世紀の現在においても、その機械的で無機質な自然観は、人々の心をとらえ続けているのです。
なぜなら、実際それは何世紀もの間、同じ結論を証明しつづけてきたのです。
実験室の試験管の中では。

続く…



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祝!にわとり初出産!!!

2011年11月15日 22時32分14秒 | 一喜一憂

今朝、にわとり小屋にいってみると…



あれ?



おお!?



こっ、これはっ…!!?



たまご生まれたー!!!

4月に我が家にやってきてからはや半年+1か月。
一般的な初出産が半年と言われていて、周りの人たちからも、「もうそろそろだねー」「もう産むんじゃない?」「まだ産まれないの?」「もうすぐクリスマスだね(ローストチキン)」
などと、愛の言葉を掛けられ続けてきたうちのマイペース三姉妹たちでしたが、よーうやく初出産にこぎつけました!やったー!ばんざーい!おめでとー!ありがとー!!

とはいえ、初産は早けりゃ早いほど良い、というのは工業生産卵の話であって、自家用の卵では昔からどれだけ初産を遅らせることができるか、が鶏を長生きさせて良質なたまごを産ませるためのポイントだったそうで、そういう意味ではうちの子たちはそうとう優秀なはずです!

与えた餌は、農家さんからいただいた+今年の自分たち田んぼのクズ玄米(割れちゃったり、小粒だったりして売り物にならない米)と、あとはそこらへんに生えている季節の草を土ごと(鶏は土を食べるんです)とか、あとは野放しにしてる時に自分たちで虫だのカエルだのミミズだの好きなように食べてました。
だから、エサ代はずーっと¥0です。

野菜も人も鶏も、ちょっと足りないくらいで自分の力でゆっくりじっくり成長していく方が、中身が詰まった生命力あふれたものになる。
わかっちゃいたけれども、ほんとにもう産まないんじゃないかと内心ヒヤヒヤしてました。


白米を喰わせると黄身が白くなる、と聞いていましたが、うちは玄米だったためか、むしろやたら黄色い『THE黄身』ってかんじでした。


このプルプル感!半端なくありがたみを感じながら、美味しくいただきました。




はじめて我が家にやってきた日です。こんなにちっちゃかったんです。
 

そして現在!

よくやった!どの子かわかんないけど!



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稲刈り2011!!(下)+畑近況

2011年10月14日 09時34分47秒 | 一喜一憂

「稲刈り2011!!」後半の巻でございます。

<9月30日>


乾燥させた稲を、足踏み脱穀機でバリバリ脱穀します!
この写真だと脱穀機がよく見えないので…

(6/20撮影)
6月の小麦の時の写真です。農家さんの家で眠っていたのを父たちが綺麗に掃除して、油を差してみごと復活させました!
滑車の部分が結構重いので、回り出した後は軽い力でバリバリ脱穀できます。
足踏み脱穀機ができたのは意外にも明治末期だそうで、それまでは江戸時代に普及した「千歯こき」で、それ以前(300年程前)は「こきばし」という、ようは竹等の”箸”で稲を挟んで引っ張る、という太古からの同じ方法だったそうです。
電気を1ワットも使っていないことを考えるとこの効率の良さは驚異的!自給農業でなら今だって大発明です。


あと、この日は午前中に、我孫子産小麦の「全粒粉ピザ作り」にも行ってきました。
以前から手賀沼の傍で小麦をやっている人たちがいることは知っていたのですが、ようやくご本人にお会いすることができました。
自分たちも我孫子で小麦をやっていることを伝えると、いたく喜んでくれて、(なにしろほんと〜に、食用の小麦を育てている人は少ないのです。こちらこそ感激!なのです。)企画の食農倶楽部のみなさんや、市の農政課の方々にも大々的にご紹介していただきました。

一年前、右も左も解らずに農政課に足を運んだ日のことを思い出すと感慨深いものがあります。
もちもちピザ美味しかったです!

<10月4日>


今度は、脱穀した籾わらから大きなごみを取り除き、脱穀しきれなかった分をふるいの上で擦ってはずします。かなりの量ですが、千里の道も一歩から!


小麦の時も大活躍した、業務用扇風機でゴミを飛ばしながらの作業です。文明の利器ありがたや〜。

<10月5日>


明けた10月5日、ついに唐箕(とうみ)の登場です!
農家さんの家の倉庫に眠っていたのを父たちが発掘して、きれいに掃除して修復しました!
はたしてうまく動いてくれるのでしょうか?

↓発掘現場
(2011/6/15撮影)



ためしにやってみたところ、思いっきりまわし過ぎたらしく、米もごみも全部前から出てきてしまいました。


コツをつかむと、うお〜!!一堂歓声!!出てくる出てくる、みごとに米は横の口から!ゴミは前から!
まわす力は大して要りません、もちろん0ワット。ご先祖さまの叡智ありがたや〜!!


ビニールハウス×2を埋め尽くしていた稲がこれだけになってしまいました。…と言っても、それぞれ相当重いのですが。

<10月7日>


そして、後は農家さんちのモミすり機であっという間に玄米になりました!というか、本当にあっという間で機械のスピードに追いつくために皆必死で働きました!機械に働かされました!写真を撮る暇がありませんでした!

というわけで、今年は約30キロ×7袋で無事210キロほどとれました。とはいえ、例年が250キロほどなので随分減収?
実は乾燥をさせすぎてしまったらしく、通常水分14%位のところが10%程度だったのでした。
つまり、あれがいいのか、これがいいのか、といろいろやってみても、結局毎年穫れる量はたいして変わらないようです…(^_^;)


相澤家(実家とうちら)の取り分105キロ。充分すぎるほどの収穫です!


粒は、やや小さめ…?
つまり、その、凝縮されているんですね。
今年もお陰さまでいただきま〜す!!




<+畑近況>

(10/2)
にんじんは今秋はあまりうまくいきませんでした。小さかったり、欲張って土に置いておいたらダンゴムシのご飯になってしまったり。これはかなりいいやつです。

(10/7)
畑をやらないに人には、ただ雑草が生えているように見えるかもしれませんが、大根、かぶ、たまねぎが生えています。(左上は作物じゃなくて鶏です)

(10/7)
なると金時とれました!とても甘くて美味しかったです。

(10/7)
これは成田山に伝わる大浦太牛蒡(おおうらふとごぼう)。枝のようなゴツゴツした見た目とは裏腹にとても柔らかくて美味しいです。

(10/7)
普通のゴボウと違い、根にス(空洞)が入っても美味しく食べられます。
むしろこの中のフカフカが美味しいのです。

(10/7)
それにしても収穫は死にました。地下60cm以上?
不耕起栽培ですが、むしろ地下深くの土の方がやわらかくてびっくりしました。

(10/8)
ごぼうの葉っぱがフキにそっくりだったので食べてみました。(今、種の袋を見たら「葉牛蒡としても美味」って書いてありました。)

(10/9)
クローバーに囲まれた小松菜も元気!

(10/10)
そして、ついに手前味噌解禁!
な、なんて美味しいんだー!!
出汁がなくてもうまみたっぷり。豆がでかくて食べる味噌汁!
今年は自分の大豆で作ってみたいです。

(続く…)





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