gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

「死んでやるッ!」

2017-06-15 09:45:49 | 日記
「死んでやるッ!」           
たしかに、多くの場合、すばらしい思想や感情は、ことばによって伝えられ、学ばれ、共有される。ことばは人間性そのものである。ことばによって人間は人間になったのであろう。人間にとって、全てはことばによって存在しているかのようだ。しかし、ことばはことばに過ぎない、すばらしいことばであればあるほど、うそうそしく虚しい。

昔、わが子が生まれた時、「生まれてきてくれてありがとう」と書いたことがある。

このことばには嘘はない。心底そのように感じ、僕の中から自然に生まれて来たことばである。このことばそのものは、名言名句でもなんでもない、どこにでもころがっている、月並みなことばである。他人が、このことばを聞かされたところで、親バカか、婆(ばば)バカくらいにしか感じないだろう。子や孫が誕生して喜ぶのはかってだが、聞かされるほうは、嬉しくもないのに、他人の喜びに付き合わされるのも迷惑だ。
書といえば、名言名句をかくものだと思い、格調の高いことばを選んで練習や創作を繰り返してきた者にとっては、このような普通のことばを書いた作品は、意外に新鮮に感じるかも知れない。
昔、僕が書いたこの作品を見た多くの人が、反発よりも共感し、感動していた姿を思い出す。
ふりかえってみると、このことばは、親としての歓びと、新しい生命(いのち)の誕生への驚きと、無事生まれてきたことへの感謝の気持ちなどを形にして残し、うそ偽りのないこの瞬間の思いを、子に伝えたいと願って書いたのであった。
しかし、ただ単に、感情にまかせて書きなぐったわけではない。感情にまかせて書いたところで書(しょ)になるものでもない。かといって、何枚も練習して仕上げたわけでもない。たった一枚で仕上げたのである。しかし、一字一字、一点一画、上下左右の余白や、行や紙面の構成も慎重かつ大胆に、しかも直観的に計算されて書かれたのである。一点一画に心を込めながらも、のんびりと、ゆうゆうと、そして、うつらうつらと、僕の感情と思想と心の記号を、優しく、強烈に、矛盾する思いの錯綜する中で、書き刻んでいったのであった。
この陳腐なことばを、話したり、書いたからといって、このことばを聞いたり見たりした人が、なんて良いことばだ!と感動するわけではないだろう。この平凡なことばが人の心を動かすことがあるとすれば、それは、月並みではない話し方、書き方によって、このことばが表現されたときだけであろう。
ことばはことばに過ぎない。ことばは何らかのものの記号に過ぎない。ことばそのものに力があるのではない。ことばそのものではなくことばの表現に力があるのだ。どんなにありふれたことばでも、表現次第で地球をひっくり返すことも出来るのだ。
高齢になって初めてわが子を抱いたよろこび。新しい生命(いのち)へのいとおしさ。神秘的な新生と新しく始まった不安。よろこびとかなしみ。矛盾した感情と思いの中での限りない優しさ。無条件、無償の慈しみ。このような複雑で単純なもやもやが、一筆一筆、一点一画、一字一字そして澄みきって温かい余白になって造形されてゆく。
僕は、作品をこのように読み解き、分析することはあまり好まないが、一つの作品の背後にはこのような深々とした人生や心や自然が潜んでいるのである。
かかりつけの医院の待合室にピカソの小さな絵がある。簡単な線とわずかな色彩で、花束とそれを握る人の手が描かれている。手は二つ描かれ、どちらも右手である。その手の指は太くて力強く、信頼で、はちきれそうである。花の色は灰味の赤や黄で、やわらかくあたたかい。花束を誰かが誰かに捧げているのであろうか。花は友情のシンボルでもあろうか。この絵から僕は、優しさと、あたたかさと、微動だにしない確信に満ちた強いものを感じる。
この絵の線や色や形や余白には、ピカソの愛と苦悩、悲しみ、希望と絶望、夢の全てが表現されているのだ。これは絵だが、ことばを書く書(しょ)の表現と同じである。ピカソの心の記号が彼の絵である。

一般に、ことばはことばに過ぎず、ことばそのものには力はない。
しかし、岡本太郎のことばには不思議な力がある。
彼のことばには、本来の自分に気づかせる力がある。勇気を奮いおこし、頑張って生きようと思わせる力がある。このようなことばがあることに僕は驚く。ことばには、力があることばもある、と思わなければならない。
このような稀有な、力のあることばは、真剣で真面目で命がけの生き方から生まれたもので、ただのことばではない。
岡本太郎のパートナーの岡本敏子は、岡本太郎の思い出を次のように語っている。
「自分については、最悪の場所に追い込んで、窮地に立たせることをやる、たとえば、スキーで滑り出すときも「死んでやるッ!」って怒鳴るんですよ。危険な場に立つ、というのが太郎さんの生きがいだったのね。万博のときでも、みんな反対。やめてくれ、やめろと言われたんですが、引き受けちゃうんですね。」(敏子の談話より)
「なにも自殺するためにスキーをやっているわけじゃないけどさ、命を賭ける瞬間がしょっちゅうあるわけでね。そのいわば「死の戦慄」があるからこそ「生の歓喜」もありうるわけでね。命がけで滑る度胸がなきゃ、本当のスキーなんてできないんじゃないだろうか。」(太郎)
「その一瞬に身を投げ出し、無に向かって飛込むというのが彼の流儀である。人生においても、芸術でも、スポーツでも、まったく変わりはなかった。そういうのでなければ「生きている」と感じない人だった。」(『芸術は爆発だ!』岡本敏子編著、より)
「ただの「お遊び」では駄目なのだ。全生命、全存在を賭けて、真剣に、猛烈に遊ぶのでなければ、生命は燃えあがらない。」(岡本太郎『自分の中に毒を持て』より)
まったく、僕も、岡本太郎に同感である。
恐怖のあまり保身に走ろうとする時には、勇気を出して、「死んでやるッ!」って叫んで、危険な方へ飛び込むことが、本当に生きる道に通じているのだ。
(野のはな書道会、会員つうしん150号掲載)
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 書道もろもろ塾再開します! | トップ | 春野かそい個展のご案内 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。