飲んでもブログ

飲んでいる時に付けたタイトルで間違いではありません。
趣味は山登りやハイキングとDVD映画の収集です。

小田原フラワーガーデン

2017年10月15日 | Weblog
 10月14日(土)は、小雨が降ったり止んだりする生憎の天気だったのですが、小田原フラワーガーデンに行ってみました。
 今日はトロピカルドーム温室に行くことが目的ですが、温室は2012年3月「小田原フラワーガーデンへ行きました」で行っているので5年半年ぶりになります。
 又、小雨が降っていたのでフラワーガーデンへは小田原駅東口からバスで行くことにしました。


 フラワーガーデンに着いたので、正面ゲートから大イチョウを撮ってみました。
 雨が止んでいたので温室に行く前に、右側のバラ園に行ってみました。


 バラ園の手前に、ご覧のような果実を付けた木があったので撮ってみました。


 果実をアップで撮ってみましたが、果実を食用や薬用に使うナツメの名札が付いていました。

<バラ園>

 「秋のローズフェスタ」が開催(10月21日~11月23日)される前のバラを見に行ってみました。


 こちらの黄色のバラには、ゴールドバニーの名前が付いていました。


 こちらのバラには、銀嶺の名前が付いていました。


 又、雨の滴が付いたこちらのバラには、ボニカの名前が付いていました。


 「アルカディア広場」にも、花壇があったので行ってみました。
 こちらの黄色とオレンジ色の花はマリーゴールドですかね!?




 オレンジ色のマリーゴールドを撮ってみました。


 素晴らしいオレンジ色だったのでアップで撮ってみました。




 ついでに、黄色のマリーゴールドも撮ってみました。


 広場の後ろにもバラ園があったので見に行ってみました。


 このバラは、ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズの名前が付いていて、『故ダイアナ元英国皇太子紀を表現した。』の解説がありました。


 こちらのバラには、ジュビレ・デュプリンス・ドウ・モナコの名前が付いていました。


 こちらのバラは、プリンセス・チチブの名前が付いていて、『故秩父宮勢津子妃殿下に捧げられたバラ。』の解説がありました。


 この素晴らしいラベンダー色のバラには、シャルル・ドウ・ゴールの名前が付いていました。


 花弁の表が赤色、裏側が白色のこのバラはラブの名前が付いていました。


 花形や花色が素晴らしいこのバラには、メリナの名前が付いていました。


 バラ園の後ろに「トロピカルドーム温室」が見えたので撮ってみました。

 小雨がまた降って来たので「トロピカルドーム温室」に向いました。

<トロピカルドーム温室>

 受付で入園料(200円)を払って温室に入りますが、65歳以上の高齢者は入園料免除です。


 入口に、本日のオススメ紹介が出ていたので憶えておくことにしました。


 入口から温室の正面を撮ってみました。


 取り敢えず、温室を時計回りに散策してみることにしました。


 触ると気持ちよさそうな、ベニヒモノキ(紅紐の木)があったので撮ってみました。


 後ろに回ってみると、色違いのシロヒモノキ(白紐の木)もあったので撮ってみました。


 散策路に戻って先に進むと、本日オススメのアリストロキア・トリカウダタが咲いていました。




 宇宙人のような不思議な花だったのでアップで撮ってみました。


 果実のようなビリンビがあったので撮ってみました。
 スターフルーツの仲間の解説があったので食べられるかも知れませんね!?


 ご覧のような果実を付けたグアバがあったので撮ってみました。
 健康茶で有名なグアバ葉はこの植物の葉っぱですかね!?


 豊満な果実をアップで撮ってみましたが、よく見ると果実は2個づつ付いているようでした。


 今度は、ご覧のような果実を付けた植物(スターフルーツ?)があったので撮ってみました。


 散策路を歩いていると、ご覧のような花が垂れ下がっていました。




 ヒスイカズラの赤バージョンのようですが、ツンべルギア・マイソレンシスの名前が付いていました。


 ゴクラクチョウカ(極楽鳥花)が咲いていたので撮ってみましたが、これは分かり易いですね!


 幻のフルーツと呼ばれている「モンステラの実」があったので撮ってみました。


 解説板には、『緑色のウロコ状の部分を剥して、中の黄色い塊を食べるみたいです。パイナップルとバナナと合わせたよな味がする。』と書いてありました。


 クチバシ状の花(?)が連なったような植物があったので撮ってみました。


 初めて見る植物(ヘリコニア・ロストラータ)なのでアップで撮ってみました。


 解説板には、『クチバシに似ている赤と黄色の部分は、「苞(ほう)」と呼ばれており、本当の花は、先っぽから出ている尖った部分です。』と書いてありました。
 右側の一番下の苞の先っぽから出ているのが花ですかね!?


 足元を見ると、本日オススメのハナアナナス・キアネアが咲いていたので撮ってみました。


 アップで撮ってみましたが、鮮やかな淡いピンクの部分が苞で、苞に淡いブルーの花が咲いていました。


 近くに、ティランジアの名前が付いたティランジア・キアネアがありましたが間違いですかね!?


 淡いブルーの蝶が止まっているような感じがしたので撮ってみました。




 本日オススメのアンスリウムが咲いていたので撮ってみました。
 やはり、赤い部分は苞(仏炎苞)で、細長い黄色い部分が花(肉穂花序)のようでした。


 近くに、先程のヘリコニア・ロストラータが咲いていました。




 ご丁寧に、花の解説があったので度アップで撮ってみました。


 ビげのような植物のウスネオイデスがあったので撮ってみました。
 『原産地では、電線にも着生する。』と解説がありました。


 扇形の葉を付けた高木があったので撮ってみましたが、オウギバショウ(扇芭蕉)ですかね!?


 展望台からパパイアが見えたので撮ってみましたが、別名は「乳瓜(ちちうり)」と呼ばれているみたいです。


 ご覧のような大きな実を付けたビヨウタコノキがあったので撮ってみました。


 ”美容”の名前が付いているので、パイナップルのように食べられるかも知れませんね!?


 本日オススメの素晴らしいバンダが咲いていたのでアップで撮ってみました。




 傍に、色違いのバンダが咲いていたのでこちらもアップで撮ってみました。


 近くに、本日オススメのパキスタキス・ルテアが咲いていました。


 アップで撮るとアリがいるのが分かりますが、ヒアリではありませんよね!?


 アサガオかと思ったのですが、熱帯植物のツンベルギア・フォーゲリアナなので撮ってみました。




 温室を一回りしたので、2階休憩テラスから温室内を撮って、トロピカルドーム温室を後にしました。

 昼食も食べていなかったので、休憩所でアルコール抜きで遅い昼食を取りました。


 休憩所を出ると、バラ園アーチが半分紅葉していたのでアップで撮ってみました。
 バス停に行って、時間を確認すると待ち時間が大分(この時間帯は1本/時間)があったので、展示温室がある方に行ってみました。


 途中にあった案内図で現在地を確認すると、バス道路沿いに総世寺があったので帰りに行ってみることにしました。

<展示温室の前>

 展示温室の方に行ってみると、今年3月「おだわら諏訪の原公園から小田原フラワーガーデンへ(後編)」で見た彼岸桜はご覧のようになっていました。


 展示温室の前に行くと、紫の苞に白い花が咲いているご覧のような植物(ラベンダー?)がありました。


 これだけ沢山咲いていると少し不気味な感じがしますね!?




 取り敢えずアップで撮ってみましたが、展示物でないので名札は付いていませんでした。


 展示温室に入ってみたのですが、室温が高いのかレンズが曇ってしまい写真は撮れませんでした。


 外に出ると、背後にトロピカルドーム温室が見えたので撮ってみました。


 ご覧のような生け垣の脇を通って、環境事業センター側にあるフラワーセンターの出入口に向いました。

<小田原市環境事業センター>

 道路に出ると、ご覧のような立派な環境事業センターがあったので撮ってみました。


 ご覧のような案内が出ていたので、直接、ごみは持ち込めるみたいですよ!?
 又、珍しいことに小動物受入の案内も出ていました。

<総世寺(そうせいじ)> 

 環境事業センターからバス道路を10分程歩くと総世寺に着きました。


 門柱から参道を撮ってみましたが、先に見える総門まではかなりの距離があります。


 参道の左側に、ご覧のような石積みのピラミッド(?)がありました。


 良く見ると、左側のピラミッドには可愛らしいお坊さん(?)が立っていました。


 総門の前に遣って来たので、献灯と一緒に総門を撮ってみました。


 総門をくぐると、ご覧のような立派な本堂が見えたので撮ってみました。
 又、右側には、ご覧のような鉢植えの「ざる菊」が置いてありました。


 総門の左側には、かながわの名木100選、小田原市天然記念物に指定されているカヤの木(樹齢約280年、樹高約25m)がありました。




 下を見ると、カヤの実が落ちていたのでアップでも撮ってみました。


 ご覧のような手水舎で身を清めて本堂に向いました。


 立派な本堂を撮って、お参りすることにしました。


 屋根の大棟に、山号の阿育王山があったのでアップで撮ってみました。


 本堂の前にも、ご覧のような「ざる菊」が置いてありました。

 通りかかった若い住職(?)が、ご丁寧に総世寺の由来など説明をしてくれました(有難うございました)。
 又、本堂の梵鐘を見て行きなさいと言われたので、本堂に上がってみました。


 本堂には総世寺と書かれた扁額が掛けられていました。


 本堂の中はご覧のようになっていました。


 御本尊(釈迦牟尼)が祀られている内陣で、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 早速、県の重要文化財に指定されている羽柴秀次が寄進した梵鐘を見に行ってみました。
 尚、この梵鐘は、天正18年(1590)に豊臣秀吉が小田原攻めの際に用いた鐘みたいです。




 失礼して、外陣の両隣りの部屋を撮らせていただきました。


 折角なので、本堂の内部を撮って本堂を後にしました。


 本堂を横から撮って、バス停「総世寺前」に向いました。


 途中、ご覧のような観音様が建っている永代供養墓があったので撮ってみました。


 永代供養墓の前に、ご覧のような鉢植えの「ざる菊」があったので撮ってみました。
 境内の至るところに「ざる菊」が置いてあったので、「ざる菊祭り」の準備でもしているのですかね!?


 バス停から総世寺の外側を撮っていると、バスはほぼ時間通りに遣って来ました。

 小田原駅東口に着いたので、いつも行く魚料理の食事処に入って一杯飲んで帰りました。 

 今回の「小田原フラワーガーデン」は、素晴らしいバラや熱帯植物が楽しめ、その後、総世寺まで行けたので満足しています。
 しかし、今日は殆ど歩いていないので万歩計は10,000歩に届いていませんでした。
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深見城跡を目指して境川沿いを北上

2017年10月09日 | Weblog
 友人が大和市深見に深見城があったと言っていたので、3連休の最終日(10月9日)は深見城跡を探しに行ってみました。
 インターネットで調べると、深見城跡は大和市/北部浄化センターの近くにあったので、運動不足の解消も兼ねて境川沿いを北上してみました。

<深見神社(ふかみじんじゃ)>

 取り敢えず、地元の深見神社にお参りしてから行くことにしました。
 深見神社は氏子なので奉仕活動などではよく来ていますが、今日は西側の鳥居をくぐって境内に入ってみました。


 説明案内板には、『「深見」という地名は「倭名類聚抄」(931〜937)に「相模国高座郡深見郷」と記されており、市内の地名が初めて文献に登場したものです。しかし、この時の深見の範囲は現在地を含めてかなり広い範囲を総称していたもののようです。・・・』と書いてありましたが、深見城に関する記述はありませんでした。


 境内を撮ってみましたが、もう祝七五三の祭事が始まっているのですね!




 左側にある手水舎で身を清めて、拝殿に向いました。


 拝殿で、道に迷わないで深見城跡に着けますように参りをしました。




 お参りしてから、向拝と”深見神社”と書かれた扁額を撮ってみました。


 拝殿の隣りにあった、御神木のハルニレ(樹高30m、樹齢約400年)を撮ってみました。
 ハルニレは、「かながわの名木100選」、大和市天然記念物に指定されています。
 尚、以前は樹種が分からなかったので「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれていました。






 ついでに、境内社の靖國社(厚木空神社、摂社)と御倉稲荷神社(おくら稲荷)を撮ってみました。


 ハルニレを中央に神楽殿と拝殿を撮って境内を後にしました。


 狛犬のいるご覧のような参道を通って、深見神社を後にすることにしました。


 鳥居の脇に、寛政3年(1791)に建立された社号標があったので撮ってみました。

<佛導寺(ぶつどうじ)>

 深見神社の北側に佛導寺があるので、ここでもお参りをすることにしました。
 佛導寺は浄土宗のお寺ですが、訪れたことは殆どありません。


 石段を上ると山門から本堂が見えたので撮ってみました。
 尚、山門には、山号「親縁山」の扁額がかけられていました。


 山門をくぐると、ご覧のような本堂が見えたので撮ってみました。


 左側に、幼年時代の法然上人の勢至丸(せいしまる)の座像がありました。
 隣りに、法然上人の和歌『月かげの いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ』がありました。
 下の句『眺むる人の 心にぞ済む』に味わいがありますね!


 勢至丸さまをアップで撮ってみました。


 本堂と一緒に大きな欅(?)を撮ってみました。




 大きな欅の下に、ご覧のような平和観音があったのでアップで撮ってみました。


 ご覧のような立派な本堂で、無事に深見城跡に着けますようにお参りをしました。


 大和市指定重要文化財になっている鐘楼があったので撮ってみました。
 鐘楼台に「一人一撞 鐘は心を込めて丁寧て撞きましょう。 」 とあったので、鐘は誰でも撞けるみたいです。


 又、この梵鐘は元禄11年(1698)に鋳造された市内で最も古い梵鐘です。


 山門の傍に、徳本念仏塔(?)があったので撮ってみました。


 佛導寺を後に、ご覧のような相鉄線のガードをくぐって境川に向います。

<境川沿いを北上>

 ガードをくぐって右に曲がり、道なりに暫く進むと境川にかかる入村橋に着きました。


 入村橋から、これから北上する境川を撮ってみました。

 
 入村橋の向こう側に、コスモスが咲いていたので見に行ってみました。


 又、民家の庭先には、秋の七草のオミナエシが咲き始めていました。


 境川の両側に遊歩道はありますが、日陰が多そうな左側の遊歩道を歩くことにしました。


 遊歩道を暫く進むと、対岸に瀬谷本郷公園のグランドが見えてきました。


 更に遊歩道を進むと、川岸にご覧のようなカンナが咲いていました。


 素晴らしいカンナだったのでアップで撮ってみました。
 

 入村橋から遊歩道を10分程歩くと、ご覧のような境川親水広場に着きました。
 広場にベンチがあったので一休みすることにしました。


 説明案内板には、「境川は県内では相模川に次ぐ2番目に長い川」と書いてありました。


 一休みしてから遊歩道を更に進むと、左側に玩具のような建物がありました。
 気になったので正面に回ってみると、特別養護老人ホーム「ル・リアンふかみ」でした。


 先の方に深瀬橋が見えましたが、いつの間にか遊歩道は「藤沢大和自転車道」になっていました。
 ⇒ 自転車が後ろから来るのに気が付かないとヒヤッとしますね!


 深瀬橋から、これから北上する境川を撮ってみました。


 深瀬橋の向こう側には、長い名前の「境川激甚災害対策特別緊急整備事業竣工記念碑」がありました。


 遊歩道に戻って先に進みます。尚、左に見える白い建物は市立大和東小学校です。


 遊歩道を更に進むと、今度は県立大和東高等学校がありました。


 大和東高校を過ぎて遊歩道を歩いていると、左側に栗林とオミナエシの群生がありました。




 折角なので、栗の木とオミナエシをアップで撮ってみました。


 今度は、ご覧のような中島橋がありました。


 中島橋から、ご覧のように整備されている境川の川岸を撮ってみました。


 中島橋を後に、再び境川沿いを北上します。


 川岸に、白サギ(?)がいたのでアップで撮ってみました。


 遊歩道を暫く進むと、左側はご覧のような田んぼ畑になってきました。




 遊歩道に、ご覧のような水門があったのでアップで撮ってみました。


 田んぼ畑の奥の繁みの後は、東名高速道路が通っています。


 中島橋から遊歩道を15分程歩くと、大きなクスノキのある東名高速道路の手前に着きました。




 近くに、コスモスとビデンス(?)が咲いていたのでアップで撮ってみました。


 左側に、日差しが遮られる藤棚があったので一休みすることにしました。


 一休みしていると遊歩道の脇に、ご覧のような花が咲いていたので撮ってみました。


 一休みしてから遊歩道に戻り、東名高速道路下のトンネルを通って先に進みます。


 トンネルを越えると、ご覧のような上瀬谷橋がありました。
 東名高速道路には、横浜町田ICまで2kmの案内が出ていました。


 上瀬谷橋から境川の上流方面を撮ってみました。
 左側に、こんもりとした森が見えたので、深見城跡がありそうな感じがしました。
 ⇒ いずれにしても、国道246号線の大和橋までが勝負です。 


 上瀬谷橋から遊歩道を10分程歩くと、ご覧のような東屋がありました。
 ⇒ 途中に案内がなかったので少し不安にはなりました。


 東屋で一休みしていると、左側の道路にご覧のような支柱パイプ(?)が立っていました。


 案内板はありませんでしたが、気になったので道路を渡ってみました。

<深見城跡>

 支柱を越えると、ご覧のような散策路(?)になっていたので行ってみました。




 散策路の先は、ご覧のようなかなり急な山道になっていました。


 歩き易い山道に出ると、右側に「天竺坂」の地名標柱が建っていました。


 標柱の横には、『てんじくさか。深見城築城の際につくられた空堀にあたる道。この坂と交差する南北方向の道は鎌倉古道と呼ばれ、市域では公所から境川右岸を川沿いに南下し、藤澤宿(藤沢市)に至り東海道に合流していた古道です。』と書いてありました。
 折角なので、標柱と一緒に上ってきた天竺坂を撮ってみました。


 天竺坂を上り切ると、左側に深見城跡の説明案内板がありました。


 取り敢えず、説明案内板をアップで撮ってみました。
 説明案内板によると、深見城は16世紀戦国時代に造られたものみたいです。


 天竺坂の上の道は3方向に分かれていました。
 取り敢えず、左側(東南方向)の説明案内板の後の緑地に行ってみましたが、史跡らしきものはありませんでした。


 右側(北西方向)の道路に行ってみると、北部浄化センターの外れに着きました。


 折角なので、フェンスの間から水処理施設を撮ってみました。


 ここからは、ご覧のような真ん中の道(南西方向)を通って藤沢街道(国道467号線)に出ることにしました。




 道路右側の森を撮ってみましたが、「城山史跡公園」ではなく「深見歴史の森」になっていました。

<八雲神社(やくもじんじゃ)>

 深見城跡を後に、山道を道なりに10分程下ると、東西方向に走る急な坂道に出ました。
 急な坂道を西の方に行ってみると、立派な石垣のある家の先に八雲神社がありました。


 取り敢えず、社殿でここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 お参りしてから社殿の内部を撮らせていただきました。


 境内に、ご覧のような地神塔や庚申塔などがあったので撮ってみました。


 又、境内には「谷戸坂」の地名標柱もありました。
 標柱には、『やとざか。地域の人々に古くから親しまれた呼び名で八雲神社前の坂道のこと。また、この坂の南側近くにはやはり境川へおりる大坂(おおさか)と呼ばれる坂もあります。』と書いてありました。

<一ノ関公園>

 八雲神社を後に、大坂を探しながら道路を南下すると一ノ関公園に着きました。


 大きな公園ではありませんが、取り敢えず、公園を撮ってみました。


 公園の前にあった広域避難場所案内板で現在地を確認しました。
 西に行けば藤沢街道に出れそうなので、境川へ下りる大坂を探すのは諦めて藤沢街道に向いました。

 途中、少し道に迷いましたが一ノ関公園からは20分程で藤沢街道に出れました。
 昼食も食べていなかったので、食事処を探しながら藤沢街道を南下しました。
 結局、適当な食事処がなかったので、自宅近くのファミレスで喉を潤しながら遅い昼食を取りました。

 今回の「深見城跡を目指して境川沿いを北上」は、深見城跡に着けて良かったのですが、入口付近に目印になるようなものがあれば有難かったです(北部浄化センターの前から行くのがベスト?)。
 又、城跡は古墳と同じで、整備されていないと物足りない感じがしますね!?
 それでも、万歩計は22,000歩近くになっていたので運動不足の解消にはなりました。
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庭木の剪定・手入れ

2017年10月08日 | Weblog
 小さな庭ですが、大きくなった金木犀(キンモクセイ)と花水木(ハナミズキ)は自分で剪定できないので、9月末に業者(約5万円)に頼んで剪定してもらいました。
 特に、金木犀は5m以上あったのでスッキリしましたが、今度は棕櫚(シュロ)が気になったので、3連休の中日(10月8日)に自分で手入れをしてみました。

<剪定後の金木犀と花水木>



 剪定して貰った金木犀を、庭と2階のベランダから撮ってみました。




 剪定して貰った花水木も撮ってみましたが、花水木の方が葉っぱが多く残っていました。
 ⇒ 業者に聞いてみると、「花水木は葉っぱを多く残さないと枯れてしまう」と言うことでした。

<手入れ前の棕櫚>

 剪定された金木犀と一緒に棕櫚を撮ってみました。


 棕櫚をアップで撮ってみましたが、百日紅と比べるとやはり大きさが気になりますね!
 尚、百日紅は私が手入れをしました。

<手入れ後の棕櫚>

 手入れ後の棕櫚を撮ってみましたが、大分小さくなりましたね!


 取り敢えず、成果をアップで撮ってみました。

 結果的に2時間以上かかって棕櫚の手入れをしたことになりますが、後片付け(幹や葉っぱを細かくしてビニール袋に入れる)に時間がかかってしまいました。


 最後に、花水木の下にある実の付いている金柑を撮って、本日の作業を終わりにしました。

 尚、枝下ろしなどが大胆にできるのが玄人、できないのが素人だと本日の作業で分かりました。
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山行:御岳山(ロックガーデンⅡ)

2017年10月02日 | Weblog
 「山行:御岳山(ロックガーデンⅠ)」から続く。

<ロックガーデン(御岳沢休憩所~綾広の滝)>

 昼食も食べて人心地ついたので、「綾広の滝」に向うことにしました。
 目の前に、ご覧のような大きな岩があったので撮ってみました。






 ここからは、ご覧のような大きな岩場の間の遊歩道を歩くことになります。




 遊歩道を暫く進むと、ご覧のような木々が生い茂った渓流沿いの山道になりました。


 苔むした岩がゴロゴロしている渓流沿いの遊歩道をひたすら登ります。




 一息入れたついでに、渓流沿いのエメラルドグリーンの岩を撮ってみました。


 休憩所から遊歩道を10分程登ると、「綾広の滝(あやひろのたき)」に着きました。


 取り敢えず、滝の落ち口を撮って正面に行ってみました。


 落差10mの小さな滝ですが、清楚な感じのする「綾広の滝」ですね!


 流れ落ちる滝をアップで撮ってみました。


 右側の洞窟に、”祓所大神”(?)の石碑と祠があったのでアップで撮ってみました。


 この洞窟はご覧のような大きな岩の下にありますが、右にある巨木は何ですかね!?


 「綾広の滝」を撮って、遊歩道の先に行ってみることにしました。


 ここからは、ご覧のような石段を登って上に行きます。


 石段を登っていると、先程の巨木が見えたので撮ってみました。


 根本には、『お浜の桂(樹齢約300年、樹高38m、目通り4m)』の名札がありました。




 石段の登って遊歩道を歩いていると、後ろに「綾広の滝」が見えたので撮ってみました。


 「危険につき近寄らないでください!」の立て看板のある滝の上に着きました。


 折角なので、ここからも「綾広の滝」を撮ってみました。


 ロックガーデンの終点に着いたので、秩父多摩国立公園の門碑(?)を撮ってみました。


 目の前に大岳山分岐があるので、ここからは右に曲がって長尾平分岐を経て御嶽神社に向かいます。

<長尾平分岐に向う>

 山道を歩きだすと、下の方にロックガーデンの遊歩道が見えたので撮ってみました。


 ご覧のような渓流沿いの山道を通って長尾平分岐に向います(分岐まで約30分)。


 山道を暫く歩くと、「綾広の滝」の大きな岩が見えたので撮ってみました。




 ご覧のような山道を歩くので、ロックガーデンと比べると楽です。


 大岳山分岐から山道を10分程歩くと、立派なトイレがあったので撮ってみました。


 更に山道を5分程歩くと、ご覧のような岩のある見晴らしの良い場所に着きました。


 岩場の先の方で写真を撮っている人達がいたので私も撮ってみました。


 曇っていて上手く撮れなかったので、手前の山をアップで撮ってみました。




 見晴らしは良くありませんが、ご覧のような山道を歩いて長尾平分岐に向います。


 山道沿いの斜面に、ご覧のような紫色の花が咲いていたので撮ってみました。


 紫色が素晴らしかったのでアップで撮ってみましたが、花の名前は分かりません。


 山道の右側斜面に、見事な杉林があったので撮ってみました。


 山道を歩いていると、ご覧のような「天狗の腰掛け杉(推定樹齢350年、樹高60m)」がありました。


 上の大きく曲がった枝は、天狗が腰掛けたと言われています。


 「天狗の腰掛け杉」を撮って長尾平分岐に向いますが、右の鳥居は「奥の院・大岳山」への登り口です。


 近くにあった道標を確認すると、御嶽神社まで後1.0kmの所にいました。

 長尾平分岐に着いたので、長尾平で一休みしてから御嶽神社に向いました。
 御嶽神社へは、前回と同じようにショートカットの急な山道を登って行ってみました。

<武蔵御嶽神社>

 本社拝殿に着いたので、改修工事が済んだ向拝を撮ってみました。
 取り敢えず、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 綺麗になった拝殿をアップで撮ってみました。


 又、拝殿の天井もアップで撮ってみました。






 ついでに、拝殿の彫り物も撮ってみました。


 単なる鈴と思っていたのですが、奉納者(?)の名前が刻まれているのですね!

 時間に余裕があったので、拝殿の後を散策することにしました。


 拝殿の後ろには、ご覧のような立派な本殿がありました。
 御嶽蔵王大権現命柱のある触拝所となっていたので、柱に触りながら拝むのですかね!?


 本殿の左側には、伊弉諾(いざなき)尊・伊弉冉(いざなみ)尊の男女2神が祀ってある二柱社(ふたはしらしゃ)がありました。
 隣には、八柱社がありましたが祠はありませんでした。


 本殿の後ろに、神明社(しんめいしゃ)がありました。
 御祭神は、天照皇大御神(あまてらすすめおほみかみ)・ 豊受比賣神(とようけひめのかみ)です。


 神明社の斜め後ろに、旧本殿の常磐堅磐社(ときわかきわしゃ)があったので撮ってみました。


 常磐堅磐社の後ろに、大口真神社(おおくちまがみしゃ)があったので撮ってみました。


 ご覧のような白狼(?)が大口真神社を守っていました。


 大口真神社の後は、ご覧のような奥宮の遥拝所になっていました。


 取り敢えず、向かい側の山をアップで撮ってみました。


 大口真神社の帰りに、巨福社(こふくしゃ)があったので行ってみました。
 尚、御祭神は埴山比女神(はにやまひめのかみ)です。


 巨福社の近くに、菅原道眞公(すがはらのみちざねこう)が祀ってある北野社(きたのしゃ)があったので撮ってみました。

 旧本殿(常磐堅磐社)まで戻って来ると、本殿の左側にも社があったので行ってみました。


 朱色の立派な皇御孫命社(すめみまのみことしゃ)があったので撮ってみました。
 尚、御祭神は天瓊々杵命(あめのににぎのみこと)です。


 一番奥に、徳川家康公の御霊が祀ってある東照社があったので撮ってみました。

 御嶽神社の境内を一回りしたので拝殿に戻りました。


 拝殿の石段から反対側に、日の出山(?)が見えたので撮ってみました。


 山頂に建物のようなものが見えたのでアップで撮ってみましたが、建物ではありませんでした。


 拝殿を斜めから撮って、御嶽神社を後にしました。


 帰りは、前回と同じように女坂を下って大鳥居まで行きました(時間は未だ13時40分です)。


 大鳥居から参道を10分程歩くと、植込みに素晴らしいピンク色の花が植えてありました。


 下と見ると、ご丁寧に”秋明菊”の名札が付いていました。


 折角なので、秋明菊をアップで撮らせていただきました(有難うございました)。
 

 参道の出口に着いたので、後はケーブルカーとバスを乗り継いで御嶽駅に戻るだけになりました。
 
 ケーブルカーもバスも増発便が出ていたので、殆ど待たずに御嶽駅に着いてしまいました。
 JR立川駅近くの居酒屋で打上をしましたが、珍しいことに16時前からの開始になりました。

 今回の「山行:御岳山(ロックガーデン)」は、あまり歩いていないので少し物足りないですが、前回のリベンジとロックガーデンが歩けたのでそれなりに満足しています。
 尚、万歩計は、大して歩いていないので17,000歩を超える程度でした。
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山行:御岳山(ロックガーデンⅠ)

2017年10月01日 | Weblog
 9月30日(土)は、いつもの山行グループ(女性2人、男性4人)で御岳山に行きました。
 御岳山へは、同グループで2015年7月「山行:御岳山(七代の滝)」で行っていますが、その時は「天狗岩」までしか行けませんでした。
 従って、今回は「天狗岩」から先のロックガーデン(岩石園)を歩いてみることになりました。
 尚、ロックガーデンは、昭和10年(1935)に東京都緑地計画に基づいて「天狗岩」の背後から「綾広の滝」の上までの約1kmを整備した遊歩道です。

<御嶽駅>

 集合場所は9時にJR御嶽駅ですが、御岳駅とは書かないのですね!


 取り敢えず、御嶽駅の駅舎を撮って、西東京バスのバス停「御岳駅」に向いました。
 バスで「ケーブルカー下」まで行きますが、ここのバスは登山客が多いと増便が出るので楽ですね!

<御岳山ケーブルカー>

 「ケーブルカー下」に着いたので、ケーブルカー乗り場「滝本駅」まで急坂を上ります。
 いつものように、下からケーブルカーの線路を撮ってみました。


 ご覧のような、正面が赤い御嶽号に乗って終点の御岳山駅に向います。


 中間地点で正面が緑色の武蔵号とすれ違います。


 ケーブルカーから終点の御岳山駅が見えたので撮ってみました。


 滝本駅から6分程で御岳山駅に着いてしまいました。
 尚、「天空もみじまつり」は、10月14日(土)~11月23日(祝)に開催されるみたいです。


 御岳山駅の駅舎を撮って御岳平に行ってみました。

<御岳平>



 御岳平に二種類の記念写真用オブジェがあったので撮ってみましたが、下の可愛らしいオブジェは最近できたものですね!




 いつものように、推定樹齢100年の大藤をアップで撮ってみました。


 御嶽神社参道の入口に、御岳山案内図があったので、<長尾平⇒天狗岩⇒ロックガーデン⇒綾広の滝>のルートを確認しました。

<御嶽神社参道>

 いつものように、ご覧のような参道入口から歩き始めます。


 歩き始めると、 矢島稔の歌碑『永劫に 御岳の宝 邯鄲の声』があったので撮ってみました。
 ⇒ ところで、邯鄲は何と読むのですかね! 
 ⇒ ”カンタン”だと「字余り」になるので、”ムシ(虫)”の当て字ですかね!?


 参道に、ご覧のような鳥居があったので撮ってみました。


 ご覧のような杉林の参道を通って先に進みます。


 参道にご覧のような案内がありましたが、一昨年はなかったような気がするのですが・・・


 参道入口から10分程でご覧のような分岐に着きましたが、「わんこと一緒にトライアルコース」は右下への案内が出ていました。
 ⇒ 急坂を上るからですかね!?


 急坂の手前に、前回も見かけた紅葉があったので撮ってみましたが、見頃は過ぎている感じですね!?


 急坂の途中に「天然記念物御嶽神代欅」の碑があったので撮ってみました。


 神代欅の案内板の前にあった白い紫陽花は、ご覧のような色に変色していました。


 今回も、推定樹齢1000年の神代欅を撮ってみました。


 石垣に、ご覧のようなピンク色のが咲いていました。


 可愛らしい花(シュンカイドウ?)だったのでアップで撮ってみました。


 参道入口から15分程で、髄神門の下にある大鳥居に着きました。
 尚、社号標は「武蔵御嶽神社」となっていました。


 後ろに、「天空芸者」で使うステージ(?)があったので撮ってみました。


 随身門の立派な扁額を撮ってみましたが、御嶽神社と書いてあるのですよね!?
 

 随身門を通って100段(?)ある石段を上りますが、今日は御嶽神社まで行かないので気が楽です。


 余裕があったので、立ち並ぶ講碑を撮ってみました。


 石段の途中に、御祭神が倉稲魂神の稲荷社があったので撮ってみました。


 石段を少し上ると、御祭神が大歳神・御齢神・大山咋神の三柱社があったので撮ってみました。


 石段の下に、道標<長尾平 0.2km 大岳山 4.2km ロックガーデン>があったので石段はここまでです。
 
<長尾平>

 長尾平に向かう裏参道に、下の方が茶色くなっている大きな杉があったので撮ってみました。
 ⇒ これは、大きな杉に抱き着く登山者がいて擦れて茶色くなったのですかね!?


 長尾平の分岐に着きました。


 今回は<ロックガーデン(岩石園)1.0km>に行くので、左側の急な石段は下りなくてすみます。
 尚、この山道は前回の帰路(上り)ですが、今回は下ることになります。


 分岐に、登山家「長谷川恒男」の記念碑があったので撮ってみました。

<天狗岩に向かう>

 天狗岩に向かう分岐まで、ご覧のような杉林の山道を下ります。


 山道を下りながら斜面の杉林を撮ってみました。




 天狗岩に向かう分岐に着いたので、道標に従って左の山道を下りることになります。


 ここからもご覧のような杉林の山道を下ります。


 根が剥き出しになっているご覧のような山道があったので撮ってみました。


 天狗岩の手前に着くと、視野が開けて向かい側の御岳山(?)が見えたので撮ってみました。

<天狗岩>

 長尾平から20分程で天狗岩に着いてしまいましたが、ここで一息入れることになりました。
 尚、手前に見える石段は「七代の滝」からの山道です。


 天狗岩の頂上に立っている天狗の後ろ姿(?)をアップで撮ってみました。


 天狗岩を別角度からも撮ってみました。


 天狗岩の右側に、尖がった岩があったので撮ってみました。


 天狗岩からは、ご覧のような急な石段を下ってロックガーデンに向います。

<ロックガーデン(天狗岩~御岳沢休憩所)>

 天狗岩から山道を暫く進むと、ロックガーデンの石段の上に着きました。


 早速、苔むした岩がゴロゴロしている沢を撮ってみました。


 エメラルドグリーンの岩場をアップで撮ってみました。


 渓流を横目で眺めながら沢沿いの遊歩道を上ります。


 沢にご覧のような白い花(シラネセンキュウ?)が咲いていたのでアップで撮ってみました。




 エメラルドグリーンの苔むした岩を眺めながら遊歩道をひたすら上ります。


 所どころに、ご覧のような飛び石があるので、渓流を行ったり来たりしながら遊歩道を上ります。
 

 小さな岩がゴロゴロしていますが、ご覧のような遊歩道もあります。




 沢沿いの遊歩道を5分程上ると、ご覧のような橋のある分岐に着きましたが、我々はそのまま直進します。


 穏やかな渓流が流れていたのでアップで撮ってみました。






 ここからは、ご覧のような遊歩道になります。


 岩を掴んでいるような根っ子があったのでアップで撮ってみました。


 渓流をはさんで、亀が見合っているような岩があったので撮ってみました。


 渓流の飛び石を撮っていると、上の方にロックガーデンの御岳沢休憩所が見えました。


 休憩所に着いたので、上って来た遊歩道を撮ってみました。


 ついでに、遊歩道の右側の斜面も撮ってみました。


 12時には大分早かったのですが、ここで昼食を食べることにしました。


 昼食を食べてから、後ろにあった「御岳岩石園周辺案内図」で現在地を確認しました。


 又、裏側に御岳岩石園の説明案内が載っていたので撮ってみました。

 「山行:御岳山(ロックガーデンⅡ)」に続く。
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日向薬師の彼岸花(後編)

2017年09月25日 | Weblog
 「日向薬師の彼岸花(前編)」から続く。

 日向薬師の門柱からバス道路に出ましたが、未だ14時前だったので彼岸花を探しながらバス道路を南下することにしました。
 ⇒ バス道路は道に迷わないし、歩き疲れたらバスに乗れますからね!?

<彼岸花を求めて南下>

 歩き始めると直ぐに大門橋があって、橋の先には「伊勢原マス釣り場」がありました。
 ここはレストハウスを兼ねていて食事も出来そうでした。
 ⇒ 事前に分かっていればここで昼食が取れましたね!


 橋の近くに、素晴らしい萩の花が咲いていたのでアップで撮ってみました。


 大門橋から5分程歩くと、ご覧のような十二神橋がありました。


 散策路(?)に彼岸花の群生地がありそうなので、日向川沿いを歩いてみることにしました。


 散策路に咲いている彼岸花を撮ってみました。


 素晴らしい彼岸花だったのでアップで撮ってみました。


 又、緑色の葉っぱに映える彼岸花もあったのでこちらも撮ってみました。


 日向川にご覧のような堰があったので撮ってみました。
 散策路の先に行ってみましたが、お墓で行き止りになっていたので戻ることにしました。


 十二神橋を下から撮って、元のバス道路に戻りました。


 道路を南下していると、ご覧のような看板ゲートがあったので撮ってみました。


 道路を暫く進むと、「関東ふれいあいの道」の道標<よろい塚へ 日向薬師へ>、彼岸花散策路入口<日陰道>の案内が出ていました。
 日陰道に行くと元のスタート地点に戻ってしまうので、道路をそのまま南下しました。


 道路を歩いていると、ご覧のような彼岸花が咲いていたので撮ってみました。


 道路の左側奥に、ご覧のような彼岸花の群生地がありました。
 手前に見える白い畑は蕎麦の花畑ですね!


 道路から大分離れていて行き方も分からなかったので、行くのは諦めてアップで撮ってみました。
 



 バス停「藤野入口」の近くは、彼岸花ではなく蕎麦の花が見頃を迎えていました。


 バス停を過ぎると、道路の反対側に神社があったので行ってみました。


 道路を渡ると、ご覧のような石塔群がありました(三浦先生頌徳碑は誰でしょうね?)。




 社殿に着いたので扁額を確認すると諏訪神社になっていました。


 取り敢えず、お参りしてから神社の内部を撮らせていただきました。


 道路を歩いていると、石材店に可愛らしい大黒様と布袋様がいたので撮ってみました。


 バス停「洗水(あろうず)」の近くに遣って来ると、ご覧のようなサルビアが咲いていました。


 赤色の素晴らしいサルビアだったのでアップで撮ってみました。

 交通誘導員が何故いるのか分かりませんが、電柱に盛徳寺の矢印が出ていたので行ってみることにしました。

<盛徳寺に向かう>

 ご覧のような道路から盛徳寺に向いますが、道に迷わないことを願うだけです。


 道なりに5分程歩くと、民家の傍らに彼岸花が咲いていたので撮ってみました。


 道路は舗装されていますが、道幅はだんだん狭くなってきました。


 土手に、ご覧のような彼岸花が咲いていたので撮ってみました。


 真っ赤な素晴らしい彼岸花をアップで撮ってみました。




 白色の彼岸花も咲いていたのでアップで撮ってみました。


 舗装された狭い道路を更に5分程上ると、紅葉が始まりかけたモミジがあったので撮ってみました。


 モミジの後ろに、トタン屋根の大きな納屋(?)があったので撮らせていただきました。


 ご覧のような待避所のある坂道を更に上りますが、盛徳寺は未だ見えません。

<盛徳寺>

 盛徳寺の矢印案内から15分程で、盛徳寺の霊園の入口に着きました。
 ここにも交通誘導員が立っていたので、急勾配の狭い道路なので出入口で車を規制しているようでした。


 霊園の右側にあった「迦葉山盛徳寺 伊勢原霊園の由緒」には、『当霊園は、西暦1598年(慶長2年)現東京都港区赤坂の地に開山された曹洞宗迦葉山盛徳寺の移転(昭和47年)に伴い誕生した超宗派霊園であります。・・・西暦1655年(承応3年)には初代藩主伊豆守真田信之公(真田幸村公の兄)により中興開基が行われ、以来同藩の江戸での菩提所となりました。・・・』と書いてありました。


 霊園入口の左側には「信州 松代藩 真田家之墓」がありました。


 盛徳寺の本堂は、霊園の横の坂道を上ったところにありました。


 坂道の途中に、素晴らしい彼岸花が咲いていたのでアップで撮ってみました。




 本堂前の広場に着いたので、盛徳寺の石柱を撮ってみました。


 石段の右側に、不動明三尊堂があったので行ってみました。


 失礼して、堂内の不動明王(?)を撮らせていただきました。


 石段を上って本堂に向かいますが、中央に山門、左には鐘楼堂、右には庫裡があります。


 石段を上って山門を撮ってみました。




 山門に立っている金剛力士像を撮ってみました。


 山門の扉に、真田家の六文銭がありました。


 山門をくぐると、左側に山門より立派な鐘楼堂があったので撮ってみました。


 鐘楼堂にもご覧のような六文銭が付いていました。


 ご覧のような階段を上って本堂に向かいますが、階段の下に小さな盛徳寺と迦葉山の石柱がありました。


 立派な本堂を撮って、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。




 本堂でお参りしてから坂道を上ると、右側に立派な寺務所(?)があったので撮ってみました。


 坂道を更に上ると、麗盛観世音菩薩の幟のあるご覧のような階段がありました。


 階段を上ると左側に、眞田家御霊屋があったので撮ってみました。


 更に上の方に行くと、ご覧のような麗盛観音堂がありました。


 失礼して、堂内の観音様をアップで撮らせていただきました。


 下に眞田家御霊屋が見えたので撮ってみました。


 手前に、小さなお地蔵さんが置いてあるご覧のような石があったので撮ってみました。

 本堂前の広場に戻って来たので、坂道を下って霊園入口に向かいました。


 霊園入口に戻って来たので、霊園側から霊園門を撮ってみました。


 霊園の下に、ご覧のような庚申堂があったので撮ってみました。

 盛徳寺を後に、来た道を戻りますが、帰りは下りなので楽です。


 彼岸花が咲いていた土手に戻って来ると、アゲハ蝶が飛んでいました。


 アゲハ蝶がじっとしていた(気持ちが通じた?)ので、アップで撮ることができました。


 サルビアのプランターが置いてあるバス停「洗水」に着きました。
 ⇒ このサルビアは、盛徳寺入口の目印かも知れませんね!?


 折角なので、素晴らしいサルビアをアップで撮ってみました。

 伊勢原駅北口行きバスの時刻表を見るとバスが行った後でした。
 仕方がないので、更にバス道路を南下することにしました。

<道路を南下>

 道路を南下していると、ご覧のような金剛力士像の置いてある石材店がありました。
 ⇒ この道路には、石材店が多いような感じがするのですが・・・


 バス停「洗水」から道路を10分程南下すると、道標<よろい塚へ>がありました。


 「よろい塚」の高台に行ってみると、いろんな碑が建っていました。


 取り敢えず、忠魂碑を撮ってみました。


 忠魂碑の後ろに、鎧塚神社と彫られた石碑があったので撮ってみました。


 石碑の後ろには、ご覧のような石の観音様(?)がありました。
 尚、台石に何か彫られていましたが判読(長運霊?)できませんでした。


 忠魂碑の右に、記念碑らしきものが建っていたので撮ってみました。


 斜めになっていますが、馬頭観世音もあったので撮ってみました。


 又、三浦英蔵先生頌徳碑も建っていましたが、諏訪神社近くにあった碑と同一人物ですかね!?


 「よろい塚」にも彼岸花が咲いていたので撮ってました。

 バス道路に戻って暫く歩くと、バス停「高部屋小学校前」がありました。
 バスが遣って来たので乗ってしまいましたが、17時前なので伊勢原駅に着いても居酒屋は遣ってなさそうです。

<伊勢原大神宮>

 バス停「大神宮前」で途中下車して、時間調整を兼ねて伊勢原大神宮に行ってみました。


 手水舎に行ってみると、参拝の順序が<外宮内宮>となっていたので、外宮から参拝することにしました。


 未だ9月なのに、境内にはご覧のような「七五三詣」の看板がありました。
 尚、右にあるのが外宮(げくう)で、左にあるのが内宮(ないくう)です。


 又、「ひとりよりふたり」、「ひとつよりふたつ」をイメージしたご覧のようなものが置いてありました。


 階段の下から外宮を撮ってみました。


 取り敢えず、外宮の御祭神と御利益を撮ってみました。


 外宮拝殿を撮ってお参りをしました。


 拝殿の内部も撮ってみましたが、右にある白い卵のようなマークは何ですかね!?


 外宮でお参りしてから内宮に行ってみました。


 ご覧のような大きな干支のある内宮拝殿を撮ってみました。


 内宮の御祭神と御利益も撮ってみました。


 お参りしてから、拝殿の内部も撮ってみましたが、右には赤い卵のようなマークがありました。


 内宮と外宮を撮って境内に戻りました。


 参拝時間が過ぎているのか(?)巫女さんも後片付けをしていました。

 伊勢原大神宮を後に、歩いて伊勢原駅北口に向かいました。駅前近くの居酒屋に入って一杯遣って帰りました。

 今回の「日向薬師の彼岸花」は、素晴らしい彼岸花が見れたのといろんな所が散策できたので満足しています。
 尚、万歩計は、それなりに歩いたので14,000歩を超えていました。
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日向薬師の彼岸花(前編)

2017年09月24日 | Weblog
 9月23日(祝)は、朝は小雨が降っていましたが(午後は曇り予報)、伊勢原市の日向薬師に彼岸花を見に行ってみました。
 日向薬師は、2015年8月「大山(2日目)」、同年9月「日向薬師・見城ハイキング」などで来ていますが、彼岸花を見に来たのは10年以上も前のことになります。

 日向薬師の参道入口付近に彼岸花の群生地があったので、小田急線の伊勢原駅北口から「日向薬師行」のバスに乗って終点まで行ってみました(バスの乗車時間は約30分)。

<散策路の彼岸花>

 終点に着いたので、折り返しのバスロータリーを撮ってみました。
 臨時観光案内所に行って、伊勢原歴史史跡マップと彼岸花の群生地案内図を貰いました。
 又、案内図の日向薬師には「本堂が新しくなりました。」のコメントも載っていました。


 取り敢えず、トイレの近くにあった案内看板で現在地を確認しました。


 案内看板の左側に「彼岸花散策路入口」の案内が出ていました。


 散策路の入口には、ご覧のような鹿柵があって彼岸花の見頃には開けているみたいです。


 田んぼの脇に咲いている彼岸花を眺めながら散策路を進みます。


 田んぼの奥に、彼岸花の群生が見えたのでアップで撮ってみました。


 見頃は過ぎていますが、ご覧のような彼岸花が咲いていたので撮ってみました。


 彼岸花はあまり咲いていませんが、彼岸花を探しながら散策路を進んでみました。




 散策路に、ご覧のような彼岸花が咲いていたのでアップで撮ってみました。




 又、青白い花と一緒に彼岸花が咲ていたのでアップで撮ってみました。


 彼岸花がメインなので、取り敢えずアップで撮ってみました。


 ここからは、ご覧のような用水路の脇を通って散策路を進みます。


 柿の木の下に彼岸花が咲いていたので撮ってみましたが、もう秋ですね~


 柿の木の下に、ご覧のような彼岸花の群生があったので撮ってみました。




 素晴らしい彼岸花だったのでアップで撮ってみました。


 折角なので、度アップでも撮ってみました。


 見事な彼岸花を眺めながら散策路を進みます。




 散策路を暫く進むと、ご覧のような彼岸花が咲ていたので撮ってみました。


 素晴らしい彼岸花だったのでアップでも撮ってみました。


 ついでに、度アップでも撮ってみました。


 右側の田んぼの奥に、彼岸花の群生があったので撮ってみました。
 



 ここの散策路にも、今が見頃の彼岸花が咲いていました。




 傍に、ツボミの彼岸花もあったのでアップで撮ってみました。


 この辺りの田んぼには、ご覧のような彼岸花が群生地が多くあります。


 散策路の脇に咲いている彼岸花を眺めながら先に進みます。


 散策路の入口から15分程で散策路の外れ近くに遣って来ました。


 散策路の突き当りにも、ご覧のような彼岸花が咲いていたので撮ってみました。
 右に行けば、日向渓谷から伊勢原に行ける一般道に出ます。


 散策路を右に曲がって暫く進むと、沢に見事な彼岸花が咲いていました。
 写真を撮っている人達がいたので私も撮ってみました。




 ここにも素晴らしい彼岸花が咲いていたのでアップで撮ってみました。


 一般道に出る手前の土手に、ご覧のような彼岸花の群生地がありました。


 良く見ると、サルビアやコスモスなどの秋の花も咲いていました。


 一般道に出ると、土手にご覧のような彼岸花が咲いていました。


 折角なのでアップでも撮ってみました。


 又、反対側に電気柵のある蕎麦の花畑があったので撮ってみました。


 電気柵越しに蕎麦の花畑をアップで撮ってみましたが、この電気柵は鹿避けですかね!?

<薬師林道>

 一般道を少し上ると、右側にご覧のような薬師林道があったので、日向薬師の新しくなった本堂を見に行ってみることにしました(日向薬師まで約15分)。




 右側の杉林を眺めながら、ご覧のような舗装された林道をひたすら上ります。


 林道に、ご覧のような道標<坊中0.45k 日向薬師0.34k、七沢温泉6.0K>があったので撮ってみました。


 林道を10分程上ると、ご覧のような案内図があったので現在地を確認しましたが、もう少しで日向薬師に着けそうです。


 左側に林間広場があったので行ってみましたが、立入禁止で沢の上には行けそうにありません。


 林間広場の入口に未だ紅葉していませんが、ご覧のような大きなモミジがあったので撮って林道に戻りました。


 林道の脇に、ご覧のような芙蓉が咲いていたので撮ってみました。


 素晴らしい芙蓉の花だったのでアップで撮ってみました。


 木々の間に、ご覧のような大きなキノコ(?)が見えたのでアップで撮ってみました。

<日向薬師>

 林道を暫く上ると、ご覧のような門柱のある日向薬師の裏に着きました。


 坂道を下ると、無料休憩所があって座れたので、軽く飲みながら昼食を取ることにしました。


 昼食を取って一息入れたので、宝殿(宝物殿)の前を通って本堂(薬師堂)に行ってみました。


 新しくなった本堂の茅葺き屋根と軒下をアップで撮ってみました。


 又、本堂の外陣の奥をアップで撮ってみました。


 取り敢えず、新しくなった本堂を撮ってみました。


 ご覧のような手水舎で身を清めてから本堂に行ってみました。


 新しくなった本堂を正面から撮ってみました。


 外陣を撮ってからお参りをしましたが、残念ながら本堂は撮影禁止になっていました。
 本堂で、お参りを済ませたので境内を散策することにしました。


 南無大師遍照金剛の旗が奉納されていたので、弘法大師(空海)像ですね!?


 近くに、ご覧のような相模歌碑があったので撮ってみました。
 『指して来し 日向の山を頼む身は 目も明らかに 見えざらめやは』と詠まれているようですが・・・


 ご覧のような大きな洞にある虚空蔵菩薩に今回も行ってみました。


 祠に『なうぼう あきゃしゃきゃらばや おんありきゃ まりぼり そわか』(?)の御真言がありますが、やはり意味不明です。


 鐘堂の修復工事(含む、茅葺き屋根)は終わっていているようで、銅鐘も吊り下がっていました。


 鐘堂の傍に、県指定天然記念物の「宝城坊の二本杉」があるので撮ってみましたが、この角度からだと一本杉にしか見えませんね!


 取り敢えず、境内を一回りしたので、ご覧のような急な石段の参道を下ります。




 ご覧のような寺林の参道を下りますが、道幅が広いので比較的歩き易いです。 




 又、参道にご覧のような歌碑(?)があったので撮ってみました。
 何と書いてあるのか参拝者は立ち止まっていましたが、私はスルーしてしまいました。


 参道の下の方に、仁王門が見えたので撮ってみました。


 仁王門に着いたので後ろ側を撮ってみました。


 後ろからでは何なので表に回って仁王門を撮ってみました。
 尚、朱漆の金剛力士像は伊勢原市の文化財に指定されています。




 取り敢えず、口を開いている阿形(あぎょう)像と口を閉じている吽形(うんぎょう)像をアップで撮ってみました。


 仁王門の下は、ご覧のようにかなり急な階段になっています。


 階段の踊り場から振り返って仁王門を撮ってみました。


 急な階段を下りると、右側に「いしば(衣裳場)」の説明案内板がありました。


 説明案内板には、『頼朝公が日向薬師参詣の時、ここにおいて旅装を脱ぎ白装束に衣裳を着替えたとことから「衣裳場(いしょうば)」といわれ、現在は訛って「いしば」と呼ばれています。・・・』と書いてありました。


 参道を歩いていると、見事な竹林があったので撮ってみました。


 又、参道にはご覧のような石仏群も祀ってありました。


 参道の入口に着いたので、門柱を撮って日向薬師を後にしました。

 「日向薬師の彼岸花(後編)」に続く。
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円海山ハイキング

2017年09月17日 | Weblog
 9月15日(金)は、実家(横浜市磯子区杉田)に行く用事があったので、ついでに円海山(えんかいざん)まで歩いてみました。
 子供の頃、円海山は遠足などで行っているので行き方は特に調べませんでしたが、円海山は「峰」を通って行ったような気がします。

<「峰」に向かう>

 スタート地点は、実家近くの市道環状3号線の栗木交差点からです。


 環状3号線を直進して道なりに進むと、峰入口の信号近くに萩台トンネルがありました。


 萩台トンネルを通るわけではありませんが、トンネルの入口をアップで撮ってみました。


 峰入口の信号からは、バスが通っているご覧のような道路を進んでみました。


 坂道を下ると、磯子CCのバス停「ゴルフ場入口」がありました。
 歩いてきた道路の上にあったのはゴルフ場の橋ですね!


 右側に、磯子CCの石碑があったので撮ってみました。
 磯子CCは昭和35年(1960)にオープンしましたが、遠足で来た時には未だ出来ていなかったような気がします。


 道なりに暫く歩くと、ご覧のような道標がありました。
 バスが走っている方が無難なので<善正山 休憩所>の方に行ってみました。


 バス停「坂下」に着いたので、行先を確認しました。
 行先に、バス停「峰」や「峰の郷」があったので、ここまでは順調に来ています。


 バス停「坂下」から暫く歩くと、右側に案内図が出ていたので現在地を確認しました。


 案内図で確認すると、このまま進んで横浜横須賀道路を過ぎれば円海山に行けそうでした。


 案内図の下には、トレイルやハイキングの色ルートの説明が載っていました。
 今回の「峯市民の森ルート」や先日の「六国峠ハイキングコース」もありました。


 右側に小さな工場(?)があるご覧のような道路を進みます。


 バス停「更新橋」辺りからは、ご覧のような道路になります。
 ⇒ この辺りになると、子供の頃に来た感じがしました。


 暫く歩くと、右側にご覧のような住宅が建っていましたが、宅地開発がここまで進んでいたのですね!


 横浜横須賀道路の手前に遣って来ると、右側に峯公園がありました。


 ”峰公園”ではありませんが、取り敢えず中に入ってみました。


 小さな公園ですが、ベンチがあったので一休みすることにしました。
 一休みしてから、目の前にあった小さな池を見に行ってみました。




 池を撮ってみましたが、あまり綺麗な池ではありませんでした。


 石橋を渡って、池の反対側に行ってみました。


 池の反対側はトイレがあるだけで、ご覧のように特に見るべきものはありませんでした。


 公園の脇を通って、ベンチのある場所に戻ることにしました。


 ご覧のような石塔があったのでアップで撮ってみました。


 公園脇に、ご覧のような遊歩道があったので行ってみましたが、横浜横須賀道路の下で行き止りになっていました。


 栗木交差点からは、1時間程でバス停「峰」に着きました。

 ここから円海山に向いますが、歩行ルートが良く分かりません。
 円海山には電波塔があったので、高い山にある電波塔を目指して歩くことにしました。

<円海山に向かう>

 道路を歩く出すと、後ろに横浜横須賀道路が見えたので撮ってみました。


 取り敢えず、ご覧のような道路を歩いて行けば高い所に着けそうです。
 

 道路を歩いていると、道路脇に竹林があったので撮ってみました。


 道なりに高い所を目指して5分程歩くと、特別養護老人ホーム「峰の郷」に着きました。
 ⇒ 「峰の郷」は、新しい施設のようで聞いたことがなくて当然です。


 「峰の郷」を後に、電波塔の見える高い所を目指して、ご覧のような舗装された道路を上ります。
 尚、山道は道に迷う恐れがあったので避けました。


 見晴らしの良い場所に着いたので、市街地をアップで撮ってみました。


 遠くに、横浜ランドマークタワーが見えたのでアップで撮ってみました。


 「港南台ひよどり団地」の左手に、ご覧のような道路がありましたが道標は見当たりません。


 フェンスの掲示板に、現在地とご覧のような矢印案内が出ていたのでホッ!としました。
 ⇒ 立入禁止の中に書いてあったのには笑えますね!


 ご覧のような道路を上って円海山に向かいました。

<円海山>

 バス停「峰」から20分程で円海山の電波塔に着きましたが、この電波塔の事業者は不明です。


 事業者不明の電波塔をアップで撮ってみました。


 更に、上部を度アップで撮ってみました。


 富士山が見える方向を撮ってみましたが、残念ながらご覧のような状態でした。


 仕方がないので、目の前の円海山(?)を撮ってみました。




 近くに別の電波塔が建っていたので、アップで撮って行ってみました。


 手前の電波塔の事業者はKDDI(株)でした。




 こちらの電波塔の入口には、円海山無線中継所の看板が掛かっていましたが、事業者は分かりません。


 綺麗な電波塔だったので、真下から撮ってみました。


 円海山無線中継所の横に、ご覧のような「通行止め」がありました。


 「通行止め」を越えて暫く進むと、尾根道は二手に分かれていました。




 ご覧のような道標があったので、行き先を確認しました。
 鎌倉天園に行っても仕方がないので、左手の氷取沢方面に行ってみることにしました。


 ご覧のような尾根道を少し進むと、右側に見晴らしの良さそうな広場がありました。
 

 広場に、ご覧のようなベンチあったので一休みすることにしました。
 

 広場にあった案内図で現在地を確認すると、ここが「いっしんどう広場」のようでした。
 ⇒ 先程の道標に騙されたような感じがしました。

 ここからは「氷取沢市民の森」の尾根道(氷取沢-いっしんどうルート)を下って氷取沢に向います。
 所で、氷取沢(ひとりざわ)の地名の由来は、この地域の沢から氷を取って、北条高時に献上したと聞いたことがあります。

<氷取沢に向かう>



 ご覧のような尾根道を下って氷取沢に向います。


 尾根道を歩いていると、ご覧のような電波塔が見えたので撮ってみました。


 「いっしんどう広場」から15分程で電波塔の下に着きました。
 この電波塔は、昭和45年(1970)に開局したNHK円海山FM放送所でした。


 取り敢えず、真下から電波塔を撮ってみました。


 近くにあった案内図で現在地を確認すると、北の方に行けば「峯市民の森」に出れそうな感じがしました。


 尾根道は二股に分かれていて、左手(峰方面)の方が歩き易い感じがしたのですが、<峰方面へ通り抜けできません(※散策コースではありません)>の案内が出ていたので止めました。
 

 尾根道を暫く下ると、ご覧のような道標があったのでホッ!としました。


 尾根道を更に下ると、今度は東京ガスの円海山無線中継所がありました。


 こんな場所に、何故、東京ガスの無線中継所があるのか分かりませんが、取り敢えず、木々の間から塔を撮ってみました。


 ご覧のような落ち葉が積もった尾根道を更に下ります。




 「いっしんどう広場」から15分程で、ご覧のようなベンチのある「ふじづか休憩所」に着きました。


 「ふじづか休憩所」で一息入れて、近くにあった案内図で現在地を確認しました。




 「ふじづか休憩所」の階段の下は、ご覧のような舗装された道路になっていました。


 道路を下っていると、能見台高区配水槽が見えたのでアップで撮ってみました。




 又、左手に、ご覧のような電波塔が見えたのでアップで撮ってみました。
 入口には、横浜国道事務所の円海山無線中継所の看板が出ていました。


 バス停「氷取沢」まで15分の所に下りて来ました。
 ここからは、磯子台パークハイツの中を通ってバス停に向います。

<氷取沢神社>

 笹下釜利谷道路の氷取沢の信号に着くと、近くに氷取沢神社があったので行ってみました。


 参道にはご覧のような赤い橋がありました。


 社殿で、道に迷わないでここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。 


 左側に、赤い鳥居のある祠があったので撮ってみましたが、何を祀ってあるか?です。


 社殿の前に、立派な銀杏があったので社殿と一緒に撮ってみました。


 ついでに、社殿を横から撮ってみました。


 社殿の右側に、天照大神の鳥居のある祠があったので撮ってみましたが、この祠も?です。

 氷取沢神社を後に、バス停「氷取沢」からバスに乗ってスタート地点(栗木)に戻りました。

 今回の「円海山ハイキング」は、資料もなく円海山まで行けたのは、地名(栗木、峰、円海山、氷取沢)を知っていたからだと思っていますが、道に迷わなくて良かったです。
 尚、万歩計は、ハイキング以外に他も回ったので22,000歩を超えていました。
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六国峠ハイキング(能見堂緑地~金沢自然公園)

2017年09月10日 | Weblog
 9月9日(土)は、京急線「金沢文庫駅」の近く行く用事があったので帰りに、六国峠ハイキングコースの一部(能見堂緑地~金沢自然公園)を歩いてみました。
 尚、今回のハイキングコースは次の通りです(全長約5km)。
 金沢文庫駅-(0:35)-能見堂跡-(0:10)-能見台不動池-(0:20)-能見台高区配水槽-(0:30)-金沢自然公園-(バス)-金沢文庫駅

 ところで、六国峠の名前は、六つの国(武蔵、相模、上総、下総、安房、伊豆)が眺められたことに由来しています。


 スタート地点の金沢文庫駅西口の階段下を撮ってみました。
 取り敢えず、左側の線路沿いを歩いて踏切を目指します。


 線路沿いを歩いていると、川にハゼより少し大きな魚が集団で泳いていました。
 釣りをしていた人に聞くと、鰡(ボラ)と教えてくれました。


 線路沿いを暫く進むと、目指す踏切に着きました。


 左側に、ご覧のような道標が出ていたので撮ってみました。


 住宅街の中を歩くので、方向が少し不安になりますが、5分程歩くとご覧のような道標が出ていました。


 近くに、六国峠入口の看板があったのでホッ!としました。

<能見堂跡に向かう>

 能見堂緑地の入口は、ご覧のような草が生い茂っていました。


 草が生い茂った能見堂緑地の尾根道を歩くとは思っていませんでした。






 暫く進むと、ご覧のような尾根道になって来たのでホッ!としました。


 尾根道には、落石防止フェンスも張ってありました。


 能見堂緑地の入口から尾根道を7分程歩くと、能見堂緑地の園名柱が建っていました。
 尚、奥にある白いものは、落石注意の看板です。


 尾根道を暫く歩くと、道は二手(階段、平坦な道)に分かれていました。


 近くにあった案内板で現在地を確認すると、どちらの道からでも能見堂跡には行けそうでした。
 取り敢えず、平坦な道の方から行ってみることにしました。


 尾根道を歩いていると、落ち葉が積もって出来た地層があったのでアップで撮ってみました。

<緑地広場>

 能見堂緑地の入口から15分程で、ご覧のような緑地広場に着きました。




 緑地広場にベンチがあったので休憩したついでに、雑木林を撮ってみました。




 ご覧のような案内板があったので現在地を確認しました。


 ご覧のような尾根道を通って能見堂跡に向かいます。

<能見堂跡(のうけんどうあと)>

 尾根道を暫く進むと、「金沢八景と能見堂」の案内のある能見堂跡の下に着きました。


 左側に、金沢八景を一望する明治時代の写真があったので撮ってみました。


 木々の間から金沢八景方面を撮ってみたのですが・・・


 右側に能見堂跡があったので上ってみました。




 ご覧のような「金沢八景根元地碑」と標柱が建っていたので撮ってみました。


 ご覧のような石碑(一方句碑?)があったので撮ってみました。


 左手に、小さな石碑が3基あったので撮ってみました。


 奥に石碑の説明板がありましたが、各石碑との対応は分かりません。


 近にあった能見堂跡の説明案内板には、『・・・「能見堂」の名が出てくる一番古い資料は、室町時代の文明18年(1486)「梅花無尽蔵」で、これに「能見堂」の名が出てくるので、この時代には能見堂があった事が分かります。・・・』と書いてありました。


 小さな石碑の脇を通って、元の場所に戻りました。


 根元が剥き出しになったご覧のような木があったので撮ってみました。


 ベンチの手前に、山室宗珉居士の墓碑がありました。


 下に「井戸の跡」があったので撮ってみました。




 近くに、ご覧のようなモチノキがあったのでアップでも撮ってみました。


 又、ご覧のようなアカガシ(ブナ科)もあったので撮ってみました。


 能見堂跡を後に、尾根道に戻って不動池に行ってみることにしました。

<能見台不動池に向かう>

 下にあった案内板で現在地を確認しました。
 不動池へは、尾根道を下っても良かったのでが、そのまま平坦な道を進んでみました。




 尾根道を暫く進むと、開けた場所があったので左側の景色を撮ってみました。


 尾根道を抜けると、ご覧のような園名柱がありました。


 更に、ご覧のような「通行止め」を通って尾根道を進みます。
 

 尾根道を暫く進むと、案内板があったので現在地を確認しました。


 近くに、<関ヶ谷不動尊、お不動池へ>の道標がありました。


 道標に従って、ご覧のような山道を下ります。


 山道を暫く進むと、ご覧のようなノボリの立っている関ヶ谷不動尊に着きました。


 関ヶ谷不動尊の不動堂で、ここまで道に迷わないで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 お参りしてから堂内の不動尊も撮ってみました。


 境内に、ご覧のような小さな瀧があったので撮ってみました。


 瀧の左側に、瀧不動があったのでアップで撮ってみました。


 関ヶ谷不動尊を後に、ご覧のような急な石段を下りてみました。


 石段の下には「谷津関ヶ谷不動尊」の石柱が建っていました。
 又、無病息災と家内安全の石柱も建っていました。

<能見台不動池>

 関ヶ谷不動尊の隣には、ご覧のような不動池がありました。


 東屋から池を撮ってみましたが、ご覧のように透明度は高くありません。


 池の左の方にベンチがあったので、そこで昼食を取ることにしました。


 目の前で亀が日向ぼっこしていたので撮ってみました。


 昼食を食べ終わると、日向ぼっこしていた亀はご覧のように一列に並んでいました。


 不動池に、ご覧のような能見堂緑地の標識があったので撮って不動池を後にしました。

 不動池からは、関ヶ谷不動尊の急な石段を昇らないので、別のルートからハイキングコースに戻ることにしました。

<能見台高区配水槽に向かう>

 取り敢えず、能見台隧道を通ってハイキングコースに向かいます。


 能見台隧道を抜けて、能見台南小の横から山の方へ行くと能見台緑地の入口がありました。


 山道を暫く上ると、ご覧のような道標があってハイキングコースに戻ることが出来ました。




 整備されているご覧のような尾根道を上下しながら金沢自然公園に向かいます。


 尾根道を20分程歩くと、能見台高区配水槽に行ける分岐に着きました。

<能見台高区配水槽>

 漏斗(じょうご)形の大きな配水槽が見えたので行ってみました。
 門には横浜市水道局能見台高区配水槽の看板が出ていました。


 少し離れて全体を撮ってみました。


 ついでに、配水槽の上部をアップで撮ってみました。


 ご覧のような道から先程の分岐に戻って、金沢自然公園に向かいました。


 取り敢えず、右側にあった案内図で現在地を確認しました。

<金沢自然公園に向かう>

 ここからは「釜利谷(かまりや)市民の森」に入ります。
 ご覧のような歩き易い尾根道を下って金沢自然公園に向かいます。


 分岐から尾根道を5分程下ると、「釜利谷市民の森」周辺案内図があったので現在地を確認しました。
 又、北側に円海山(えんかいざん)、氷取沢(ひとりざわ)や峰などの懐かしい名前もありました。


 尾根道は横浜横須賀道路の下も通るので橋桁を撮ってみました。


 尾根道を5分程下ると、釜利谷JCTのアプローチ道路の脇に出ました。


 遠くに、ご覧のような塔があったので撮ってみました。


 上部をアップで撮ってみましたが何でしょうね!?


 尾根道を更に下ると、ご覧のような道標のある「こがね台広場」に着きました。


 広場にベンチがあったので一休みすることにしました。


 広場から先程の塔を見ると、釜利谷料金所に建っていました。


 ご覧のような尾根道を下って金沢自然公園に向かいます。


 「釜利谷市民の森」の説明案内板があったので撮ってみました。

<金沢自然公園>

 尾根道を下っていると右側に、金沢自然公園の駐車場がありました。


 金沢自然公園に着いたので、案内図を撮ってみました。


 バス停「金沢動物園」は、ご覧のようなゲートから入って「ののはな館」の先にあります。




 途中、金沢の市街地が見えたのでアップで撮ってみました。

 バス停「金沢動物園」に停まるバスは、土・日・祝のみの運行で本数が少なかったのですが、大して待つことなく座れて金沢文庫駅西口に着けました。

 今回の「六国峠ハイキング」は久しぶりのハイキングでしたが、道に迷うこともなく踏破できたので満足しています。
 尚、万歩計はハイキングコース以外も歩いたので20,000歩を超えていました。
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観音崎をぶらり(番外編)

2017年09月07日 | Weblog
 「観音崎をぶらり(観音崎公園編Ⅱ)」から続く。

<観音崎大橋>

 ご覧のような浦賀水道を眺めながら観音崎大橋を渡ります。


 振り返って、歩いて来た観音崎大橋を撮ってみました。

 反対側から観音崎大橋を渡って来た人に、浦賀駅までどの位かかるのか聞いてみると、「30分以上かかるので、お寺の前のバス停からバスで行った方が良い。」と教えてくれました。


 観音崎大橋を渡ると、ご覧のような砂浜が見えたので撮ってみました。


 県道209号線を歩いていると、駆逐艦「村雨」の石柱があったので撮ってみました。


 バス停を探しながら県道209号線を歩いていると、鴨居港が見えたので撮ってみました。


 ご覧のような鴨居港の入り江も見えたので撮ってみました。

<鴨居八幡神社(かもいはちまんじんじゃ)>

 県道209号線の反対側に、八幡神社の立派な鳥居が見えたので行ってみました。


 二ノ鳥居もご覧のような立派な鳥居でした。


 左側の狛犬が可愛らしかったのでアップで撮ってみました。


 片方だけだと縁起が悪そうなので、右側の狛犬も撮ってみました。


 八幡神社由緒に依ると、『祭神は譽田別尊(第15代應神天皇) 治承4年(1180)源頼朝が鎌倉に入った頃、三浦大介義明の第4子多々良四郎義春が、鴨居の領主として三浦一円を治めていて、八幡神社は義春が源家の命を受け養和元年(1181)鶴岡八幡宮を勧請したと伝えられる。』と書いてありました。


 ご覧のような手水舎で身を清めて社殿に向いました。


 立派な社殿を撮って、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 社殿の左手に、ご覧のような天満社があったので撮ってみました。


 天満社の奥に神輿庫が見えたので行ってみました。


 お神輿が見えたので撮ってみました。


 又、神輿庫の左手に稲荷神社があったので撮ってみました。


 境内には、ご覧のような立派な御神木の銀杏もありました。


 最後に、社殿と天満社を一緒に撮って八幡神社を後にしました。

<醍醐不動院> 

 県道209号線に戻って、バス停を探していると、ご覧のような由緒ありそうな門がありました。
 扁額を見ると、真言宗の寺院のようなので入ってみました。


 門をくぐると、赤い橋があったので撮ってみました。


 下には、ご覧のような立派な川が流れていました。


 橋を渡ると、ご覧のような拝殿(?)があったので撮ってみました。
 取り敢えず、拝殿でお参りしてから県道209号線に戻りました。

<西徳寺(さいとくじ)>

 県道209号線の向かい側にバス停「鴨居」があって、傍に西徳寺の案内も出ていました。
 浦賀方面行のバスが略10分間隔で出ていたので、取り敢えず、西徳寺に行ってみることにしました。


 西徳寺はご覧のような階段の上にあります。


 階段を上ると、立派な本堂があったので撮ってみました。


 参道に「会津藩士の墓」の案内が出ていたので、お参りをしてから行ってみることにしました。


 本堂で、無事にここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 お参りしてから本堂の扁額を撮ってみました。


 西徳寺の説明案内板には、『鎌倉の光明寺の末寺として、永禄3年(1560)法誉順性上人により開かれました。・・・』と書いてありました。


 「会津藩士の墓」へは、ご覧のような案内が出いるお墓の中を通って行きます。


 お墓を通り過ぎると、今度は山道を昇るみたいです。


 取り敢えず、下の方に見えた本堂とお墓を撮ってみました。


 ここからは、ご覧のようなかなり急な山道を昇ります。


 「会津藩士の墓」に着いたので説明案内板を撮ってみました。
 説明案内板には、『19世紀に入ると日本の沿岸に異国船が相次いで姿を現すようになり、文化7年(1810)幕府は会津藩に江戸湾警備の任務を命じ、会津藩は大勢の武士や家族を移住させ三浦半島沿岸を警備することになりました。それらの人々の子弟を教育するために、三崎に集義館、観音崎に養正館という藩の学校も建てられましたが、文政3年(1820)沿岸警備の任務が会津藩から浦賀奉行に移って任務は解かれました。その間、病死した藩士やその家族が西徳寺の墓地にも葬らています。』(概要)と書いてありました。








 「会津藩士の墓」を撮ってみましたが、頭が下がりますね!


 お墓の手前に、ご覧のような奉納経がありました。


 折角なので、奉納経をアップで撮って「会津藩士の墓」を後にしました。


 境内に戻ると鐘楼があったので撮って、バス停「鴨居」に向いました。
 バス停に着くと、浦賀駅行のバスが時間通りに遣って来たのには驚きました。

<浦賀駅前>



 浦賀駅前に着いたので、ご覧のような地図で現在地を確認しました。
 この地図には、観音崎コース以外に、東浦賀コース、西浦賀コースや吉井・久里浜コースの散策コースが出ていたので機会があれば挑戦してみます。

 浦賀駅近くで、お刺身があって飲めそうなお店を探したのですが見つけられませんでした。
 仕方がないので、串揚げ屋に入って喉を潤すことにしました。
 ⇒ お店の人に聞くと、お刺身は西浦賀の方に行かないとダメみたいでした。

 今回の「観音崎をぶらり」は、台風15号の影響で風は強かったのですが、大した雨に降られなくて、いろんな所が回れたので良かったです。
 又、観音崎の京急バスは、時間通りに遣って来るのには感心しました。
 尚、今日(2日)の万歩計は、それなりに歩いたので17,000歩近くになっていました。
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観音崎をぶらり(観音崎公園編Ⅱ)

2017年09月06日 | Weblog
 「観音崎をぶらり(観音崎公園編Ⅰ)」から続く。

<海岸園地>

 観音崎レストハウスで昼食を食べた後、目の前の観音崎海水浴場を撮ってみました。


 近くに道標があったので撮ってみましたが、”観音崎灯台”でなく”観音埼灯台”となっていました。


 案内板も”観音埼灯台”となっていたので、こちらが正式名称かも知れませんね!?


 ご覧のような海岸沿いの遊歩道を歩いて観音埼灯台に向かいます。
 尚、後ろに見えるのは、観音埼灯台ではなく東京湾海上交通センターのレーダー塔です。




 途中で海辺に降りて歩いてみることにしました。
 

 海辺を歩いていると、タンカー船が遣って来たので撮ってみました。


 又、浪が打ち寄せている岩場も撮ってみました。


 ついでに、左側の岩場も撮ってみました。


 海辺からは、ご覧のような遊歩道に戻って観音埼灯台に向かいます。


 遊歩道に、あまり垂れていませんが乳銀杏があったのでアップで撮ってみました。


 遊歩道の脇に、ご覧のような洞窟があったので見に行ってみました。


 「洞窟の由緒」には、『洞窟に住む大蛇が漁師や船人を妨害して苦しめていたという話を行基が聞き入れ退治たと言う大蛇の霊、この洞窟の沖で入水して荒れ狂う海を鎮めたという日本武尊の妃の弟橘媛が祀られている。』と書いてありました。


 遊歩道から房総半島が見えたのでアップで撮ってみました。


 正面に観音埼灯台が見えたので、こちらもアップで撮ってみました。


 遊歩道の右側に、ベンチがある東屋が見えたので一休みすることにしました。


 東屋の近くに、観音手跡の説明案内板があったので撮ってみました。
 説明案内板には、『観音崎の地名は、奈良時代の僧行基が船の安全のため、十一面観音(船守観音)を海蝕洞穴に納めたことに由来すると伝えられています。・・・』と書いてありました。


 東屋で一休みしてから、遊歩道沿いのご覧のような岩場を眺めながら観音埼灯台に向かいます。


 遊歩道の脇に、西脇順三郎文学碑「燈台へ行く道」があったので撮ってみました。


 遊歩道を暫く歩くと、ご覧のような分岐<観音埼灯台150m 展望園地700m>が出ていました。




 ここからは、ご覧のような舗装された山道を上って観音埼灯台に向かいます。

<観音埼灯台>

 観音埼灯台に着いたので入口を撮ってみました。


 説明案内板に依ると、『・・・観音埼灯台は、横須賀の近代化に貢献した例のフランソワ・ヴェルニーが建設を担当し、明治元年(1868)に完成しました。・・・初代灯台は、大正11年(1922)4月の地震により大亀裂が生し、翌年3月に2代目の灯台が改築されましたが、9月の関東大震災で崩壊してしまいました。現在の灯台は、大正14年6月に完成した3代目のものです。・・・』と書いてありました。


 取り敢えず、灯台を真下から撮ってみました。 


 ついでに、灯台の頭部をアップで撮ってみました。
 参観料(200円)を払って灯台に昇りますが、風が強いので飛ばされないように注意して下さいと言われました。


 左奥にご覧のような見晴らしの良い場所があったので行ってみました。


 『点燈明治己巳年正月元日』と刻まれた礎石があったので撮ってみました。
 ⇒ 明治己巳年は明治2年(1869)のことですね!


 隣りに、「汽笛吹けば霧笛答ふる別れかな」、「霧いかに深くとも嵐強くとも」の句碑があったので撮ってみました。




 ちょうど東京湾から出る船が遣って来たのでアップで撮ってみました。


 壁にいろんな灯台の写真が展示してある螺旋階段を昇って上に行きます。


 灯台の頭部に着いたので灯台のレンズを撮ってみました。
 

 又、ご覧のような免震装置もありました。


 展望台から下を眺めていると、房総半島がぼんやりと見えました。


 又、芝生の広場があって碑のようなものが建っていて、先の方には小屋がありました。
 ⇒ この広場が何なのか良く分からないので、後で行ってみることにしました。


 房総半島をアップで撮っていると、手前に潜水艦のハッチのようなものがありました。


 取り敢えず、アップで撮ってみましたが何だか良く分かりません。


 下の方に、歩いて来た遊歩道が見えたので撮ってみました。
 右上に見えるのは、東京湾海上交通センターのレーダー塔ですね!


 遊歩道をアップで撮ってみましたが、東屋があった場所ですね!


 灯台の下に降りて、別の角度から灯台を撮ってみました。


 灯台の下に、ご覧のような「灯ろう」があったのでアップで撮ってみました。
 ⇒ 「灯ろう」は、灯台頭部のレンズや電球を風雨か守るためのものみたいでよ!


 右側に、ラッパのような霧信号吹鳴器があったので撮ってみました。
 この吹鳴器は、平成元年4月まで観音埼霧信号所で使われたいたものみたいです。


 ~日本最初の近代灯台~と書かれた説明案内板を撮って、観音埼灯台を後にしました。

<展望園地に向かう>

 観音埼灯台からは山道を下って分岐まで戻り、ご覧のような岩礁を見ながら展望園地に向いました。
 

 海辺に、人工岩のようなものがあったのでアップで撮ってみました。


 近くにご覧のような建物の残骸があったので撮ってみました。


 取り敢えずアップで撮ってみました。
 ⇒ 気になったので後で調べたら、関東大震災で崩壊した2代目の灯台の残骸でした。


 ご覧のような海岸沿いの遊歩道を歩いて展望園地に向います。
 遊歩道の先の方に海辺に降りられそうな柵(?)が見えたので、後で下りてみることにみました。


 遊歩道を歩いていると、灯台から見えた潜水艦のハッチのようなものがありました。


 これもアップで撮ってみました。
 ⇒ 後で調べると、第2次世界大戦当時に造られた潜水艦の音を調べる施設(水中聴測所)でした。


 この辺りの海辺の透明度は、ご覧のように比較的高いです。


 遊歩道を歩いていると、灯台から見えた芝生の広場と小屋が見えてきました。


 遊歩道から海辺に降りれそうな場所があったのですが、フェンスがあって海辺は歩けそうにありません。
 ⇒ 先程、見えた柵はこのフェンスだったのですね!


 遊歩道を暫く進むと、ご覧のようなフェンスがあって残念ながら立入禁止になっていました。


 遊歩道の先に行くしかありませんが、先の方はご覧のような鬱蒼とした道になっていました。


 左に曲がると、ご覧のような素掘りのトンネルがありました。


 取り敢えず、素掘りのトンネルを正面から撮ってみました。


 トンネルを出たので素掘りのトンネルの開口部を撮ってみました。


 トンネルの先は、ご覧のような道路になっていて海辺の遊歩道とは大きな違いですね!

<展望園地>

 道路を暫く進むと、左側に展望園地があったので入ってみました。


 展望園地から房総半島が見えたので撮ってみました。


 左側に、先程の水中聴測所が見えたので房総半島と一緒に撮ってみました。


 説明案内板に依ると、展望園地には南門砲台があったみたいです。


 近く、南門砲台のような跡があったので撮ってみました。


 奥にあった黒いものは”展望園地”と彫られたオブジェでした。


 展望園地を別角度から撮って、観音崎自然博物館に行ってみました。

 観音崎自然博物館は、観音崎の自然や生物の標本、資料が展示してある子供向け(?)の博物館です。
 受付で、ゴジラの足跡のことを聞くと外まで来て場所を教えてくれました。
 申し訳なかったので博物館(入館料は、大人400円、高校生300円、小人200円、幼児100円)に入ってしまいました。

<観音崎自然博物館>

 第2展示室に、ご覧のような三浦半島中心の地図がありました。


 地図上に、来館した小学校や幼稚園の名前が置いてあったので撮ってみました。


 第3展示室には、食べたら美味しそうなタカアシカニが展示されていました。


 館内から外にでると、ご覧のようなモニュメント芝生広場がありました。


 取り敢えず、館内を一回りしたので、ゴジラの足跡を見に行ってみました。


 初代ゴジラが上陸した大きな足跡(1/10サイズ)を別角度から撮ってみました。

<たたら浜>

 初代ゴジラの足跡の先に、海辺が見渡せる場所があったので行ってみました。


 「たたら浜」はご覧のような砂浜で、海辺で遊んでいる母子もいました。


 第6駐車場の奥に「たたら浜園地」があったので行ってみました。


 「たたら浜園地」はご覧のような芝生広場になっていましたが、特に見るべきものはありませんでした。


 第6駐車場の先に、ご覧のようなトーチカがあったので撮ってみました。
 ⇒ トーチカ(ロシア語)は、コンクリートで堅固に構築した防御陣地のことです。


 観音崎公園の外れまで遣って来たので、ご覧のような観音崎大橋を渡って浦賀に行ってみます。

 「観音崎をぶらり(番外編)」に続く。
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観音崎をぶらり(観音崎公園編Ⅰ)

2017年09月05日 | Weblog
 「観音崎をぶらり(走水編Ⅱ)」から続く。

 昨日は夜から雨が降っていたようですが、飲んでぐっすり寝てしまったのでよく分かりませんが、朝起きたら雨が降っていました。
 天気予報だと午後には雨が上がるようなので、午前中は横須賀美術館で時間を潰すことにしました。
 取り敢えず、横須賀美術館まではバスで行くことにしました。

<横須賀美術館>

 バス停「横須賀美術館前」に着いたので、周辺案内図で現在地を確認しました。


 国道16号線から東京湾をアップで撮ってみましたが、ご覧のように荒れていました。


 美術館の外観を撮ってみましたが、閑散としていたので閉館しているかと思ってしまいました。


 美術館の前にある「海の広場」を撮ってみましたが、ご覧のように人っ子一人いませんでした。

 チェケット売り場で観覧料(310円)を払いますが、受付嬢が展示品と館内の説明を丁寧にしてくれたのには驚きました。
 本館の各展示室では、朝井閑右衛門らの油絵や水墨画が展示されているようでした。又、谷内六郎館では週刊新潮の表紙絵が展示されています。

 取り敢えず、本館の各展示室を見て回ることにしましたが、撮影禁止なので写真を撮ることはできませんでした。
 絵画の観賞は不得手なのですが、それでも30分以上掛けて各展示室を見て回りました。


 空模様がどうなっているのか気になったので、屋上に行ってみました。
 ”恋人の聖地”の銘板があったので、東京湾と一緒に撮ってみました。
 ⇒ 何故、”恋人の聖地”があるのか分かりませんがデートスポットだからですかね!?


 屋上にある「山の広場」から東京湾を撮ってみましたが、どんよりした天気で見晴らしは良くありません。




 小雨が少し降っていますが、「山の広場」を散策してみました。




 山側に地層が見える箇所があったのでアップで撮ってみました。




 「山の広場」には、ご覧のような芝生もあるので、晴れていればお弁当を食べたり子供は遊んだり出来ますね!

 未だ少し小雨が降っていたので、谷内六郎館に行って時間を潰すことにしましたが、谷内六郎館も撮影禁止でした。


 谷内六郎館で20分程時間を潰してから外に出ると、小雨も止んでいたので散策路を上って「山の広場」に戻ってみました。

<三軒家園地>



 散策路の上に着くと<三軒家園地>の案内が出ていたので上ってみました。


 散策路を歩いていると、左手にビューポイントのような場所があったので行ってみました。


 海の散歩道「ボードウォーク」が見えたのでアップで撮ってみました。


 散策路に戻ると、ご覧のような<三軒家砲台跡>の案内が出ていました。


 散策路を歩いていると、休憩所(?)がありましたが、柵があったので入るのは止めにしました。
 ⇒ 壁に十字架のような跡(?)がありますが何ですかね!?


 散策路に砲台跡があったので撮ってみました。


 散策路には、こんな跡もありましたが弾薬庫跡ですかね!?


 こちらの砲台跡はかなり綺麗に整備されていました。


 

 迷彩色(?)が付けられているような感じがしたのでアップで撮ってみました。


 倉庫跡のようなものがあったので撮ってみました。


 散策路の右側に、秘密基地(?)に行けそうな通路があったので撮ってみました。


 散策路の左側にある三軒家園地に着きました。標識のデザインは河童のようですね!?


 右側に、砲台跡に造られたような休憩所がありました。


 休憩所の前にあった説明案内板に依ると、観音崎岬と富津岬の距離は6kmしかないのですね!


 ご覧のような緑地になっているので、一回りしてみることにしました。


 緑地には草花は殆ど咲いていませんが、萩が咲き始めていたのでアップで撮ってみました。


 園地に「第3海堡」の説明案内板がありました。海堡(かいほう)とは兵備を施した人工島です。
 説明案内板には、『第3海堡は、明治25年~大正10年までかかって建設されました。しかし、長い年月と巨額の費用を投じたにもかかわらず、完成から2年後の関東大震災で崩壊し、廃墟となってしまいました。』と書いてありました。


 第三海堡らしき島が見えたのでアップで撮ってみました。


 三軒家園地を後に散策路に戻り、更に上の方に行ってみました。


 散策路に、三軒家砲台跡の説明案内板があったので撮ってみました。


 砲台跡を撮ってみましたが、ここの砲台跡にも迷彩色が施されていました。


 近くに、ご覧のような壕の開口部がありました。
 装備や物資、人員などを敵の攻撃から守るための掩蔽壕(えんぺいごう)ですかね!


 三軒家園地の頂上らしき場所に着きました。
 右のオブジェ(?)には薄っすらと”三軒家園地”と記されていました。


 左側に立派な建物があったので撮ってみましたがトイレでした。

 天気も良くなってきたので、散策路を下ってボードウォークに行ってみることにしました。


 散策路を上って来る時には気が付かなかったのですが、砲台入口の門柱があったので撮ってみました。


 帰りは三軒家園地からスロープを通って下に降りましたが、途中、ビューポイントがあったので東京湾を撮ってみましたが・・・

<ボードウォーク>

 ボードウォークに着きましたが、右側は波しぶきでご覧のように濡れていました。


 取り敢えず、左側のボードウォークを歩いて、先端まで行ってみることにしました。




 右側に東京湾海上交通センターのレーダー塔が見えたのでアップで撮ってみました。


 ボードウォーク脇にご覧のような岩礁があったので撮ってみましたが、降りることはできません。


 沖に貨物船(?)が見えたのでアップで撮ってみましたが、海はご覧のように荒れていました。


 又、強風に煽られるフェニックを撮ってみました。


 ボードウォークの先端には、ご覧のようなベンチが置いてありましたが人っ子一人いませんでした。


 取り敢えず、東京湾海上交通センター方面を撮ってみました。


 正面の荒れている海も撮ってみました。


 先程の貨物船の後からタンカーが遣って来たので一緒に撮ってみました。
 ところで、船の間に見える島影は第3海堡ですかね!?


 ついでに、左手の御所ヶ崎方面も撮ってみました。


 折角なので、アップでも撮ってみました。正面に見える建物は走水小学校ですね!


 波しぶきでボードウォークの先へは行けそうもないので、ボードウォークを戻ることにしました。


 ボードウォークを後に、国道16号線を歩いて観音崎灯台に行ってみることにしました。


 国道16号線を歩いていると、先の方に観音崎レストハウスが見えたので昼食を食べることにしました。

 「観音崎をぶらり(観音崎公園編Ⅱ)」に続く。
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観音崎をぶらり(走水編Ⅱ)

2017年09月04日 | Weblog
 「観音崎をぶらり(走水編Ⅰ)」から続く。

<御所ヶ崎>

 国道16号線を歩いていると、手前に旗山崎公園のある御所ヶ崎に着きました。


 入口に「走水番所・旗山崎台場跡」の説明案内板があったので撮ってみました。
 説明案内板に依ると、この場所は江戸に下る船を検査する船番所や江戸湾海防のための台場があった所で、旗山崎の名前は日本武尊が上総(千葉)に渡る時、海が荒れて進めず臨時の御所を設けて軍旗を立てたことに由来しているようです。


 公園の背後の柵から走水砲台跡に入ると、ご覧のような阪路(入口)があったので撮ってみました。


 砲座の下に弾薬庫があったので撮ってみました。


 又、近くのご覧のような兵舎(棲息掩蔽部)もあったので撮ってみました。




 上にあった砲座に行ってみました。尚、走水砲台跡には4門の砲台があります。


 この砲座には、ご覧のような鉄階段が付いていたので上ってみました。


 上に行くと説明案内板があって、写真付きの大砲(27cm加農砲)が載っていたのでアップで撮ってみました。


 27cm加農砲を意識して上から砲座を撮ってみました。


 砲台からの見晴らしが気になったので、ご覧のような散策路を通って浦賀水道を見に行ってみました。
 散策路の途中にも、ご覧のような砲座(?)の跡がありました。


 浦賀水道は、木々が生い茂っていて見晴らしは良くありませんでした。


 折角なので、手前に見えた岩礁をアップで撮ってみました。




 散策路の先にも別の砲座があったので撮ってみました。


 近くにあった揚弾井に、ご覧のような吊金具があったので撮ってみましたが使途は不明です。

 一番北側にあった砲座を見ていなかったので行ってみました。




 途中に、ご覧のような弾薬庫があって内部が見えたので撮ってみました。


 取り敢えず、一番北側の砲座を撮ってみました。




 台座の近くに、ご覧のような建物の跡らしき場所があったので撮ってみました、こちらも使途不明です。


 取り敢えず、走水砲台跡を一回りしたので旗山崎公園に戻りました。
 旗山崎公園から魚が獲れそうな海辺を撮ってみましたが、釣りは禁止の注意書きが出ていました。


 旗山崎公園の近くに、伝説の地「御所ヶ崎」の説明案内板がありました。
 説明案内板には、『古事記・日本書紀によれば、日本武尊が東国征伐のおり、走水から上総(千葉)へ船で渡ろうとした時、海が荒れて進めず、弟橘媛は海神の怒りを静めるために身を投じ荒れ狂う海を静めました。・・・』と書いてありました。

 旅館に戻っても良かったのですが、未だ雨が降り出していないので走水神社に行ってみることにしました。

<覚栄寺(かくえいじ)>

 国道16号線を歩いていると、右側の奥に覚栄寺があったので行ってみました。




 取り敢えず、お参りをして立派な扁額を撮ってみました。


 覚栄寺は浄土宗のお寺で、本尊は阿弥陀三尊です。永正110年(1513)に載誉屋道上人が念仏を広めるために道場として開いたといわれています。


 大震災の立派な供養塔があったので撮ってみました。


 又、ご覧のような六地蔵尊があったので撮って覚栄寺を後にしました。

<円照寺(えんしょうじ)>

 覚栄寺の近くに、円照寺があったので階段を上ってみました。


 円照寺は、ご覧のようなこじんまりしたお寺でした。傍らに、日蓮上人の銅像があったので日蓮宗のお寺ですね!


 取り敢えず、お参りして扁額を撮ってみました。


 説明案内板には、『応永5年(1398)、日海上人によって開山されたお寺で、本尊は三宝(仏・法・僧)のです。・・・』と書いてありました。


 若しかしたら日蓮上人ではなく日海上人の銅像だったかも知れませんね!?

<大泉寺(だいせんじ)>

 円照寺を後に、右側の山道(?)を上ると大泉寺本堂の階段下に着きました。
 ⇒ どうやら参道を通らないで本堂に来てしまったようです。


 取り敢えず、立派な本堂を撮ってお参りすることにしました。


 お参りしてから、赤い梵字(?)を撮ってみましたが、何と書いてあるのか分かりません。


 ガラス越しに本堂の内部も撮らせていただきました。
 「先祖代々菩提霊位」と「三界萬霊」の位牌(?)が祀られていました。


 本堂の横に、ご覧のような外水道(?)があったので撮ってみました。


 又、外水道の先は、玉砂利を敷いた休憩所になっていました。

 本堂を後に、帰りは参道を通って外に出てみることにしました。


 ”一字一石法華塔”と彫らている石塔があったので撮ってみました。


 又、ご覧のような六地蔵尊もあったので撮ってみました。


 振り返ると、本堂の屋根が見えたので撮ってみました。


 水車の回転に合わせて杵をうつ音が家の中から聞こえていたので撮ってみました。


 大泉寺の説明案内板があったので撮ってみました。
 説明案内板には、『天正18年(1590)徳川家康が関東に入国した際に三浦郡代官頭・長谷川七左衛門長綱が逗子・海宝院の伝英和尚を招き開山した寺・・・』と書いてありました。

<走水神社>

 大泉寺の参道から道路に出ると走水神社は右側にありました。
 説明案内板によると、走水神社の祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)とその后の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)の2柱です。


 可愛らしい愛嬌がある狛犬だったのでアップで撮ってみました。


 片方だけだと縁起が良くなさそうなので、右側の狛犬も撮ってみました。


 右側に社務所、左側に手水舎のある境内を撮ってみました。


 取り敢えず、手水舎で身を清めてからお参りすることにしました。
 尚、この水は深さ30mより湧き出ている真水みたいです。


 鳥居の先には、ご覧のような立派な石灯篭がありました。


 参道の右側に、宝物殿と「針の碑」があったので撮ってみました。
 「針の碑」には、『草枕 旅の丸寝の 紐絶えば あが手とつけろ これの針持し』の歌が彫ってありました。




 「針の碑」の隣りに、ご覧のような弟橘媛命「舵の碑」があったのでアップで撮ってみました。


 石段の下にも、ご覧のような石灯篭がありました。
 『地震を感じたら「石灯篭」から直ちに離れて下さい』の注意書きが出ていました。




 社殿に着いたので、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 社殿の右側に、日露戦争の時の「露國機械水雷」が奉献されていました。


 珍しいのでアップで撮ってみました。


 「露國機械水雷」の隣りに、稲荷神社があったので撮ってみました。


 一番奥に、ご覧のような水神社がありました。


 水神社に可愛らしい河童がいたのでアップで撮ってみました。


 社殿の左側に行ってみると、ご覧のような別宮があったので撮ってみました。
 尚、別宮は弟橘媛命に殉じた侍女をお祀りしてあります。


 「弟橘媛命の記念碑」の案内が出ていたので行ってみました。


 この記念碑は、弟橘媛命の御遺蹟を偲奉して、東郷平八郎、乃木希典ら7名が発起人となって建立(明治43年6月5日)したものです。
 記念碑には、弟橘媛命の今際の御歌が刻まれていました。


 「弟橘媛命の記念碑」を後に、山道を昇るとご覧のような神明社の鳥居がありました。




 山道を登っていると、ご覧のような説明案内板が出ていたので行ってみました。


 山道の上に着くと、ご覧のような三社がありました。


 取り敢えず、左から諏訪神社、神明社、須賀神社を撮ってお参りをしました。

 ここからは昇ってきた山道を戻って下に行くしかありません。


 山道から社殿が見えたので撮ってみました。


 石段の上から下の境内を撮ってみました。


 境内の右側に、日本武尊と弟橘媛命の愛の貴さをたたえる「顕彰の碑」があったので撮ってみました。


 又、ご覧のような庖丁塚があったので撮ってみました。


 小雨がパラついて来たので、背後の社殿を撮って走水神社を後にしました。


 大した雨でなかったので、走水漁港を見ながら旅館に向いました。

 ほぼ予定通りの時間に旅館に着くことができて良かったです。
 又、万歩計は13,000歩を超えていたのでそれなりの運動にはなりました。
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観音崎をぶらり(走水編Ⅰ)

2017年09月03日 | Weblog
 9月1日(金)~2日(土)は、三浦半島の観音崎に行ってみました。
 1日(金)は、台風15号が小笠原諸島に留まっていて今後の進路が気になったのですが、雨が降っていなかったので取り敢えず出掛けてみました。

 今回の工程は、次のようにしました。
 馬堀海岸駅-(8分)-「うみかぜの道」(海辺の散歩道)-(25分)-馬頭観音堂-(20分)-走水水源地-(12分)-御所ヶ崎-(8分)-旅館-(8分)-走水神社-(8分)-横須賀美術館-(16分)-県立観音崎公園-(25分)-観音崎灯台-(30分)-浦賀駅
 尚、旅館を走水海岸近くに予約してあったので、雨の降り具合で旅館の早・遅着で調整することにしました。

<馬堀海岸>

 馬堀海岸駅に着いたので駅舎を撮ってみましたが、今のところ雨は降っていません。
 尚、走水砲台跡のツアーに参加すれば、弾薬庫や兵舎の内部が見学できそうだったので案内所を探したのですがありませんでした。
 ⇒ 今日は台風が来ているので、いずれにしても中止でしたね!?


 ご覧のような、閑静の住宅街を通って馬堀海岸に向います。


 馬堀海岸二丁目東の信号に着いたので、「よこすか海岸通り(国道16号線)」を渡って「うみかぜの道」(海辺の散歩道)に行ってみました。


 国道16号線を撮ってみましたが、ご覧のように道路は閑散としていました(台風の影響?)。

<うみかぜの道(海辺の散歩道)>

 取り敢えず、走水方面を撮ってみましたが、歩いている人はいませんでした。
 それにしても、護岸の整備状況は見事ですね!


 ついでに、反対の横須賀方面も撮ってみましたが、海辺の散歩道は波が打ちつけていて歩くことは出来ません。


 海辺の散歩道と一緒に荒れている海を撮ってみました。
 

 遠くに、2016年5月の「横須賀をぶらり(猿島編)」で渡った猿島が見えたのでアップで撮ってみました。
 雨は降っていませんが、波飛沫が強風で煽られて飛んで来るので小雨が降っている感じがします。


 「うみかぜの道」を歩いても仕方がないないので、国道16号線を渡って次の馬頭観音堂に行ってみることにしました。

 国道16号線を走水方面に向かって暫く歩き、馬堀海岸四丁目東の信号で右に曲がって馬頭観音堂を目指します。

<浄林寺・馬頭観音堂>

 道なりに坂道を暫く上ると、浄林寺の石碑が建っている馬堀小学校前に着きました。


 取り敢えず、石碑を撮って浄林寺に行ってみました。


 説明案内板には、『・・・馬頭観世音菩薩が本堂に祀られ、坂上の馬頭観音堂には、「馬堀」の地名の由来となる名馬・生唼(いきづき)の像や「蹄の井」があります。・・・』と書いてありました。
 坂の上に馬頭観音堂がありそうなので行ってみました。


 坂道を暫く上ると、左側に馬頭観音堂の説明板がありました。 
 説明案内板には、『平安末期、上総国(千葉)の暴れ馬が村民に追われ浦賀水道を泳ぎ渡り、小原台に着いたという伝承があります。のどが渇いた荒馬は蹄で地を掘ると清水が湧き出し、のどを潤すと駿馬に変わりました。そこを「蹄の井」と呼び、「馬堀」の地名の由来となりました。・・・』と書いてありました。
 尚、この駿馬は、源頼朝に献上され「池月」と命名されたみたいです。


 馬頭観音堂はご覧のような石段の上にありました。


 石段の左に「蹄の井跡」があったのでアップで撮ってみました。
 

 又、右に「湯殿山供養塔」の碑があったので撮ってみましたが、何故、出羽三山の一つの供養塔がここにあるのか分かりません。




 観音堂が見えたのでアップで撮ってみました。


 観音堂に行く坂道の右側に、名馬「池月」の像があったので撮ってみました。


 観音堂に着いたので、取り敢えず、内部を撮ってみました。
 

 観音様のお顔が見えなかったのでしゃがんで撮ってみました。


 失礼してアップでも撮らせていただきました。

 馬頭観音堂を後に、浄林寺に戻ることにしました。


 浄土宗浄林寺は、三浦地蔵尊第29番、三浦薬師第5番、三浦観世音第20番の札所にもなっていました。


 立派な本堂を撮って、ここまで道に迷わないで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 残念ながら本堂の内部を見ることは出来ませんでした。


 浄林寺の門柱の脇に4基の庚申塔があったので撮ってみました。
 真ん中の2基は主尊が掘られている庚申塔で、端の2基は文字碑(青面金剛)の庚申塔でした。

 浄林寺を後に、県道209号線に出て走水水源地に行ってみることにしました。

<県道209号線>

 県道209号線は、浄林寺の脇を通っているので道に迷うことはありません。
 県道を暫く進むと、ご覧のような旧水道トンネル(走水隧道)がありました。


 トンネルの手前に地層が見える大きな岩があったのでアップで撮ってみました。


 このトンネルは、明治9年(1876)に走水の湧水を横須賀造船所に引くために造られたもので、明治29年(1896)に拡張されて現在の規模になったみたいです。
 尚、工事の計画は、フランス人技師のヴェルニーが立てたみたいです。


 取り敢えず、トンネルの内部を撮ってみましたが、下半分は補修工事が行われているようです。


 最初のトンネルを出ると、ご覧のような別のトンネルがありました。




 こちらのトンネルは、内部が補強されていてご覧のような状態になっていました。


 トンネルの出入口を撮ってみましたが、この走水隧道は一方通行みたいです。


 トンネルを出ると、右側に稲荷神社の赤い鳥居が見えたので上ってみました。


 取り敢えず、お参りしてから祠を撮ってみました。


 失礼して、玉姫稲荷大明神が祀られている祠の内部も撮らせていただきました。

 県道209号線に戻ると、左側に国道16号線が見えたので行ってみました。

<走水水源地>

 猿島方面の海を撮ってみましたが、ご覧のように海は荒れていました。


 国道16号線の右側に水源地の跡のような小さな丘がありました、柵があって入ることは出来ませんでした。


 国道を歩いていると、走水水源地の案内があって「ヴェルニーの水はあちらです」の案内も出ていました。
 ⇒ 走水水源地は小さな場所と考えていたのですが、どうやらこの辺り全体が走水水源地の敷地みたいです。


 国道の左側に、ご覧のような走水水源地管理センターがありました(扉が閉まっていて中へは入れません)。


 国道の反対側に、ご覧のようなレンガ造りの建物があったので撮ってみましたが、何の建物(貯水池?)なのか分かりません。
 「登録有形文化財 走水水源地」の標識が建っていて立入禁止となっていました。


 管理センターの駐車場はご覧のようにガラガラでした。
 取り敢えず、案内が出ていた「ヴェルニーの水」に行ってみることにしました。


 「ヴェルニーの水」は、ミネラル分を多く含む硬度の高い走水の湧き水で飲むことができました。
 駐車場に停まって車は、「ヴェルニーの水」を貰いに来ていたみたいです。

 走水水源地を後に、国道16号線に戻らないで走水海岸を歩いてみました。

<走水海岸>

 走水海岸を歩いていると、海側にご覧のような伊勢町橋があったので行ってみました。


 橋の手前に潮干狩り受付のテントがありましたが、営業していませんでした。


 ご覧のような入口から伊勢町橋を渡りますが、先がどうなっているのかワクワクしますね!


 伊勢町橋から左側の走水海岸を撮ってみましたが、人影はありませんんでした。


 又、橋の先の方も撮ってみましたが、台風の影響で小さな漁船が船着き場に避難していました。
 ⇒ どうやら、伊勢町橋は走水海岸と走水漁港の船着き場を結ぶ橋のようでした。


 伊勢町橋から右側の走水海岸も撮ってみました。


 奥の方に、御所ヶ崎が見えたのでアップで撮ってみました。


 伊勢町橋の端に着くと、御所ヶ崎の手前にある走水小学校(?)が見えたのでアップで撮ってみました。


 船着き場に行っても仕方がないので、走水海岸に戻ることにしました。

 走水海岸から国道16号線沿いの道を歩いて御所ヶ崎に行ってみることにしました。

<破崎緑地>

 高台に着くと、ご覧のような見晴らしの良い場所に着いたので東京湾を撮ってみました。


 暫く歩くと、展望デッキのある破崎緑地に着きました。


 展望デッキから東京湾を撮ってみましたが、ここからの眺めは素晴らしいですね!


 ついでに、アップでも撮ってみました。


 近くに、最近あまり見かけたことのないアサガオの群生があったので撮ってみました。


 珍しかったのでアップでも撮ってみました。

 破崎緑地を後に、御所ヶ崎に行ってみることにしました。

 「観音崎をぶらり(走水編Ⅱ)」に続く。
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野島公園をぶらり

2017年08月20日 | Weblog
 8月19日(土)は、京急線「金沢八景駅」の近くに行く用事があったので、帰りに金沢シーサイドライン「野島公園駅」から歩いて行ける野島公園に行ってみました。

<金沢シーサイドライン>



 シーサイドラインの下は工事をしていますが、金沢八景駅東西自由通路で京急線と結ぶ延伸工事みたいです(平成30年度末の供用開始?)。


 シーサイドラインから野島山が見えたので撮ってみました。

<野島橋>

 シーサイドライン「野島公園駅」で降りて、ご覧のような野島橋を渡って野島公園に向います。


 野島橋を渡ったので、振り返ってシーサイドラインと「野島公園駅」を撮ってみました。

 取り敢えず、水路沿いを歩いて旧伊藤博文金沢別邸に行ってみることにしました。

<水路沿いの道>

 野島橋を渡って左に行くと、水路沿いの道には屋形船や釣船などの船宿がありました。
 小公園の手前に遣って来ると、ご覧のようなススキがありました。




 見事なパフパフのススキだったのでアップで撮ってみました。

<小公園>

 ご覧のような閑静な小公園に着きました。


 沖に八景島シーパラダイスが見えたので護岸に行ってみました。


 八景島シーパラダイスを撮っていると、海で何か獲っている人達がいました。
 手に道具のような物を持っているので貝を獲っているかも知れませんね!?


 取り敢えず、八景島シーパラダイスをアップで撮ってみました。

<旧伊藤博文金沢別邸>

 小公園の右手に旧伊藤博文金沢別邸があるので行ってみました。


 この別邸は、明治31年(1898)に建てられた茅葺寄棟屋根の田舎風海浜別荘で、横浜市の有形文化財に指定されています。
 入館料は無料で入口でパンフレットも貰えます。


 玄関から上がってご覧のような廊下を通って、台所棟、客間棟、居間棟の順に回ってみることにしました。


 取り敢えず、台所に行ってみましたが、右の置きヘッツイは新しいものでした。


 調理場の裏に、4.5畳の部屋があったので撮ってみました。
 この部屋は居間のような感じがしますが、多分、使用人が使っていたのでしょうね!?




 廊下を通って客間棟の方に行ってみると、客間の手前に客用便所があったので撮ってみました。


 客間棟には「晴嵐の間」(12畳)と「帰帆の間」(12.5畳)の客間がありました。
 又、右側の廊下は畳敷(9畳)の廊下になっていました。






 客人になったつもりで、座る前に見事な庭園を撮ってみました。


 左の「帰帆の間」の床ノ間には、ご覧のような金屏風が置いてありました。




 金屏風に何が書いてあるのか分からなかったので「金屏風解説」を撮ってみました。


 「帰帆の間」を別の角度から撮って、内縁を通って居間棟に行ってみることにしました。


 内縁から居間棟が見えたので撮ってみました。


 途中、客間棟の後ろにある中庭が見えたので撮ってみました。


 居間棟には「秋月の間」と「夕照の間」の各8畳の居間があります。


 「夕照の間」の床ノ間に、ご覧のような掛け軸があったのでアップで撮ってみました。


 谷川俊太郎の詩のようですが、意味不明です。


 居間棟にも、ご覧のような便所があったので撮ってみました。


 又、ご覧のような立派な木製箱の風呂もありました。

 別邸を一回りしたので、庭園に出てみることにしました。


 残念ながら庭園には入れないので、石垣越しに庭園を見るしかありません。


 目の前に八景島シーパラダイスが見えたのでアップで撮ってみました。




 庭園を眺めながら、敷地の外れまで行ってみることにしました。


 敷地の外れに遣って来たので、垣根越しに別邸を撮ってみました。

 旧伊藤博文金沢別邸の隣りは牡丹園になっているみたいです。

<牡丹園>

 今の時期、牡丹は咲いていませんが、所々にベンチがあったので一休みすることにしました。


 目の前の木に梅(?)の実が生っていたので撮ってみました。


 梅の実が生る時期としては遅い感じがするのですが、取り敢えずアップで撮ってみました。


 園内を散策していると、ご覧のような芙蓉(フヨウ)が咲いていました。




 ピンク色の素晴らしい芙蓉だったのでアップで撮ってみました。


 ご覧のような歌碑があったので撮ってみましたが、何と彫ってあるのか読めませんでした。
 

 再び、旧伊藤博文金沢別邸の横を通って牡丹園の出口に向かいました。


 出口に着いたので、牡丹園の出入口を撮ってみました。


 出入口の雨樋が竹で出来ていて、珍しかったのでアップで撮ってみました。


 牡丹園を出て左に行くと、ご覧のような地図があったので現在地を確認しました。

<野島山展望台>

 駐車場横の山道を上って行けば、展望台へは450m程で着けるみたいです。


 この山道は舗装されていますが、車も来ないので歩き易い道路です。


 日陰を選んで山道を8分程登ると、道は二股に分かれていました。
 案内<展望台まで94m>が出ている左の方に行ってみました。
 ⇒ どちらからでも展望台へは行けたみたいです。


 山道を上っていると、展望台が見えたのでアップで撮ってみました。


 山道を上り始めて10分程で、展望台の下にある野島貝塚に着きました。


 野島貝塚は、横浜市の史跡に指定されていて、市内では現存する最古の貝塚みたいです。




 野島貝塚の奥に行って、八景島シーパラダイスと住友重機械工業の埠頭をアップで撮ってみました。


 野島貝塚の入口に、大きなサルスベリが咲いていたので撮ってみました。


 展望台の下に着いたので、展望台の上り口を撮ってみました。


 ご覧のような螺旋階段を上って展望台に行きます。


 展望台から八景島シーパラダイスをアップで撮ってみました。


 「海の公園」の方を撮ってみましたが、茶色の建物は横浜市の環境創造局金沢ポンプ場ですかね!? 


 シーサイドラインと「野島公園駅」を撮ってみました。


 あまり確かではありませんが、鷹取山も撮ってみました。


 野島貝塚から見えた住友重機械工業の埠頭は、木々に邪魔されていて良く見えませんでした。


 展望台を一回りしたので、ご覧のような降り口から下に降りました。


 展望台に上る時は気が付かなかったのですが、螺旋階段の下の床はご覧のようになっていました。


 展望台広場に出ると、かながわの景勝50選の「野島の夕映」の碑があったので撮ってみました。


 展望台に夕方までいる訳に行かないので、展望台を別角度から撮って野島神社に行ってみることにしました。


 展望台広場からは、来た山道に戻らないで別の山道から下に行ってみました。
 山道の途中に、ご覧のような石段があったので下りてみました。


 かなり急な石段で少し不安だったのですが、取り敢えず下に行ってみました。


 下に着くと、野島神社の案内があったのでホッ!としました。
 少し離れた所から降りてきた山道を撮ってみました。
 ⇒ どうやら、この山道は展望台に行く別ルートみたいです(このルートだときつかったかもね!)。

<野島稲荷神社>

 野島神社に着いたので鳥居を撮ってみました。


 野島神社は心霊スポットのような場所にあって、本社は石段の上にありました。


 手前の手水舎で身を清めてから本社に行ってみることにしました。


 石段の両脇には、何体かのキツネの像が建っていました。


 石段を上り切ると、左側に末社の船玉社があったので撮ってみました。
 

 船玉社の左側には、岩穴に祀られているも末社(?)もありました。


 又、船玉社の右側には、末社の大神宮や天神社があったので撮ってみました。


 ご覧のような手水舎が、本社の左側にもあったので撮ってみました。


 本社で、ここまで道に迷わないで来れたお礼を兼ねてお参りをしましたが、軒下の防犯カメラ(人体感知センサー付き?)が自動点灯するので正面は上手く撮れませんでした。




 少し離れたところから本社を撮って野島神社を後にしました。

 野島公園からは、道に迷うこともなくシーサイドライン「野島公園駅」に着くことができました。
 駅近くに地魚料理店があったので、一杯遣りながら遅い昼食を取りました。

 今回の「野島公園をぶらり」は、2時間程の散策でしたが念願の野島公園に行けたので大変満足しています。
 尚、万歩計は大して歩いていないので11,000歩を超える程度でした。
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