傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

浜矩子氏:何故、リーマンショックで日本痛手が最大化か?・・・納得・同感

2009-10-11 14:29:04 | 社会

文藝春秋(2009.11)に、エコノミストの浜矩子女史が寄稿した『グローバル恐慌の謎を解く』で、既に日本経済がグローバル化された社会なっており、グローバル化の適応した部分が最悪の痛手を負い、そこから恐慌が日本社会に波及したという論調には、成る程、納得できます。
2007年度に2兆円の営業利益を計上してた世界の優良企業のトヨタが、リーマンショック後は、2009年3月決算では、4610億の赤字を計上したことが象徴的と論じています。

逃げ切り世代と言われる団塊世代の当方は、長い物に巻かれろの適当な人間であるが、成長時期も、バブルも、バブル破綻後の辛抱も、事業再編によるリストラも体験してきましたが、当時は激変に適用が精一杯で、政治にも、経済にも関心がありませんでした。

リーマンショック時に、金融システムは軽微といわれたが、実際は、リーマンショック以降の日本経済は、世界で最大の痛手を被っており、その要因が外需依存しすぎで、設備・人員・債務の過剰で、内需拡充させる成長戦略が必要という単純な説明には、違和感をもっておりました、
確かに、リーマンショックは、日本の構造的な弱点を顕在化しましたが、日本社会は、リーマンショック以前から、高齢少子社会になっており、格差社会、貧困社会に陥っており、リーマンショック有無に関わらず社会変革(構造改革)の必要性を痛感していました。

浜矩子氏は、リーマンショック以降の日本経済を語るには、リーマンショック以前の20年前の1989年の東西冷戦の終結から、日本経済の歴史から考察が必要と唱えていますね。

東西冷戦の終結で、世界経済はグローバル化が本格化し、人・物・金が国境を超えて密接につながり、IT技術の進化もあり、これまでのルールが通用しない「弱肉強食の世界経済」が出現した。
浜矩子氏は、この「弱肉強食の世界経済」を「グローバル・ジャングル」と称していますね。

グローバル化の嵐が世界で吹き荒れはじめた時期に、日本経済はバブル崩壊を迎え、「失われた10年」に突入し、巨額の不良債権を抱えた銀行には、資本増強のために90年代を通じて公的資金が12.4兆円投入され、預金者保護には、18.8兆円が投入されたが、不良債権処理は遅々として進まず、日本経済は長い停滞に入る。
当時の自民党政府は1992年から2000年までに11回127兆円の経済対策を打ち続け、1990年に166兆円だった国債残高は2000年には368兆円に増加した。
そして、2001年に誕生した小泉政権は「構造改革」や「官から民へ」をスローガンに国の財政支出を切り詰め、国民に厳しい痛みを残した。

日本経済がグローバル・ジャングルに生き残りに必死に適応せざるを得なくなったのは、21世紀には入ってからで、まずは製造業が新たな挑戦をせざるを得なくなり、国内の工場を閉鎖し、海外に進出し、「空洞化」といわれた。
その競争から導かれた答えの一つが、生産工程を分割し、地球規模の分業体制で商品を作り上げる「グローバル・サブライチェーン・マネジメント」の経営手法で、製造業でけでなく諸々の産業・企業も、販売や仕入れのネットワークなどを通じて、知らぬ間にグローバル化した経済活動に組み込まれていったとし、米国産牛肉の吉野屋、低価格のユニクロを事例として論じています。

そして、グローバル・ジャングルに巻き込まれた日本企業がコスト削減と生産性向上を駆り立てた背景に、グローバル化した膨大のマネーによる「投資ファンド」と呼ばれる「擬似資本家」の出現で、企業は株価を高値で維持が余儀なくされ、結局、企業はコスト削減と生産性向上に努めなければならかった。
そのグローバル化したマネーの奔流に、日本の一般国民も「貯蓄から投資へ」の合言葉で広まった日本の家計の投資熱で、日本の家計の貯蓄マネーは超低金利の日本を脱出し、より高い利得を求めて、世界を駆け巡ることにもなったと論じています。

「失われた10年」以降、日本の企業、社会、個人が有無も言わさず投げ込まれたグローバル・ジャングルで必死に、そして見事に適応してき、グローバルへの企業の適応によって、「終身雇用」、「年功序列」も崩壊してゆき、個人は終わりが見えない競争に駆り立てられ、企業・社会観が変容し、その変質が社会に痛みを伴うことに、しばらくの間、気づかずに推移してきたと論じています。

そして、日本経済においてもっともグローバル化に適応した部分がリーマン・ショックで最も深い傷を負い、そこから恐慌が日本社会に波及していったとし、その代表事例がトヨタ自動車と示唆しています。

浜矩子氏
”「リーマン・ショック以後の世界は、「国破れて山河あり」の時代だと考えている。
「国」=政府の力が弱まっても「山河」=人々、自然環境、そして日本の文化がしっかり残ればいい。
グローバル化した世界経済の中で、いかに「山河」を守り、自分たちの住みやすい場所として育んでいくか。
そこに、「では、どうするのか?」の答えが隠されている
。」”
と結んでいます。

浜矩子氏の考察を読み、同感で、確かに、バブル以前は、年率2桁UPが最低目標で、組織を作れば、売り上げ増につながりました。
バブル時は、土地がデタラメの査定で、高額の金額が動くの垣間見、バブル後は、キーワードは「グローバル化」であり、価格破壊があり、そして、事業の「選択と集中」により、リストラする効率化計画だけでも高株価が保持され、株主が第一という風潮になり、殺伐な社会になってきたという思いがありました。

民主党の政権交代は、必然性があったという思いですね。
バブルを増長させたのは金融機関であり、その金融機関は公的資金の投入と庶民に預金低金利を強いて再生でき、亀井金融相の「モラトリアム発言」を金融機関が「モラルハザード」問題と大騒ぎするのは解せないし、民主党が赤字国債を発行の可能性を公約違反と、やれ二番底をどうするかと、地球温暖化25%削減目標は非現実とメディアが騒ぐのは不可解ですね。

浜矩子氏の論旨によれば、失われた10年、その後の政策が、今日の格差・貧困の下流社会を醸成してきたのであり、もう成長第一の世界環境にはないのは事実であり、如何に、自然環境を守り、下流社会でも国民が幸せを感じる社会の実現が期待します。



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