これいいなあ。面白そうだなあ。
全然使ってないけど、とある事情によりうちには初代DSがあるし、ここらで活躍の場を与えてみてもいいかも。
公式のデモをみると、玩具というのもはばかられるほどの出来で、本格的な製作の一部として使う人もいそうですね。でもソフトウェアシンセですらあんま使わない僕には過ぎた代物になるかもしれません。メトロノームとかの代わりに使うとか可哀想すぎるでしょ。
あと気になるのは出力のことですね。本体付属のスピーカーでは限界があるでしょう。DSのイヤホン部分の質が良ければいいいんですが。初代とLiteでは違うかもしれませんし、もし初代の方が音が良いとかウェブで広まったら一気に初代DSが中古ショップから消えたりするかも。まあDSの出荷台数と比べても、そうなるほどソフト自体は出回らないだろうから無用な心配でしょうけどね。販売はAmazon限定らしいですし。
全然使ってないけど、とある事情によりうちには初代DSがあるし、ここらで活躍の場を与えてみてもいいかも。
公式のデモをみると、玩具というのもはばかられるほどの出来で、本格的な製作の一部として使う人もいそうですね。でもソフトウェアシンセですらあんま使わない僕には過ぎた代物になるかもしれません。メトロノームとかの代わりに使うとか可哀想すぎるでしょ。
あと気になるのは出力のことですね。本体付属のスピーカーでは限界があるでしょう。DSのイヤホン部分の質が良ければいいいんですが。初代とLiteでは違うかもしれませんし、もし初代の方が音が良いとかウェブで広まったら一気に初代DSが中古ショップから消えたりするかも。まあDSの出荷台数と比べても、そうなるほどソフト自体は出回らないだろうから無用な心配でしょうけどね。販売はAmazon限定らしいですし。
最近は積極的にCDを買っていなかったりするので、音楽をやっている者としては不勉強と言わざるを得ません。どこから思いがけない素晴らしい音楽が見つかるのか分からないわけですから、そのアンテナの方向を自分から狭くしてしまうのは良いことではないんでしょうね。
どうも僕はそのアンテナの張り方が上手くないようで、あっちを向ければこっちが立たずで、しかもそれに気づくのにも時間がかかってしまいます。「ああ、良いな」と思った音楽があると、それまで同じような思いで聴いていたはずの音楽を急にあさっての方角にやってしまうのです。意図的とまでは行かないのですが、結構その状態を意識できてしまうのでますますこれはいかんなあと思っている次第です。
自分がどんな音楽を良いと思うのか。なんてのははっきりとした理由があることの方が少ないです。そのときの自分の気分や、物事に対する考え方によってかなり変わってきます。それだっていつでも一定ではないのですから、ますますその根拠はあやふやで、信頼の置けないものになるわけですね。
それが分かっていても、でもこの音楽は良いと思う気持ちは相変わらずあって、時には理由なんてどうでもいいじゃないかと思考放棄してしまいそうになるのですが、いやいやそれもいかんと、自分を落ち着かせながら考えるのです。
ずいぶん洗練されない音楽の聴き方をしていると思われそうです。確固たる思想のもとに音楽の良否を判断し、さらに高みを求めていく姿勢のほうがかっこいいんでしょうね。きっと。
無理です。ごめんなさいと言うほかありません。どうもわざとらしく「確固たる思想」とかちょっとひねくれた書き方をしているのにも、僕がそういう方法をどこかで嫌悪しているからだと思います。ないものねだりのだだっこで、実際にそのように接している人がいたら尊敬しますし、そういう人の考えにはかなり深いものがあるはずだとも思います。
今の僕は、そうやってあっちに行ったりこっちに行ったりを繰り返しているせいで、もしかしたら自分は芸術とよばれる音楽でも商業的な音楽でも同じように受け入れることが出来るんじゃないかという何とも大きな思い上がりが、これまた根拠のない理由によって自分の片隅からちょっとずつ這ってくるのを感じています。
日常にある全てが何ものかの現れで表現で、それが耳から入ってきて自分の中に揺さぶりを起こすのであれば、それが音楽でなくて何なんだろうと考えてしまうのです。こうやって文章にしてしまうととても極端な考え方ですね、これもある意味思考放棄と言えるかもしれません。
いままで音楽と言われていたものだって「音」の集まりなんだから、その点で全ての音は等価に考えられるとかそういうものではないんです、今僕の中で起っているのは。どっちかというと、音楽と言われるものだろうが、音と言われるものだろうが、耳に入ってきた後の人間の心持ちとの関わり、そしてそれがどうやって「音楽」になるのか、ということです。
たぶん今までさんざん議論されてきたことなんでしょう。ただ、僕が実感できているは最近になってのことです。この考えとどうもつながっているらしい、ちょっと極端な方向に走りがちな感情とは、うまく付き合わないと音楽に対して真面目に接することが出来なくなってしまいそうな気がしています。
どうも僕はそのアンテナの張り方が上手くないようで、あっちを向ければこっちが立たずで、しかもそれに気づくのにも時間がかかってしまいます。「ああ、良いな」と思った音楽があると、それまで同じような思いで聴いていたはずの音楽を急にあさっての方角にやってしまうのです。意図的とまでは行かないのですが、結構その状態を意識できてしまうのでますますこれはいかんなあと思っている次第です。
自分がどんな音楽を良いと思うのか。なんてのははっきりとした理由があることの方が少ないです。そのときの自分の気分や、物事に対する考え方によってかなり変わってきます。それだっていつでも一定ではないのですから、ますますその根拠はあやふやで、信頼の置けないものになるわけですね。
それが分かっていても、でもこの音楽は良いと思う気持ちは相変わらずあって、時には理由なんてどうでもいいじゃないかと思考放棄してしまいそうになるのですが、いやいやそれもいかんと、自分を落ち着かせながら考えるのです。
ずいぶん洗練されない音楽の聴き方をしていると思われそうです。確固たる思想のもとに音楽の良否を判断し、さらに高みを求めていく姿勢のほうがかっこいいんでしょうね。きっと。
無理です。ごめんなさいと言うほかありません。どうもわざとらしく「確固たる思想」とかちょっとひねくれた書き方をしているのにも、僕がそういう方法をどこかで嫌悪しているからだと思います。ないものねだりのだだっこで、実際にそのように接している人がいたら尊敬しますし、そういう人の考えにはかなり深いものがあるはずだとも思います。
今の僕は、そうやってあっちに行ったりこっちに行ったりを繰り返しているせいで、もしかしたら自分は芸術とよばれる音楽でも商業的な音楽でも同じように受け入れることが出来るんじゃないかという何とも大きな思い上がりが、これまた根拠のない理由によって自分の片隅からちょっとずつ這ってくるのを感じています。
日常にある全てが何ものかの現れで表現で、それが耳から入ってきて自分の中に揺さぶりを起こすのであれば、それが音楽でなくて何なんだろうと考えてしまうのです。こうやって文章にしてしまうととても極端な考え方ですね、これもある意味思考放棄と言えるかもしれません。
いままで音楽と言われていたものだって「音」の集まりなんだから、その点で全ての音は等価に考えられるとかそういうものではないんです、今僕の中で起っているのは。どっちかというと、音楽と言われるものだろうが、音と言われるものだろうが、耳に入ってきた後の人間の心持ちとの関わり、そしてそれがどうやって「音楽」になるのか、ということです。
たぶん今までさんざん議論されてきたことなんでしょう。ただ、僕が実感できているは最近になってのことです。この考えとどうもつながっているらしい、ちょっと極端な方向に走りがちな感情とは、うまく付き合わないと音楽に対して真面目に接することが出来なくなってしまいそうな気がしています。
僕は写真はフィルムで撮ることにしています。今のところデジタルカメラを使おうとは思いません。
大きな理由の一つは保存の問題です。リバーサルフィルムであれば、燃えてしまったり無くしたりしない限り、わりとほったらかしにしておいても、退色はあるものの20年以上は保ちます。デジタルだと、現状ではファイル形式の互換性などにかなり細かく気を使わなければならないため、面倒くさがりの僕には向きません。それに新しいカメラ本体やHDDやPCや現像ソフトなどその時に応じて買うということも出来ないだろうと思います。デジタルカメラはまだまだ買い替えが不必要なほどには発展してないですし、一度の出費も大きいです。楽器は結構お金がかかるので、どうしても優先順位三番手以降である写真に使う金額は限られますからね。フィルム代+現像代で1000円程度という細かな出費の連続なら何とかなるかな、と。結局どっちが安上がりかは未来になってみないと分かりませんが。
後はまあ好みの問題で、中判のリバーサルフィルムをルーペで眺ていると時間を忘れます。これが心地いいからというのが実は一番にあるのかもしれません。後々にはプロジェクター使ってスクリーンに映してみたいとも思っています。
ところで音楽については、デジタル化に全く抵抗がありません。世の中には音質や保存性の面でやはりアナログ盤を好む人もいるようですが、僕は特にそういう考えを持ったこともありません。録音はPCに入れており、出力も全てCDに焼いています。バックアップとかも考えたことがありません。写真とはえらい違いだと自分でも思います。
だけども特に自分の中で矛盾しているとは思っていません。おそらくはこういうことでしょう。
僕の写真には、他人にとってはどうでもいいものが沢山あります。はっきり言って95%くらいはそうでしょう。自分だけのために撮って、自分だけで楽しむものです。今住んでいる家の周りの写真には、同じ場所で撮影したものが何枚もあります。特に季節感が良く出ているわけでもなく、他の人が見たら同じ写真にしか見えないと思います。ただ自分がその時を思い出すために撮った写真です。そこにあるのは「ここでなぜかシャッターを切りたくなったんだなあ」という実感と、そのときの雑多な記憶だけ。ただそれが、自分にとってかけがえのない大事なものだということです。
その瞬間に撮った写真は一度失うと二度と撮れない。これがとても怖いことに思えるので、とりあえず僕は保存に関してある程度信頼性のあるフィルムを使っているといえるでしょう。自分の可能な範囲でその時一番高画質な形で残したいと考えているのも、フィルムを使う動機になっています。なので、コダクロームが日本で販売・現像中止になったことがとても悔やまれます。僕がフィルムで写真を撮り始めた時期と重なっていたので、ほとんど使うことが出来ませんでした。
音楽の場合、音を奏でるその瞬間は確かに二度とやってこないですが、写真と違ってそのこと自体に僕はあまり価値を見いだしていません。その時の音楽を、全くそのまま繰り返すことにあまりこだわりが無いということです。勿論、名演といわれた演奏や、自分では聞きにいくことの出来ないような音楽を録音して聴くことを可能にしてくれる技術は素晴らしいと思いますし、感謝もしています。ただ、音楽というものは、楽譜や師弟関係の中で伝承されていきますし、良い音楽であれば、たぶん世界中どこかで誰かが今演奏しているだろうな、だからいつかはまた聴けるだろう、と想像してしまうのです。それらは全く同じではないものであれ、間違いなくその音楽であって、そうやって伝えられたり、忘れ去られるのも音楽の一つの在り方なのだろうと思っています。即興演奏なんか本当に一度限りの音楽ですしね、その時の演奏を残そうなんて、多分誰も考えて演奏していないでしょう。
音楽は録音とは別の方法でも残っていきます。だから、デジタルの録音がいつか聞けなくなっても別に構わない、と僕は思っています。
途中タイトルの話題からはずいぶん逸れたような気もしますが、こういうわけで、デジタルについてはやっぱり色々思う所があるのです。で、それは結構僕にとって根深いところにも結びついているんだなあと思った次第です。
大きな理由の一つは保存の問題です。リバーサルフィルムであれば、燃えてしまったり無くしたりしない限り、わりとほったらかしにしておいても、退色はあるものの20年以上は保ちます。デジタルだと、現状ではファイル形式の互換性などにかなり細かく気を使わなければならないため、面倒くさがりの僕には向きません。それに新しいカメラ本体やHDDやPCや現像ソフトなどその時に応じて買うということも出来ないだろうと思います。デジタルカメラはまだまだ買い替えが不必要なほどには発展してないですし、一度の出費も大きいです。楽器は結構お金がかかるので、どうしても優先順位三番手以降である写真に使う金額は限られますからね。フィルム代+現像代で1000円程度という細かな出費の連続なら何とかなるかな、と。結局どっちが安上がりかは未来になってみないと分かりませんが。
後はまあ好みの問題で、中判のリバーサルフィルムをルーペで眺ていると時間を忘れます。これが心地いいからというのが実は一番にあるのかもしれません。後々にはプロジェクター使ってスクリーンに映してみたいとも思っています。
ところで音楽については、デジタル化に全く抵抗がありません。世の中には音質や保存性の面でやはりアナログ盤を好む人もいるようですが、僕は特にそういう考えを持ったこともありません。録音はPCに入れており、出力も全てCDに焼いています。バックアップとかも考えたことがありません。写真とはえらい違いだと自分でも思います。
だけども特に自分の中で矛盾しているとは思っていません。おそらくはこういうことでしょう。
僕の写真には、他人にとってはどうでもいいものが沢山あります。はっきり言って95%くらいはそうでしょう。自分だけのために撮って、自分だけで楽しむものです。今住んでいる家の周りの写真には、同じ場所で撮影したものが何枚もあります。特に季節感が良く出ているわけでもなく、他の人が見たら同じ写真にしか見えないと思います。ただ自分がその時を思い出すために撮った写真です。そこにあるのは「ここでなぜかシャッターを切りたくなったんだなあ」という実感と、そのときの雑多な記憶だけ。ただそれが、自分にとってかけがえのない大事なものだということです。
その瞬間に撮った写真は一度失うと二度と撮れない。これがとても怖いことに思えるので、とりあえず僕は保存に関してある程度信頼性のあるフィルムを使っているといえるでしょう。自分の可能な範囲でその時一番高画質な形で残したいと考えているのも、フィルムを使う動機になっています。なので、コダクロームが日本で販売・現像中止になったことがとても悔やまれます。僕がフィルムで写真を撮り始めた時期と重なっていたので、ほとんど使うことが出来ませんでした。
音楽の場合、音を奏でるその瞬間は確かに二度とやってこないですが、写真と違ってそのこと自体に僕はあまり価値を見いだしていません。その時の音楽を、全くそのまま繰り返すことにあまりこだわりが無いということです。勿論、名演といわれた演奏や、自分では聞きにいくことの出来ないような音楽を録音して聴くことを可能にしてくれる技術は素晴らしいと思いますし、感謝もしています。ただ、音楽というものは、楽譜や師弟関係の中で伝承されていきますし、良い音楽であれば、たぶん世界中どこかで誰かが今演奏しているだろうな、だからいつかはまた聴けるだろう、と想像してしまうのです。それらは全く同じではないものであれ、間違いなくその音楽であって、そうやって伝えられたり、忘れ去られるのも音楽の一つの在り方なのだろうと思っています。即興演奏なんか本当に一度限りの音楽ですしね、その時の演奏を残そうなんて、多分誰も考えて演奏していないでしょう。
音楽は録音とは別の方法でも残っていきます。だから、デジタルの録音がいつか聞けなくなっても別に構わない、と僕は思っています。
途中タイトルの話題からはずいぶん逸れたような気もしますが、こういうわけで、デジタルについてはやっぱり色々思う所があるのです。で、それは結構僕にとって根深いところにも結びついているんだなあと思った次第です。
一度ブログをつける習慣がなくなると、こうなってしまうという悪い例でしたね。約半年ぶりですが、復活します。
特に書けなくなる事情とかあったわけではないです。たんなるずぼらです。長いこと書かないと書き方さえ忘れてしまいそうです。
久々のエントリはカメラの話題。これの一番下にある中判カメラです。懐かしのフォールディングカメラ。ちょっとびっくりしました。
前のエントリでさんざん二眼レフを褒め倒しておきながら、その後、僕はこの手のカメラにも手を出してしまいました。機種はスーパーフジカ6、この手のカメラとしては後発で、距離計連動のフォーカシングシステム、多重露光防止装置(といっても小窓で知らせてくれるだけで実際は多重露光できてしまう)付きで、690gという軽量ボディ。撮影だけの目的で出歩く事の少ない自分にとっては、やっぱ軽くて小さく持ち運べる方がいい。その点で、小さく畳めるフォールディングカメラは二眼レフよりも目的に合っています。僕の個体はストロボ切り替えの無い初期型で1955年製のようです。現在は修理中で、写真撮れないのが残念。
で、この手のカメラが流行ったのは、2眼レフよりも更に前で、殆どの機種は今より50年以上前に作られた物です。それ以降ブームなども無かったようで、ニューマミヤ6にこの機構が搭載された以外は新機種とか無かったのではないでしょうか。
なので、今回の富士フィルムの出展にはかなり驚いたわけです。絞り優先AEも搭載されているし、距離計も多分昔の物に比べれば格段に良くなっているでしょう。シャッターチャージとかどうなっているのか分かりませんが、とても撮影しやすそうです。ちゃんとボディにストラップの吊り輪がついているのも良いですね。昔はストラップはケースに付いているだけで、カメラ単体ではぶら下げておけなかったわけですから。
あまり売れなさそうですし、金型を新しく起こしたのであればコストも結構かかってそうなので、値段は安くはならないでしょう、僕は多分買えません。けど、これが出るってことはフィルムもしばらく続けてくれるんだろうなという気もしますので、そっちの意味では安心しました。
特に書けなくなる事情とかあったわけではないです。たんなるずぼらです。長いこと書かないと書き方さえ忘れてしまいそうです。
久々のエントリはカメラの話題。これの一番下にある中判カメラです。懐かしのフォールディングカメラ。ちょっとびっくりしました。
前のエントリでさんざん二眼レフを褒め倒しておきながら、その後、僕はこの手のカメラにも手を出してしまいました。機種はスーパーフジカ6、この手のカメラとしては後発で、距離計連動のフォーカシングシステム、多重露光防止装置(といっても小窓で知らせてくれるだけで実際は多重露光できてしまう)付きで、690gという軽量ボディ。撮影だけの目的で出歩く事の少ない自分にとっては、やっぱ軽くて小さく持ち運べる方がいい。その点で、小さく畳めるフォールディングカメラは二眼レフよりも目的に合っています。僕の個体はストロボ切り替えの無い初期型で1955年製のようです。現在は修理中で、写真撮れないのが残念。
で、この手のカメラが流行ったのは、2眼レフよりも更に前で、殆どの機種は今より50年以上前に作られた物です。それ以降ブームなども無かったようで、ニューマミヤ6にこの機構が搭載された以外は新機種とか無かったのではないでしょうか。
なので、今回の富士フィルムの出展にはかなり驚いたわけです。絞り優先AEも搭載されているし、距離計も多分昔の物に比べれば格段に良くなっているでしょう。シャッターチャージとかどうなっているのか分かりませんが、とても撮影しやすそうです。ちゃんとボディにストラップの吊り輪がついているのも良いですね。昔はストラップはケースに付いているだけで、カメラ単体ではぶら下げておけなかったわけですから。
あまり売れなさそうですし、金型を新しく起こしたのであればコストも結構かかってそうなので、値段は安くはならないでしょう、僕は多分買えません。けど、これが出るってことはフィルムもしばらく続けてくれるんだろうなという気もしますので、そっちの意味では安心しました。
ガット弦切れてからしばらくのふて寝。こんなことではイカンというわけで、TORO社のマジ羊腸弦を購入しました。
いままで僕が勝手に羊腸だと思っていたのは牛の腸だったという事が分かってもうびっくりです。で思ったのですが牛も結構いけてるじゃないかということ。
羊腸弦もそろそろなじんできたと思うので少し感想を。
えー、もう一度ボウイングを一からやり直せということでしょうか・・・。
何だよ、この倍音は!ノイズは!牛腸で培ってきたボウイングでエイやっといきますとピーヒャララ。笛のごとく倍音が高鳴りますよ。勿論原音も鳴っているわけで、中々に愉快な状態です。ついでに一緒に鳴るノイズも牛とは全く違う感じです。羊のほうが扱いが難しそうな帯域で鳴ってくれます。ジュギギギ。
ガットの神様、出直してきますので、どうか見捨てないでください。
いままで僕が勝手に羊腸だと思っていたのは牛の腸だったという事が分かってもうびっくりです。で思ったのですが牛も結構いけてるじゃないかということ。
羊腸弦もそろそろなじんできたと思うので少し感想を。
えー、もう一度ボウイングを一からやり直せということでしょうか・・・。
何だよ、この倍音は!ノイズは!牛腸で培ってきたボウイングでエイやっといきますとピーヒャララ。笛のごとく倍音が高鳴りますよ。勿論原音も鳴っているわけで、中々に愉快な状態です。ついでに一緒に鳴るノイズも牛とは全く違う感じです。羊のほうが扱いが難しそうな帯域で鳴ってくれます。ジュギギギ。
ガットの神様、出直してきますので、どうか見捨てないでください。
また弦が切れました。
台風がくるのに呼応するように毎回切れていきます。
いや、今回は分からないでもなかった。
もう寿命の弦を無理矢理張っていたから、もう無理です無理ですごめんなさいというような音を弦自体も出していた。
無理をしないで新しい弦を買おうと思う。
台風がくるのに呼応するように毎回切れていきます。
いや、今回は分からないでもなかった。
もう寿命の弦を無理矢理張っていたから、もう無理です無理ですごめんなさいというような音を弦自体も出していた。
無理をしないで新しい弦を買おうと思う。
以前に使ってた弦を張っているんだけど、その当時と比べて全然違う音で鳴ってくれるのでびっくり。
弓も松脂も楽器も一緒なのに不思議なもんで、弾き方が変わったんだろうなと思います。悪い方ではなく良い方に変わっているのは嬉しい事ですね。
まあ、音質の大まかな傾向までは変わりませんけれども。
弦や松脂に関して試行錯誤してきたつもりだけれども、当時の実力での判断が正しいかどうかは疑わしくなってきてます。
弓も松脂も楽器も一緒なのに不思議なもんで、弾き方が変わったんだろうなと思います。悪い方ではなく良い方に変わっているのは嬉しい事ですね。
まあ、音質の大まかな傾向までは変わりませんけれども。
弦や松脂に関して試行錯誤してきたつもりだけれども、当時の実力での判断が正しいかどうかは疑わしくなってきてます。
先々日弦が切れる音で目が覚めました。台風直撃と言われる日の事でした。
昨年も台風のさなか弦が切れました。
もう分かったので今回限りにしてください。懐が持ちません。
昨年も台風のさなか弦が切れました。
もう分かったので今回限りにしてください。懐が持ちません。
最近バイト先のドリンク売り場に新商品が入荷されまして、ついでにその商品のCMを2.5インチくらいの液晶で延々ループさせる機械も送りつけてきやがりました。ちょうどその商品の手前に設置しているわけですが、これがもうやかましくて集中しようとしてもその少ない気力を根こそぎ奪っていってしまいます。
ただでさえ店内は空調や冷蔵庫の音でとてもやかましく、それを誤摩化すためににBGM(歌詞付きの歌でない分まだいい)なんかかかっているもんだからかなりの騒音の中にいるわけです。それに追い打ちをかけるようなこの暑っ苦しいCM、これでうるさいと感じない人がいるのかどうか知りたいくらいです。嫌でも目に耳につきますけど、絶対それは良いイメージではないです。これで売れると思ってんでしょうか。モノの善し悪しは別として僕は絶対買いたいとは思いません。
店員てのはだいたい目で見えない範囲の客を音で認識しています。話し声とか足音とか気配とか、人間て結構音たててますからね。常にそうして気を配っているので結構疲れますし、レジ近くに客が来ると、棚一つか二つくらいの距離なら何となく分かります。だから店内はなるべく静かであってほしいのです。特に店員の少ない深夜は。
今後こういう宣伝増えるのでしょうか。だとしたら相当嫌ですね。2つも3つもあるともう何が何だか分かんなくもなるでしょうし。ぜひ止めていただきたいものです。
ただでさえ店内は空調や冷蔵庫の音でとてもやかましく、それを誤摩化すためににBGM(歌詞付きの歌でない分まだいい)なんかかかっているもんだからかなりの騒音の中にいるわけです。それに追い打ちをかけるようなこの暑っ苦しいCM、これでうるさいと感じない人がいるのかどうか知りたいくらいです。嫌でも目に耳につきますけど、絶対それは良いイメージではないです。これで売れると思ってんでしょうか。モノの善し悪しは別として僕は絶対買いたいとは思いません。
店員てのはだいたい目で見えない範囲の客を音で認識しています。話し声とか足音とか気配とか、人間て結構音たててますからね。常にそうして気を配っているので結構疲れますし、レジ近くに客が来ると、棚一つか二つくらいの距離なら何となく分かります。だから店内はなるべく静かであってほしいのです。特に店員の少ない深夜は。
今後こういう宣伝増えるのでしょうか。だとしたら相当嫌ですね。2つも3つもあるともう何が何だか分かんなくもなるでしょうし。ぜひ止めていただきたいものです。