明日は明日の風が吹く

B型で天然で1957年生まれの高齢者。

生涯学習=障害学習

2005-06-19 | ★大学
 「大学に入学してもう一度学び直したい」
という話をすると決まって
「その歳で?何のために?」
と聞き返される。夫でさえ
「通信教育じゃなく通学したいだなんて、単にミーハーなだけじゃないの?」
とにべもない。
 確かになにがなんでも“学んでみたいという分野がある”わけでもないし、“この仕事に就くためにぜひとも必要なこの資格を取得する”というはっきりした目的が現時点であるわけでもない。以前に記した理由の総括は、大学で学んでみたいと思う背景に漠然とあるものではあるが、決定的な理由でもない。ならばなぜ?という問いにひとことで答えるなら「生涯教育(生涯学習)のため」といえばいいかな。
 
 生涯教育・生涯学習というと一般的には社会教育の一環で中高年の余暇利用、たとえば公民館でのカルチャーだったり、講演会であったり・・・というイメージじゃないだろうか。でも本来生涯教育というのはその名の通り、「生涯にわたって行われる教育」を指し示し、その理念はすでに1965年にユネスコで提唱されているのである。つまり乳幼児から老年までをこれまでのように家庭教育・学校教育・社会教育というように発達段階に合わせて施されていた教育のシステムにとらわれることなく、学びたい知りたいという向学心・興味関心さえあれば、それを満たすことは「いつでも・どこでも・だれでも・どんなことでも」OKよ・・・という考え方である。
つまり勉強するということはなにも学校という場だけにあるものでもないし、若い人たちだけのものではないということ。むしろ若い世代よりわれわれ年配者のほうが、勉強するということに対しての欲求は強いのではないだろうか。その証拠にカルチャーセンターは向上心溢れた中高年のるつぼだし、若い頃一度学んだ分野をもう一度学び直したいと考えて実行している人も少なくない。
 単に料理教室で料理を習っただけにとどまらず、一歩踏み込んで栄養学・食品学を専門的に学んでみたいと思う主婦だっているであろうし、映画に触発されて韓国語を学ぶうちに日韓の歴史をもっと深く学んで国際交流に役立てたいと考える人がいてもおかしくない。子どもの数も少なくなっている今、こうした欲求を持つ年配者にもっと大学は門戸を広げるべきじゃないの?と思うわけよ。
 単発でいろいろな講座や講演を梯子するので十分じゃないの?なにもいきなり大学入学という発想もどうか・・・と思うでしょうが、そこはほら、私にはいろいろなトラウマがあるわけでして。それにやる以上はやはり突き詰めて学んでみたいとも思うわけでして・・・。  

 私のように興味の分野が広範囲に拡散していて絞り込めないような人に見合った学問はないものでしょうか。図書館学をかじってはみたものの、心の相談室の相談員を仰せつかっている今は心理学にだって関心がある。中途半端な主婦からの脱皮を目指して家政学とかもいいんじゃない?という具合。
 こんな浮気な性分の私ではやっぱ無理でしょうかしらね。こうなったら極端な話、息子と一緒に高校の勉強からやり直して、勉強したい分野を探り出すってのもいいかもね。(蛇足だが彼もまた将来何を飯の糧にして生きていこうか決めかねている模様。オレにはいったい何が合ってるんだろうってぼやいている)
 
 もうちょっと熟慮したいと思う。だって障害はそればかりではないから。
経済も、家族の理解も・・・ね。大学生への道は果てしなく遠いな~

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