御堂筋ウォーク 芭蕉終焉の地

2016-10-18 05:23:48 | ウォーク・自転車

通天閣の下をくぐり抜けて、まっすぐ歩くと日本橋筋に出ます。
「でんでんタウン」と言われるように、電気店が並んでいます。
時間的に、人の数は少なかったですが…

 

「テレビゲーム館」には、
すでに開店を待つ人たちの行列が出来ていました。

 

そして日本橋筋から左折し、
さらに右折をすると千日前道具屋筋商店街に入ります。

  

ここは食品のサンプルや調理道具、
暖簾(のれん)など業務用の道具を扱う商店街です。

そこを抜けると、道が広くなって、なんばグランド花月の前に。

 

お客さんたちが入口に集まって記念写真を撮っていました。
玄関口に本日の出演者の名札がかかっており、そこには
中田カウス・ボタン、月亭八方、モンスターエンジン
中川家…などの名前が並んでいました。
僕はこの中では中川家が一番好きですけどね~

思えば子どもの頃、両親に連れられて、
よく「うめだ花月」や「なんば花月」へ行きました。
(今の「なんばグランド花月」の前身です)

中学生になったある日曜日に、父母が仕事に出ていたので、
一人で内緒で、うめだ花月へ行ったこともありました。
漫才や落語の好きな子どもだったんですね~
で、今もその影響が残っています(笑)

さて、そのまま歩くと道頓堀へ出ます。

  

 

 


道頓堀を右に曲がり、戎(えびす)橋をわたると心斎橋筋に出ます。

 

 
…と、まあ、ミナミの繁華街を歩いて、
心斎橋まで来た後、人が多くなってきたので、
すぐ横にある御堂筋に出て、梅田をめざしました。

 


御堂筋は、大阪の梅田から難波までの南北を貫く幹線道路ですが、

「御堂筋」という名称は、東西両本願寺別院の南御堂・北御堂が
この道路沿いに建っていることから名付けられたということです

その南御堂(東本願寺難波別院)のあたりに、
かつて花屋仁左衛門という人の屋敷があって、
ここが芭蕉の終焉の地となったということです。

資料によると、1694年(元禄7年)9月、
大阪に滞在していた芭蕉は、体調を崩し、
10月が近くなると、容態が悪化しはじめ、
10月12日、花屋仁左衛門という人の屋敷で、
51歳の生涯を終えたということです。

 僕が芭蕉のファンであることは、このブログの題名が
「僕のほそ道」であることで、おわかりかと思いますが、
このブログを始めた9年前に、芭蕉終焉地のことを書きました。

その当時に、芭蕉の碑の写真も撮ったので、
今回はそこへ寄り道はせず、スルーしました。

9年前の写真をもう一度、ここに掲載しておきます。

芭蕉の碑は、御堂筋の車線の分離帯に建っているので、
渋滞している車の間を縫って走って碑のところへ行き、
車の中からジロジロ見られる中、しゃがみこんで写真を撮りました。

それが、この写真です。
「此附近 芭蕉翁 終焉ノ地」とありますね。

 


次に、僕はカメラを手にしたまま信号を渡り、
南御堂の境内に入って行きました。
ここには、芭蕉の句碑があるのです。

 

  

本堂の南側にこじんまりとした庭園があり、
そこに、芭蕉の最後の句となった
「旅に病で ゆめは枯野をかけまはる ばせを」
の大きな句碑が建っていました。

一般には「…枯野をかけめぐる」と伝えられていますが、
ここの句碑には「…枯野をかけまはる」
と刻まれています。

 

 

句碑の手前にある立て札には、こう書かれていました。


芭蕉句碑

旅に病で ゆめは枯野をかけまはる ばせを

この句は芭蕉の臨終の句の一つで、この大阪の地で吟ぜら
れたものである。
芭蕉は元禄七年(1694)秋 伊賀から門人達に迎えられて
大阪に着いたが 滞在中に病気になり 養生のかいもなく
10
月12日この南御堂前で花を商う花屋仁左衛門の屋敷で
51歳を
一期として旅の生涯を閉じた。
この句碑は後世 天保の俳人達によって建てられたものである。
当南御堂では 芭蕉を偲んで毎年芭蕉忌勤修され法要の
盛大に句会が催されている。


南御堂

難波別院

…ということです。

今回は、その南御堂も横目で見ながら通り過ぎ、
御堂筋を北へ北へとテクテク。無事に梅田にたどり着きました。

 

 
このあと、梅田にある太融寺というお寺に行きました。
ここには、淀殿(茶々)のお墓があるということでした。
これまた大河ドラマ「真田丸」と関係の深い話です。

それは次回ということで…。次回ばかりで、すみませんね~

 

 


 

 

 

 

 

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2 コメント

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わあ。 (ちひろ)
2016-10-24 06:18:44
素敵ですね!
日本橋は以前車で通ったことがあって、ほんとに電気屋さんばかりなんだなあと思ったことを思い出します。
先日、大阪に行った時にはなんばのホテルだったので、グランド花月(は、行かなかったですけど、割と近かったので)
のあたりのお写真は、こんな感じだった!と思いました。

でも一番は!芭蕉の碑です!
あれ、分離帯にあるんですね!知らなかった。
というのが、私が天王寺七坂をめぐりたいと思ったきっかけの小説があるのですが、坂それぞれを舞台にした短編集なのです。
が、七坂の七つのお話の後に「枯野」「夕陽庵」というお話も入っていまして、「枯野」のほうが芭蕉を題材にしたお話なのです。(ちなみに「夕陽庵」は藤原家隆を題材にしています)

サブタイトルの表紙にそれぞれの坂のモノクロ写真が入っていまして、それを見て「どうしても行ってみたい!」と思ったわけなのですが、「枯野」はまさにのんさんが撮っておられた芭蕉の碑の写真が使われていたのです。

ほかの八編はどこの写真なのかわかったのですが(ほぼ同じアングルで写真を撮ったのは内緒です…ミーハーだから…)、「枯野」の碑はこの辺じゃないんだなー今度調べてみようと思っていつつ、忙しさにかまけて失念していたのですが。

こちらで拝見するとは!

いつか調べて撮りに行く!と思っていたのですが、なかなか厳しそうな立地ですね(笑)。
のんさんが撮っていてくださったからいいことにしようかな←なぜ…

そんなわけで、勝手に「わあ!!!!」と思ったことでした。

またお邪魔します。
次回もとても素敵なところに行かれてますね。
またゆっくり読ませていただきます!
あわわ! (のん)
2016-10-25 06:44:07
「わあ!」と喜んでいただいて、僕の方は「あわわ!」と恐縮しております。

ちひろさんが愛読された天王寺七坂を舞台にした短編集、僕も早速読みたいと思っています。
ネットで調べてみたのですが、確かに面白そうですね。
写真入りなら余計に引き付けられそうです。
でも御堂筋の「枯野」は、たしかに天王寺七坂から離れていますよね。
それにこの南御堂の周辺は、坂はありませんし…(そういうモンダイか?)
ま、9編のうちの2編は七坂からは離れているようですが。

この碑の写真を撮った時は、御堂筋の名物→銀杏並木の季節でした。
まあ、分離帯ですが、僕は発見に興奮して、停まっている車の間を潜り抜けましたが、遠遠回りして信号を渡れば安全です(笑)

芭蕉は20歳の頃から「奥の細道」にあこがれて、東北・北海道への自転車旅行のきっかけの一つにもなりました。
その後、「奥の細道」の出発点である東京深川の芭蕉庵から、岐阜県大垣市の結びの地(のこたんさんの地元です)まで、20か所以上巡りましたが、「終焉の地」は最も記憶に残る場所ですね。(それが大阪だというのが、また何とも言えましぇ~ん)

ところで、その次に「太融寺」のことを書きましたが、淀殿の墓のあるそのお寺の同じ境内に、芭蕉の句碑もありました。こういう「偶然の出会い」があると、ひどくトクをしたような気がします(笑)

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