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高知・中村高校で思い出すこと

2017年03月21日 | 思い出すこと

きのうの高校野球に高知県代表の中村高校が登場した。結果は前橋育英に5対1で負けた。しかし負けてもこの学校は人気がある。愛称は「24の瞳」だ。

中村高校は、かつて12人のメンバーで甲子園に出場し、山沖という好投手を擁して決勝戦まで進み、優勝こそ逃したが、日本中を沸かせた。その時のことは今でもはっきりと記憶に残っているのだが、今回は、40年ぶりの甲子園出場ということだった。これには「げぇっ」と驚いた。
「えっ? もう、あれから40年も経ったのかぁ!」

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高知県は、妻の両親(共に故人)の出身地である。
義父は佐川というところの出身だが、義母のほうは中村と縁が深い。今も中村には義母の親戚が多く住んでいるし、妻の兄は中村高校出身で、しかも野球部に属していたそうだ。

そんな縁で、僕も中村を2度訪れている。

最初に行ったのは、四国を自転車旅行をした時だ。

それは1978年のことである。ということは、中村高校が甲子園に出た翌年ですよね(つまり39年前です)。妻の兄が「高知へ行くんやったら、ぜひ中村の身内の家に寄ってほしい。電話しておくから」と言ったので、僕は自転車で高知を通った折にそこへ寄った。身内と言っても何軒もあったが、義兄から教えてもらっていた一番近い身内のおばさんの家に行き、お腹いっぱい土佐料理をよばれ、その日は泊めてもらった。


 
  当時の『国鉄』中村駅の前で。 
  手前が僕の自転車。1978年、29歳の夏でした。


2度目に中村に行ったのはそれから18年後の1996年。
四万十川100キロマラソンに出場した時だった。

この時は、妻と長男が同行した。3人で中村の街を歩いたりしたものだが、自転車旅行の時に泊めてもらったおばさんは、すでに亡くなっておられた。そして、この100キロマラソンのゴール地点が中村高校だった。100キロの距離を走り続け、ついにたどり着いたゴールが中村高校だったから、僕にとっては、この高校はその意味でも忘れがたい。

当時、ここは中村市だったけれど、今は市町村合併で四万十市という市名になり、中村市の名前は消えた。でも、中村高校ががんばっている限り「中村」の名は、これからも忘れられることはないだろう。

それにしても、前回の甲子園出場から40年とは!
ついこの間のことのように思っていたのに。…早いなぁ。

そりゃぁ、年も取りますよね~

 


つけたし

その時のウルトラマラソンの完走証です。 


  

僕のタイムは12時間37分01秒。
出場者783人中458位。
年代別順位は、男子40歳代 305人中184位。
…ということでした。

 

 

 
 
自転車旅行の時のコース。徳島から時計回りに走りましたが、
 左下の赤い丸をつけた「四万十」というのが、当時の中村です。
  

 

 

 

 

 

 

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