ようこそ浄徳寺のブログに 

真宗高田派の寺院です。お寺に興味を持ってみてください。
念仏を喜び、真実の教えのご縁を頂きましょう。 住職

浄徳寺ブログ 平成29年1月1日に更新しました。

2017-07-03 17:39:25 | 日記
浄徳寺本堂内と本尊阿弥陀如来立像です。

浄徳寺は、鎌倉仏教の親鸞聖人を宗祖としている、真宗、浄土真宗の一宗派である真宗高田派の 末寺です。真宗高田派は、本山を専修寺(せんじゅじ)といい、今から800年程前に、関東下野 国(栃木県二宮町)で親鸞聖人が創建されました。その後、550年程前に、現在の三重県津市一 身田に本山を移し、三重・愛知・福井を中心に全国630ほどの末寺がある宗派です。



浄徳寺の本堂内陣です。寺の開基は元禄元年で、本尊は江戸時代に作られた阿弥陀如来立像で、とても優しいお顔をしております。
南无阿弥陀佛 合掌


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浄徳寺平成29年修正会法要

2017-01-01 01:28:38 | 日記
 浄徳寺 平成29年修正会法要

 本年も修正会法要を厳修致しました。その法要中に平成29年新年を檀信徒とともに迎えることができました。感謝 合掌

 法話 「聖徳太子について」
 
 聖徳太子は、私達真宗、浄土真宗と言われる親鸞聖人のお寺には、御木像か御絵像が大体御安置になっていますが、これは親鸞聖人が聖人作『正像末和讃』の中の「皇太子聖徳奉讃」に、「救世観音大菩薩聖徳皇と示現して 多多(父のこと)のごとくすてずして 阿摩(母のこと)のごとくにそいたまう」「和国の教主聖徳皇 広大恩徳謝しがたし 一心に帰命したてまつり 奉讃不退ならしめよ」という和讃があります。
 親鸞聖人は29歳のとき(1201年)それまでいた比叡山を降り、京都の六角堂に「後世を祈らせ給いける」(極楽往生を祈るということ)ために篭ります。そのとき夢告を六角堂の本尊から賜ります。六角堂は聖徳太子創建のお寺といわれていますが、当時聖徳太子が救世観音菩薩としてこの世に現れたと考えられていました。
そしてその夢告によって法然上人のもとへ行き、深く念仏の教えに帰依することとなったのです。さらに聖徳太子を日本の教主とおっしゃっています。教主とは通常釈尊のことを指しますが、日本の仏教は聖徳太子に始まるといってもいいため、聖徳太子のことを日本の釈尊とおっしゃているのです。 聖徳太子は17条憲法をお作りになりましたが、憲法という言葉は日本国憲法とは違い、本来は宮廷に仕えている人たちの心得と見るべきなのでしょう。しかし、日本ばかりでなくて世界の人々のすべての人間が秩序ある平和な生活をおくる心得、規範を定めたような気がします。 その憲法は、仏教徒である日本人に影響を与えてくれたことが書かれていますが、特に第2条と第10条の二つの条文が私達に大きな影響を与えてくれています。
 第2条の現代訳は、二にいう。あつく三宝(仏教)を信奉しなさい。3つの宝とは仏・法理・僧のことである。それは生命(いのち)ある者の最後のよりどころであり、すべての国の究極の規範である。どんな世の中でも、いかなる人でも、この法理をとうとばないことがあろうか。人ではなはだしくわるい者は少ない。よく教えるならば正道にしたがうものだ。ただ、それには仏の教えに依拠しなければ、何によってまがった心をただせるだろうか聖徳太子は、仏法僧の三宝を信奉しなさいと言われています。三宝の仏は釈尊始め諸佛、真宗門徒ならば阿弥陀仏となりますか、法とはその信奉する仏のみ教え、僧とは僧侶と略しているのがほどんとですが、私はこの僧は僧伽(ソウギャ)つまり仏道修行をする僧と在家の集団を指すと思っています。なぜなら、僧は仏陀の教えを実行し、その教えの真実であることを世間に示し、あわせて弟子を教育し、教法を次代に伝える役割を担うことから、個人的な僧侶ではないと思っています。 そしてその教えは、日本に仏教の教えを定着させました。正しく太子は日本仏教の祖と言ってもいいと思います。 人間は、多くの教えを受けることができますが、普遍的教えとなると、教えは限定されてきます。新興宗教も普遍的な教えをつたえていることもありますが、オウム教のように普遍性のかけらもない教えに拠り所にしたら、殺人までおこしてしまいます。 とりあえず、2千年以上続いた釈尊の教えですから、信奉するに値するのです。
 第10条の現代訳は、十にいう。人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだというわけではない。皆ともに凡人なのだ。そもそもこれがよいとかよくないとか、だれがさだめうるのだろう。 おたがいだれも賢くもあり愚かでもある。それは耳輪(みみわ)には端(はじ)がないようなものだ。こういうわけで、相手がいきどおっていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって行動しなさい。と書かれています。 聖徳太子は、十条の中で人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。 これは、要するに「気に入らんことを言われても腹を立てて怒ってはいけない」ということだと思います。人はみな心を持っています。自分を中心としたものの考えがあり、その執着の心を持って生きています。それが人間だといってもいいのだと思います。
 その後に、自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだというわけではない。皆ともに凡人なのだ。そもそもこれがよいとかよくないとか、だれがさだめうるのだろう。 つまり、自己中心的な執着を持って人は生きていますということです。 だから、私がこれは正しいこと、いいことだと思っても、それは必ずしも相手にとって正しいこととは限りません。逆に、人がこれは正しいと言ったからといって、私にとって正しいとは限りません。 そして私が決して間違いを犯さない聖人(せいじん)ではありません。人はいつも間違いばかり犯す愚か者でもなく、お互いに間違いの多い凡夫(ただびと)であるということでしょうか。
 凡夫(ぼんぷ)ということは普通の人と理解して下さい。凡夫と言うと悪いことのように思ってしまいますが、その普通の人が本当は怖い存在なのだと思います。私は決して過ちを犯さない聖人ではないが、いつも間違っている愚か者でもないと思っていませんか。 誰が絶対的に善だ悪だ、是だ非だと定めることができません。人間にはそれはできない事だと思います。 この太子の言葉は、親鸞聖人が「善悪のふたつ、総じてもって存知せざるなり」と言われた言葉の元となっています。聖人は聖徳太子のお言葉を一度確認された言葉と思います。
 次に、お互いだれも賢くもあり愚かでもある。それは耳輪(みみわ)には端(はじ)がないようなものだ。こういうわけで、相手がいきどおっていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって行動しなさい。と続きます。 これは、おたがいだれも賢くもあり愚かでもある。そして、耳輪(みみわ)には端(はじ)がないようなものだ。 こういうわけで、相手がいきどおっていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって行動しなさい。 それをたとえて、「耳輪(みみわ)には端(はじ)がないようなものだ。」と書かれています。 鐶(みみがね)というのは円型の輪ですが、鐶(かん)と書きますが、これはイヤリングとかブレスレットのことです。イヤリングもブレスレットも輪ですね、今はいろんな形がありますが、昔は金の輪を丸めたものを、耳たぶに穴を開けていれたので。「みみがね」と読んだのです。「端(はし)なきごとし」というのは、円というは端がありません。その輪の一点を押えて、ここを始めとしてぐるっと回ればそこが終わりです。
 それが円ですが、その円と同じで人間というのは賢いところと愚かなところが同居してますので、ものすごく賢い人はものすごく愚かです。たいして賢くない人はたいして愚かでもないということになります。 高い山には必ず深い谷があります。低い山は深い谷を持っていません、テレビでヒマラヤ等高い山を見ると、気高くて素晴らしい気持ちにさせてくれますが、よく見ると何千メートルと落ち込んだ谷間があり、落ちたら命がありません。それと同じように、人間というのは賢いところと、愚かなところが同居しているのです。 僧侶の自分を見る時、自分の専門分野が一番怖いと思います。怒ったり怒鳴ったりしてしまうことがありますが、良い悪いとは別なもので、檀家から見たら僧侶にあるまじき態度となります。良寛さんにはなれそうもないけれども、檀家は良寛さんを求めています。 僧侶として聖徳太子の言葉が身にしみます。 正義は自分だけのものではないのです。他人と自分の正義が違うかもしれないと思う心が足りない自分に恥じ入ります。 つまり、人間は賢いところと愚かなところが同居しているだと、聖徳太子はおっしゃっているのです。相手につられて腹を立てる前に、彼を怒らせた私の上に過ちが無かったのかを反省せよというのです。 そして太子は、自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって行動しなさい。と言っています。つまり、私は正しいと思っても、それを実際に行う時には人々と諮(はか)って行いなさい、みんなと相談して軌道修正をしながら、よく話し合いをしておこないなさい。これが一番安全な道と言っています。
 この法話の原稿を書いているときに、中東でのイスラム国においての日本人人質事件が報道され、日本人二人が殺害されたと知らされました。本当に悲しいことです。人間は自分の正義を振りかざすどうしょうもない愚か者だと再確認しました。聖徳太子は、私達人間は神でも何でもない。過ちを犯しやすい愚か者です。だから、仏さまの御教えを拠り所とし、仏さまの御教えに導かれるような姿勢を取らなければ何をしでかすかわからない、危険な人間なのだと言われています。全ての生き物は仏さまの教えを拠り所にして初めて心豊かな人生が送られるのだと言っています。 合掌 南无阿弥陀佛

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平成28年の報恩講を執行しました。

2016-12-11 21:16:40 | 日記
28年の報恩講を執行しました。 真宗、浄土真宗では報恩講(開祖親鸞聖人の御正忌法要)が一番重い法要です。無明の中にいる、私たちは念仏の教えを聞思聞法することにより、阿弥陀様の必ず救うぞという光の中に入ることができるのです。南无阿弥陀佛 合掌

 ブログ法話

 仏教聖典に「これは我が子、これは我が財宝と考えて、愚かな者は苦しむ。おのれさえ、俺のもでないのに、どうして子と財宝とがおのれのものであろうか。」と説かれています。私たちは計り知れないほどのご縁によって、ただ今の瞬間の命を生きているのです。それを釈尊は「縁起する命」と言っています。様々なご縁のままに人間として生まれた私たちは、私の命は私のものでないのです。自分の努力でただ今ありえていると思い込んでるだけなのです。その努力もご縁があってできています。ご縁のままにただ今の瞬間がありえているというのです。これを他力と言うのかも知れません。その他力に目覚めて、一瞬一瞬の命を「生かされている命、尊し。もったいない。」と命を大切にして生きようとするのが、仏教徒の生活です。
このような命のあり方において、人間の命も動物などの命など、命あるものの命は平等であると説いているのが仏教です。キリスト教もイスラム教もこのような命の平等は説いてはいません。しかし、現代の日本人の考え方どうなんだろうか、最近大阪でまだ14歳の子供を平気で殺害するなど全国で簡単に他人の命を奪う犯罪が起きています。そして自分で自分の命を断つ自殺も増えています。 
これらは、戦後欧米の「個の独立」という個人主義に影響され、個人主義は他人に頼らないで生きる独立した自分でなくてはならず、お互いの人格を尊重し干渉しないという欧米思想が戦後日本の常識となっています。子供といえども個人に干渉しないのだから夜間出歩いても、破廉恥な行為にも関心を示しません。干渉しないということは、他人の命も干渉しないというとこまで行き着きつくのではないでしょうか。   それは多分、命さえも「私の命は私のものだから、自分の好きなように生きる権利がある。」とのことから始まり、私の問題だから自由に生きることが大事にされ、他人の命に関心を持てなくなっているのかもしれません。夜間徘徊を親のせいにするのは簡単ですが、社会が作り上げてることもありますので、とても悲しいことです。 
仏教では、地球上にある全ての命は共に助けあい、共に関係しあって生きています。共に生きあっている命であり、その命を自分も生きているという、そういうまなざしを持って生きるのがとても大事なことなのです。そして、私たちは実は色々なところから干渉されて生きていることに気ずくべきです。そして先に述べたとおり仏教の教えである「生かされている命、命は尊し」ということから離れてしまっているのではないかと思います。また、子供は国の宝ですのでみんなで護ることがとても大事なことだと思います。 合掌


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平成28年 秋彼岸会法要

2016-09-27 21:52:35 | 日記
 秋彼岸会法要をたくさんの参詣者と共に厳修しました。今年も例年同様、副住職の法話の後に、柳泉亭くすりさんの落語を楽しみました。

 住職法話 念仏(ねんぶつ)とは
念仏とは、口で「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」と称えることです。これを称名念仏(しょうみょうねんぶつ)と言うのですが、この阿弥陀仏の名号(みょうごう)を称えただけで、阿弥陀仏の極楽浄土に生まれることができると説かれたのが法然上人です。つまり、難しい修行をしなくても、念仏だけで浄土に生まれることができると言われたのです。 それまでの仏教の考え方では、さまざまな修行があって、それらを一つ一つ精魂込めて実践し、積み上げていくことによって、はじめて悟りの境地に至るとされ、浄土へ生まれるのもまた、同様に種々の修行が必要とされていました。その中で、もちろん口で称える念仏も行われていたのですが、それはあくまで助業(じょごう)と言われる補助的な修行に過ぎなかったのです。念仏こそが浄土に生まれる要因については、法然上人は、念仏こそが浄土に生まれる要因(正定業=しょうじょうごう)であり、他の修行は行ずることが難しく、すべての人を救うといわれる阿弥陀仏の本願(ほんがん・本心)ではないと解釈されたのでした。ここに浄土宗という一つの仏教体系(宗派)が成立したわけです。口に出して称えただけの念仏一つで、難行苦行を試みても往くことが難しい浄土に、どうして生まれることができるのかと考えますと、一見、そんな都合のよいことは信じられないと思われるかもしれません。
 しかし、阿弥陀仏の本願、本心をうかがうとわかってきます。 阿弥陀仏からすると、すべての生きとし生ける者の苦悩を除き、浄土に生まれさせて輝かせたいというのが願いです。一人ももらさずに救う手段が念仏と良く言われます。 それは、人には利発な者から、無気力な者、わかっていても悪い癖が直らない者もいます。「一生懸命努力して、能力を高め、自分を磨きなさい。そうすれば、浄土に生まれて仏となることができますよ。そのためにしっかりとサポートします」と言われても、それを完璧にできる人はまずいません。コーチがいくら指導してもオリンピックで金メダルが取れる人は極めて稀であるようなものです。
阿弥陀仏は、誰もが浄土に生まれることのできる手だてを考えて、ご自身の方で用意され、それをすべての人びとに提供することによって、一人残らず浄土に生まれさせようとされたのでした。その手だてが念仏です。したがってその称えるところの「南無阿弥陀仏」という名(名号)には、阿弥陀仏の持っておられる無上の能力、言わば絶大なる功徳のすべてが凝縮され、内包されたものであり、それを称えるということは、阿弥陀仏の功徳のすべてが私に至り届くということなのです。 つまり、阿弥陀仏の善業が念仏によって私の上に実現するわけですから、少々の善業を積み重ねた人とは比べものにならず、文句なしに浄土に生まれることができるというものです。私達真宗高田派の御開山親鸞聖人についてですが、聖人は法然上人から念仏の真実を受け継いだのです。 法然上人は、この称名念仏によって阿弥陀仏の浄土に生まれるという教えを説かれたのですが、この教えを受け継いで、さらに深められた方が親鸞聖人です。 親鸞聖人は、称える念仏にも自分の力が混じった自力の念仏と、徹底して自力を否定して百パーセント阿弥陀仏のはたらきとして受け取る他力の念仏に分けられ、阿弥陀仏の本願は、その他力の念仏(絶対他力)であることを明らかにされました。  つまり、念仏には、阿弥陀仏の「必ず救う」という本願をそのまま疑いなく受け取る「信心」がともなって、はじめて真実の浄土に生まれ、心からの安らぎを得られるのであって、称える行為に自分のてがらを交えた自力念仏では、幻の浄土に留まって、本当の安らぎは得られないとされたのです。浄土に生まれることのできる要因は「大行」「大信」と言われたのです。自分の口から出てきた念仏は、阿弥陀如来のお呼び声、弥陀仏の本願が念仏となって私に至り届いていると、私自身が疑いなく信じ受け取ることこそ肝要であり、自分の口から出てくる念仏は、その受け入れた証であり、阿弥陀仏に救われる喜びと感謝の気持ちに包まれたものであると味わわれたのです(これを信心正因・称名報恩と言います)。
 したがって、親鸞聖人の教えでは、念仏は「阿弥陀仏のお呼び声」であり、受け取る私の側からすれば「報恩感謝」の念仏ということになります。 南无阿弥陀佛 合掌 

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歓喜会法要(盂蘭盆会)と 盆踊り大会

2016-08-14 16:04:18 | 日記


真宗高田派では、盂蘭盆会を歓喜会と申します。それは亡くなったご先祖様達のご縁をいただき、仏法に会わさせていただくからです。このご縁は尊いものです、日ごろから仏法とのご縁を結びたいと思っている人など、坊さんだけで(あやしいかも)普通はいません。しかし、苦しいこと、悲しいこと、辛いことなど泣きたくなる時、仏法とのご縁を結びたいと思うかもしれません。亡くなった方々からご縁をいただき、寺の本堂に導かれることは、亡くなった方々へ感謝せざるをえません。仏の救いは、いま生きて悩み抜いている人々が対象なのです。南无阿弥陀佛 合掌
 8月14日恒例の盆踊り大会が盛大に開催され楽しい時間を過ごさせていただきました有難う。

法 話  「我執をはなれること」   住職  
 浄土真宗、真宗以外の天台宗、真言宗、禅宗等の宗派では、いずれも骨身を削るような厳しい修行が課されていますがなぜなのでしょう。 釈尊は人間の世界は苦であると達観され、そのよって来る原因は煩悩にあると見抜かれました。したがって苦しみのない悟りを開くためには、正しい生活をして真理を見る智慧の眼を開かなくてはならないと説かれました。いわゆる四諦八正道です。 
 それは一口に言えば「断惑証理」のためなのです。つまり、煩悩を断ち切って真理を悟ることを説くのが仏教なのです。そのために色々な厳しい修行が要求されるのです。煩悩とは、私たちの身を煩わし、心を悩ますものという意味で、ぞくに8万4千の煩悩と言われるほど、たくさんの煩悩がありますが、その根本は無明にあると説かれています。
 無明とは、明(智慧)の無いことですので、我執(自己中心性)によると言われます。仏教では諸法無我と説くように、あらゆるものは因と縁によって生じており、仮に和合したものにすぎませんから、固執すべき実体はありません。
 それなのに、私たちは「おれが」という自己の執着から離れることのできない生活を続けています。この我執を除くことが、とりもなおさず断惑であり証理の道なのです。仏教で行ということを厳しく説くのはそのためです。
 しかし、我執を離れることは、それほど難しいことなのでしょうか。そのことが理解されなければ、仏教の教えはしょせん観念の遊戯に終わってしまいます。そこで一例をあげれば、仏教の行の代表的なものに六波羅蜜ということが説かれています。六波羅蜜というのは、迷界から悟界に渡るという意味で、六度の行と言われています。
 その第一が布施の行です。布施というのは、広く施すという意味で、私たちは貧欲の心を持ち続けていますから、その煩悩を退治するために、人に施しをせよと教えるのです。
 ところが、布施が本当の行として価値を持つためには、三輪清浄でなくてはならないと説かれています。三輪清浄というのは、施す人も、施しを受ける人も、施されるものも、三つのものがいずれも清浄で、濁りが混じってはいけないというのです。
 このことは、日常生活の中で経験する、昨年度の東日本大震災への寄付などがありますが、「可哀想に、気の毒に」と思って出してはいますが、私たちは本当に純真無垢な清い心で施しをしているだろうか。出したあと「わたしは、あの時、あれだけのものを、あの人に施した」という思いは残っていないでしょうか。
 本来の布施行は、自分の生活に支障が来ない程度の施しであったなら、そこには傷つかない自分が残っているので本当の意味での布施行とは言いません。だけど、愚僧も含めて自己を忘れ、利己主義を離れた行為など滅多にできるものではありません。
 こんなことを考えたら我執を離れることが、どんなに困難なことか想像できると思います。人間には不可能に近いといえます。その不可能を可能にしたのが、真宗での念仏の大行で、行は仏から賜った念仏なので、煩悩を持ったまま弥陀の浄土に往生し、浄土で成仏が叶うのです。 合掌



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浄徳寺で真宗高田派法主殿の御巡教が執行されました。

2015-06-27 20:24:33 | 日記
浄徳寺で真宗高田派法主殿の御巡教が執行されました。


「御巡教について」  真宗高田派では真宗高田派第24世鸞猷法主殿が退任し、新たに真宗高田派第25世慈祥法主殿が誕生したわけですが、新法主殿として親鸞聖人から続く高田派の法脈を受け継ぐ身として、高田派寺院を回り寺族、檀信徒に新法主殿としてみ教えを伝えるのを御巡教といいます。

 平成27年6月27日(土曜日)午後3時から、当山浄徳寺本堂において、近隣組内寺院9箇寺の寺院の住職、寺族、檀信徒が、新法主殿の御調声で勤行した後に、法主殿から参加者に対して新法主としてのお言葉をいただきました。当山で新法主殿をお迎えできたことは、法主殿に感謝するとともに、浄徳寺檀信徒の今までの努力のたまものでもありますので、皆様に深く感謝したいと思います。合掌 南无阿弥陀佛 浄徳寺住職

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真宗高田派本山専修寺について

2014-09-16 20:05:13 | 日記
三重県津市一身田にあります、真宗高田派本山専修寺の御影堂(重要文化財で開山親鸞聖人像がご安置)です。京都以外で日本で一番の巨大建設です。



三重県津市一身田にあります、真宗高田派本山専修寺の如来堂(重要文化財で本尊阿弥陀如来立像がご安置)です。


真宗高田派・高田山専修寺について

親鸞聖人は関東各地を御教化中に、明星天子の夢のお告げを得て、54歳のとき栃木県真岡市高田の地に一宇を建立し、専修念仏の根本道場とせられ(後に専修寺 本寺と称します)ました。
 ご本尊には、長野の善光寺からお迎えした一光三尊佛をご安置し、聖人門弟の中のリーダーであった真仏上人が管理に当たられました。ここを中心とした教団は、関東各地の檀信徒の中で最も有力な教団となり、京都へお帰りになった聖人からは、しばしば自筆のお手紙や、ご自分で書き写された書物などが送られ、関東の門弟及び檀信徒の御教化にもますます取り組まれておりました。
 その後、真仏上人を中心とした関東の門弟、檀信徒の教団を高田教団と呼ぶようになり、そして次第に発展し、専修寺は本寺と呼ばれ全国的に崇敬を集めるよう になりましたが、それを一段と飛躍させたのが第10世真慧上人で、東海、北陸方面に教化を拡げると共に、朝廷の尊崇を得て、専修寺は皇室の御祈願所ともな りました。一身田の専修寺はその真慧上人が伊勢国内の中心寺院として建てられたものでしたが、関東の本寺が兵火によって炎上したため、歴代上人が一身田に 居住されるようになって、ここが本山として定着しました。
 一身田専修寺の伽藍は2度の火災に遭いましたが、りっぱに再建され、住持には皇族をお迎えして、門徒の崇敬はますます高まりました。数多い親鸞聖人のご真筆類は、今も大切に伝持され、教団の誇りとなっています。


● 真宗高田派本山専修寺 のホームページへ  クリック!

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真宗高田派の歴史と教え

2014-09-06 10:03:53 | 日記
真宗高田派の本寺(栃木県二宮町高田)の如来堂(本尊 一光三尊佛)


真宗高田派の本寺(栃木県二宮町高田)の御影堂(親鸞聖人座像ご安置)


 根本道場下野本寺と一光三尊佛  
 高田教団が下野高田の如来堂を中心として起こったことは皆さん高田門徒の方はご存知ですが、如来堂はやがて高田専修寺として寺院威容をととのえました。
 寛政六年(1465)第十代中興真慧上人が教腺強化のため本山を伊勢の国一身田に移されるに際し、下野の専修寺(せんじゅじ)を本寺(ほんじ)と
呼んで本山と区別することになりました。
 下野の本寺は、聖人の御在世の昔を最もよく伝える聖域として、昭和42年、国の史跡に指定されましたが、古くから真宗の根本道場と言われ、全真宗念仏門徒の故郷であります。こうした聖人直接の御旧跡を護持しているのは高田のみであり、根本教団の威光を輝かせています。 
 この本寺の如来堂に安置する本尊は、聖人の夢に現れて長野の善光寺から貰い受けたと伝える一光三尊佛であります。
 聖人が自ら親しく御恭敬あそばした尊像として現存唯一のものであり、永く秘仏として扉を閉ざされていましたが、第17代円猷上人の時代になって初めて本山に出開帳され、爾来17年目毎に出開帳を仰ぐことになりました。
 そもそも真宗の御本尊は観無量寿経の「住立空中」の仏にたかどったものと言われていますが、そこに見えているのは正しく三尊佛でありまして、弥陀一仏といっても、阿弥陀仏の右手が慈悲(観音)を、左手が智慧(勢至)をあらわしていることから、逆に阿弥陀仏一仏が三尊佛をあらわしているともいえるのであります。聖人みずから御恭敬あそばした御本尊が三尊佛であることは、このように見てきますとむしろ自然なことであります。
 私達は一光三尊佛の中に、聖人の深い願行を仰がずにはいられないのであります。   

「念仏高田」と高田門徒は呼ばれてきました。その言葉に示されているように、信行具足の念仏重視の傾向であります。今日の真宗教団に、称名念仏を信後の報謝行として、信心の蔭に追いやろうとする傾向があります。
 それは高田の宗風にそぐわないところなのです。それは親鸞聖人のお心にそぐわないことと考えます。聖人は「教行証文類」にも行文類の次に信文類を次第せられており、御和讃にも「弥陀の名号となえつつ 信心まことに得る人は 憶念の心つねにして 佛恩報ずる思いあり」とし、まず念仏を称えるということがあって信が展開するのです。高田の宗義は、この行信のお心を正しく相続してきたのです。
 従来、高田の宗義をけなして「半鎮半台」と言われてきました。これは、高田は半分は浄土宗鎮西派で半分は天台宗の自力念仏宗だという意味です。
 しかしながらこれは、念仏重視の宗風を表面的に受け取って非難したものなのでしょうが、むしろ、こういう非難こそが、念仏を置き去りにして、真宗教団の衰弱化を進めます。


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以前、真宗高田派本山専修寺で、作家の五木寛之さんと対談する本山執事であったころの浄徳寺住職

2014-09-05 16:27:13 | 日記



住職が本山執事・高田派総務のとき、作家の五木寛之さんの百寺巡礼「滋賀・東海」第4巻の取材で「念仏する心という原点」という題で、五木寛之師と住職が対談したときの写真です。この対談内容は関東圏のフジテレビBSで放映されました。



ライオンズクラブで講演をする住職 内容は、住職が刑務所篤志面接委員をしている関係で、収容者に対する薬物依存の対応と悩み相談などの現場の実情を講演させていただきました。


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刑務所の篤志面接委員について

2014-09-05 13:30:58 | 日記
住職が刑務所で篤志面接委員として、収容者に講義をしている様子を、名古屋テレビで放映された時の写真です。



現在の私の仕事となっている、篤志面接委員という仕事をご紹介致します。この仕事は法務省を退職し浄徳寺住職となったわけですけれど、その翌年に以前の上司が法務省名古屋矯正管区長として赴任してきて、三重刑務所の篤志面接委員の就任を請われ、平成5年からその職についています。
 篤志面接委員の仕事は全国の矯正施設(刑務所、少年院等)の受刑者や少年院在院者等の改善更生と社会復帰を図るために,各種の処遇・教育が行われていますが、これらの人々の抱える問題は、現代社会の状況を反映して複雑で多様であるため、公務員である矯正職員の力だけでは十分対応できない場合には、専門的知識や豊富な経験を持つ民間の篤志家の協力を得る必要があります。
そこで、篤志面接委員制度が設けられ、法務省から委嘱を受けた篤志面接委員が受刑者や少年院在院者等の改善更生のために様々な奉仕活動を行っているいるのです。
 私の三重刑務所での仕事は、悩みを抱えている者に対する個人面接と仮釈放(受刑成績優秀者を刑期終了前に仮に釈放する制度)者の出所前に社会に出た時の心得、現社会の状況などを講話形式で教育活動を行っているのですが、最近の傾向では、現在の社会の不況などで、社会そのものの就業率が低いこともあるのですが、釈放後の就職が90パーセント近く決まっていないことです。
 これでは再犯を促すこととなってしまいます。本来は、刑務所に任せて、社会復帰するのではなく、社会全体が社会復帰させるといった行動をおこさなければ、本来の社会復帰は実現しないのです。受刑収容者は、社会が生み出したものなのですから、単に社会から隔離しておけば良いという事にはなりません。犯罪を生み出した社会が手を伸ばすことが、犯罪者を社会に復帰させる大きな力となりうるのです。

21年の暮に名古屋テレビの番組UP!で篤志面接委員活動状況を取り上げていただき、受刑者に民謡を指導している先生と愚僧が取り組んでいる仮釈放前教育の講義中の様子が放映されました。犯罪者を憎む前に、犯罪そのものは社会も生み出す因を持っているわけですから、犯罪を憎んでも、犯罪者も犠牲者の一人であることも知って欲しいし、このを興味本位ではなく、身近なものとして捕らえて欲しいと思っています。受刑者の釈放後の仕事が本当に無い状態が続いています。このテレビ放映から社会がもっと人間と犯罪に対して関心を持って欲しいとの願いが通じてくれればいいと願っています。



「 法務省 刑務所篤志面接委員の仕事について」●ここをクリック!


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