6月17日

2005-06-17 23:42:56 | ミカイルの日記
今日は久しぶりの学校があった。今日は4時間目までしかなく、その後選考会という形だった。自分は800mでなんとか補欠に入ることが出来た。風と修学旅行などがあり、1週間練習をしなかったため、体が重く本調子ではなかった。やはり、今日もぼーっとしてしまう。・・はあー
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パトリック・ユーイング(元ニックス、ソニックス、マジック)

2005-06-16 22:21:17 | 伝説の選手達
1985年パトリック・ユーイングはニックス〜1順目1位指名を受ける。そして期待通り、ルーキー・オブ・ジ・イヤー(新人王)を獲得する。彼はすぐにニックスの大黒柱、NBAのトップセンターへと成長する。80年代後半〜90年代前半はセンターの時代だったが、それはパトリック・ユーイング、デイビッド・ロビンソン、ハキーム・オラジュワンの時代であったということでもあった。ユーイングはニックスを移籍する2シーズン前まで20点、10リバウンド、2ブロック級の活躍を維持していた。NBAの歴史に名を残すすごいセンターであるが、不運にも優勝は出来なかった。ファイナルは最初に1994年に出場するが、オラジュワン率いるロケッツの前に第7戦までもつれ込む熱戦を繰り広げるが、惜しくも敗退。次のファイナルでは自らが怪我をしてしまったのにもかかわらず、ニックスは第8シードから、ファイナルに出場する。ファンはミラクルニックスと呼んだ。だが、ここでもデイビッド・ロビンソン、ティム・ダンカン率いるスパーズに4−2で敗退。彼は思えばファイナルでセンターの時代を共に築き上げていた二人に邪魔をされている。彼は2年後自分からソニックスへと移籍する。ここでは成績はダウンし、チームも優勝どころでなかった。翌年マジックにいくも結果は同じ。彼はスーパー・センターであったが、ロビンソン、オラジュワンとの差(優勝できなかった)は運の差だと自分は思う。彼はとても立派だったとみんなにしってほしい。
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6月16日

2005-06-16 21:42:28 | ミカイルの日記
 今日は午前中は手伝いを(家の掃除、買い物等)をしました。午後は陸上の練習がありましたのでしょうがなく、出席しました。なぜ修学旅行代休がある3年生が陸上の練習があるのかというと、明日が陸上の選考会でして、それでぶつけ本番ではいい記録も出ないということで、ありました。ちなみに自分は800mに出る予定です。800mは出たいという人が少ないためほぼ確定したようなものです。選考会のことは明日報告します。そういえば、昨日ダルビッシュ投手がプロ初登板・初勝利を上げたのがうれしかったです。これからこのブログでNBA以外にもプロ野球、メジャーリーグについて取り上げていこうとも思いました。自分は」今日もボーっとする時間が多かったです。やはりあの時にバスガイドさんにアドレスを教えれば都も思いますが、周りの目が気になるし、あっていきなり渡すのは引くかと思ったから渡しませんでした。男子が冷やかして紙に買い手渡せよ−とも言っていましたが、さすがに無理でした。どうにか連絡をしてみたと思う今日この頃です。それではさようならー
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6月15日

2005-06-15 22:32:56 | ミカイルの日記
本日は学校は休みだったのでのんびりと過ごし、1日ぼんやりしていた。今日は雨だったこともあるのでずっと家にいた。修学旅行であったバスガイドさんのことでも頭がいっぱいだったのかもしれない。何か会いたいが、あえないもどかしさというものを感じた。友達に話たら笑われるだろう。親、友達、兄弟にしてもそうだ。まあ無理かもしれないけど。明日も同じことを考えるかもしれないが、やるべきことはやろうと自分で誓った。またいつか・・・その日は明日かもしれないし、一生こないかもしれない。だけど考えてしまう。これは恋なのか?・・・・まあいいだろう。明日何か会ったら伝えたいと思う。それではさようなら
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スコティ−・ピペン(元ブルズ、ロケッツ、ブレザーズ)

2005-06-15 22:21:32 | 伝説の選手達
1987年スコティ−・ピペンは1順目16位指名でソニックスに指名される。が直後にブルズへとトレードされる。このことはあまり知られていないようである。スコティ−・ピペンは1年目はベンチから7得点という活躍をする。ジョーダンの相棒として知られる彼も1年目から決してスタメンで活躍していたわけではない。彼も色々と苦労したのである。2年目に14点、18点と平均得点を徐々にあげ、成長の足跡を残す。だが、89年プレーオフ対ピストンズ戦で彼は謎の頭痛に見舞われ、勝負弱いスターの烙印を押されル。彼はとても苦しんだ。翌年雪辱に燃えたピペンはプレーオフでピストンズのバッドボーイズを自らの大活躍で一蹴する。ジョーダンと失われてかけてた信頼も見事に取り戻した。そして翌年優勝を3連覇。だが、ジョーダンが突然の引退を表明し、ブルズはもう終わりだと言われたのにもかかわらず、スコティ−・ピペンがだい奮闘し、アシスト、リバウンド、スティ−ル、得点の部門でトップクラスの記録を残し、ブルズは勝ち星で優勝した前の年とほぼ変わらぬ勝ち星を残す。そしてピペンはNBAでも有数のオールラウンダーだと証明する。そしてジョーダンが復帰し、1995年〜1998年に二度目3連覇を達成。ジョーダンはこの後引退するが、ピペンはロケッツへ移籍するもバークレーとの不仲が原因でブレザーズへ移籍。ここでもオールラウンダーとして能力を発揮するも、チャンピオンリングにはめぐり合えず。最後には優勝は無理と知ってブルズへ移籍。古巣復帰を果たし、引退をする。ジョーダンも彼がいなければきっと優勝は出来ていなかっただろう。改めて彼のすごさをみんなに知ってほしい。 
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6月14日

2005-06-14 21:41:32 | ミカイルの日記
昨日修学旅行から帰ってきました。昨日は帰ってきてからすぐに寝てしまったので日記は更新出来ませんでした。修学旅行の前に話したとおり、英検がありましたが、3級は確実に合格ですが、準2級はきびしいと思います。風邪も治って修学旅行当日はベストに近い状態でいくことが出来ました。3日間はとても中身が濃く、いろいろなことをしました。法隆寺、清水寺、妙心寺で座禅などが印象に残りました。その他に班行動、グループ行動などで食べた昼食やアイスクリーム、カキ氷もおいしかったです。夜は友達と恋についてはなしたりしました。3日目のバスガイドさんがすごくかわいい人でした。そこで友達はジャンケンでまけた人が一緒にツーショットで写真をとろうというのでなんと僕が負けました。自分は恥ずかしながらも自分から頼みに行き、一緒にとりました。その後男子は調子に乗りまくり、下の名前を聞けとか色々やらされ、最後にはさようなら−yさん−とまで言わされましたが、ガイドさんもジャーねー、ミカイル君と返してくれました。ジャンケンに負けてよかったと今では思っています。バスガイドさんのことは今も忘れません。また会いたいとも思いますが、無理でしょうか・・・・。まあとりあえずこの辺でさようならー
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チャック・パーソン(元ペイサーズETC)

2005-06-14 21:19:31 | 伝説の選手達
みなさんは現在NBAでプレーしているウェズリ−・パーソンの兄チャック・パーソンをご存知だろうか?チャック・パーソンは1986年に4位指名ペイサーズに入団した。彼はラリー・バードをトラシュ・トークで挑発させたことで有名であった。彼はルーキー・オブジイヤー(新人王)をとったのだがあまり知られていない。彼は非凡な才能をもちあのレジ−・ミラーを抑えてエースをペイサーズではっていた。最高21得点もとったことがあり、プレーオフで爆発的な活躍を見せたのも有名である(26点)がミラーが成長するにつれて、居場所がなくなり、ウルフズへ移籍。ここでの成績はそこそこ16点ぐらいはとっていたが、スパーズ移籍した後シュートスランプに陥り10点台までさがる。かれはその後調子を上げることなく、どんどんおとろえていき、引退した。彼の全盛期を知っている人が少ないし、活躍といってもそこまで印象強くなかったので、日本人のファンはあまりかれをしらない。みんなウエズリ−・パーソンって兄いたの?という感じであるが、彼も間違いなく歴史にのこる伝説の選手のひとりであり、スターのひとりであると自分は断言する。
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6月8日

2005-06-08 23:02:31 | ミカイルの日記
本日は面白いことはあまりなかった。駅伝の練習がとてもきつく、少し風邪気味の自分にはきつかった。後明後日英検3級と準2級を受けるのだが、少し心配だ。そしてその翌日には修学旅行という超ハードスケジュールである。先に言っておくが、11日から13日までは修学旅行なのでブログの更新は出来ない。ではこの辺で!(ちょっと具合も悪いし)
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ショーン・ケンプ(元ソニックス、キャブス、ブレーザーズ、マジック)

2005-06-08 22:57:17 | 伝説の選手達
ショーン・ケンプは1989年にソニックスから17位指名を受け入団する。彼は大学中退して19歳の若さでNBA入りを果たしたのである。彼は1年目こそは6.5得点だったが、2年目以降徐々に数字を伸ばし、4年目で23歳の時にオールスター初出場をする。彼は得点はソニックスでは20点いったことないが、スチールとブロックは1以上、リバウンドも10以上と力を存分に発揮していた。しかもプレーオフに強く、5年目からの4年間ソニックスでプレーオフ20点以上を記録。彼はまさにソニックスのエースだったが、1998年に三角トレードでキャブスに移籍。クリーブランドでの2年目は自己最高の20.5得点を記録しているがこの年ロックアウトのためかなり太り、往年のプレーがなくなっていた。その後ポートランド、オーランドに移籍するが、体重は減らず、麻薬に溺れてNBAから姿を消す。現在もNBA復帰を目指し彼はマイナーリーグでプレーを続けているらしい。彼も太っていせなきゃ、麻薬に溺れていなきゃ今頃みんなからすばらしい選手として賞賛してもらっていたにちがいない。このスーパースターにもう一度花を咲かせてもらいたいものだ。
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6月7日

2005-06-07 21:26:24 | ミカイルの日記
今日も朝起きて部活に少し、5分ほど遅れてくるとなんとデブめがねがうずくまっているではないか!!俺の最近陸上部に入った友人は大笑いをしていた。原因は色々と想像つくが、みんなは振られた後の後遺症だという。本当かは今もわからないが、自分はただの腹痛だと思う。彼は昨日保健室へ行き、1時間授業を休んだから、まだ具合が悪いのだと自分は思う。まあそれは置いといて今日友人がいきなり、1年生のところに言って、彼のこと(デブめがね)のことをどう思っているか聞きにいこうといったので、その1年生(陸上部の)に僕が聴いたところ好きでも嫌いでもないというので、どちらかというと聞くと、「うーん難しいですネー」と答えた。あまり面白い答えはかえってこなかった。まあ先輩のことを悪く言えるはずもないからしょうがないか。まあ今日はこのへんでさようならーーー
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グレン・ライス(元ホーネッツ、ヒート、ロケッツ)

2005-06-07 21:07:35 | 伝説の選手達
グレン・ライス彼は1989年に4位指名でヒートに入団する。1年目から上々の活躍をし、3年目には22.3得点というアベレージを残し一躍ヒートのエースになると共にスターの仲間入りを果たす。しかしチームが弱かったからか、ヒート時代はオールスターに選出されずに終わる。新天地のホーネッツで1年目からすばらしい成績をのこし、ホーネッツをプレーオフへと導く。翌年も好調は続き、キャリア最高得点の26点をマークして得点ランキング3位。オールスターでもMVPを勝ち取るという最高のシーズンシーズンを送る。その後レイカーズで3番目の男として活躍、チームの優勝に大きく貢献した。翌年ニックスでベンチから12得点をマークする。ロケッツでは二桁こそマークできなかったが、貴重なシューターとして活躍。そして引退。グレン・ライスもスーパー・スターであったと自分は思う。ホーネッツ時代の彼は世界でも有数のプレーヤーだったに違いない。みんなにそれを知ってほしい。
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6月6日

2005-06-06 21:49:46 | ミカイルの日記
今日はめがねでデブの短距離の彼の噂がものすごい勢いで広まった。非常にいい気分だったが、今日は風邪を引いていたので、いい気分だったが、身体はそうでなかった。嫌いな体育も出なくてよかったし、家に帰ってすぐに寝られたのがよかった。が、長距離の練習が出来なかったのが少し残念だった。特に今日はそれ以外に主な出来事はないが、まあ最近みんながインモンに飽きてきたということもあるか。明日から休み時間はサッカーが出来てうれしい。まあ一時期ではあったがインモンもよかった。ただ1週間を過ぎるとマンネリ−気味に綯ってしまうが。まあ今日は風なのでこの辺で!お休み
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ラリー・ジョンソン(元ホーネッツ、ニックス)

2005-06-06 21:43:40 | 伝説の選手達
ラリー・ジョンソンは1990年の1位指名選手である。彼は身長が低かったがパワー・フォワードでありリバウンドが強かった。20点を何度かこした。が3か4年目に腰を怪我してしまい、怪我をかばうようなプレーを続けいつもの豪快さがなりを潜めていた。そこへニックスにトレードされ移籍1年目が12点2年目は15点へとアップした。豪快さこそ戻らなかったが彼は3ポイントシュートを取得し、前はインサイド中心のプレーヤーだったがニックスに移りパワー・フォーワードからスモール・フォーワードに転向し、外のシュートを主に担当し得点を重ねていた。前はパワーで押し込むタイプだったが、すっかり技術者へと変貌を遂げたのである。その後ニックスのプレーオフなど活躍し、ラリー・ジョンソンのキャリア最高のプレーと言ってもよいプレーオフでの逆転4ポイントプレー。ファイナルこそはまけたが、ファイナルまでいけたのは彼のおかげである。彼がいてこそのミラクルニックスだったのである。彼はニックスでは平均10点そこそこリバウンドも6ぐらいの選手であったが、彼のサポートがあったからヒューストン・スプリ−ウエルたちが思いっきりシュートを打てたのだ。期待はずれの1位指名だと世間でいう人はいるが、怪我さえしていなければそんなことを言われていなかっただろう。そして自分は怪我していた後の彼も立派な1位指名選手だと思っている。怪我した後の彼も十分なスターであることは間違いないと思う!
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6月5日

2005-06-05 21:51:37 | ミカイルの日記
今日は短距離のめがねでぶがなんと1ねんせいにこくはくして振られたとの事。実は彼みんなの情報によると一昨日電話で告白して今日記録会にその1年生がきたので、今日あの電話で言ったことの結果はどうなのかと聞き、振られたらしい。そして彼は午前中ずっと毛布に包まっていじけていた、が午後になり開き直り、普通にそのこと話していた。彼には何か計画があったのだと僕は思う。その計画は実は部長はつい最近までその1年生のこと付き合っていたので彼は部長のことをロリコンだとはやしたて、どうせほんきで花勝った、部長は彼がうざいので別れてしまい、そこにフリーになった彼女に告白するという計算づくされた作戦だと僕は思う。本当に面白かったです。後今日記録会でベストが出たのでよかったです。先生が「10月の駅伝このままがんばれば出れるかもよ」といってくれたのがうれしかったです。それではまたあしたーー
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ティム・ハーダウエイ(元ウオリア−ズ、ヒート)

2005-06-05 21:27:36 | 伝説の選手達
ティム・ハーダウェイは1989年1順目14位指名でウオリア−ズ二入団する。1年目から14.7得点と8.7アシストで期待通りの活躍をする。その後4年連続で20点以上をマークし、アシストもその間ほぼ平均10を守った。が膝の怪我に見舞われて1993−1994シーズンは全休する。次のシーズンは14点、8.0アシストと物足りない内容で復帰。彼が得意だったクロス・オーバーの切れが遅くなったためである。翌年ヒートでモーニングよりも上の20.3得点、8.6アシストを記録する。クロス・オーバーの切れは完全にもどったのである。ヒートでのプレイは彼の第二の全盛期だともいわれている。しかし2000−2001を最後にヒートを去る。事実上彼のキャリアに終わりを告げたも同然だった。彼は残り2シーズン共にふがいない成績、姿をさらしてしまった。個人的にはヒートで引退してほしかったが、本人がプレーしたかったのだから文句は言えまい。彼のオールスター出場は5回でウオリア−ズ時代に3回、ヒート時代に2回というものだった。もっと出ててもよいと自分はおもうが、NBA側が決めたことだからしょうがない。彼のキャリアで15000点、7000アシストという記録はしっかりとNBAに刻み込まれているであろう。
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