から〜ん、ころ〜ん。
渇いた下駄の音が六角橋商店街に木霊する。まだ、朝の5:00。築地市場から帰ったばかりの、いつもの軽やかな健悟の足取り。
「相変わらず朝から爽快な顔してんなぁ、健ちゃん。」
目一杯眠そうな新聞屋の井上さんがバイクのハンドルを拭きながら声をかけた。
「おやっさんも、煙草辞めて、お酒の量を少し減らしたら、爽快な顔になるんじゃないの。」
健悟は空に向かって大笑いをした。
「敵わねぇなぁ、健ちゃんにかかったら、オイラは飲んだくれだ。」
井上も健吾を真似て大笑いをした。
よくある此処の光景だ。
六角橋商店街。
昔から有るこの商店街の温かい空気と日本の朝。
人情が溢れんばかりの商店街は、あの時の情熱を今も忘れず自然な風が流れている。
そして、その風は町並みを明るく楽しませて、そこに暮らしている人達の笑顔にかえている。
【回想:高校野球】
熱い闘志の結末は、僅かな差で勝者と敗者に二分する。
横浜スタジアムに校歌が流れた。
ホームベースからバックスクリーンに対峙して一列に並んだ六角橋高校の選手は、顔全体をクシャクシャにして、歓喜を校歌に乗せて、大きな声で歌った。
昇光に大地は晴れて 朝の挨拶 希望に弾む
学びあう友 かけがえの無い時
優しい心 感謝の気持ち 溢れる気力はいつまでも
笑顔が絶えない学び舎の 六角橋高校
笑顔と涙の入り交じった選手の顔を見ていると、誰もが感動し幸せを感じた。
一週間先には、甲子園球場で始まる全国高校野球選手権大会に出場する。
六角橋高校は神奈川県代表として春夏通して初出場だが、予選から前評判は高かった。
翌日の抽選で、3日目第四試合、春の選抜大会優勝校の静岡県代表蒲原高校との対戦が決まった。
神奈川県予選を勝ち抜いた翌々日には甲子園に向かって移動したので、選手の緊張は程よく保たれていた。
サードで4番の木村は、高校3年間で打ったホームランの数がなんと計77本と驚異的だ。荒削りのバッティングとは反対に性格は至って温厚、チ−ムの癒し系存在。
キャプテン小野は、走攻守の三拍子揃った遊撃手で、気合の固まり。こちらはチ−ムの精神的な柱。
エースの滝沢は、一年生から公式戦で登板し、計27試合の防御率が1点台。プロ野球のドラフト候補生に名が上げられている注目の選手。
キャッチャ−岡島は、全日本リトル野球の正捕手で世界一に輝いた。県大会の予選でも滝沢への好リ−ドが光っていた。
センタ−服部は、とにかく足が速い。レフト藤岡は寡黙で真面目な男。ライトの石川は、アンダ−シャツに全て「武士道」と書いている侍かぶれの変わり者。
セカンドの建石とファ−ストの高橋はかなりの豪腕、馬鹿力。バットの芯を外した手元で打っても打球は内野の頭を越えていく。相手投手が最も嫌がるタイプのバッタ−だ。
個性の無くなってきた現代社会だと、TVでコメンテ−タ−が言うほど捨てた物じゃないのが、この六角橋高校の個性集団。甲子園での活躍が期待されると地元の神奈川新聞に掲載された。
蒲原高校との試合が二日後に迫った開会式の夜、宿舎の裏庭で木村と小野は黙々とバットを振り続けていた。
ほとばしる汗と、素振りの度にビュンビュンとなる音は、二人がまるで会話を楽しんでいるかの様に、心地がよい。
振り始めてから30分程経った頃、木村が小野に声をかけた。
「のきー」
小野のニックネームは、のき。
「あ〜?」
一旦素振りを辞めて、そばに置いてあったタオルで汗をぬぐった。
「明後日の試合、お袋が観に来るって言い出してんだよぉ」
「へぇー」
木村の母親は、半年ほど前に過労で倒れた。
命に別状はなかったが、倒れた時の後遺症で今も右足が痺れている。
杖が無いと一人では歩けない。
まして球場に来るとなれば、階段を昇り降りしなければならない。
母親が来ると言う事は、父親が一緒に来る事を意味している。
蒲原高校は春の優勝校で下馬評では断然蒲原高校の分が高い。父親は最初で最後の甲子園だから店を閉めて応援に来る事を決心したらしい。
左手首にはめていた汗止めで鼻の頭をかきながら、小野は笑いながら木村に言った。
「へぇ〜、あの頑固親父が店閉めて試合を見に来るんだぁー。なんか、俺まで嬉しくなっちゃうなぁ。」
苦笑いの木村。
「ほんと、信じられないよ。ガキの頃から一度も野球の話なんてした事無いし、お袋が、相当頼んだのだろう。」
「お袋さん、野球好きだもんなぁ。プロ野球の選手の事も相当詳しいよな。この間なんか阪神の藤田ってバッタ−を小野君は知っている?って、聞かれて知りません。って、答えたら、目茶目茶がっかりした顔してさ、小野君にプレ−スタイルが似ているから是非阪神戦がTV中継されたら見て勉強してね。って、言われちゃったよ。絶対俺より野球詳しいぞ」
「そりぁ、言い過ぎだろう。ただ、本当に良くTVで野球を見ているよ。野球、大好きなんだよ」
ゆっくりとバットの軌道を確かめる様に、打つ瞬間のインパクトでバットを止めて自分のポイントを確かめていた小野に、木村が少しためらいながら聞いた。
「なぁ、のきは相変わらず親父さんに観に来るなぁーって言ってんのかぁ?」
小野の表情が一瞬固まった。
「ありゃ、その顔は言ってるんだぁー、しょうがないけど、その頑固さには平伏するよ。」
バットを使って背中のストレッチをしながら小野が照れくさそうに答えた。
「今は何も言っていないし、ちょくちょく見に来ているのは分っているけど、前みたいにダメだしを言わなくなったし。健のお袋さんと同じくらい親父は野球が好きだから、見に来るのはしょうがないと思うしね。」
小野の父親は、余りにも度重なる過激なダメだしで、小野から「練習も試合も、親父が見ていると、野球に集中できないから見にこないで欲しい。」と言われてしまった。しかし、息子が活躍している大好きな野球を見ない訳にもいかず、こっそり隠れて見に来ていた。
「どっちにしても、親が試合するわけじゃないんだし、最初で最後の甲子園なんだから悔いが残らないように、目一杯頑張ろうぜ。」
精神統一をした後に、小野はハイスピードで30回程の無呼吸で連続素振りをした。
「さぁ、あがって風呂入ろう。」
木村の背中に声をかけて小野は宿舎に向かって歩いていった。
木村も小野と同じ様に無呼吸で連続素振りをしてから小野の後を追った。
朝焼けの太陽が猛暑を呼び込んだ初戦当日、甲子園の熱戦を朝から予感させた。
優勝候補同士の戦いは、息詰まる投手戦の末、六角橋高校に勝利の女神が微笑んだ。
木村の携帯電話にメールが入ったのは、蒲原高校に1対0で勝った翌朝の6時。
滝沢の好投と、小野のサヨナラ安打で勝った息の詰まる好勝負で、選手はみんな疲れきり爆睡していた。当然、木村もメ−ルには気づかなかった。
木村がメールを読んだのは、急いで横浜に帰る野球部長の車の助手席だった。寝ているところを監督に起こされて、突然の出来事に言葉をそのまま受け止められないでいた。
「お父さん、死んじゃった。ごめんね。」と書かれた母親からのメール。
始めてきた甲子園球場で、自分の息子が出場している試合をサヨナラ勝利という劇的な形で見終えた両親は、興奮覚め止まぬ中、高速バスで深夜に帰宅した。
仮眠をして築地に買い出しに出た木村の父親が運転するワゴン車に、居眠り運転の長距離トラックはゆるいカーブでセンターラインをオーバーして、正面から突っ込んできた。
六角橋商店街から甲子園の歓喜は、吹っ飛んだ。
突然の悲劇に、六角橋商店街は暗い闇に包まれた。
商店街会長を昨年まで6年間続けていた木村の父親の人望は厚く、皆から慕われていた。
木村が帰ったその日に通夜が行われ、翌日には告別式も終わり、甲子園での試合から激写のような3日間が突風の様に過ぎ去った。
木村の頭の中は、今は真っ白だった。
考える事が特にない。
目の前に起きている事実は、受け止めようにも受入れられない感情という壁が塞いでいた。
父親の生涯を閉じる時の呆気なさは、悔しい以外に他に表現のしようがなかった。
何もできないし、何かする気も起きない。
脱力感をこんなに感じた事は、まだ若い木村にとって始めての経験だった。
渇いた下駄の音が六角橋商店街に木霊する。まだ、朝の5:00。築地市場から帰ったばかりの、いつもの軽やかな健悟の足取り。
「相変わらず朝から爽快な顔してんなぁ、健ちゃん。」
目一杯眠そうな新聞屋の井上さんがバイクのハンドルを拭きながら声をかけた。
「おやっさんも、煙草辞めて、お酒の量を少し減らしたら、爽快な顔になるんじゃないの。」
健悟は空に向かって大笑いをした。
「敵わねぇなぁ、健ちゃんにかかったら、オイラは飲んだくれだ。」
井上も健吾を真似て大笑いをした。
よくある此処の光景だ。
六角橋商店街。
昔から有るこの商店街の温かい空気と日本の朝。
人情が溢れんばかりの商店街は、あの時の情熱を今も忘れず自然な風が流れている。
そして、その風は町並みを明るく楽しませて、そこに暮らしている人達の笑顔にかえている。
【回想:高校野球】
熱い闘志の結末は、僅かな差で勝者と敗者に二分する。
横浜スタジアムに校歌が流れた。
ホームベースからバックスクリーンに対峙して一列に並んだ六角橋高校の選手は、顔全体をクシャクシャにして、歓喜を校歌に乗せて、大きな声で歌った。
昇光に大地は晴れて 朝の挨拶 希望に弾む
学びあう友 かけがえの無い時
優しい心 感謝の気持ち 溢れる気力はいつまでも
笑顔が絶えない学び舎の 六角橋高校
笑顔と涙の入り交じった選手の顔を見ていると、誰もが感動し幸せを感じた。
一週間先には、甲子園球場で始まる全国高校野球選手権大会に出場する。
六角橋高校は神奈川県代表として春夏通して初出場だが、予選から前評判は高かった。
翌日の抽選で、3日目第四試合、春の選抜大会優勝校の静岡県代表蒲原高校との対戦が決まった。
神奈川県予選を勝ち抜いた翌々日には甲子園に向かって移動したので、選手の緊張は程よく保たれていた。
サードで4番の木村は、高校3年間で打ったホームランの数がなんと計77本と驚異的だ。荒削りのバッティングとは反対に性格は至って温厚、チ−ムの癒し系存在。
キャプテン小野は、走攻守の三拍子揃った遊撃手で、気合の固まり。こちらはチ−ムの精神的な柱。
エースの滝沢は、一年生から公式戦で登板し、計27試合の防御率が1点台。プロ野球のドラフト候補生に名が上げられている注目の選手。
キャッチャ−岡島は、全日本リトル野球の正捕手で世界一に輝いた。県大会の予選でも滝沢への好リ−ドが光っていた。
センタ−服部は、とにかく足が速い。レフト藤岡は寡黙で真面目な男。ライトの石川は、アンダ−シャツに全て「武士道」と書いている侍かぶれの変わり者。
セカンドの建石とファ−ストの高橋はかなりの豪腕、馬鹿力。バットの芯を外した手元で打っても打球は内野の頭を越えていく。相手投手が最も嫌がるタイプのバッタ−だ。
個性の無くなってきた現代社会だと、TVでコメンテ−タ−が言うほど捨てた物じゃないのが、この六角橋高校の個性集団。甲子園での活躍が期待されると地元の神奈川新聞に掲載された。
蒲原高校との試合が二日後に迫った開会式の夜、宿舎の裏庭で木村と小野は黙々とバットを振り続けていた。
ほとばしる汗と、素振りの度にビュンビュンとなる音は、二人がまるで会話を楽しんでいるかの様に、心地がよい。
振り始めてから30分程経った頃、木村が小野に声をかけた。
「のきー」
小野のニックネームは、のき。
「あ〜?」
一旦素振りを辞めて、そばに置いてあったタオルで汗をぬぐった。
「明後日の試合、お袋が観に来るって言い出してんだよぉ」
「へぇー」
木村の母親は、半年ほど前に過労で倒れた。
命に別状はなかったが、倒れた時の後遺症で今も右足が痺れている。
杖が無いと一人では歩けない。
まして球場に来るとなれば、階段を昇り降りしなければならない。
母親が来ると言う事は、父親が一緒に来る事を意味している。
蒲原高校は春の優勝校で下馬評では断然蒲原高校の分が高い。父親は最初で最後の甲子園だから店を閉めて応援に来る事を決心したらしい。
左手首にはめていた汗止めで鼻の頭をかきながら、小野は笑いながら木村に言った。
「へぇ〜、あの頑固親父が店閉めて試合を見に来るんだぁー。なんか、俺まで嬉しくなっちゃうなぁ。」
苦笑いの木村。
「ほんと、信じられないよ。ガキの頃から一度も野球の話なんてした事無いし、お袋が、相当頼んだのだろう。」
「お袋さん、野球好きだもんなぁ。プロ野球の選手の事も相当詳しいよな。この間なんか阪神の藤田ってバッタ−を小野君は知っている?って、聞かれて知りません。って、答えたら、目茶目茶がっかりした顔してさ、小野君にプレ−スタイルが似ているから是非阪神戦がTV中継されたら見て勉強してね。って、言われちゃったよ。絶対俺より野球詳しいぞ」
「そりぁ、言い過ぎだろう。ただ、本当に良くTVで野球を見ているよ。野球、大好きなんだよ」
ゆっくりとバットの軌道を確かめる様に、打つ瞬間のインパクトでバットを止めて自分のポイントを確かめていた小野に、木村が少しためらいながら聞いた。
「なぁ、のきは相変わらず親父さんに観に来るなぁーって言ってんのかぁ?」
小野の表情が一瞬固まった。
「ありゃ、その顔は言ってるんだぁー、しょうがないけど、その頑固さには平伏するよ。」
バットを使って背中のストレッチをしながら小野が照れくさそうに答えた。
「今は何も言っていないし、ちょくちょく見に来ているのは分っているけど、前みたいにダメだしを言わなくなったし。健のお袋さんと同じくらい親父は野球が好きだから、見に来るのはしょうがないと思うしね。」
小野の父親は、余りにも度重なる過激なダメだしで、小野から「練習も試合も、親父が見ていると、野球に集中できないから見にこないで欲しい。」と言われてしまった。しかし、息子が活躍している大好きな野球を見ない訳にもいかず、こっそり隠れて見に来ていた。
「どっちにしても、親が試合するわけじゃないんだし、最初で最後の甲子園なんだから悔いが残らないように、目一杯頑張ろうぜ。」
精神統一をした後に、小野はハイスピードで30回程の無呼吸で連続素振りをした。
「さぁ、あがって風呂入ろう。」
木村の背中に声をかけて小野は宿舎に向かって歩いていった。
木村も小野と同じ様に無呼吸で連続素振りをしてから小野の後を追った。
朝焼けの太陽が猛暑を呼び込んだ初戦当日、甲子園の熱戦を朝から予感させた。
優勝候補同士の戦いは、息詰まる投手戦の末、六角橋高校に勝利の女神が微笑んだ。
木村の携帯電話にメールが入ったのは、蒲原高校に1対0で勝った翌朝の6時。
滝沢の好投と、小野のサヨナラ安打で勝った息の詰まる好勝負で、選手はみんな疲れきり爆睡していた。当然、木村もメ−ルには気づかなかった。
木村がメールを読んだのは、急いで横浜に帰る野球部長の車の助手席だった。寝ているところを監督に起こされて、突然の出来事に言葉をそのまま受け止められないでいた。
「お父さん、死んじゃった。ごめんね。」と書かれた母親からのメール。
始めてきた甲子園球場で、自分の息子が出場している試合をサヨナラ勝利という劇的な形で見終えた両親は、興奮覚め止まぬ中、高速バスで深夜に帰宅した。
仮眠をして築地に買い出しに出た木村の父親が運転するワゴン車に、居眠り運転の長距離トラックはゆるいカーブでセンターラインをオーバーして、正面から突っ込んできた。
六角橋商店街から甲子園の歓喜は、吹っ飛んだ。
突然の悲劇に、六角橋商店街は暗い闇に包まれた。
商店街会長を昨年まで6年間続けていた木村の父親の人望は厚く、皆から慕われていた。
木村が帰ったその日に通夜が行われ、翌日には告別式も終わり、甲子園での試合から激写のような3日間が突風の様に過ぎ去った。
木村の頭の中は、今は真っ白だった。
考える事が特にない。
目の前に起きている事実は、受け止めようにも受入れられない感情という壁が塞いでいた。
父親の生涯を閉じる時の呆気なさは、悔しい以外に他に表現のしようがなかった。
何もできないし、何かする気も起きない。
脱力感をこんなに感じた事は、まだ若い木村にとって始めての経験だった。
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