ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

「吐きすて」の歌その1

2016-10-12 12:27:00 | 日記
佐藤剛さんのコラムに、甲斐バンドの曲が取り上げられたのは
前回ご紹介した【かりそめのスウィング】と
小林旭さんの【ダイナマイトが150屯】の記事くらいで

後は「北へ帰る」曲についてのツイートに【安奈】が登場したり
サザンのデビュー曲【勝手にシンドバット】が
初めてオンエアされた「ラジオ番組」がチラッとだけ…(笑)

そのラジオ番組…「NHK-FMで、夜の10時台にオンエアしていた
[サウンドストリート]という音楽番組のスタジオで

[夜明け間際の吉野家では]と始まるこの曲を初めて聴いたのは
アルバム[親愛なる者へ]が発売になる直前だった」と佐藤さん

そうです、この番組のディレクターでいらした湊剛さんが
しょっちゅう(笑)この曲をセレクトなさる某DJの方(笑)のために

毎回、始末書を用意なさっていたという(笑)
中島みゆきさんの【狼になりたい】が
佐藤さんの「[吐きすて]の歌の系譜」第4弾に取り上げられてました

第1弾は、はっぴいえんどの【春よ来い】なんだけど
「そもそも[吐きすての歌]という言葉は
岡本おさみが使い始めたもの」らしく

第2弾の「吉田拓郎【まにあうかもしれない】
岡本おさみが書いた吐きすてのタンカ」の方が判りやすいかなあと…

佐藤さんによると…
「岡本がいうところの[吐きすての歌]の元祖を海外に求めれば
真っ先に名前が挙がるのがボブ・ディランで
ジョン・レノンやミック・ジャガーなどが続く

そして、ボブ・ディランやジョン・レノンから強く影響を受けた
日本のシンガーといえば、まず吉田拓郎が筆頭に挙げられる

デビュー当時から[和製ボブ・ディラン]と呼ばれたりもしたが
吐きすてるかのようなニュアンスだけでなく

字余りの歌詞をなんなく歌いこなせる歌唱法
それを支える歌唱力は相通じるものがあった

岡本は、当時の気持ちをこう記している
[無性に言葉を吐きたかった
僕はノートに言葉を吐くと、歌らしい型に整えて拓郎に渡した
どんな型が歌であるのか、それはくどくど考えなかった

僕の言葉は表面、明るいものでも
その底のところは、吐きすてのタンカだった]

自分の中から生じる表現への衝動を優先して歌が出来る時
特にシンガー・ソングライターの場合には、キャリアの初期の頃に
印象に残る[吐きすての歌]が誕生することがある

初期の拓郎や泉谷の歌い方は、若さゆえのテレくささを隠すように
どこかぶっきらぼうだったし、吐きすてのタンカといった勢いがあった」
…と、書かれてます

甲斐さんが、アマチュア時代にデモテープを送られた
某レコード会社の担当者が「拓郎の亜流だ」と評した…とか

甲斐さんご自身も「拓郎がディランなら
俺たちはストーンズを目指す」とおっしゃった…とか
泉谷さんの初期のアルバムを「全曲そらで歌える」等々
影響を受けておられたみたいだけど

某インタビュアーの方に「甲斐さんには
山下達郎的な元ポップス少年としての側面と
泉谷しげる的なメッセンジャー
アジテイターといった側面があると思う」と言われて

甲斐さんいわく…70年代初頭の泉谷ね
そこはハッキリしておこう(笑)

ただ「甲斐さんのソロには、達郎さんの曲のボーカルだけ
泉谷さんに差し替えたような違和感を覚えた」との意見には

「サウンドを重要視し過ぎると
アンバランスに感じる人が増えるんだろうね」と甲斐さん

「サウンド・クリエイトが矢面に立たずに
あくまでも歌が真ん中にでーんとなきゃダメなんだろうな
でも、解体作業の中では、そういう部分が出て来ちゃうんだよね」と話され

「甲斐バンドの時も解体作業はずっとやってたんだけど
バンドカラーが、どーんとあると
アンバランスが上手くそこに隠れてくれるんだ」と説明なさってました

それはさておき…
「拓郎は、自分の歌詞を実は一曲も完全には覚えていないと話している
それは、歌詞の文字を見ながら歌うことで
その時、その瞬間の自分に素直になれるのだろう

歌が生まれた時の初期衝動を感じて
自分の心を素直に表すことが出来る
キチンとした理由があるに違いない

美空ひばりが【悲しい酒】のいつも同じ歌詞のところで本当に涙を流す
どこでも、どんな条件でも同じように完璧に歌える
それが芸能界と言われる世界では
一流のプロの歌手だとされていた

しかし、そうではなく
いつも新鮮に歌える方法を選んだのが吉田拓郎だった
だから、歌詞の面でも七五調という日本語の定型に縛られず
のびのびと自由に歌えるということを証明したのだ

そうした楽曲を作ってヒットさせたことも含めて、その功績は大きく
日本語のロックを確立したはっぴいえんどと同じくらいに
後世に大きな影響を与えている」と結ばれてます

もちろん、そのことに異議はございませんが
「吐きすての歌」と聞くと、その歌い方もさりながら

歌詞そのものにも「吐きすて」の重きが置かれてるように感じてしまい
この曲の歌詞が、拓郎さんご自身で書かれたものではないことに
若干の引っ掛かりがナキニシモアラズかなあ…

まあ、それは我が家の住人が
「自分を全て晒けだした歌詞」を書かれる方のファンだからかも知れません

苦しさも哀しみも歌詞に綴られることで
ご自身の感情やその状況に落とし前をつけるというか
込み上げて来るものを表現なさること自体が
「吐きすての歌」になっているというか

甲斐さんの言葉を借りれば
「ロックをやってるけどロックで生きてないなんて
てめえの残骸なんか見たくないからね
歌は俺にとっての[証]なんだ」じゃないかと…

たとえ歌詞を間違って歌われても(笑)
「自分が作った歌をどう歌おうと俺の勝手だ」とおっしゃるのもナットクです(笑)

そういえば「フォークシンガーが譜面台を置いて、歌詞を見ながら歌うのは
目の前にいる観客に伝えようという気持ちが感じられない

ボブ・ディランなんて、あんなに長くて複雑な歌詞を
何も見ないで歌ってるのに…」と話されていたことがありましたね(笑)
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