なまけものの鏡

世の中には「差別している側からはみえないこと」があります。男性差別もそのひとつです。

「女性を守る」が「差別」になる

2017年06月17日 08時19分36秒 | Weblog

まずはソースを

http://beinspiredglobal.com/female-only-train-discrimination

 

昨日の「女の壁」でも書きましたが、日本は「男性は女性を守るのが大切」と考えている国です。男性の衛視は男性なら躊躇なく仕事ができますが、女性相手だと「配慮」してなかなか手が出せません。

これは「女性は保護されるべきもの」→だから身体的に傷つけてはいけないし、精神的に傷つけてもいけない。

と言う通念がまかり通っているということです。

 

それはそれで、いいんです。でもそうなると「保護者である男性は、被保護者である女性を管理してもよい」ということになります。なぜならイスラム教の国では「女性は弱く保護が必要だから、子供と同様に父や夫が管理し、仕事も勉強も許可が必要」ということになっているからです。

世界中の国で「女性の権利が妨げられている」のは「女性を保護するために管理・監視が必要」と考えられているからです。

では「保護のためには管理・監督は必要」なのでしょうか。

子供の例を見てみれば分かるとおもいます。

子供が小さい時はすべて親が管理します。中学生ぐらいになると行動力は大人並みですが、判断力や知識が不十分なので、バカなことをしたり、スマホでトラブルになったりします。

ですから、18歳までの未成年は親が管理し、親が責任を負う、ということになっています。

これは誰しも、当然のことだと思うでしょう。子供に対して「保護者に管理権限がない」となったら、誰も子供を守ることができません。

保護と管理は表裏一体なのです。

 

この項では何度も書いていますが、欧米での女性解放運動というのは「男性の管理からの自立」でした。19世紀までの西洋女性は今のイスラム教の女性と立場的にはほとんど変わりなかったのです。違うのはブルカなどの服装の規定の違いぐらいでした。

ですから、欧米の男女平等は「自立」について強いこだわりがあります。自立とは「自分の意思で行動すること(誰にも管理されないこと)」だからです。

ですから、欧米の女性にとって「女性専用車両」は監獄の入り口でしかありません。「せっかく勝ち取った自由を、昔のような男性の保護に戻す(男性に保護権をあたえてしまう)」ためのマイルストーンに感じるのです。だから反発します。

 また、逆から見れば「男性に女性の保護を押し付けることは、男性に余計な義務を負わせることになり男女平等ではない」という点で男性差別でもあります。

シーソーは水平ならいいのですが、どちらかが下がれば反対側が上がるわけですから、水平(平等)な状態からみれば「どちらも差別の状態」であるわけです。

 

日本の歴史的経緯については、この項で何度か書いてきましたが、と思ったらかいてないですね。「教えてgoo」のほうではけっこうかいているので、お時間のある方は「男女差別まとめ」をご覧いただくといいと思いますが、近日中に「日本の男女の役割分担の歴史的経緯」を書くようにします。

 

いずれにしても、日本人女性は「女性は守られて当たり前」と思っており、日本人男性も「女性を守って当たり前」という通念があります。これ、実は欧米と全く違うのです。

この違いで、「日本的な女性保護」の立場に立つか「欧米流の男女平等」の立場に立つかで、女性専用車両に対する意見も異なってきます。

でもね、日本人女性はダブルスタンダードになっていることに全然気がついていないんですよね。だから「女の壁」とか「遙洋子 喜多嶋舞を擁護」のような「男女平等の視点から見れば明らかに間違っている」ことを言う人が、同時に「男女平等」を推進したりするわけです。

女性専用車両に反対している男性の主張を良く見てください。彼らが求めているのは「欧米流の男女平等」であって、シーソーを水平にしてくれ、ということなんです。男性優位になりたいわけではありません。

あくまでもスタンダードはひとつ、それが分からないと問題は解決しないですね。

 

 

 

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