ノエルのブログ

文学、映画、ガーデンを巡る雑記帳

本をめぐる日々

2017-03-15 21:57:18 | 日記・エッセイ・コラム

週末、「月虹塾」三月例会があったので、出席。小説を書く際のプロットをうまく作るやり方を指導してもらうなどしたのだけど、私も考えることが。

小説として「魅力がある」とか「面白い」とはどういうことだろうか? 有名な作家のものであっても、退屈を感じ、最後まで読みきれないものもある。これはどこかで書かれていたのだが、「よくできた小説には、みな謎がある」というものがあったっけ。
確かに、それはそうだろうと思う。その「謎」が読者を最後まで惹きつけていくのだ。ミステリーや探偵小説などでなくても、純文学だって「人間というものの謎」を描いている。

さっき、ドフトエフスキーの「悪霊」(これが、上下巻ある大作で、なかなかに難解で、恐ろしい内容なので、読むだけでずい分消耗してしまった)を読み終えたところなのだけど、このロシア文学の巨星が描いた物語にも、大きな謎があるように思う。
小説の陰の主人公と言える美貌の青年ニコライ・スタヴローギン――彼の存在そのものがブラックホールのようで、底知れない深淵をのぞいているよう。虚無と悪徳と、情欲と。その反面、自らの罪が体現する「悪霊」(スタヴローギンの枕元に立つ、正体の知れない幽霊のようなもの)におびえ、僧院へ、罪の告白をする青年――それが19世紀末ロシアの国家転覆を企てるニヒリストの乱と結びつくのだが、当時すでに、現代人をとらえている「病」が現れているのに、驚く。

ドフトエフスキーの小説を読むと、あらゆるシーンで、息詰まるようなスリリングな感じ、「これから何が起こるか?」という緊迫感が読者をひっぱっていくのに気づく。これこそが、この文豪を、他のあらゆる歴史上の大作家とは違い、現代でも多くの人々を惹きつけている秘密ではないかな、と思ったのだけれど、これは間違っている?
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