六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

映画「ローグワン スターウォーズ・ストーリー」

2016年12月30日 | 映画

今年のベスト1です。「ローグ・ワン」ぶっちぎりです。

公開前は「まぁ関連作品だから観に行くかー」程度の軽い気持ちで、次のエピ8までの心のつなぎとしてしか期待していなかったので、いや~ヤラレました、ハマりましたよ! 語ったらキリがないので自粛しますが!(笑)

これまで私の中のSWサーガの順位は、エピ5のESBが僅差で1位、2位がエピ4のNHで、3位がエピ6のRJ、エピソード123と新作7が同列4位、という扱いだったんですけど、もしかしてこの「ローグ・ワン」がRJを抜いて3位に??というくらい気に入りました。

ってか。これをスピンオフ作品と言うんだろうか。サイドストーリーというにはあまりにも本編にドはまりしていると思います。ちゃんとエピソード3.5(笑)だよねぇ。このままエピ4になだれ込んで5時間映画としても良いくらいだと思います。1作目の公開から40年に迫ろうという時間の経過を経て、これがちゃんと成立するってほんとスゴイ。作り手の「STAR WARS愛」が、半端じゃない。(それを可能にし、かつ半端を許さない私たちファンの愛もね!)

そういう作品とリアルタイムともにいられることが、本当に幸せ。

・・・だからこそ、キャリーをいま喪ったことは痛恨のきわみです  現実の世界でも、ずっと幸せで、穏やかに老いていって欲しかった。合掌。

 

2位「この世界の片隅に」…でも良作だからこそ心に深く沁みてしまって、辛くて、1回しか観れない

3位「シン・ゴジラ」発声可能上映に行けなかったのが残念!ワイワイ楽しみたかった!

あとは、いろいろ観たけど順位づけというほどではなかったなぁ。「海賊と呼ばれた男」や「君の名は。」も観たけど、それぞれ予告編から期待をふくらませていたのとはやや方向の違う映画だったので、まぁ流行は押さえたかなという程度(もし私が期待する方向の作品だったら、たぶん全然面白くなくてヒットしなかっただろうと思いまーす)観たけど損した金返せなのもあったけど、自粛(笑)ドキュメンタリーや自主上映もいくつか見ました。それぞれ、まぁまぁだったかな。

2016は、映画よりも大河「真田丸」にトラップされた1年でした!三谷~あたしそんなに三谷好きじゃないのに~好きじゃないはずなのにぃ~、悔しいけどさすがだ!参りました!今日は昼から総集編見るっ!!!!!(←完敗しとるw)


観る価値あり

2009年04月30日 | 映画
 とにかく観て下さい。それ以外の言葉が無いです。

『雪の下の炎』

 連休の1日を費やす価値ありです。観て、ぜひ、世界と、人の心と、仏性について、考えて感じて欲しい。

 ・・すんません、今すっごく眠くて・・
 なにしろ昨夜(正確には今日)は2時過ぎまで、イヌエチケーを見てしまった・・だってまっさんファンなんだもん(これだと、いくら偏向局だからって受信料払わないとフェアじゃないよね・・ジレンマ
 「私は犬になりたい」(ソフトバンクのCMソングね)も、フルコーラスで聴きました。フルコーラスで聴くと、まっさんが言ってたとおり、ホントに心にジンワ~リくるものがある唄だったんだ~って思いました
 (・・つーか、イヌ??意図せざる偶然だろうけど、ちょっとニタリとしてしまうぞこの選曲

 まぁそういうわけで、朝になってもものごっつ眠い。午前中はワシ使い物にならんぞと思って、朝シャンしたり家計簿つけたり掃除したり、脳ミソ半分寝てても出来ることで時間を使い、昼を食べて、『雪の下の炎』を観に渋谷へ出かけました。

 ドキュメンタリーだし、正直、途中で寝るかもって思ってた。

 ところがとんでもない!
 目は爛々、脳はフル回転。軽々しく共感の涙なんか流せないと思うくらい、神妙な謙虚な気持ちにさせられました。

 ついでに、去年の4月、長野に行ってよかったと思いました。
 もし「お金が・・」とか「日常で忙しいし・・」とかでためらって、行かなかったとして、そんでこの映画を観たら、心底「行くべきだった、行けばよかった・・!」と激しく後悔しただろうと思うから。

 遅ればせながら、書籍も購入しようと思っとります。

映画「西の魔女が死んだ」

2008年07月18日 | 映画
 いまさっきテレビでトトロやってた。やっぱし観てしまった。
 ナウシカとトトロは、何度も観てるのに、やってるとついつい観ちゃうんだよな~。

 それはさておき。
 6本観たら1本タダという特典を使って、本日、観てきました。
 「西の魔女が死んだ」

 いい映画でした。
 もし、観に行こうか迷ってる方がいたなら、「それは観た方がいいよ」と申し上げます。映画1本すら、観るべきか否か決断ができないアナタ、そういう方にこそ「効く」映画だと思います、きっと。

 ネタばれかもしれませんが、感想など。

 観終わって私は、魔女修行をせねば・・と思いました(←単純)。マジ、日々を反省した 奇跡は、こういう修行からしか生まれないんだ、やっぱし。
 キム兄が、なかなか好演でした。東の魔女が最初に目撃した奇跡・・と思わせてくれる、いい味を出してました。

 私がついウルルっ・・ときたのは、実は前半の方でした。ワイルドストロベリーフィールドのシーン。亡くした人の愛は、こういうかたちで届く。それはきっと、本当にある奇跡なのだろうと思う。

 おばあちゃんが英国人だからこそ「魔女」の存在に現実味があるけど、一方で、諍いの後に少女がほおばるのがトーストなのが、私の中ではふっと距離感ができてしまって、まぁそれはそれでベタベタにならずに良かったんだろうけど(サラダもスープもとても美味しそうではあったけど)・・あれがもし「おにぎり」だったら、間違いなくそこで号泣だな私は。
 これは年代の差か?それとも好み、かな。

 生のアップルミントの葉を浮かべた紅茶をいただいた後のような、爽やかであたたかい作品でした。

映画「ラスト、コーション」

2008年02月05日 | 映画
 先日、ダーリンが出張でいなくてヒマだったので、公開されたばかりの映画「ラスト、コーション」を見てきました。

 日本占領下の上海・・その時代背景、ファッション、風俗、雰囲気などなど。全く無縁のはずなのに、なぜか私はとても心惹かれるですよ。何でだろう、あの混沌とした感じ、爛熟と猥雑とあやうさと虚構に充ちた煌めき・・あの嘘っぽく俗悪なほどの成金趣味やら倦怠やらも、突き詰めれば至芸だ、みたいな感覚をもって眺めてしまう。決して憧れも肯定も感じないけれど。

 そういうわけで、行ってみました。

 この映画、何か宣伝では愛とかR18がウリな映画みたいに扱われているけれど。観る自分が他でもない「日本人」なら、もっと違うテーマの映画だと感じた方が良いんじゃないかと思った。

 若き主人公の女性がなぜ、このような濡れ場に至るか、そのそもそもの動機・きっかけは何かってこと。
 「抗日」
 彼女はそのために、ここまでやる。

 若くういういしく、良家の子女っぽい聡明な生娘が(・・って、中国の「女性の純潔」に対する価値観がどの程度なのか、いまひとつ分からないけれど。映画「ラ・マン 愛人」を観た時も、どうも愛人というあたりの感覚が理解できなかったのだけれど。当時の日本社会がもっていた倫理観と同じくらいの感覚と仮定すると)ここまでやるのは、相当なことだと思う。

 もちろん、熱く抗日を語る青年への思慕や憧れもあったかもしらん。でも(本当の日本との関係はともかく)「抗日」という当時のスローガンのもつ熱狂とか正当意識とか、そういうものを、ひしひしと感じたですよ。

 その流れの上に、現代がある。
 日本人なら、戦争に無縁の世代でも心の底にほぼ確実に、ヒロシマ・ナガサキが、特攻隊員が、東京をはじめとする大空襲の記憶が、息づいている。
 多分それと同じように。中国の人々の血の中に「抗日」という熱狂が流れていることを実感する。
 そしてその流れの先に、数年前の、自衛隊員とか大使館員が嵌められたハニートラップがあるんだろうなと。

 こういう精神的な近代史の流れを、日本人としてはきちんとおさえるべきなんじゃないかとつくづく思いました。
 背景には列強の利権争いと中国国内の内紛があったにせよ、あの時代、あの地は表面的には「親日・抗日」で彩られていたわけで。嘘っぽいブルジョア生活と、それ以外の困窮した現実生活とのギャップの描写も見事でした。その全てを日本鬼子の悪事とされればぐうの音も出ない、そういう事態にまんまとひきこまれてしまった当時の日本の迂闊さ、見通しの甘さ、傲慢さを戒める意味で、特に自衛隊員と大使館員と中国進出企業家にはぜひ観て欲しいなぁと思いました。

 そういう意味で、怖い映画だったよ。

 あと、観客層がイマイチばらばらで、ヘンな感じがした 若いカップルもいれば、5,60代のオバサンがお一人様していて、「こういう映画に?」と違和感を感じるような年配男性もいて。・・もしかして彼は日本占領下の上海にゆかりがあって、上海の風景を懐かしもうと来てたのかなぁ・・。

映画「アース EARTH」

2008年01月14日 | 映画
 公開されたばかりの映画「アース EARTH」を観てきました。

 感動的だし、皆さんにぜひ足を運んで欲しいと思う。圧倒的な映像美、どうやって撮ったんだろうと首をかしげるほどの迫力(スタッフは「動物がらみで危険を感じることはなかった」と言っているが)、撫でた時の体温すら想像できるくらいのクリアな画像。お金を払って劇場で観る価値あり、です。

 それをふまえたうえで。

 何か、観ながらフクザツな気持ちになってきてしまったんでした。

 この映画に人間は一切登場しません。ただただ、自然といのち達のドラマを切り取っている。人との関りを想起させるのは、ナレーションの文面のみです。
 でももしかしていつか、同じこの画像を放映しながら「・・地球上には○○年前まで、こんな風景に満ちていました」とか「こんな動物もいたのです」というナレーションをかぶせる日がくるのではないかと。
 全然違うドキュメンタリー映画だけど、拉致被害者の横田さんをとらえた映画「めぐみ」のサブタイトル、奪われた家族の30年ってあったでしょう?あの映画が製作・公開されたのはたしか拉致から28年目だか29年目だかで、「30年」って銘打ってしまって良いのかな~と思っていたらあっという間に解決をみないまま時間が経って、タイトルどおりになってしまった。
 それと似たような、暗澹たる予感にとらわれてしまったのでした。

 このまま地球温暖化が進めば、2030年にはホッキョクグマは絶滅する。

 2008年の今。その時間の短さを想う。

 温暖化で高緯度地帯の氷河や万年氷が解けることをビジネスチャンスと喜んでいる人間がいる。その地域に眠っている石油が掘削しやすくなるからと。

 気が狂ってるとしか思えない。

 ホッキョクグマの絶滅ひとつを憂えているのではない。かつては、埋蔵されている石油の枯渇が人類の危機として論じられていたが、今はもう、化石燃料を使い尽くすずっと前に、燃やすことによる温暖化の脅威の方が人間の存在にとって深刻であるとの見解が定着しつつあるのに。人類滅亡へ向かってもう戻れない「ポイント・オブ・ノーリターン」はここ数年のうちにやってきて、もしかして現在、今日の時点がその「ポイント」であるかもしれないのに。

 全然違うけど、北京五輪予選のハンドボールの再試合についても連想する。「中東の笛」と呼ばれる、特定の国に有利な判定をする審判。その背後にあるのもオイルマネーだと聞く。

 人間の欲望に火をつける「燃える黒い水」。それに闇雲に踊らされる人間。

 いま流行りのリゾート地、椰子の形をした人工島を作って喜んでいる中東の富豪たち。そこへ遊びに行く各先進国のお金持ちたち。
 その金の何割かでも、自分たちの子孫のために、「地球」に投資したらどうなのよって思うけど、彼らは投資とか寄付とかしてんのかな。

 この映画に溢れる「豊かさ」を「豊かさ」とは感じない、そういった人たちが、ある割合の数、確実にいるだろうと思う。その人たちとどう話をすれば良いのだろうと途方にくれる。地球は、私たちのものであると同時に、その人たちのものでもあるのだ。

 ・・などとひよったことを言っているから地球はどんどん蝕まれていく。
 あえて私は言いたい。
「この映画に溢れる豊かさを豊かさと感じない人がいたら、その人の心は貧しい」と。

 そういう人には、この映画はおススメしません。観てもつまんないと思うよ、私の隣でいびきかいて熟睡なさっていた中年サラリーマン氏みたいに・・いやいや、彼にとっては日曜の午後の心地良い休養になったので、そういう観賞のしかたもアリか!

 あと、NHKスペシャルで1年間やっていた「プラネットアース」シリーズを全部観た方は、見覚えのある映像が多くてちょっと拍子抜けするかもね。もちろん迫力の映像ばかりなので、映画館の大きいスクリーンで改めて観ると、その素晴らしさに驚嘆できて飽きたりはしないけど。

 館内は通常の娯楽映画と違って、お行儀の良いお子さまたちとその保護者が異様に多く、しかも静かだったので、終演後に場内の明かりが点いて周囲を見渡して初めて、こんなに観客がいたのかとビックリ。一緒に行ったダーリンも「この映画館がこんなにいっぱいになっているのは初めて見た」と目を丸くしていました。
 でもさ、こういう人たちは、良いの。きっと買い物にエコバッグを持っていったりゴミをきちんと分別したりこまめに消灯したりしているだろうから。
 「それ以外の」人たちにこそ、この映画は是非観て欲しいと思ったんだけど、それはオレの「善意の押し売り」に近い感情なんだろうな~と自己嫌悪にも陥ったのでした・・。



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映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」

2007年11月08日 | 映画
 映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を、公開初日に観てきました。
 別に初日じゃなくても良かったんだけど 今月は毎週末ごとに何かしら用事が入っていて、その日しか確実な時間がなかったから、混雑覚悟で行って来ました。
 以下、ややネタバレありですのでご注意下さ~い。

 

 えーと、感想です。
 
 当然ながら、泣きましたよ、ええ。そりゃもう、じんわ~り泣けますでしょう、あーいうシチュエーション。
 ただ、茶川センセが本当に才能があった(候補になるだけでも凄いと思う)ので、そこんとこは何というか。「三丁目」的文脈からすると、ちょっと外れるかな~という気がしないでもない。茶川という人物は、思い通りにならない現実や自分に悪態をつきつつも「スカ、スカ・・」とはずれクジを書くしかないその情けなさがリアリティの元だと思っていたので。本当に頑張っちゃって、本当に奇跡を起こしてしまうと、三丁目的にはどーなんかなーと。・・いや、その奇跡を素直に共感してあげられない自分こそが、平成の世に染まりきって汚れちまった証拠だ、ということなのか・・ 

 ろくちゃんと、ともえさんが、生き生きしていて体温を感じられる存在感で、すごく良かった。

 ショタな私としては淳之介や一平と再会できるのも楽しみだったのだが、私のショタセンサーは意外に守備範囲が狭いことが今回判明した。ハリポタの時もそう思ったんだけど。男の子ってあっという間に大きくなってしまうね。今回の淳之介サイズくらいに育ってしまうと、もう私の中では「規格外」となってしまう。一平はまだ、全体のサイズはギリギリ範疇かな~とは思ったけど、顔立ちが大人びてしまってて。思えばハリーも2作目ですでにかなりキビシく、3作目からは興味を失ってしまったからなぁ・・。
 邪念なく萌えれる機会って、意外に少ないのかもなーって思った(思うな、んなこと!) 

 しかし、帰宅してからもダーリンと何度も話して頷きあってしまった、この映画の一番のみどころは・・

 (ネタばれだぞ、知りたくない人はこの先を読んではいかん!)

 一番のみどころは・・






衝撃のオープニング!

 ・・って書いちゃうと、まだ観ていないヒトは「えー、どんなオープニングなんだろう」って構えて映画館に行っちゃうから、言いたくなかったんだけどさ~。でもあまりに衝撃的だったので、書かずには居られん! 前作の印象だけ持って、その続編を観るだけのつもりで映画館に行くと、本当に良いんだよ、オープニングが!
 まだ観てないでここ読んじゃった人、ごめんね~(笑)警告はしたからね~、自己責任ね~。

 というわけで、その衝撃のオープニングを観るためにだけでも、この映画、観る価値あり!!(笑)
 

映画「眉山」

2007年05月22日 | 映画
 映画館で映画を一定回数を観ると、貯まったポイントで1本無料で観ることができる。
 どれを観ようか迷ったけれど、これにした。さだまさし原作の映画「眉山」

 この映画、原作がまっさんなだけで、作品中にさだまさしカラーは感じられません。挿入歌とかも無いしね。
 そのことは、別に良いとも悪いとも思わなかった。

 でも、泣き系の映画と期待して行ったわりには、いっぺんもジーンときませんでした、ゴメン!
 クライマックスのシーンで泣いてた女性陣はけっこう居たんだけど。彼女たちは、宮本信子演じる母に感情移入してたのか、松嶋奈々子演じる娘に感情移入してウルウルしてたのか、どっちなんじゃろー??と、そっちの方が気になった(笑)

 まっさんの作品なのにこの淡白な感覚はナンじゃろーと自分でも不思議になったので、後日、本屋で原作を手にとってみた。すると、登場人物(主に娘)に感情移入できるじゃございませんか。

 ・・とすると、監督か脚本がモンダイなのだね。

 でも犬堂一心って、「黄泉がえり」とか「いぬのえいが」を撮った監督だよね~・・
 あれらは、良かったけどなぁ。
 じゃあ、悪いのは脚本か?
 でも、それら含めて、監督の責任だからね~・・。うぅーむ・・。

 宮本信子演じる母、カッコイイ。こういうオンナになりたいと思わせられます。しかもその生き方や姿勢を周囲から十二分に理解され、受容されて幸せそう。
 なので、その母に一人反発する松嶋奈々子演じる娘が、ただ単に幼いだけに見えてしまう。娘の孤独や辛さを充分に描ききれてないために、観る側は「娘~、早くオトナになりなよー。相手は先が短いんだし。アンタ素質はあるんだから、母を見習ってカッコイイ女になって和解しなよ~」って気になっちゃう。

 そう思って表情を凝視するためか、この映画ではやたら松嶋奈々子の顔の造作が気になった。彼女の美しさとか全体の雰囲気を引き立てるとかじゃなく、顔のパーツがいちいち気になるだよ・・犬堂監督は松嶋奈々子の大ファン(マニア)か、それとも逆に松嶋奈々子がキライなのか?と思うくらい、気になる構図のアップが多くて・・それも、感情移入しづらかった原因のひとつ。

 そして、阿波踊りを観に行ったことのある人なら、あの踊り込みだの総踊りだのの場面で、あの展開は・・ああいう再会の仕方はハッキリ言って無理!絶対ありえね~!と思いません?
 阿波踊りをナメてる。同行者だってはぐれてもってかれちゃうような混雑と騒音と熱気の中で、あれは無いだろーと思う。阿波踊りってもっともっと圧倒的なのに、その魅力まで削いでしまった。

 むしろ、父にはどっかの連で踊って出てきて欲しかったなー。その方が感動的だったろうに。
 ・・でももし父が連に入って踊るような性格の人物だったなら、そもそもああいう生き方とか、母娘をこういう事態に置き去りにしたりはしないやね。

 この映画から表向き伝えられるメッセージは「仕事は女の舞台」「女は愛を胸に抱いていれば、ひとりでも凛々しく生きられる」
 ・・でもその割には、たとえば病床の母を嫌な顔ひとつせずかいがいしく看護する専業主婦らしい叔母(円城寺あや)が素晴らしいし、ラストは、母の病のおかげで出会えた結婚相手(大沢たかお)と幸せそうに去っていく二人・・

 ・・?? どっちも女の幸せ、女の生き様には違いないが・・何かダブルメッセージっぽくて、この映画ではどっちを言いたかったんさ? とツッコミたくなりました。
 どの生き方を選んでも、結局女は愛にあふれててみ~んな幸せ、めでたしめでたし・・って映画だったのでしょーか??

映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」

2007年05月18日 | 映画
 先日は、石原都知事制作総指揮の映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」
(・・このタイトル、長くて言いにくいよ )を観てきました。

 ネタバレあり注意。(5月19日加筆あり)。

 では感想。
 この映画はアレだね、教科書的存在の映画だね。
 どういう意味かというと。
 その人の持ってる思想は右でも左でも良い、とにかく日本人なら全員、ひととおりコレには目を通しなさい、みたいな。自分の父祖の代にこういう事実があったということはおさえておきなさいってゆー、その目的で観るのに適した作品ではないかと。
 これを観たうえで、先の戦争や日本や自分の立ち位置をどう考えるか・・右にいくか左にいくか真ん中をいくか、それを各人で、是非真剣に、いっぺんくらいは考えて欲しいなと思いました。

 もっとも、「そんなことマジメに考えるのは嫌~」という人には特におススメはしません、なにせ「教科書映画」ですから(笑)。この作品をスペクタクルとかエンターテインメントとは呼びにくい。

 この映画を称して「戦争賛美だ」と言う人がいるらしいけど、首をかしげる。ほんとにコレ観て・・こんな哀しい映画を観て、戦争を肯定し気分高揚するかや??
 また、作品中で将校が言った台詞をとりあげて「過去の日本はやっぱ正しかったのだ、あれは聖戦だったのだと主張するためのプロパガンダ映画」みたいな評価をする人もいるらしいけど、それもどーかな。だって当時は事実みんなが迷いつつ疑いつつそういう空気のもとに生きていたわけで。その背景を描かずしてどうやって特攻につながる過程や心理状態を理解できるのかと逆に問いたい。プロパガンダ映画っつーのは、現代の立ち位置からの色眼鏡を通しすぎな評価だと思う。

 わたし的に観てて辛かったのは、たびたび出てくる血書のシーン。演出か知らんけど、そんなに大量の血は流さないでくれぇ~ とついつい目をつぶっちゃいました。

 でも、これがこの映画のテーマかもね。

 日本人皆が、血を流していた。一億火の玉で、先の戦争を戦った。それが正しかったか間違っていたかの評価とは別に、その事実は、みんなが受け止めなければならないと思う。一部の指導者・・自己保身と功名だけを目的とした無能な指導者に無辜の大衆は騙されていたのだ、だからそいつら悪い指導者だけを糾弾すれば良い・・という文脈では、本当の意味で先の戦争を理解したことにはならない。
 私は最近、仕事で接する人の中に、昭和19年頃から20年の春にかけて生まれた人に、名前に「勝」の文字が入っている人が異様に多いことを実感している。「勝男」さんとか「勝子」さんとか「勝治」さんとか・・。統計をとったら絶対に、この年代の人だけ明らかに有意な差が出ると思う。生まれた我が子に「勝」の字を授ける・・この1点だけでも、一般の人々がどういう心理状態の中にあり、何を希望と信じ、どういう立ち位置にいたかを推し量ることができるのではないか。
 今と未来の平和は、その時間の流れの上にある。当時、何が誤りで、何が問題だったのか、それを冷静に分析し受け止めないことには、未来の平和を考えることにもつながらないと改めて思った。

 観ていて私が強くくり返し感じたのは「責任」の二文字。
 この国に生を受け、こうして平和と繁栄を享受している以上、過去にこのように散っていった人たちから知らずに手渡されていた愛に応えるために、この国をもっと良くする責任があるのではないか。選挙権をもつ成人として。
 そう身の引き締まる思いがしたですよ。

 具体的エピソードでは、「・・我六才より育て下されし母・・」の手紙・・!あれダメなんだよ~(号泣)さだまさしのアルバム「さよならニッポン」の「兵士の手紙ときよしこの夜」って曲にもあるけどさ~。
 ・・今回の映画内で使われた朗読は「そうじゃないだろ!」って言いたくなる読み方ではあったが(苦笑)まぁそれは役者や演出家それぞれの解釈の好みでね。どんな読み方されても、この手紙は必泣~

 同じ意味で、寺田農演じる老いたお父さんが、息子の窪塚に「お願いします」とくり返し頭を下げる場面・・特攻に志願した息子をどんな思いで見送ったのか、それを想像すると胸がつぶれそうな気持ちになる。

 石橋蓮司も良かったです。去り行く飛行機に気づいてハッと道端に土下座するシーン。思わずウルウルきてしまいました。

 それにしても今回の窪塚は、よかったねぇぇ~! ・・正直言って、窪塚洋介にはあんまり良いイメージもってなかった(チャラチャラでプッツンな若者ってイメージでした、ゴメンね)ですが、今回は見る目が変わりました。きちんとコントロールされた演技の中に、裡に秘めた熱とか怒りとかを凄く表現できていた。これは見込みがある。これから良い役者になっていく人かもしれません。期待しちゃう。

 あと、今回の映画の一番の功労者は、冒頭にちらっとしか出ない、的場浩司だと思います。彼の、特攻に同意する時の鬼気迫る表情と声が大きな駆動力となって、作品全体を牽引していったと思いました。この人も良い役者なのね。見直したパート2。

 注目株は中村友也。自分は19歳で死ぬから残りの寿命はトメにあげるって言う彼です。彼の、トメに迷いを吐露する井戸端のシーンの表情は必見。なんて哀しくも美しい決意・・彼なら本当に蛍になって戻ってくると思える。

 筒井道隆は・・この人はあいかわらずね・・でもこれが彼の個性っちゅーか存在感っちゅーか・・こういうなさけな~い味うす~い感じを表現する役者さんも稀有かもしれない
 あと、徳重聡。主人公なのに、この存在感の薄さは・・ いや多分、私の中でピントの合わないタイプの人なんだと思う、この人。ルックス良いのに、何故か顔が覚えられないんですよ。整いすぎて、クセがなさすぎて、記憶に残らないの。これで何か(例えば演技がすごい下手とか)印象に残ることがあれば別なんだろうけど。・・たとえばこの役をぐっさんとかがやったら、あたしラストシーンで号泣すると思うな~。(いや、ぐっさん好きなんで ^^;)

 岸惠子は、上手に歳をとってる女優さんですよね~。若い頃の印象が強いと、老いが隠せなくなった時、残念だなーと思う美人女優さんが多い中(いや、誰とは言いませんが・・)無理して若さを写そうとするのでなく、老けたら老けたなりの美しさを見せてくれる。この路線で、生涯現役で銀幕を輝かせて欲しいでーす。

映画「武士の一分」

2006年12月22日 | 映画
 少し前に観に行ったので、今さら感想ってもな・・とは思いますが。とりあえず書いとく(笑)

 最初にこの映画のキャスティングを知った時、正直なところ「何でキムタク?」と思った。
 キムタクと時代劇・・キムタクと藤沢周平・・キムタクと海坂藩・・うう~む

 私は、キムタクに特に思い入れはありません。
 ・・つーか、最初にキムタクを意識したのはたしか車のCMで。「うわ、何このコ、綺麗~!」と衝撃を受けた。そして「こういうコのファンになったら楽しいだろーなー、ファンしたいなー」と思った。こういう美青年を愛せたら、毎日テレビ見るだけで幸せになれそうだもん。
 しかし残念ながら彼のもつ個性は私の守備範囲外だったので(私はSMAPの中では草クン派)どうということもなく今に至っております。

 だから「いろんなキムタクを観たいわ~」的関心がそもそも低く、映画パンフの中で解説者のひとりも書いているように、キムタクの髷姿かぁ・・と、どこか気が重かったのも事実でした。藤沢周平モノで海坂藩だから観に行くけど、みたいな。

 でも観終わって、膝を打った。
 なるほど!こ・れ・はキムタクだわ。
 この物語、この主人公に求められる・・というか《付与したい雰囲気》を、他の誰よりもキムタクは持ってる。外見、声、喋り方や仕草の個性が、ジャストフィット。

 この映画の感想(賛辞)は、それに尽きます。

 他の「海坂藩モノ」より筋立てはシンプルなので、ストーリーについての感想は、私の野暮な文章を並べる必要は無いかと思います。ただひたすら、登場人物の心情に感情移入して観ることをおススメします。

 観終わると、心がほっこりします。

 この土日や年末年始、お一人様でもいいけど、できれば親しい人と、友人たちと、あるいは家族と、「デートで」観賞するのがぴったりの映画だと思います

映画「めぐみ」

2006年11月29日 | 映画
 先日、拉致事件をテーマにしたドキュメンタリー映画「めぐみ―引き裂かれた家族の30年」を観ました。
 平凡な家庭の、普通の人々が突然まきこまれた国家犯罪。北と同時に、国や政治、世間の無関心といった、得体の知れないものとの闘い。
 これは是非たくさんの方に観て欲しい映画だと思いました。
 特に、拉致問題に「正直あまり関心を持てない・・」と感じていらっしゃる方々に一人でも多く観て頂けたらと思いました。 

 これは、どこか「他家(よそ)のお宅の悲劇」ではないことを知って欲しいし、日本という国の暗部も垣間見ることができます。通りすがりのオバサンが罵声を浴びせていく、その理不尽さに呆然とする横田滋さんの表情が、目に焼きついて離れません。

 私は、日本がこんな国であってはならないと思う。

 とある大物政治家が「先ずは核問題の解決、拉致はそれから」と公言している。その価値観の構図って、いじめ問題の構図と、ちょっと似ているところがあると思う。
 「いじめをやめなよって言ったら今度は私がいじめられるから、何も言わなかった」
 こういう《多数派》の発想を、あの政治家は許容するんだろうな。

 私は、そういう生き方は、できればしたくないと思う。

映画「父親たちの星条旗」

2006年11月05日 | 映画
 昨日は「父親たちの星条旗」を観てきました。

 重い作品でした。・・つーか、「現実」とはこんな風に重いものなのだ、と改めて実感させられる作品でした。
 「そんな重い現実なんかまっぴら。どうせ自分には関係ない。手に負えないことは考えるだけ無駄だもん、じぶんバカだしぃ♪」と切り捨てて、目の前の楽しさだけに集中して気楽に生きるのが本当の《利口な人間》なのかもな・・とふと思ってしまいました。どうせそのツケは自分では払わないんだろうし。
 ・・そういう生き方をしたいとは思わないし、自分にできるとも思えないですけどね。

 Yahooのレビューにもありましたが、この映画を観ると、戦争というものが(そして、それをとりまく人間というものが)いかにくだらないかを実感できます。だから反戦主義者の方はもちろん、戦争肯定者の方にも、この映画はぜひ観て欲しい。
 そして、もうひとつの作品「硫黄島からの手紙」もセットで。

 ・・どの映画館でもそうなのかな、「父親たちの星条旗」の終演直後に「硫黄島からの手紙」の予告編が上映された。その中の渡辺謙の台詞ひとことだけで私、うるうるっときてしまいましたよ。

 そんな「くだらない戦い」に、あの時代の日本人はどんな想いをこめたのか。

 それを知ったら、靖国に参らずにはいられないですよ(と私は思うね)。靖国に参って、今の日本の体たらくを詫びたくなる。昨今の教育問題をはじめとする社会全体の荒れ、その放置を我が罪として申し訳なく思う。そして硫黄島で玉砕した英霊はもちろん、「父親たちの星条旗」で描かれた沢山の無名の米兵たち、その家族達の想いにも頭をたれる場が欲しくなる(と私は思うね)。

 某漫画家が靖国神社を「反戦を誓うなんてとんでもない。あそこは、いざコトが起きたらこの国を体をはって守り抜くぞと決意を誓うところだ」みたいな言い方をするけれど、それってあまりにも物事や心を単純化しすぎた一方的な解釈じゃないかなぁ。
 単純にすれば、主張する側もキモチ良いし聞く側も分かり易いけどね。そこで何かが切り捨てられ抜け落ちると思う。

 そういうこぼれていく部分に、何がしかの価値はないのか? アイラの苦悩、ハンクとハーロンそれぞれの母の想い。そこに触れるたび、私は涙が出ました。それを「価値がない」と片付けられてしまうとしたら、私は戦争肯定者にノーと言うしかないですね。

 まぁそれはさておき。
 ビジュアル情報というのはまさに「百聞は一見にしかず」で。説得力ありますねぇ。
 日本の戦争モノ、たとえば「男たちの大和」とかを観た後で今作品を観ると、硫黄島へ進む米軍の船団の規模を見ただけで、ひぇぇ~・・と思いますよ。腰砕けになる。ムリムリ、絶対ムリ。こんなのと戦ったなんて、本当ッスかぁ?と思う。
 だから、あの星条旗が立てられてからも戦闘は続き、5日で終わると米側がふんでいたのに1ヶ月を越えても終結しなかったのはなぜか、夜はあの星条旗が引き倒されて日章旗が立ってたという話は本当なのか・・等、実際の戦闘状況にも興味があったのですが、この作品ではその詳細についてはあまり描かれてなかったですね。それがメインのテーマでもなかったし。
 時系列が次々に切り替わって分かりにくい作品という意見もあるみたいですが、私はむしろ、主人公たちの《ふりまわされ感》を追体験できて、その効果を狙ってこういう作りにしたんだろうなぁと思いましたですよ。

 これは次作品とセットで1作品、なんだろうと思います。12月が楽しみです。

映画「ココシリ」 その後

2006年06月29日 | 映画
 映画「ココシリ」にトラックバックを頂き、そこからたどっていくつものサイトを拝見させて頂いた。
 感動を分かち合えたと思えて嬉しくなる記事もあれば、「へぇ、こういう観方もあるか、なるほどなぁ・・」と、軽い違和感を覚えて沈黙のまま撤退したサイトもあった。

 主に違和感を感じたのは、書き手さんがいわゆる「チベット問題」を全く勘案していなさそうな記事のとき。

 もちろん私だってチベット問題に詳しいわけじゃないですよ、ダライラマ14世のテレビ番組を見たりとか、記事や自伝をいくつか読んだ程度の知識しかない。でも「秘境チベット」に憧れを抱き興味を持てば、必然的に「チベット問題」が意識の底に滓のように溜まるはず。そして例えば、今書店に並んでいる月刊ウィル8月号の104ページ、福本里実さんの「ヒマラヤを越える子供たち(中国はチベットに何をしてきたか)」みたいな記事にも、つい目が行くと思うなぁ。

 たとえばこの記事を読んでから、もう一度「ココシリ」を観てほしいと思う。そうすれば、もっともっと深く心を動かされるはず。そして、国とは何か、人の心とふるさとのこと、誇りとは何か、国を奪われるとはどういうことなのかを、わが身に引き比べ、世界情勢の中の日本の現状に置き換えて、自国のことをより深く考える機会にもなると思う。

 いずれにしろ「ココシリ」は、地味なわりには静かに波紋を広げている映画ですね。こういう映画に出会えて良かったと思っています。

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映画「ココシリ」

2006年06月07日 | 映画
 内容に興味があったのはもちろんですが、WWF会員だと割引があるとのことだったので、喜んで観に行きました。「ココシリ」

 何というか・・寡黙な映画だった。
 たくさんの血と涙、叫ぶ言葉たちを胸の奥におしとどめて、空を眺め透かすような澄んだ目をして、佇む男たち。
 この寡黙さが「チベット」なんだと思った。
 まるで山々のようなこの深い沈黙が語る言葉、脚本の行間にからあふれ出す聞こえない叫びを聞くことが、我われ観客の役割であり、それを観客が補ってこそ、この映画は完成するんだ・・と。

 作品の、半ば過ぎからずっと「中国内部の問題を告発しているも同然のこういう作品、よく作れたなぁ~」と感心して観ていたけれど、作品の最後の最後に流れたテロップで、全て納得がいった。

 やはりこの作品は、中共のプロパガンダ映画なのだ。

 プロパガンダの外枠の文脈は、こうだ。
 『密猟者も、それを力技で取り締まる山岳パトロールも、「チベット人」・・つまり、中央の秩序の届かないところで、こんな「遅れた」「なげかわしい野蛮な」状況が残存していた。そこへ中央の秩序の象徴であり未来世代の代表でもある記者が訪れ、過去世代のあやまちや、断ち切れないしがらみを告発し、介入し、現在は事態は改善されたのである・・』
 それでメデタシメデタシ、と表面的には見える。そういう体裁をとっているからこそ、この作品は作れたのだろう。

 でも、もう少し注意深く考えてみれば、そう簡単に片付けられないことはすぐに察しがつく。特に、密猟者と山岳パトロールたちの人間模様、その「近しさ」に注視し、なぜそのような人物配置に至ったのかを、時代背景を含めて想像してみれば。

 それに気づくと、「どういう体裁をとろうとも・・たとえ中共のプロパガンダ映画と思われても構わない、とにかくチベットを描かなければ」という情熱のようなものがひしひしと伝わってきて、そのことに先ず胸が熱くなった。

 その思いの熱さは、チベットカモシカに象徴させて山岳パトロールの隊長の口から語られている。
 隊員を医者に診せる金を補うため、そもそもそのために命を賭していたカモシカの毛皮を売らなければならない矛盾。その想像にあまりある悔しさをのみこんで、彼はつぶやく。

 「ラサへの巡礼たちを見たことがあるか。彼らは、体は汚れているけれど、魂は清らかだ」
 
 手は汚れていても、目的はけがれない。
 それを容認してよいのか否かを迫られて、観客もまた言葉を失う。

 特に自然保護や環境問題に携わっていると、こういう感覚は常につきまとう。何が正解か、容易には結論を出せない。いずれにしろチベットカモシカの生息数は回復しているのだ、結果オーライならそれはそれでいいじゃん、認めなければ・・と思いながらも、何か苦い塊りをむりやり飲み込むような気分になる。

 この映画を推奨してる(のかな?)WWFの意図は、どのあたりにあるんだろう?

 パンダに象徴されるように、中国では野生動物も外交と外貨獲得の道具に過ぎない。国の威信の前には世界的な希少種が絶滅しても何とも思わない国だ(三峡ダムで、カワイルカは多分ダメだろう)そういう国の、こういう映画。何ともフクザツな気分になる。
 でも自然保護の主体はあくまで各々の国だから、外国人である我々は、かの国がその気になってくれるのを祈るしかない。効果があると信じて、間接的な働きかけをするしかない。いくら地球はつながってるからって内政干渉をするわけにはいかないのだ。「こういう映画(=こういう自然保護姿勢)を支持するよ」とアピールするしか、WWFとしては手立てが無いのだろう。組織の立場的にも。

 映画製作者と、山岳パトロール隊長と、同じ種類の苦さを自然保護主義者もまた、共有している。

 そうじゃなくて、単純に「中国えらいじゃん、ちゃんと保護するよーになったのねヨシヨシ」と喜んで推奨したのなら、がっかりだぞ。

 そうかもしれないという危惧を抱きつつ・・よろしければどうぞ1クリック☆お願いします。