中国不滞在記 in 神戸

行って見て聞いて考えた中国のこと

歴史的に支配していたから中国のものならチベットやウイグルは誰のものだ

2016年07月14日 | 日中関係
ハーグの仲裁裁判所の審判は予想以上に中国に厳しい。

火曜日の授業で、ある学生が

「先生、今日の6時半です。」
「何が?」
「裁判の結果です。」
「南シナ海の九段線だね。中国に厳しい判決が出そうだね。」
「そうですね。でも、歴史上、南シナ海は中国のものです。戦争になります。」

戦争になるわけはないと思うが、〇〇は中国のものだ、というのは尖閣諸島について2012年〜13年、いやというほど見たり聞いたりしたスローガンだ。2012年8月末に福建省の大学に赴任してしばらくして反日デモや反日暴動が各地で起こった。大学のある福州でも1万人規模のデモがあった。外事処課長は3日間は宿舎から出ないでくださいと警告。東門の近くで日本人が開いている小さな寿司屋のドアが壊され、宿舎の入口に反日スローガンビラが張られた。中国人教師や学生からは、町に出ない方がいい、大学の中にも日本が嫌いな学生がたくさんいます、と忠告された。

10月初めの国慶節の連休に河南省に旅行に行った。反日暴動が起こる前に飛行機を予約していたので、外事処課長にお伺いを立てると、「あ〜そうですか。気をつけて行ってください。」とあっさり許可。今から考えると、省外で何かあっても自分の責任は問われないからではないか。飛行機で鄭州に行き、そこから長距離バスで開封へと向った。途中バスを乗り換えなければならなかったが、乗り換えのバスがどれかわからず、道路で煙草を吸っている運転手に聞くと、「お前は日本人か?」「そうだよ。」運転手は一瞬、驚いた顔をしたが、すぐににやりと笑って「好了、好了。」と肩をポンとたたいて、離れた場所に停まっているマイクロバスを指さして教えてくれたのであった。実は旅行前に中国人教師や学生から、旅行中、もし日本人かと聞かれたら韓国人と答えてくださいと忠告されていたが、それは私のちっぽけな矜持が許さない。もちろん臆病者だから危険な状況ならその限りではないのだが。開封や鄭州の町中では、「魚釣島是中国的」「抵制日貨」(日本商品不買)といったスローガンがそこらじゅうに張ってあった。一部の店には日本人お断りの張り紙もあった。しかし旅行中とくに危険は感じることはなかった。

年が明けて、2013年2月の春節に今度は河南省の洛陽から山東省の青島に抜けて2週間旅行した。まだ反日感情が残っていて、公営バスの電光掲示板に反日スローガンが光るという有様。旅行中、論争を挑まれること3度(笑)。「魚釣島をどう思うか」だ。最初は曲阜へ向かう高速鉄道の中で隣のリーマン風の男、二度目は曲阜の食堂の主人、三度目は? 思い出せない。
いずれも怒鳴るようなことはなく、礼儀をわきまえた話し方だったので悪い印象はない。旅行中、日本人だと分っても笑顔で接してくれる人が多かった。

中国は政府がメディアを支配し、国民の感情を操作する国である。
愛国主義教育(ターゲットはほとんど日本)を受けて、反日感情を植え付けられているから、メディアの扇動にきわめて乗りやすい。日本ではメディアの偏向報道のおかげで嫌中意識が高まっているが、中国の場合は、暴動や日本商品不買運動に発展したり(もちろん組織の指示を受けてだ)、政府が日系企業への嫌がらせを行ったりすることだ。レアアースの輸出制限なんてほんとうにひどかった。こんなことをするからますます日本人の嫌中感を煽るという悪循環。日本に来ている学生たちは、日本のメディアが中国のよくない部分ばかり報道することに憤っているが、その原因の半分は尖閣問題以来の中国のやり方にあることを忘れている。そして自分たちが受けた歴史教育がいかに偏っているかを理解していない学生がほとんどである。つまり、政府・共産党の発表をうのみにして、客観的に国際関係をみることができない。

「先生、なぜ日本のニュースは九段線が中国の『野望』と書くんですか。」

「九段線は国際的には『野望』と思われるだろうね。」

「でも南シナ海は歴史的に中国のものですよ。」

「それは、古来から中国商人が往来していたということであって、東南アジアに新興独立国家ができたのだから国際秩序は変わっています。彼らにも権利がありますよ。地図をよく見てくださいね。」

学生は、「戦争になります。危険です。」とつぶやいて教室を出て行った。

何とも徒労感。

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